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zoom RSS C・ダグラス・ラミス『要石:沖縄と憲法9条』(晶文社)@

<<   作成日時 : 2014/06/08 10:44   >>

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殺人(人殺し)に鈍感な日本人に読ませたい本だ。

国内で殺人事件が起きると情緒的に「死刑」を大合唱するくせに、
国家が大量殺人を起こしても責任者に「死刑」を求めない。

天皇をはじめとして戦争責任者は、なぜか日本人によって免責された。

オウム真理教教祖には「死刑」を求め、天皇および戦争指導者は免罪。

未成年にも「死刑」を求めるが、天皇・戦争指導者は勝手に免罪。

日本人は、ひとを殺すことを決して否定してはいないのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


戦争というのは、社会にどのような影響を及ぼすものなのか?

国家が戦争を遂行するのは、容易なことではない。

なぜならひとはひとをすぐに殺せるわけではないからだ。

 ヘジェスが調べた統計によると、人を殺すことに関して抵抗を感じない「生まれつきの殺し屋」は人口の2%に過ぎず、残りの98%はその抵抗を超えなければ兵隊にならない。その抵抗を突破するのが軍事訓練の重要な目的だが、その訓練を受けても人を殺せない兵隊もいる。第二次世界大戦中、前線にいた米軍の兵士のうち、実際鉄砲を撃ったのは半分に満たなかったが、その後、訓練は改善され、ベトナム戦争では90%になった。しかし、そのような厳しい訓練を受けても、兵士が初めて人を殺した時激しい拒否反応が起る。恐怖に溢れてライフルを落としたり、泣き出したり、嘔吐したりすることがよく起こるらしい。時間がたてばだんだんと慣れてくるが、逆にあまり長く戦場にいると、戦争神経症になる恐れがある。実戦中またその直後、兵士の15〜30%は戦争神経症を経験する。症状は様々だが、混乱、吐き気、ゲリ、身震い、失語症、失明、眩暈、そしていわゆる「千メートル眼差し」(千メートル先を見ているような目つき)が挙げられる。胎児型姿位に戻る(つまり生まれてからのことをすべて否定し、生まれる前の胎児の姿勢になる)こともある。(11−12頁)


こうした問題は、右派は取り上げたがらないものである。

彼らは軍隊を美化する。

軍隊は国を守るために必要なのだ、と。

軍隊は外国からわれわれを守ってくれるのだ、と。

だからわたしたちはこの問題を執拗に取り上げ続ける。

軍隊に必要なのは、平気で人を殺せる兵士の育成だ。

兵士が患うのは戦争神経症だけではない。

……「実戦中毒」になる恐れもある。……そのような依存症になってしまえば殺されることはほとんど確実だそうだ。(12頁)


過酷な戦場を体験した兵士は、狂っていく。

……実戦を60日間ずっと続けると、生き残った兵士のうち98%は「精神的損耗」、つまり精神病、になる。残りの2%は既に「攻撃的精神病質人格」を持つ、つまり、上述した「生まれつきの殺し屋」である。(12−13頁)


その結果どうなるのか?

そしてアメリカでかなり有名な話になっているが、ベトナム戦争で殺された米軍より、戦争後自殺した退役兵士の方が多いらしい。(13頁)


外部に向けて発散された暴力は内部に回帰する。

軍隊は国民を守るものではない。

兵士も国民のひとりであって、その兵士は犠牲にされるのである。

したがって、軍隊は、われわれの社会とは別の理屈で運営される。

この統治は、一般市民の統治における法とは別の法制度に基づく。その軍事法制度には、行動の自由はない。上からの要求は命令であり、それに従わないことは犯罪である。社会的平等もない。階級は法によって定められており、自分の階級に適切ではない行為をした人(例えば、上司に対して敬語を使わない人)は牢屋に入れられることもある。そして、兵土には普通の労働者の権利もない。団体交渉をやろうと思えばそれは「反乱」として扱われ、仕事を辞めようとすれば、それは「脱走」として扱われる。しかし、一般市民にはない権利の一つが、兵士にはある。それは、戦場で人を殺す権利だ。(24頁)


軍隊に民主主義は一切存在しない。

軍隊に民主主義は一切不要である。

軍隊が国民を守ってくれるというのも、妄想にほかならない。

20世紀を通して、国家によって殺された外国人の数は68,452,000人だが、自国民の数は134,756,000人だそうだ。もちろん、それはすべて軍隊によって殺されたとは限らないが(国家には軍隊以外に人を殺す方法がある)、軍隊が殺した外国人と自国民の割合はこの統計と似たようなものだろう。これは、軍隊は国民を怖い外国人から守るために存在する、という固定観念と矛盾する。(32頁)


軍隊は国民の守るための組織ではない。

だから軍事力強化を主張するものは、その本性上、反民主主義者である。

 日本において、憲法を変え日本を「戦争のできる国」にしたい人々の多くは、フェミニズムに反対でもあることは周知の事実だ。……軍隊組織は家父長制社会の要だ。家父長制の原型でもあるし、家父長制を実行する勢力でもある。(33頁)


そんなことはない、と改憲派は言うのだろうか?

軍隊組織内において男女は平等である、と?

いや、彼らはほぼ例外なく男女平等に批判的なひとたちである。

彼らが女性たちに言いたいのは次のことだ。「わかりました。君たちは機関銃を打つ〔ママ〕こと、戦車を運転すること、ミサイルを発射すること、みんなできます。しかし、戦場での略奪と強姦はどうしますか?」(33―34頁)


軍隊は男の組織だと言いたいのである。

でも、テロに対抗するためには軍事力は必要なのではないか?

そう改憲派は問題をずらして逃げようとするだろう。

では、「テロ」とは何なのだろうか?

著者はこう定義している。

 テロリズム……米国政府による事前の許可なしに、政治的・経済的・宗教的目的のために民間人に対し暴力ないし威嚇を行うこと。

 テロとは、米国と米国に依存する国々以外の誰かが、無防備の国民に対して、その国の政府に圧力をかける意図をもって武力を行使するという威嚇。(54―55頁)


テロに対抗するということは、こうした米国の軍事作戦に参加するということだ。

実際、日本国内ではその準備が着々と進んでいるという。

 最近大阪大学に、自衛隊や海兵隊の関係者が出入りして、「派兵シミュレーション」とかの「軍学協同」をやっている……。(58頁)


最近ではこれ以外にも不気味な動きがたくさんある。

日本のメディアはどういうわけかこうした事実を報道しない。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


2001年、「9・11同時多発テロ事件」が起きた。

それからというもの、
アメリカ政府はこれまでに隠れてコソコソやってきたことを、
堂々とやるようになった。

ブッシュ政権になって、特に「9・11」以後、アメリカ政府は、自分たちに三つの権利があると言い出したのです。第一は、先制攻撃を行う権利。次に、外国の政権を交代させる権利。第三に、一度もアメリカに入ったことのない外国人を逮捕・監禁し裁く権利。(70頁)


そしてアフガニスタンやイラクを攻撃した。

つまり、アフガニスタンとイラクという、アメリカと戦争をする意志も能力も準備もない国に対して、先制攻撃をしたのです。(70頁)


これは誰がどうみても犯罪である。

ところが日本人の多くは、アメリカの戦争に抗議しなかった。

それどころかイラク戦争の総括も反省も検証もまったくしていない。

殺人事件が起きると「死刑」の大合唱。

戦争が起きても「沈黙」。

小さな犯罪なら怒るのに、大きな犯罪にはあまり怒らないというのは、まさに想像力の問題です。(81頁)


アメリカの戦争に抗議しなかったどころか、
日本人はこれに協力したのだった。

想像力すら持ち合わせていないのが、現在の日本人だ。

アメリカでは、特に「9・11」以後、「テロリスト」と言ったら、人々の顔色が変わる。日本では「北朝鮮」と言ったら、顔色が変わる。理性が消えて、非常に感情的になります。「北朝鮮は何をやり出すか分からない国だ」という評判が支配的ですね。……
 ところが、北朝鮮が突然何かしでかしたのではなく、アメリカのブッシュ大統領が、2002年1月の一般教書演説で、北朝鮮をイラン、イラクとともに「悪の枢軸」だと非難したのです。北朝鮮から見れば、世界最大の軍事力を持っている国が、自分たちを「悪」とみなして、先制攻撃をするかもしれないと報じられている。いつ侵略されるか分からない状況で、「自分たちは核を持っている」と、核の抑止力に頼ろうとするのは、決して好ましくはありませんが、今日の外交では普通に行われています。日本だって、核の傘の下に入って、同じ論理を使っている。フランスも、イギリスも、インドも、パキスタンも、同じです。(84頁)


いまとなっては誰も言わなくなってしまったが、
アメリカがアフガニスタンを攻撃したことにはまったく正当性がなかった。

……1995年4月には、アメリカ中西部のオクラホマ市で、連邦政府の役所が入っているビルが爆破され、160人以上亡くなり、何百人も負傷しました。でも、それで連邦政府が、テキサス州に対し戦争したわけではありません。(85−86頁)


「テロとの戦い」という言葉は、人びとを狂わせる。

新聞に、アフガニスタンで、アメリカのCIAがテロリストらしい人物を見つけて、ミサイルで殺したと書いてありました。……なぜテロリストだと思ったのかというと、男たちが立ち話をしていて、真んなかに背の高い人がいる。アルカイダ本部の人たちは背の高い人が多く、特にオサマ・ビンラディンは背が高い。周りの人々は、背の高い人を尊敬しているような身振りだ。そこで、パイロットが乗っていない飛行機からミサイルを発射して、全員殺した。ところが、後で調べると、残念ながら皆農民でした。(86頁)


背が高いということが殺される理由になるのか?

この農民たちの命は、人間の命ではないのか?

タリバン政権が、オサマ・ビンラディンというテロ容疑者を引き渡すのを断ったからだという話……。しかし、これは嘘です。(87頁)


当時の状況を振り返っておこう。

……タリバン政権のパキスタン駐在大使は、「証拠を見せない限り、引き渡しません。まず証拠を見せてください。証拠を見せてくれれば、いくつかの選択肢がある。イスラム政権のある第三国に引き渡し、そこで裁判を行うとか、アフガニスタン国内で裁判を行うとかも考えられるけれど、まずは交渉次第だ」と繰り返し述べていたんです。引き渡しを断っていないんです。(87頁)


それでも言い張るひとがいるかもしれない。

「いや、タリバン政権は引き渡しを拒否していた」と。

そう言うひとには、さらに次の反論を突きつけてやりたい。

とにかく、犯罪容疑者を渡さないことが、侵略を正当化する根拠にはなりません。もしなるのであれば、ペルーは日本国を侵略してもよいことになります。
 ペルーの人たちから見れば、アルベルト・フジモリはオサマ・ビンラディンに負けない大量殺人犯です。でも、日本政府は渡さない。ならば、ペルーは東京を空襲してもいいのか。(88頁)


ちなみにこの大量殺人犯フジモリを日本でかくまっていたのは、
あの曽野綾子という破廉恥な作家だった。

最近、新著でまた下らない説教を垂れているあのひとである。

 日本政府がまず抑えるべきは、アメリカです。侵略してはいけない、何があっても先制攻撃は許さないとはっきりものを言い、その攻撃に日本の米軍基地は使ってはいけないなど、ありとあらゆる手段で戦争を止めるべきだと思います。……
 ……おそらく一番危険なシナリオは、アメリカが北朝鮮を侵略し、北朝鮮が当然反撃して、横田基地や嘉手納基地をミサイル攻撃することでしょう。国連憲章は、51条で自衛権を認めているわけですから、北朝鮮の反撃は合法です。(93頁)


北朝鮮を冷笑し、口汚く罵るものは数知れない。

そんな彼らがアメリカを批判することはほとんどない。

先制攻撃の可能性をほのめかしているのはアメリカなのに、である。

……仮に、軍事力が強ければ国民は安全だという考え方に立った場合、日本の歴史を振り返ってみると、軍事力が一番強かった時代はいつでしょう。そして日本国民が暴力によって一番殺された時はいつでしょう。同じ時ですね。軍事力が一番あった時が、一番危なかったわけです。これは想像ではなく、歴史の記録です。(94頁)


日本人はすでに知性も理性もかなぐり捨ててしまったのではないか?


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


暴力の欲望を刺激してしまった国は、その暴力に悩まされることになる。

2004年12月10日付の記事(AFP)によると、米海兵隊は寂れたファルージャの荒廃のなかを歩き回って、野良犬を撃ち殺している。戦争のためのセミオートマチック銃で、犬を殺しているという。記事によると、「死体の肉を食べて太り、狂犬病をもっている恐れがある」
 狂犬病は、そのウイルスをもっている動物にかまれて伝わる病気であり、腐肉を食べて伝わる病気ではない。攻撃後のファルージャの犬には、攻撃前の犬より狂犬病の恐れが大きくなった理由がない。米海兵隊が街をパトロールして、犬を殺す理由はなんだろう。
 軍医はそうするように命令したかもしれないが、理由は医学的なものではない。米海兵隊にとって、「死体の肉を食べて太った」犬が町のなかを走り回っていること自体が耐えられないのだろう。我慢できないのだろう。撃ち殺すしかないのだろう。(104頁)


改憲派の人間観はあまりに貧しい。

人間性を完全にコントロールできると考えているからだ。

そういう社会は暴力によって復讐されるのである。










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