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zoom RSS 田中伸尚『憲法九条の戦後史』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2014/05/30 15:35   >>

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最近、『赤旗』に登場する政治家が話題になっている。

自民党の重鎮が何人も登場し、現在の安倍政権を批判しているからだ。

じつはいまから10年近く前にもこんなことがあった。

 郵政大臣、防衛政務次官、自民党副幹事長、同国防部会副部長などを務め、「タカ派」議員として知られた箕輪登さん……が、「自衛隊のイラク派兵は違憲」と国を相手に訴訟を起こしたのは、小泉純一郎首相が自衛隊の海外派兵を強行した直後の04年1月だった。(i頁)


そもそも自衛隊そのものが違憲の疑いが強い。

それなのに、政府はこう言って正当化してきた。

◯ 専守防衛の「実力」だから自衛隊は合憲です

◯ 海外派遣することはありません

◯ 集団的自衛権を行使することもありません

◯ 非核三原則は守ります

◯ 武器輸出三原則も守ります


すべてウソだった。

いままで言ってきたことはすべてウソだった。

そしていま自民党は、
「限定的」な行使にかぎって集団的自衛権を容認する、
と言っている。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



集団的自衛権について、従来の日本政府の解釈はこうだった。

「持っているが、行使できない」

個別的自衛権については、「持っているし、行使できる」。

個別的自衛権まで否定する意見は、いまやほとんど聞こえない。

日本政府も個別的自衛権は行使できると考えている。

個別的自衛権まで否定するのは論外だと思っている。

ところが、である。

個別的自衛権は当然持っているという意見は、じつはウソである。

 法制局によって、全文口語体で条文化された草案要綱が、政府案として発表されたのは4月17日である。その約1カ月後『毎日新聞』が全国2000名の「有識者」に対して意識調査をしたところ、70%が憲法に戦争放棄を入れることを支持した。このうち20%が「自衛権留保」規定を挿入すべきだとする、いわゆる条件付き支持だった。また戦争放棄条項を規定する必要はないとする意見は28%あり、その理由として侵略戦争を放棄するのは当然だとしても、武力によって国家を守るという自衛権まで捨てることには反対だという人が20%近くいた。調査に応じた、当時の社会意識の形成に影響力を持っていた「有識者」は戦争放棄条項には、近代国民国家には自明のように思われていた自衛権の放棄をも含むと理解していたのである。(8−9頁)


当然である。

戦力不保持・交戦権の否認。

交戦権を認めないということは、個別的自衛権も認めないということだ。

当たり前であろう。

どうしてこの国のひとびとはみな大ウソつきなのだろうか?

 日本国憲法が、46年6月20日に召集された第90回臨時帝国議会で……審議を経て公布されたのは同年11月3日である。……6月26日の衆院本会議で吉田茂首相は、以下のように9条についての政府の見解を明快に述べた。「戦争抛棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定して居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したのであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦はれたのであります。……我が国に於ては如何なる名義を以てしても交戦権は先づ第一自ら進んで抛棄する、抛棄することに依って全世界の平和の確立の基礎を成す……」(9−10頁)


吉田茂ですら、こう答弁していた。

世界中のひとびとに向けて言いたい。

日本人を決して信用してはいけない。

日本人は平気でウソをつく国民だからである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


専門家の間ではとっくに解決しているのに、
ドシロウトの分際の珍説が披露されることがある。

「日本国憲法は押し付け憲法だ」というのも、そのひとつだ。

憲法公布直前の46年10月に、極東委員会(連合国の対日基本政策の最高決定機関。当初11ヵ国で構成、後に13ヵ国。実質的にはアメリカの意思に反して決定できなかった)が、憲法を施行後2年以内に「国民の自由意思で再検討」することを決定し、それがマッカーサーから日本政府に伝えられていた(47年1月)。(11頁)


おお、なんと日本人自身が日本国憲法を再検討すると。

これらは主権者である「国民」の側から初めて出された「改憲案」だったというだけでなく、現在の時点から観ても内容的にも、瞠目すべき提起を随所に含んでいる。(12頁)


「押し付け憲法」だったのなら、
日本人がこれを自主的に廃棄し、新しいものを作ったのか?

 しかし極東委員会の「国民の自由意思で」憲法再検討をという提案に、吉田内閣は動かなかった。(13頁)


あら、吉田内閣は何もしなかったと。

芦田内閣が「昭和電工疑獄事件」で総辞職……。また改憲には消極的だったと伝えられるマッカーサーも、49年初めに憲法の再検討は不要とのメッセージを極東委員会議長に送った。事件の影響で再び政権を獲得した吉田首相は同年4月20日の衆院外務委員会で、憲法改正の意思は「目下のところ持っていない」と答弁した。つまり占領下ではあったが、政府は、改憲提案を積極的に生かそうとはしなかった。「押しつけ憲法論」は、こうした事実だけでも破綻している……。(13頁)


「押し付け憲法」論は、とっくに破綻しているのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


つぎに「芦田条項」として知られる問題を見てみよう。

 警察予備隊発足から半年ほど経った51年1月14日付『毎日新聞』の第1面に、憲法制定時に衆院帝国憲法改正案委員小委員会委員長だった芦田均議員が、9条2項の冒頭の「前項の目的を達するため」の文言を挿入したいきさつについて寄稿した。「平和のための自衛」と題する芦田の小論は、9条2項の冒頭にある「前項の目的を達するため」というのは「私の提案した修正であって」「戦力を保持しないというのは絶対的ではなく、侵略戦争の場合に限る趣旨である」と記していた。(18頁)


この芦田条項によって自衛隊の存在が正当化できる、
というのがこれまで多くの人たちがとってきた弁明だった。

だがこれもウソだった。

しかし「芦田証言」は、ほとんど「虚言」だったのである。それは約半世紀後に明らかになる。長く秘密にされていた同小委員会の速記録を、衆院が95年9月、49年ぶりに封印を解いて公開した。その記録(46年8月1日)によれば、芦田小委員長はなんと2項冒頭の文言挿入についてこう言っていたのである。「前項のというのは、実は双方(9条1項、2項)ともに国際平和ということを念願して居るということを書きたいけれども、重複するような嫌いがあるから、前項の目的を達するためと書いた。詰(ママ)まり両方(1、2項)共に日本国民の平和的希求から出て居るのだ、斯う言う風に持っていくにすぎなかった」(括弧内引用者)と。(18−19頁)


つまり、「いかなる場合でも戦力を持たない」
というのがこの条文の趣旨だったのである。

9条を読めば、自衛隊はおろか、米軍駐留も認めてはいけないのだ。

当然のことである。

 防衛2法が成立した6月2日、参議院できわめて簡単な、しかし重要な決議がなされている。「自衛隊の海外出動禁止に関する決議」である。「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照らし、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する」。(24−25頁)


いまでは自衛隊の海外派兵も行なわれている。

自民党議員というのは、昔から平気でウソをついてきたのだ。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


核武装を公然と表明する政治家が日本にいる。

戦争を公然と唱える政治家も日本にいる。

人種差別を平然と繰り返す政治家も日本にはうじゃうじゃいる。

日本政府が率先して人種差別・民族差別を実践している。

そんな状況が当たり前になってしまった日本にも、
かつてはこんな時代もあったのだということを見ておこう。

……65年2月10日、衆院予算委員会で社会党の岡田春夫議員が、自衛隊が韓国及び日本有事を想定し、憲法体制を停止する「昭和38年度統合防衛図上研究実施計画」(「三矢作戦研究」)を極秘で行っていた事実を暴露した……。(53頁)


これを知った当時の佐藤栄作首相は、
「絶対に許せない」と述べた。

そのすぐ後に佐藤栄作は態度をコロッと変えるのだが、
「絶対に許せない」と首相が述べたことがあったのである。

……78年1月早々、制服組のトップの統合幕僚会議の栗栖弘臣議員が航空専門紙に専守防衛を否定する論文を公表し、後に辞任に追い込まれるという事件も起きた……。(54頁)


かつて日本にもこんな時代があったのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


日本の高校生も「恵庭事件」を学校で学ぶはずだ。

しかし詳しい経緯は学習しないだろう。

だが、それでは学んだことにはならない。

 北海道恵庭町で開拓民として酪農業をしていた野崎健之助さん一家は、55年ごろから近くの島松演習場で始まった米軍ジェット機の爆撃演習により、多大な生活上と健康上の被害に苦しむようになる。野崎牧場のサイロを目標に牛舎や住宅の上、約30メートルまで急降下するジェット機。その激しい音に家族は難聴になり、牛が暴れたり、流産・早産が続出し、乳量や受胎率まで落ちてしまった。(56−57頁)


その後、自衛隊が代わって激しい演習を繰り返した。

 「自衛隊は、演習で私たちの生活が、どんなに困ろうと、私や父が難聴になろうと、母が病気になろうと、牛が死のうと、酪農経営が困難になろうと、近くで大砲をうたないと約束しようと私たちの抗議をうけようと、すぐそばでどんどん大砲をうちつづけたでありませんか。私たちを人間と考えているのでしょうか。私は通信線を切りました。あたりまえじゃありませんか。その帰りみち、私は自衛隊員におそわれ、たおされ、ヘルメットで頭をなぐられ、失神するばかりの暴行をうけました。……私はかつて『あたらしい憲法のはなし』という本で教育をうけました。先生も、一切の戦争はしないのだと教えてくれました。検察官や裁判官も、戦後、法律を勉強されたのなら、憲法9条は一切の戦力を持ってはならないと教えられたはずです……」。(58−59頁)


自衛隊が国民の生命を守るというのは、ウソである。

自衛隊を強化すれば国民の安全も高まるというのも、ウソである。

日本人にはあまりにもバカが多いので、
こうした事実を何度でも繰り返し指摘しなければならない。

野崎さん一家は自衛隊に対して何度も演習の中止を要請した。

しかし無視された。

耐えかねた息子が自衛隊の通信線を切断した。

野崎兄弟はその後起訴された。

兄の健美さんはこう陳述した。
 「告訴にあたって、北部方面総監が『国防に必要なしかも演習中の通信線を切断したことは断じて許せない。掣肘すべきである』として軍事最慢先の立場から告訴したものであり……単に一地域の問題ではないと思います。自衛隊は正に国営暴力団であり、単に憲法に違反しているというだけの問題ではありません。……田中義男証言からもうかがえるように自衛隊の幹部たちは『憲法が自衛隊に違反する』と考えているのです。三矢研究に対する何らの反省もなく……自衛隊はもう憲法を無視して勝手に歩きはじめているのです」(59頁)


まさにそうだ。

自衛隊は「国営暴力団」にほかならない。

だから彼らが国民を守るはずがない。

国民を犠牲にしてでも組織を防衛するのである。

だがその本性を剥き出しにしてしまえば、
自衛隊の存在に抵抗するひとびとが増えてしまう。

だから彼らはウソをつくことによって国民を騙すのだ。

集団的自衛権の行使などは論外だが、
自衛隊の存在そのものが本当は問題なのだ。

 1980年11月15日、「良心的軍事費拒否の会」(代表・石谷行さん=2002年死去)のメンバーら22人が、税金から自衛隊関係費を支出するのは憲法違反だとして、違憲確認などを求める訴えを東京地裁に起こした。石谷さん(当時法政大学教員)らは、自衛隊は憲法が禁止した軍隊に当たるから、その関係費に該当する税金を祓う義務はないとして、支払を拒否したところ、79年と80年に差押さえ処分を受けた。そこで石谷さんらは、差押さえ処分は無効、自衛隊関係費分の支払い義務はないという違憲確認訴訟を東京地裁に起こしたのである。(118−119頁)


かつては市民によるこのような運動もあった。

だがいまの「普通の日本人」は、もはや何も考えてはいない。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


敗戦後、旧植民地のひとびとはあっさりと切り捨てられた。

さまざまな権利が一方的に剥奪された。

このことは知られているだろう。

だが、沖縄も同じようにされていたことを、
どれだけの人が知っているだろうか?

 45年12月の第89回臨時帝国議会で成立した改正衆議院議員選挙法(同年12月17日公布)によって、女性に初めて参政権が与えられたが、同時に同法附則の4項で沖縄県民、「北方四島」などの住民の選挙権が、GHQの意向を理由に「当分の間」、停止されたのである。当時、帝国議会の沖縄選出議員は5名だったが、最もキャリアのある漢那憲和議員は、この理不尽な措置の撤回を求めた。「帝国議会に於ける県民の代表を失うことは、その福利擁護の上からも、又帝国臣民としての誇りと感情の上からも、詢に言語に絶する痛恨事であります」。漢那議員はこう述べて、沖縄戦で60万県民が払った「犠牲は、其の質に於いて恐らく全国第一ではありますまいか」と切々と訴え、政府が「凡ゆる手段を尽し、之を防ぎ止め」るよう強く要望した。これに対して政府側は、GHQの同意が得られないと答えた。しかし「政府がGHQの同意を得るための努力をした痕跡はまったくなかった」(新崎盛暉『現代日本と沖縄』)(74頁)


日本政府というのは、あまりに勝手だ。

あるときは「お前たちは日本人だ」と言い、
あるときは「お前たちは日本人ではない」と言い出す。

こうして46年6月から第90回帝国議会で始まった憲法改正案の審議は、旧植民地出身者と沖縄の人びとが排除されたまま進められた。(75頁)


ひとびとはただ政府に振り回されるだけだった。

ここにはじつは9条が関わってくる。

本土が9条によって非軍事化される一方、
沖縄の軍事化が進行していくからである。

……憲法が施行された直後の47年6月27日、マッカーサーは日本に立ち寄ったアメリカ人記者団に次のように語っていた……。
 「沖縄諸島は、われわれの天然の国境である。米国が沖縄を保有することにつき日本人が反対であるとは思えない。なぜなら沖縄人は日本人ではなく、また日本は戦争を放棄したからである。沖縄に米国の空軍を置くことは日本にとって重大な意義があり、あきらかに日本の安全に対する保障となろう」……。(75頁)


多くの日本人はこれを認めた。

沖縄を犠牲にすることで自分たちだけが安全でいることにしたのだ。

だから沖縄の軍事要塞化と9条はつながっているのである。

9条をただ守ればいいと思っているひとたちは、
この痛烈な事実をどれほど受けとめてきただろうか?

沖縄では、反基地闘争が展開された。

他方で、貧しい沖縄から逃れて、南米に移住する沖縄人もいた。

だがその南米移住にもじつは裏があった。

「沖縄からの南米移民は、米軍基地化を進めるための農民追い出し政策だったんですね。ですから移民は、米軍に協力することになったんです。移民した沖縄の農民も現地でものすごい苦労をしています。僕は阿波根さんの闘いからそれを知ってね、ショックでした。だって自分は、米軍基地に反対して大規模農業を夢見て移民を考えていたわけですから。そんな自分の夢が、米軍の基地政策を支えることになるなんて、とんでもないと思った」(83頁)


ここに出てくる阿波根さんというのは、
非暴力で米軍と闘いつづけた阿波根昌鴻さんのことである。

彼の本は必読書である。

……「本土」の米軍基地は60年代までにほぼ4分の1に減少しているが、沖縄では逆にこの時期に倍増していた。「島ぐるみ闘争」には、「本土」でも共感はあったが、「日本にいた海兵隊が沖縄に移駐するときには『沖縄移転反対』などという声は、本土ではまったくおこらなかった」……。(84−85頁)


本土のひとたちは、沖縄に犠牲を押し付けた。

そして自分たちたけが安全であればいいと考えた。

この構造は、原発問題でも繰り返されることになる。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


日本の右傾化は、アジア諸国で強く警戒されている。

シンガポール紙のコラムニスト、陸培春(ルペイチュン)さんは書いている。
 「日本の『海外派兵』は、私達に対する一つの大きな挑戦といえる。……それは湾岸危機あるいはアメリカの日本への不満を解消する問題ではなく、日本が過去の侵略への反省を捨て、再び悪い意味の政治大国、軍事大国へ歩みだすための突破口なのである。だから、軽くみてはならない」「中東への『海外派兵』に問題がなかったら、当然、今度は旧日本軍にとって懐かしいアジア隣国への派遣も問題なくなる。アジア人にとっては、これ以上おそろしいことはない。いつ再び悲惨な歴史が繰りかえされ、自分もまた殺されたり、みじめになる可能性がないとは言えないからだ」「被害者からみれば、この『半世紀』は指を弾く間の時間で、悲惨な戦争は今なお記憶になまなましいことだ」「日本人の抜きんでている点は起用で繊細なところである。だがその器用さを法律の勝手な拡大解釈などの小細工に発揮されたのではたまらない。その気になれば、派兵の大義名分なんて、どうにでもなる。『人質救出』『邦人保護』『生命線を守る』『国際的貢献』……。90年代または21世紀に『政治大国』『外交巨人』になろうとしている日本は、中国、韓国などアジア諸国が出しているシグナルをあまりにも軽く受け流しているのではないかと思う。90年10月、アジア大会が北京で行われた時、中国指導者江沢民が訪中した竹下元首相に対し、『過去の戦争のことを(日本は)若い世代にきちんと教えていないのでは』と警告を発していたのを、日本の政府や指導者は意図的にかどうかは知らないが、正確に理解していないようだ。アジア流の言い方は腕曲であるが、意味するところは重く、深い。同じアジアの日本人に、なぜそれがうまく伝わらないのか。じれったい」(「アジアからみた「海外派兵」問題」剣持一巳他編『湾作戦争と海外派兵』)(138−139頁)


日本人は、中国や韓国だけが反日であるかのように言う。

だがシンガポールでも日本は警戒されているのである。

そしてアメリカからは徹底的に舐められている。

……92年夏の国防総省による議会報告「アジア・太平洋の戦略的枠組み」の中で「日本はどの同盟国と比べても飛び抜けて気前のよい受け入れ国支援を実施しており、米国内も含めた世界中で、日本が駐留経費の最も安い場所になっている」と報告していた……。(180頁)


自分から積極的に従属していく国というのは、
世界中に日本くらいのものではないだろうか?

 2000年10月11日に米国防大学国家戦略研究所がまとめた特別報告「米国と日本=成熟したパートナーシップへの前進」は、日本に「改憲」を迫った。この特別報告書作成のリーダーシップをとったのは、元国防省高官のリチャード・アーミテージだった。「アーミテージ・リポート」といわれる特別報告書はこう述べる。「世界2位の経済力と十分な装備をもつ有能な軍隊を有し、また、アメリカにとって民主的同盟国である日本は、アメリカのアジアへの関与において今後もかなめ石の役割を果たす。米日同盟は、アメリカの地球的安全保障戦略の中心である」と位置づける。(202頁)


日本に改憲を迫っていたのはアーミテージだった。

さらに「アーミテージ・リポート」は、次のように主張する。「日本が集団的自衛権を禁止していることは、同盟間の協力にとって制約となっている。この禁止条項を取り払うことで、より密接で、より効果的な安全保障協力が可能になろう」と。(203頁)


集団的自衛権の行使を求めていたのもアーミテージだった。

そのアーミテージは、アメリカでは極悪人である。

極悪人の要求に素直に従うのが日本の自称愛国者たちである。

 小渕恵三内閣の下で、「戦争のできる国」を目ざした新ガイドライン関連三法案が成立した99年第145国会では、「盗聴法」(通信傍受法)、国旗国歌法、住民基本台帳法改正など、どれ一つをとっても内閣がいくつも入れ替わらねばならないほどの重要法案が、それほどもめることもなく成立していった。(198頁)


日本人はそんなに戦争がしたいのか?

日本人はそんなに人を殺したいのか?

日本人はそんなに家族を殺されたいのか?

世界でも稀に見る恥ずかしい国民である。










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