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zoom RSS 田中伸尚『靖国の戦後史』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2014/05/29 10:15   >>

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靖国神社は、「天皇の神社」である。

それだけでなく、「戦争神社」でもある。

その靖国神社が戦後に生き残るためにとった作戦は、
国家と分離して一宗教法人になることだった。

靖国神社で行われた臨時の大招魂祭に天皇が出席した11月20日、政府は神社と国家の分離は避けられないとの認識に基づいて、ようやく神社の国家管理廃止の基本方針を閣議決定した。それを基に、政府はCIE〔GHQ民間教育情報局〕と同月28日、12月4日、そして12月15日の3回、直接交渉した。その2回目の会談で、日本側の曾禰益終戦連絡事務局第1部長と飯沼一省神祇院副総裁は、CIE側のW・バンス宗教課長に靖国神社の存続問題に関して日本政府の考えをこう伝えた……。
 「靖国神社は、完全に国家の行政及び殊遇を離れ、かつ新たな祭神も祭ることもないだろう。すでに祭られた祭神の遺族を氏子とする一神社として存続する」。
 すると、バンス課長が「靖国神社は戦死者の記念碑的なものとして存続するという意見もあるようだが」と問うと、曾禰部長はこう答えた。
 「政府はまだはっきりとは決定していないが、先般の閣議決定からすれば、当然、記念碑や廟ではなく、一箇の神社として存続することを許容することになろう」と。(10−11頁)


この御仁は、いまから見れば、しれっと嘘をついていたことになる。

政府との特別な結びつきが結局つづくという点もそうだが、
神社本庁には入らず単独の宗教法人となったこともそうである。

大嘘つきの靖国神社。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


靖国神社側の必死の生き残り策がまた笑える。

……46年1月21日に行われたバーンズ宗教部長と靖国神社の横井時常権宮司の会談で、靖国神社側は付属の遊就館(1882年開館の日本初の軍事博物館)について「娯楽場(ローラースケート・ピンポン・メリーゴーランド等)及び映画場にしたい」という構想を語っていた……。……「神道の本質は笑にある(HAPPY SMAILE)。参拝に来る遺族達を大いによろこばせてやりたい。若し許されれば、多少野卑になる点があっても歓楽郷を建設して行くという方向に進みたいと思っている」。(16−17頁)


どうだろうか?

笑えるだろう。

いったいいつになったら遊就館を娯楽施設に改造するのだろうか?

敗戦後の日本は、独立を果たして以後、右傾化を強めた。

 53年8月、恩給法が改正され、停止されていた軍人恩給が復活した。これに伴って軍人・軍属やその遺族に恩給法が適用されていく。一方、この年、遺族援護法も改正され、それまで除外されていた戦犯刑死者や獄死者(政府は合わせて法務関係死亡者と呼称)も公認死と認められ、戦犯遺族も一般戦没者遺族と同様に国家から経済的援護を受けられるようになった。(38頁)


つまり、戦犯遺族は国家のカネをむしり取っていたのだ。

戦犯は靖国神社に合祀され、そのうえ遺族は国からカネももらった。

ところが、遺族援護法から除外されていながら、
靖国神社の英霊として合祀されているひとたちがいる。

朝鮮・台湾のBC級戦犯たちである。

逆に、合祀されていないが遺族援護法の対象にされているひとたちもいる。

もうこの国の人びとのすることはムチャクチャである。

 ……靖国神社に合祀されている約246万人は、軍人・軍属・準軍属ばかりではない。米軍の潜水艦の魚雷攻撃で撃沈された、沖縄の疎開学童船「対馬丸」(1944年8月)の子どもたちや、交換船「阿波丸」(45年3月)の乗船者、またソ連の侵攻によって樺太(現サハリン)で自決した(45年8月)電話交換手らも含まれている……。(40頁)


このひとたちは援護法の対象にもなっている。

国との間に「雇用関係」があったというのがその理由らしいが、
どういう「雇用関係」があったというのかさっぱり分からない。

ちなみに元慰安婦の女性たちはただ棄てられただけだった。

55年体制が成立するころは、戦後の最初の「右傾化」の時代であった。54年7月には憲法の戦力不保持を破って、陸海空3軍を持つ自衛隊が発足し、同年末に成立した鳩山一郎内閣は憲法改正を正面に掲げた。制定から10年も経たないうちに憲法改正論議が国会の場に登場、56年6月には内閣に憲法調査会が設置されるまでになった。(58頁)


こうした積み重ねの上に、今日の日本の右傾化がある。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


靖国や靖国的なものと闘う人びとがいた。

彼らは憲法に定められた政教分離原則の実行を求めた。

ここで有名な「津地鎮祭訴訟」を見てみよう。

 67年3月16日、津地裁は、訴えを棄却……神式地鎮祭は、神道特有の宗教的行事のように見えるが、布教を目的にした宗教的活動ではなく、むしろ習俗であって、憲法20条3項にいう宗教的活動には当たらない、という合憲判断……。(95頁)


ところがこの4年後に判決がひっくり返る。

……71年5月14日に名古屋高裁が、津地鎮祭訴訟事件で、地裁の「地鎮祭習俗論」を斥けて違憲判決を出した……。……
 判決では、いわゆる「神社非宗教論」を明確に否定し、「神社神道が祭祀中心の宗教であって、自然宗教的、民族宗教的特色があっても、神社の祭神(神霊)が個人の宗教的信仰の対象となる以上は、宗教学上はもとよりわが国法上も宗教であることは明白である」とした。(107−108頁)


靖国問題というともっぱら外交問題で、
本来は日本人の文化の問題だ、と考えているバカがいる。

そういうバカにはこの判決文を読ませたい。

 「国又は地方公共団体の特定する宗教的活動が大部分の人の宗教的意識に合致し、これに伴う公金の支出が少額であっても、それは許容される筋合いのものではない。なぜならば、そのことによって残された少数の人は自己の納付した税金を自己の信じない又は、反対する宗教のために税金を徴収されると同じ結果をもたらし、宗教的少数者の人権が無視されることになるからである。このような少数者の権利の確保が、個人の尊厳を基調とする人権規定の根底にあり、信教の自由を保障する規定の基礎にあるわけである。人権に関する事がらを大部分の人の意識に合致するからといった、多数決で処理するような考え方は許されるはずがない。本件において、津市が地鎮祭を神社神道式で行ったところで、とりたてて非難したり重大視するほどの問題ではないとする考え方は、右に述べたような人権の本質、政教分離原則を理解しないものと言うべきである」。(108頁)


日本の右派・保守派のふるまいは、イスラム原理主義と似ている。

政教分離を認めないからである。

自衛官護国神社合祀事件というのも有名である。

交通事故で亡くなった自衛官が、
殉職扱いになり、山口の護国神社に勝手に合祀された事件だ。

クリスチャンの妻は合祀取り下げの訴えを起こした。

……「合祀拒否」が公になると同時に、中谷さんに対する電話、手紙、はがきなどでの非難・批判・攻撃が始まった。それは、「非国民」「国賊」「亡国の輩」という暴言が混じって何年も続いた。(131頁)


右翼というのはいつでも卑劣である。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


つぎは、あまり知られていないかもしれない事件を紹介しよう。

……浜松市の溝口正さん(1926年生まれ)……74年8月23日、溝口さんら8人の市民は静岡地裁に浜松市を被告にして政教分離原則に関わる住民訴訟を起こした。……
 溝口さんが提訴するまでには、実に19年のまさしく孤軍奮闘があった。……2人の自治会役員が、地域の神社の秋祭りに寄付を集めに訪れた。
 「私はクリスチャンですので、他の宗教のお祭りには寄付はできかねます」。
 溝口さんは、そう言って寄付を断った。これが問題の発端だった。間もなくすると、「神社の祭りを自治会主催でする」「自治会役員は祭りの実行委員になります」「寄付は1世帯平均いくら(金額が記入されていた)になる」「神社の祭典の日時や次第(たとえばお祓いの時刻など)は次のとおりです」などという回覧板が次つぎに回ってきた。溝口さんは「自分だけが寄付しなければそれですむ問題ではないような気になった」。
 調べてみると、約3000戸加入の自治会会費から神社維持費、祭典費が支出されていた。自治会会則には、神社の祭典は自治会主催で行う、神社の信徒である氏子総代は、氏子の代表として自治会の役員会に出席するなどの規定があり、自治会員は自動的に全員氏子にされていた。その後も祭りの予算、決算、神社の掃除当番などの文書が自治会長と氏子総代の連名で回ってきた。組織面、財政面、維持管理面、そして宗教儀式の面など、あらゆる面で自治会と神社が一体化した関係にあることが浮かび上がった。(132−133頁)


自治会と神社のズブズブの癒着関係。

神道信者ではないから支払えない、
という彼の主張はどこにもおかしいところがない。

当たり前である。

わたしだって自分の支払ったカネが神道に使われるのはイヤだし、
キリスト教に使われるのもイヤである。

オウム真理教に使われるのもイヤだし、
幸福の科学にだって統一教会にだって使われたらたまらない。

ところが日本人はこのあたり前の理屈が分からないらしい。

「この町に住んだら、この町の神社の氏子になるのは昔から当たり前ではありませんか。溝口さん、あなたは個人の宗教と公の宗教を混同されています。あなたが個人としてキリスト教を信仰されるのは自由です。しかし、神社はこの町の『公の宗教』なのです」と。……「神社に反対するような奴は、日本人じゃない」。(134頁)


「公の宗教」!

なんと気持ちの悪いひとたちであろうか。

「公の宗教」!

……溝口さんは退会に追い込まれた。そのために、行政の下請機関化していた自治会を通して知らされていた市の広報や、成人病検診日やゴミ収集日の変更などのさまざまな市の情報が届かなくなった。(134頁)


これが「普通の日本人」の気持ちの悪さだ。

閉鎖的で独善的で抑圧的だ。

地域のひとびとは言う。

 「神社は宗教ではありませんよ。自治会を退会するような人は自由をはきちがえています」。(134頁)


はきちがえているのはお前だよ。

地方にはまだこういう圧力がたくさんあるのだろう。

原発もそうした圧力のなかで推し進められてきたのだ。

溝口さんのようなひとには心から感服するが、
それにしてもなぜ溝口さんは闘えたのだろうか?

溝口さんは、兄を戦死で失っている遺族だった。(135頁)


だからこそ、宗教と国家の共犯関係を支える
「自治会神道」に敏感にならざるを得なかったのかもしれない。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


8月15日に戦後の首相としてはじめて靖国神社参拝をしたのは、
いったい誰なのだろうか?

中曽根康弘?

ちがう。

三木武夫である。

このときも大きな問題に当然のことながらなったのだが、
政府は次のように正当化した。

 ……政府は……、私的参拝であるための基礎として4つの条件を上げた。@公用車は使わない、A玉串料は公費支出しない、B記帳には肩書きを付さない、C公職者を随行させない、である。したがって三木首相の参拝は私的であり、違憲ではないというのだった。(143−144頁)


ここからもよく分かる。

その後日本政府はこの条件をすべて無視することになるからだ。

日本政府はウソばかりついてきたのである。

ここまではまだ「国内問題」と言えた。

だがそれを覆したのは靖国神社自身だった。

 「靖国神社にA級戦犯合祀/東條元首相ら14人 ひそかに殉難者として」。4月19日付『朝日新聞』はこんな見出しで靖国神社の「A級戦犯」合祀の事実を伝えた。実は、靖国神社が東條英機元首相以下、板垣征四郎・土肥原賢二・松井石根・木村兵太郎・梅津美治郎の元陸軍大将、武藤章元陸軍中将、永野修身元海軍元帥、小磯国昭・平沼騏一郎・広田弘毅の元首相、東郷茂徳・松岡洋右の元外相、白鳥敏夫元駐伊大使の刑死・獄死・未決病死した14人を合祀したのは、半年前の78年10月17日で、秋の例大祭前日だった。
 靖国神社ではすでに厚生省の協力を得て、「BC級戦犯」刑死者・獄死者合祀については70年までにほぼ終了していた(79年4月30日付『神社新報』)が、「A級戦犯」については保留してきた。(152頁)


興味深いのは、靖国神社の態度である。

じつは当初、戦犯合祀には慎重だったという。

「戦犯合祀」問題は……遺族援護法によって戦犯刑死者も「公務死」とされたころから、靖国神社側は合祀の方針だったが、57年12月ごろにその是非が問題になった。……当時の神社側は慎重になり、時期や世論の動向を見極めたいと確答を避けていたという(57年12月6日付『毎日新聞』)。(154頁)


遊就館を娯楽施設に改造してもいいとまで言った靖国神社だ。

世論が厳しければ慎重になる。

しかし強引にいけるのであればいく。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


日の丸・君が代に反対するひとは、日本社会から攻撃される。

靖国神社に反対するひとも同じ目にあう。

……右翼などから「非国民」「国賊」などと攻撃され、「ご挨拶に参ります」という電報が届いたり、夜中の無言電話に長く悩まされたりした。……街で「右翼の青年に体当たりされたこともあって、怖かったですねぇ。そのとき、僕は思いました。中谷さんなんかも少数者の自由を貫くために命がけなんだ、と」。(197頁)


中谷さんというのは、先の自衛官合祀事件の妻のことである。

 ……提訴後には松山市の繁華街にある自坊の前に右翼の街宣車が張りつき、「国賊坊主!」「寺に火をつけたる」「子どもを学校に行けんようにしたる」と大音響でまくし立てられ、妻や子どもやそして老いた母たちは、震え上がる生活を強いられた。(207頁)


右翼はいつでも卑劣だ。

強がってみせる右翼には、
「それなら天皇のために死んでみろ」と言いたくなるのは、
果たしてわたしだけであろうか?

二度と口がきけないようにしてやりたい、
二度と歩けないようにしてやりたい、
と思うのはわたしだけであろうか?


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


上のような右翼は、冷戦時代にはまだ少数だった。

しかし現在は大多数の「普通の日本人」の姿である。

小泉純一郎首相が靖国神社に参拝すると公言しつづけていた2001年6月29日、日本の侵略戦争に動員され、戦没するなど過酷な被害を受けた韓国の元軍人・軍属とその遺族252人が、日本政府に遺骨の返還、未払い賃金の支払い、総額24億円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こした(通称「GUNGUN裁判」)。(210頁)


靖国神社は、外国人を勝手に英霊として祀っている。

頭がおかしいのではなかろうか?

原告は、合祀の取り下げも求めていた。

 李さんの父、思Rさんが日本軍軍属に強制的に徴用されたのは、44年3月だった。
 「私はまだ1歳2ヵ月でしたから、ほとんど分からなかったのですが、あとで祖母から聞いた話では、母の背に負ぶわれて船着場まで父を見送りに行ったそうです。そういわれると、かすかな記憶があります。でも、父の顔や、どんな人だったか、全く憶えがありません。写真? そんなもの残っていません」。
 日本の侵略戦争への朝鮮人の動員は、総力戦体制が進んだ日中戦争から本格化し、徴兵や徴用によって多数の人びとが「天皇の軍隊」の一員にされた。……
 「祖母の話では、父は、徴用がいやで昼は逃げ回って、夜だけ帰ってくるという生活をしていたそうです。でも疲れてしまって、どうせ行かねばならないんだから、とあきらめて徴用に応じたようです。早く行って1日でも早く戻ってきたい、と言って出て行ったと聞きました」。(221頁)


やがて日本は敗戦を迎えた。

しかし李さんの父親は帰ってこなかった。

 「近所の人たちはイヤな噂をしていました。父の性格から、解放されたら、すぐに戻ってくるはずなのに、帰ってこないのは、死んでるかもしれないって。でも母も私も、そんな噂は信じませんでした。だって、死亡通知も来ていないのですから」。(221−222頁)


何の知らせも届かなかった。

徴用した当の日本政府も何も言ってこなかった。

李さんが父親の死を伝え聞いたのは、やっと70年代に入ってからだが、……正式な文書で確認できたのは96年5月だった。「徴用」から、なんと52年もたっていた。
 「父の死については、結局、日本政府からは直接、私には何の連絡も詫びもありませんでした。私は、父についての正確な記録と名誉を回復したいと思っていたところ、89年に韓国太平洋戦争犠牲者遺族会を知り、そこを通じてやっと日本の防衛庁の記録を入手できたのです」。(222頁)


日本人は、想像力をもって読むべきである。

考えてもみよ。

自分の肉親が外国の政府に勝手に連れて行かれた。
その後何の連絡もない。
政府は何も知らせてこない。
しかも賃金は未払い。

誰だって腸が煮えくり返る思いだろう。

李さんは、父が20代で、日本の戦争に動員されて、他国で、きっと家族を思いながら死んでいったにちがいないと思うと、泣けて泣けて、かわいそうでならない。(223頁)


そんな李さんをさらに驚かせることがあった。

父親の死を確認した書類に、「合祀済」と記されていたのだ。

「合祀済」?

……調べたところ、靖国神社の合祀期日は1959年4月6日だった。家族が父親の死を知るよりはるか何十年も前に、厚生省は合祀に必要なデータを靖国神社に提供していたのである。
 「私は日本の“二重性”を思いました。だって日本は、口では植民地支配をしていたことを認めながら、実際にはそれによって苦痛を与えた被害者の苦しみが全くわかっていないのですから。どうすれば、父の無念の思いや私の悔しい思いを晴らせるのでしょう。真相を知りたい。合祀を取り下げてほしい。このことを知れば、いえ被害者の心を思うなら、小泉首相の靖国神社参拝なんて信じられません」。(223頁)


これほどの侮辱をもし私たちが受けたら?

日本人が同じような侮辱を受けたら?

人間ならその程度の想像力くらい持つべきなのではないのか?

日本人はその程度の想像力すら持てないのか?

日本人はどこまで卑劣になったら気が済むのか?

 また、「合祀絶止」を求めている原告中、2人の肉親が生還していたにもかかわらず、戦死したとして靖国神社に英霊として合祀されていることが、提訴後に支援する会の調査で判明した。そこで、原告代理人が2002年4月27日、靖国神社を訪れ、2人の合祀取り消しを求めた。これに対して神社側は「生還した以上、もともと魂は祀られていないことになる。書類で確認できれば、祭神の名簿から削除する」と答えた(4月28日付『朝日新聞』)という。こうした「生きていた英霊」のようなことが起きるのは、結局、厚生省が遺族、しかもこの場合は旧植民地国の人びとの了解も得ずに、靖国神社の合祀に協力していたからである。(224−225頁)


生きているのに、勝手に死んだことにされていた。

生きているのに、勝手に合祀されていた。

 「靖国神社は、どんな権利で、だれの同意を得て、私たちの同胞を英霊にしているのですか? いますぐ、私たちの同胞を返して下さい」。(231頁)


靖国バンザイと言う日本人がいる。

「英霊」に感謝の念を捧げると言う日本人がいる。

それなら、
合祀されている朝鮮人の遺族は「英霊」の家族なのだから、
彼らの前でひざまずいたらどうだ?

「英霊」には襟を正すのだろ?

それなら「英霊」の遺族の朝鮮人に土下座したらどうか?

そして、これまでの数々の非礼を詫び、
みずからの腹を切り裂いて自害するべきではないか?

それもできないくせに「愛国者」を名乗るなよ。

靖国神社への合祀は、行き場のない遺族の怒りや悲しみを回収し、「被害者意識」を抑えさせて、「国のために役に立った犠牲の意識」へと転化させたのである。けれどもそうした国家のスリカエにはどうしても納得できない人びともいた。だから、靖国神社の招魂式に招かれた遺族の中から嗚咽とともにときに「人殺し」「わが子を返せ」という声も上がったのである……。国家による合祀というシステムは、たんに国民を戦争へと動員しただけでなく、理不尽な死に対する国家の責任を回避するための大掛かりな装置としても機能した。(21頁)


はっきり言うべきではないか?

靖国神社はカルト宗教にほかならない。

殺人宗教にほかならない。

お国のための殺人者が必要になれば、
お国のために死んでくれるひとが必要になれば、
日本政府は靖国神社を利用する。

これまでも、そして、これからも。








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