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zoom RSS 白井聡『永続敗戦論』(太田出版)A

<<   作成日時 : 2014/05/09 14:48   >>

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日本は現在、3つの領土問題を抱えている。

尖閣諸島、竹島、北方領土である。

 ……領土問題となると人々は日ごろ見向きもしなかった古地図やら古文書やらに突如として群がり、自国の主張にとって好都合な証拠を血眼になって探し始める。(12−13頁)


尖閣問題が騒がしくなったころ、
わたしもある大手書店でこんな光景を目撃した。

高齢男性が女性店員に向かって、
「尖閣が載っている古い海図を出しなさい、早く!」と、
とても横柄な態度で怒鳴っていたのだ。

女性店員に向かって「尖閣諸島を知らないのか!」とも言っていた。

この老人も尖閣問題が日本固有の領土である「証拠」を求めていたのだろう。

なんとも醜い日本人の姿であるが、
こういう日本人男性は驚くほど多いのではないだろうか?

日本の報道も、すべて日本政府の立場を擁護するものばかりだった。

池上彰とて例外ではなかった。

しかし、日本人が決定的に見落としている点がある。

日本社会の大半の人間が見落としているのは、3つの領土問題のいずれもが第二次世界大戦後の戦後処理に関わっている、つまりこの戦争に日本が敗北したことの後始末である、という第三者的に見れば当然の事情である。(53頁)


ところが当の日本人は「敗戦」を「否認」している。

日本人は戦争に負けたことを認めていない。

「敗戦」ではなく「終戦」だったと自分たちに言い聞かせてきた。

ゆえに、この問題を解決する能力を根本的に持たない。

こうした状況のなかで、「尖閣も竹島も北方領土も文句なしに我が国のものだ」「不条理なことを言う外国は討つべし」という国際的には全く通用しない夜郎自大の「勇ましい」主張が、「愛国主義」として通用するという無惨きわまりない状況が現出しているわけである。(53−54頁)


戦争に負けたくせに、
それも無条件降伏したくせに、
強そうなことばかり言ってみせるのは「無惨」きわまりない。

領土問題については、別の記事でもあらためて書く予定だ。

ただ、いくつかの点について本書から見ていきたい。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


尖閣諸島をめぐる問題が突如として大きくなった。

きっかけは、2010年の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件だろう。

当時の民主党政権の対応のまずさに加え、
海上保安庁保安官による尖閣ビデオ流出事件もあって、
日本の世論は急速に右傾化した。

このとき人びとに知られるようになったのが、「棚上げ論」だ。

尖閣諸島は日本が実効支配しているが、
中国も領有権を主張している。

だが領土問題は簡単には解決できない。

お互いが自分の主張を譲らず強硬な態度に出ると、紛争に直結してしまう。

そこで、解決しないで「先送り」にしよう、というのが「棚上げ論」だ。

「解決しない」ことを「解決策」としたわけである。

これもひとつの知恵である。

この「棚上げ」は、中国政府との間で2度交わされていたという。

1972年の日中国交正常化交渉において、
田中角栄と周恩来の間で交わされたのが1回目。

そして1978年にケ小平が来日したときが2回目。

ところが、である。

日本にはこの「棚上げ」を否定するものたちがいるのだ。

「棚上げ」は中国側が一方的に主張しているだけで、
日本はそれに合意していない、というのである。

だが、これは明らかにおかしい。

それなら、次のことを彼らはどう説明するのだろうか?

……小泉政権当時の2004年3月、中国人活動家7名が尖閣諸島に上陸して出入国管理法違反容疑で沖縄県警によって逮捕されるが、7名はほとんど即座に、起訴・裁判といった正規の司法手続きを経ることなく、強制退去処分を受けている。(58頁)


このとき、自民党支持者のなかで、
この政府の対応を批判したひとがどれくらいいたのだろうか?

いま熱心に尖閣諸島の日本の領有権を主張するひとのなかに、
このときの小泉政権の対応を批判したひとはいただろうか?

なぜこのときは容疑者を裁判にかけなかったのか?

「棚上げ」合意があったからである。

ほかにもまだある。

……1997年11月に東京で署名された(日本側署名者は当時外務大臣の小渕恵三)日中漁業協定には、「漁業に関する日本国と中華人民共和国との間の協定第6条(b)の水域に関する書簡」という文書が付属している。……(58頁)


さて、ここには何が書かれていたのだろうか?

引用してみよう。

 本大臣は、本日署名された日本国と中華人民共和国との間の協定に言及するとともに、次のとおり申し述べる光栄を有します。
 日本国政府は、日中両国が同協定第6条(b)の水域における海洋生物資源の維持が過度の開発によって脅かされないことを確保するために協力関係にあることを前提として、中国国民に対して、当該水域において、漁業に関する自国の関係法令を適用しないとの意向を有している。
 本大臣は、以上を申し進めるに際し、ここに閣下に向かって敬意を表します。
1997年11月11日東京で
日本国外務大臣小渕恵三


この「水域」には当然尖閣諸島も入っている。

これは公文書である。

そこで日本政府はハッキリと認めているのである。

この水域では日本の関係法令を適用しない、と。

……右の書簡の規定するところによれば、日本の海上保安庁巡視船が中国漁船を追い回すことさえも、協定違反になりかねない。この協定は自民党政権(橋本龍太郎政権)下で結ばれた……。(59頁)


つまり、約束を破ったのは日本だったのである。

「尖閣問題は棚上げ」という合意を勝手に反故にしたのは、
ほかならぬ日本だったのである。

日本側が中国を挑発してきたのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


当然のことながら、日本が従うべき領土問題の原則がある。

それは第二次世界大戦の戦後処理の原則である。

……ポツダム宣言……とサンフランシスコ講和条約……両者において一貫せしめられた原則は、……戦後日本の領土は日清戦争以降に武力により獲得した領土をすべて差し引いたものに限定される、というものであった。(67−68頁)


では日本が尖閣諸島を領有したのはいつか?

 ……1895年1月14日に尖閣諸島は日本の領土に組み入れられたが、それは日清戦争の真っ只中においてのことだった。外務省の「基本見解」は、故意にかどうか知らぬが、そのことに言及していない。(70頁)


外務省がこの事実に言及しないのは、故意であろう。

ニュース解説者やコメンテーターらがこの事実に言及しないのは、
故意か無知か悪意かのいずれかだろう。

こうして見ると明らかだろう。

ポツダム宣言受諾という「敗戦」を素直に認めることができない。

だからいまだに「尖閣諸島は日本固有の領土だ」などと言えるのだ。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


つぎに北方領土問題についても簡単に見てみよう。

北方領土とは、国後島・択捉島・色丹島・歯舞諸島を指す。

小学生のときに暗記させられたひとも多いはずだ。

では、これについて日本の主張に正当性はあるのだろうか?

ここでもふまえなければならないのはサンフランシスコ講和条約だ。

そこでは千島列島は放棄するとハッキリ書かれている。

日本は「北方領土」を放棄したのである。

「でも当時のソ連側も北方領土の返還を認めていたではないか?」

そう主張するひとがいるかもしれない。

たしかに日ソ共同宣言には、
「日本国の利益を考慮して、歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する」
と書かれている。

しかし、国後島・択捉島はここには入っていない。

 ……領土問題についての日ソ共同宣言の要点は、日本は歯舞諸島と色丹島以外の島々をすべて諦めるということにほかならなかった。(81頁)


歯舞諸島・色丹島にしても、
ソ連の厚意によって返してあげる、と言われたにすぎないのだ。

この日ソ共同宣言のあと、日ソ平和条約が結ばれるはずであった。

ところが、ここに思わぬ介入が入った。

いわゆる「ダレスの恫喝」である。

……当時の米国務長官、ジョン・フォスター・ダレスが、鳩山に先立ってソ連と交渉していた重光葵外相(当時)に向かって、「この条件に基づいて日ソ平和条約締結へと突き進むのならば、米国は沖縄を永久に返さないぞ」という主旨の発言を行ない、介入したのである。(81頁)


このアメリカの介入は明らかに矛盾をはらむものだった。

なぜなら、当の米国がサンフランシスコ講和条約で千島列島放棄に合意したのに、
その千島列島の一部である「北方領土」をあきらめるなと言っているからだ。

どうしてこのような「恫喝」が行なわれたのだろうか?

このようなダレスの強硬な介入の意図は、有馬哲夫の整理によれば、次の2点にある。すなわち、「(1)北方領土が日ソ間で解決することを妨げ、日本人の非難の目がアメリカの沖縄占領に向かないようにする。(2)日本にソ連に対する強い敵意を持ち続けさせ、日本がソ連の友好国になったり、または中立政策をとったりすることなく、同盟国としてアメリカの側にとどまらせる」ことが、ダレスの意図であった。(81−82頁)


したがって、「北方領土を返せ!」などと言う日本の右翼は、
冷戦下のアメリカの方針にきわめて従順にふるまっているのである。

なんともみすぼらしい「右翼」ではないか。

サンフランシスコ講和条約から日ソ共同宣言に至る過程、そこで合意された内容を見れば、「4島を返還せよ」という日本側の主張は明白に無理筋であり、これに対してソ連が妥協する可能性は限りなく低かった。つまり、日本としては、相手方が絶対に呑むはずのない要求を突きつけ続けることによって、友好関係の樹立を常に頓挫させることが、事実上目指されてきたのである。(83頁)


このあたりについても、
じつは日本のメディアが報道しない、おもしろい事実がある。

これもあらためて記事を書く予定である。

もうひとつのおもしろい事実を指摘しておこう。

それは、「北方領土」は日本のものではないことを、
日本政府自身も明確に認めていたという事実である。

……サンフランシスコ講和条約の国内承認プロセスにおいては、西村熊雄条約局長(当時)が1951年10月19日の国会答弁において「条約にある千島の範囲については北千島、南千島両方を含むと考えております」と発言、またその1週間後の26日の国会では、日米安全保障条約特別委員長であった田中萬逸が「遺憾ながら条約第2条によって明らかに千島、樺太の主権を放棄した以上、これらに対しては何らの権限もなくなるわけであって、国際司法裁判所(ICJ)に提訴する道は存しておらない。またクリル・アイランドの範囲は、いわゆる北千島、南千島を含むものである」、と述べているのである。(85−86頁)


地図を見たことのあるひとなら誰でも分かる。

国後島・択捉島は千島列島の一部である。

それを放棄したと日本政府自身が認めていたのである。

 ソ連が崩壊し新生ロシアとなってからも、ロシア政府は「日ソ共同宣言が領土交渉の基礎となる」旨を繰り返し表明し、1993年の「東京宣言」をはじめとして日本もこの原則に対する同意を与えている。それにもかかわらず、歯舞・色丹以上のものを要求し続けるという態度は、駄々っ子同然のそれであると言うほかない。問題は、この当然の道理を日本国民の大半が理解できておらず、駄々っ子の主張を自明的に正当な要求と思いなしている、という異様な状況である。(86頁)


ソ連・ロシアの主張は、じつはきわめて合理的だったのである。

過去の合意に基づいて筋の通った主張をしているのである。

むちゃくちゃなことを言っているのは日本だったのだ。

それでも日本人にはある思い込みがあり、
それが「ソ連・ロシアの主張が正しいはずがない」と思わせている。

すなわち、「終戦間際のどさくさに紛れて参戦したソ連の卑劣さ」、
というしばしば日本人が繰り返し語るお話だ。

わたしもよく小さいときに大人からこの話を聞かされてきた。

日ソ不可侵条約を結んでいたのに、
ソ連は約束を破って日本の「北方領土」を奪った、というお話だ。

しかしながら、多くの日本人が見落としているのは、こうした横暴は、ソ連にとっては、日本のシベリア出兵(1918−22年)に対する報復の要素を持っていた、という事情である。日本が総数で7万人以上の兵力を投入したこの軍事行動は、歴然たる内政干渉であった。その後の1925年に日ソ基本条約が結ばれ、国交が樹立されるが、その際シベリア出兵に対する賠償は一切行なわれず、またこのときの軍事行動によって日本が獲得した北樺太の石油利権は保護されることが確認された。これは要するに、いまだ革命と干渉戦争・内戦のつめ跡から立ち直っていないソ連の窮状につけ込むかたちで、日本にとって有利な条件を相手方に呑ませた、ということにほかならない。(87頁)


本書には書かれていないが、
さらに日本側には重大な「落ち度」があった。

それについても後日あらためて書こうと思う。

なお、本書ではこのあと竹島問題についても書かれているが、
ここでは紹介を割愛する。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


つぎに北朝鮮問題が取り上げられる。

だが、これは簡単に見ておくだけにとどめたい。

北朝鮮をめぐっては、拉致問題、核開発問題、ミサイル問題などがある。

 思えば、北朝鮮問題への日本の対応、日朝国交正常化の試みは、戦後日本外交にとっても一大画期をなす企てであった。…‥というのも、日中国交正常化は、米国が台湾を切って中国との国交樹立に向かうとういニクソン・ショック(1972年)を受けて、これに追随するかたちで行なわれたのに対し、日朝交渉は、米朝の接近が全くないという文脈において企てられたからである……。言うなれば、それは日本にとって戦後初めての「自主外交」の試みであった。(113頁)


拉致問題は、日本人の右傾化を一層加速させた。

なぜなら、ここではじめて日本人が「被害者」になれたからである。

拉致問題がもたらした加害者から被害者への転身は、敗戦に対する思う存分の否認を可能にした。(115頁)


日本人にとって「敗戦」とは「加害者としての敗戦」だった。

だが拉致問題では紛れもなく「被害者」だった。

まさに「敗戦を否認」する絶好のネタだったわけである。

この拉致問題を通じて人気を得たのが、安倍晋三だった。

「対話よりも圧力を」重視する、強気のポーズが特徴だった。

以来、強硬派を演じる政治家・タレントがもてはやされるようになる。

なぜこのような強硬派の政治家たちが大衆的人気を博したのか?

……彼らの姿勢は、「カネによる解決」を策動する政治家よりも「筋の通った」、「純真」なものと映るからである。しかしながら、ここで肝銘されるべきは、自らが被害者になったときにのみ「筋を通し」、加害者の立場のときには「カネで解決する」という姿勢は、ダブルスタンダードにすぎない、ということである。(117頁)


ここでも著者は重要な指摘をしている。

日本人は、加害者のときは、問題をカネで解決しようとしてきた。

アジア諸国への戦争責任をODAなどでごまかしてきた。

なのに、自分たちが被害者の立場になると、
相手国と「カネ」で解決しようとはしないのだ。

日本人の支離滅裂さは、これだけではない。

安倍晋三はかつて、こう述べたことがある。

「こういう憲法でなければ、横田めぐみさんを守れたかもしれない」


安倍晋三に限らずこのようなことを言うひとがたくさんいる。

憲法9条があるから拉致を防げなかった、
だから日本国憲法第9条を変えるべきだ、という理屈だ。

この程度の屁理屈に納得してしまうひとがいるとすれば、驚きだ。

 安倍首相の発言の非論理性・無根拠性は、悲惨の一語に尽きる。なぜ憲法第9条がなければ拉致被害を防ぐことができたと言えるのか、そこには一片の根拠もない。現に、中国や韓国は「平和憲法」を持っていないが(韓国に至っては戦争状態にありながら)、拉致被害の発生を防ぐことはできなかった。この発言の無根拠性を自ら意識していないのだとすれば、首相の知性は重大な欠陥を抱えていると判断するほかない。逆にそれを承知でこうした発言を行なっているのだとすれば、首相の「拉致問題解決への意欲」と評されてきた姿勢の本質は、被害者の救済を目指すものではなくこの問題の政治利用にこそある、とみなさざるを得ない。言うまでもなく、こうした姿勢は、拉致被害者とその関係者に対する侮辱にほかならない。(118−119頁)


そうだ。

拉致被害者もまた、侮辱されているのである。







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