ジョージ・M・フレドリクソン『人種主義の歴史』(みすず書房)・続
世の中には変わった本がある。
著者によって書かれた本文より、
訳者が書いた解説のほうを高く評価したくなる、 という本がある。
本書がそれである。
というわけで、李孝徳による訳者解説を今回は取り上げたい。
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訳者によれば、フレドリクソンの人種主義の定義は、次のとおりだ。
……「支配的権力を持つエスニック集団や歴史的な集団が、別な集団に対して、否定的に認知される身体的・文化的な集団的差異を共約不可能で、遺伝的に不変であると規定して本質化(=人種化)し、優等/劣等で階層化された人種秩序を作り上げたうえで下位へと位置づけ、その劣位性を社会悪と見なして差別、周縁化、支配、排除、殲滅といった暴力を合理化しつつ、社会的に行使すること」(179頁)
ここにはどのような特徴があるのだろうか?
……「他者」に対する偏見やステレオタイプ化といったレベルで一般化せず、「他者」に一方的に付与した否定的な属性としての差異をその「他者」の本性として遺伝的に本質化する点と、そうした本質化が「他者」に対する社会的な暴力(差別、支配、排除、殲滅)の合理化と実行に結びつくという点で限定している……。(180頁)
これにはメリットがあると訳者は言う。
不毛なイデオロギー論争・抽象論争に走ることなく、
差別、支配、排除、虐殺などの「他者」を否定する
政治実践に関わって機能するものに限定しているからである。
またフレドリクソン…