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zoom RSS 「調査報告 女性たちの貧困〜“新たな連鎖”の衝撃」を見て

<<   作成日時 : 2014/05/05 21:38   >>

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2014年4月27日(日)の夜、NHKスペシャルを見た。

調査報告 女性たちの貧困」の内容は、たしかに衝撃的だった。

ネットカフェで暮らす10代の姉妹が紹介されるのだが、
10代の若い女性が姉妹でネットカフェ暮らしというのにも驚くが、
なんとその母親も同じネットカフェに暮らしているという。

そのほかにも番組では、
早朝5:00から働きながら学費をためる若い女性の姿も伝えていた。

この番組を見た視聴者はみな驚いたにちがいない。

こうした隠された現実の一面を報道するのは、
メディアの重要な役割のひとつである。

NHKには今後もこうした貴重な仕事をつづけてもらいたい。

と、素直に応援したいところなのだが、そうはいかない。

この番組を見たわたしは、同時に苛立ちも覚えたからである。

わたしの苛立ちは何もわたしひとりだけの独自性ではない。
似たような感想を持ったひとはほかにもいたようだ。

このことについては、以下のブログが分かりやすく書いてくれているので、
それをご覧いただきたい。

騰奔静想〜司法書士とくたけさとこの「つれづれ日記」参照

わたしも「とくたけさとこ」さんのご意見に賛成である。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


子どものころ、よく親からこう言われなかっただろうか?

「食べ物を粗末にするんじゃないよ、アフリカには満足に食べられない子どもたちがたくさんいるんだから」

「アフリカの子どもたちに比べればあなたは本当に恵まれているのよ」


親の言葉を素直に受け取る子どももいるかもしれない。

しかしわたしはちがった。

こう言われるたびに、親に対して強い反発を感じたものだった。

自分は絶対にこういう大人にはなるまいと誓ったものだ。

ところで、こうした親の説教は、日本だけのものではないらしい。

 私が小さい頃、食事を全部食べる気がしないようなとき、祖母はよくこういった。「インドで飢えている人たちのことを考えてごらん」、あるいは、「中国でひもじい思いをしている人のことを考えてごらん」というときもあった。私の継母が後に語ってくれた話では、彼女の子どもの頃はアルメニアだったという。食べたくないというと、母親が「アルメニアの飢えてる人たちのことを思ってごらん」といったのである。原則は変わらない。どこの国の人びとが飢えているか、新聞の報道によって国が変わるだけである(今日なら、アメリカの子どもたちはがつがつつめこむ度に、カンボジアの人たちのことを考えなさいといわれているのではあるまいか)。私の友人たちもそれぞれ親に同じことをいわれており、私たちはそんな風にこじつけるのはおかしいとこぼし合ったものだ。他の国の人たちが飢えているからといって、なぜ私たちがお腹もすいていないのに食べなきゃいけないのだろう。私たちが食べ残したほうれん草をくるんで、インドに送ろうなどと言い出したら、嫌味な奴と叱られただろう。アメリカの母親たちが子ども達にこういうことをいう意味は、おそらく、人びとが飢えている世界では、食べ物を無駄にしてはいけないというつもりなのだろう。子ども達は食べ物を大切にし、軽蔑したりせず、むしろ感謝しなければならないのだ。だが真のメッセージは、合州国という魔法の輪の外の人びととどうかかわるかを無意識に伝えるところにある。母親の気さくな声音から、子どもは、アメリカ人でない人びとにとって飢えは当然なこと、生活の一部なのであり、なにも深刻になる必要はないことを学ぶ。それは子どもがものを食べている間に考えれば良いことなのだ。そして、食欲のわかないほうれん草をフォークいっぱい口につめ込めば、それでちゃんとした答えになるのである。
(C・ダグラス・ラミス『内なる外国』、47−48頁)


わたしが感じていた反発も、まさにこれと同じものだった。

「アフリカの恵まれない子ども」を持ち出す親は、
だからといって「アフリカの子ども」のために何かをするわけではない。

アフリカの子どもを貧困に追いやる多国籍企業や、
途上国の経済を徹底的に破壊するグローバル資本主義を、
批判するわけでもなければ、それの廃絶に向けて闘うわけでもない。

「アフリカの子ども」が話題に持ち出されるのは、
先進国の人びとが優越感を再確認するためである。

自分たちはアフリカに生れなくてよかったと思うためである。

そして自分の国の犯罪を隠蔽し、
何もしない自分たちを正当化するためである。

そのために彼らは「アフリカの子ども」を利用するのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


NHKスペシャルを見た視聴者は、どう思っただろうか?

貧困の原因も背景も伝えない番組を見たら、どう思っただろうか?

「うちは家もあって仕事もあって、本当に恵まれているんだよ」

「うちはこんなに恵まれているんだから、親に感謝しなさい」


貧困の現実がこうして消費されていくのだとしたら?

親たちが自分の子どもへの説教にこの現実を利用するとしたら?

貧困の現実もまた消費の対象とされるのだろう。










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