フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2014/05/28 09:23   >>

トラックバック 0 / コメント 0

日本には、国旗・国歌を定める法律がずっとなかった。

いわゆる国旗国歌法が制定されたのは1999年だった。

実質的に2週間ほどの審議だけのスピード可決だった。

これ以後、下記のような出来事が次々に起きた。

◯ 8月17日、ポリドールは、ロック歌手忌野清志郎のアルバムCDにパンク調にアレンジされた「君が代」が収録されている、として発売中止。……

◯ 8月25日、長崎県町村議長会主催の研修会で中川八洋筑波大学教授は「『日の丸』『君が代』に反対したものは、非国民だ」と発言。

◯ 9月30日、梶原拓岐阜県知事は県議会会議で「国歌国旗を尊重できない人は、日本国籍を返上してほしい」と発言。10月7日、各方面からの批判で「言葉足らずで、誤解を招いた」として撤回し、議事録からも削除。

◯10月1日、広島県教育委員会が8月に行った2000年度の教員採用試験の面接で、受験者に「国旗・国歌についてどう思うか」などと質問していたことがわかる。
……

◯ 10月3日、広島県警広署が管内の呉市の一部や4町公立小・中学校の運動会で「日の丸」「君が代」の掲揚、斉唱の実態を各教育委員会に問い合わせていたことが判明。

◯ 12月8日、横浜市教委が市内の514全市立学校長に「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱に反対する教職員をチェックするための「対応シート」を配布していたことが分かった。(iii−vi頁)


これらはほんの氷山の一角にすぎない。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


日本は1945年に無残な敗戦を迎えた。

戦争の旗を振っていた日本人は、
一夜にして平和と民主主義の信奉者へと変身してみせた。

だがそれは外見だけだった。

 ……たとえば政治犯も釈放せず、天皇制を保護していた治安維持法や大逆罪・不敬罪などを自ら廃止しようとしなかった消極的姿勢に見られるように、日本政府には敗戦の持つ意味を総括する認識は希薄で、また「日の丸」や「君が代」を民衆とともに考え直そうともしなかった。敗戦前の意識と感性がほとんどそのまま継承されていたようだった。(6頁)


現在の日本人にも「日の丸・君が代」を考え直す姿勢は微塵もない。

そう言えば、当ブログで君が代を批判したときに、
間抜けなコメントが寄せられたことがあった。

「日の丸・君が代」は、
21世紀の日本人にも「国旗・国歌」として無批判に受容されている。

ところが、ここに興味深い事実がある。

その「日の丸」はマッカーサーによって救出されたものだったのだ。

マッカーサーが吉田首相(当時)に宛てた書簡のなかでこう述べている。

 「国民の象徴、国民統一の象徴たる天皇の宮城の上に、日本国旗が無制限に掲揚されることは、この際特に適当である……日本国民の生活の上に、個人の自由、尊厳、寛容、正義に基く新しき恒久平和の時代が到来したことを意義付けるために、日本国旗の飜ることを祈る」。(11頁)


侵略と戦争のシンボルを、
民主的で平和な日本再生のシンボルとして読み替えてくれたのは、
マッカーサーだったのである。

それを素朴にありがたがっているのが、いまの日本人なのである。

バカ丸出しである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


日教組批判はネトウヨの定番である。

いわく、日教組は反日であり、偏向教育の組織だ、というわけだ。

ずいぶん前に当ブログの記事で書いたことだが、
ネトウヨの若者は日教組がどういう組織だかも知らずに、
「批判」してみせる。

口角泡を飛ばして「日教組は反日だー」とわめくのだが、
「では日教組とはどういう組織なの?」と問いただすと、
たちまち無言になってシドロモドロになってしまうのである。

では、その日教組は「日の丸」をどう認識していたのだろうか?

これについては、ぜひ本書第2章をご覧いただきたい。

じつは「日の丸」に特別な熱い思いを持っていたことが分かる。

ネトウヨはバカ丸出しである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


戦後の自民党政権は、日の丸・君が代の強制をずっと狙っていた。

奥野誠亮文相(当時)という政治家がいた。

旧内務官僚だった人物である。

 ……奥野文相は3月10日に鹿児島県の中学校で起きた「日の丸」掲揚をめぐっての校長自殺事件……に触れ、教育の現場の混乱を現場教師の反対のせいにしつつ次のように答弁している。
「……自国の国旗などを尊重しない人間が他国の国旗などを尊重することができるだろうか……。他国の国旗などを尊重できない人間が、他国から尊重されるだろうか……」。
(111−112頁)


一読して苦笑を禁じ得ない。

「自国の国旗を尊重しない人間が他国の国旗を尊重できるか?」


こういう粗雑な屁理屈がいつも繰り返される。

この屁理屈はいくつかのバージョンをとる。

「自国の文化を理解しない人間が他国の文化を理解できるか?」

「自分の国を愛さない人間が他国を真に理解できるか?」


奥野によれば、
ハーケンクロイツを愛したドイツ人こそ、
他国の国旗を尊重できるらしい。

北朝鮮国旗を愛する北朝鮮の国民こそ、
他国の国旗を尊重することができるらしい。

そういう人間が世界から尊重されるらしい。

ここには論理性の欠片もない。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「君が代」の「君」は、天皇を指している。

だから「君が代」は天皇崇拝の歌以外の何ものでもない。

ところが、「君」は天皇のことではない、と強弁するひとたちがいる。

当ブログに以前コメントしてきたひとにも、同種の間抜けがいた。

そのときわたしは、もし「君が代」の「君」が天皇でないなら、
それこそ右翼が怒るでしょう、と皮肉を述べた。

「君が代」を必死に正当化しようとした末のあわれな屁理屈だが、
もし本当に天皇とは関係がないのなら、
どうして次のような事件が発生してしまうのだろうか?

 1979年3月1日午前、福岡県立若松高校の78年度の卒業式が始まった。司会の「国歌斉唱」の声にしたがって、ピアノ伴奏を担当した小弥教諭は左手で「君が代」のメロディーを、右手で装飾音を弾くというアレンジ伴奏を始めた。「君が代」がジャズ風に編曲されていた。(123頁)


この教師はのちに処分された。

レコード業界では、「君が代」をワルツやマンボや都々逸に編曲しようとしたら、「君が代」でふざけてはいけない、とクレームがついた、と永六輔さんが『婦人公論』で紹介していた……。こうした規制や抑圧は、この歌の持つ天皇制との関係性から導かれるのである。(127頁)


さらに冒頭に紹介した忌野清志郎のCDが発売中止になった事件など。

こうした事件を見れば誰でも分かるはずである。

どうして右派が君が代を私たちに歌わせたがるのか、
それを考えれば誰にでも分かることである。

「君が代の『君』は天皇のことではない」だって?

そんなわけがあるまい。

バカ丸出しの大ウソつきである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


沖縄は、日の丸・君が代の実施率が低い県として知られていた。

日の丸・君が代に複雑な思いを持つ沖縄県民が多いことは、
歴史や現実を知るものならば誰も分かることである。

ところが、その沖縄でもこんなことがかつてあったという。

 詩人で高校教員の高良勉さんは戦後の生まれだが、いくつかの「日の丸」体験がある。
 南部の玉城村出身で、電気がきたのが小学校の5年のころ、1960年だったと記憶する。それまではランプ生活。小学校の4年生のときだった。先生が「みなさんどこの国の人ですか」と訊くが、子どもたちは分からない。そこで、先生は「日本人ですか、沖縄人ですか、アメリカ人ですか、選びなさい」。「日本人」と言わせて、日本人の意識を持たせようとした。当時は、復帰運動が押さえつけられていた時で、先生たちは子どもたちが将来日本人の意識をなくしてしまうのではないかと心配していた。そこで「日の丸」教育が行われた。
 小学校4−6年生時代、毎年正月の元日に全校生徒が登校して、紅白の饅頭が配られる。そのあと、高良さんが口にした言葉は俄かに信じられなかった。「全員講堂に集められて、東に向かって宮城遥拝。信じられないかもしれないが、ホントです」。そのあと、「年の始めのためしとて……」という天皇家賛美の歌「一月一日」(1893年8月12日の官報付録で発表された「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」のうちの一つ)を歌わされたという。(148頁)


現在の天皇は、日の丸・君が代の強制に批判的らしい。

ということは日の丸・君が代強制を進める連中は「国賊」である。
さっさと腹を切って反省してほしい。

だが、日の丸・君が代の存在が、
日本各地でどのようなことを引き起こしているのかということを、
天皇は考えたことがあるのだろうか?

本書では、京都在住の在日コリアンが書いたあるレポートが紹介されている。

 ――土地をとられ、国をとられ、言葉の何も分からない日本に来ざるを得なかった私のアボジ〔父〕、オモニ〔母〕は、人間扱いもされず必死の思いで私達2世を生み育ててくれた。アボジは異国の地で無念にも47歳で死んだ。81歳になるオモニは今もなお外登法〔外国人登録法〕の指紋押捺拒否という闘いをされておられる。全て天皇の名の下に、朝鮮民族は虐げられてきた。このような歴史を背負ってきた私達の子ども達の卒業式に、天皇を讃える「君が代」が演奏されようとしている。私達にとってこれほど残酷なことがあるだろうか。どのような理窟で子供達に、これを起立して聞けというのか。……「あなた方あちらの方は、別に聞かなくてもよい」という問題ではない筈だ。戦前天皇制国家で苦しんだのは、私達朝鮮民族だけでない。日本人の大多数も苦しんだ。1945年8月15日はそれらを反省して踏み出す第一歩であった筈だ。……/3月23日、向島南小学校では「君が代」が流された。私と子供達は退席するのが精一杯であった。私はそのまま逃げて帰りたかった。しかし再び席に戻る子供達のためにも、私は針のむしろのようなその席に戻らなくてはならなかった。末娘は式の間中泣いていた……。

 京都市伏見区向島に住む在日朝鮮人の朴実さんが憤怒と、しかし日本人への優しさをも滲ませた体験レポートを書いたのは、新指導要領の出る2年前1987年5月だった。「屈辱の1987年3月23日」。(162−163頁)


日本の各地の学校で日の丸・君が代が強制されていく。

するとそこに在席している在日コリアンにも強制される。

学校には日本人しかいないわけではない。
ほかの国の子どもたちも通っている。

それなのに日の丸・君が代は彼らにも強制されていくのだ。

これほどひどい仕打ちがあっていいのだろうか?

朴さんの末娘はこう述べている。

 「私はたい席して体育かんに出た時、みじめだった。私達はなぜこんな思いにならないといけないのかが不思議だった。これは完全な差別だと思った。私は泣いた。くやしくて日本がにくかった。日本の国がすごくにくい。ひきょうや、めちゃくちゃひきょうな国や! と思った」……。(169頁)


彼女はのちに民族学校へ移ることにした。

 幸子さんは、日本の公立中学校に通学するつもりだった。だが、卒業直前に突然、民族学校の韓国学園を選んだ。「う〜ん、やっぱり『君が代』のいやな思いがあったからなんです……」。11年後、すでに23歳になった幸子さんは、そう言って声を詰まらせ、涙ぐんだ。今もあの時のことが鮮明に思いだされるのだ。……
 「……『君が代』が好きでそれを受け入れる人もいるでしょうけれども、それをやられると、私、あるいは私の子供たちのように、非常に傷つく者がいるということ、そういう中で、そういうものを一律に押し付けたり、強制はしてほしくない、特にそれは子供たちに深い傷として残っているので、そのことを教育委員会の人たちも知ってほしい……」。(170頁)


これは他者への想像力すら日本人は持っていないことを示している。

戦後、ドイツに残ったユダヤ人が、
ドイツの学校でナチスを賛美する歌を歌わせられる。

そんなことはドイツでは想像すらできない。

だが日本では実際に起きているのである。

アメリカでも国歌を歌わせることがあるのだから、
日本でも同じようにしても問題はないのではないか?
という意見をよく耳にする。

そのひとたちは、まず「君が代」の歌詞を読んでいない。

そして、有名なバーネット判決を知らない。

 「いかなる役人も、政治、国家、宗教或いは他の個人の意見に関する事柄で何が正当であるかを決めることはできないし、また、強制的に市民に対してそれらに関しての信念を言葉や行動で表現させることはできない」……
 これは、精神的自由の保障に関する問題でしばしば参照される「バーネット事件」でのアメリカ連邦裁高裁判決の一節である。国家への敬礼を強制され、自らの宗教的信念にしたがって拒んだ公立中学校の生徒が退学処分を受けた事件の判決で、処分は精神的自由を保障した合衆国憲法に違反すると、判断された。半世紀以上前、第二次大戦中の1943年6月14日の判決である。(189頁)


アメリカでも強制してはいけないのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


1999年、日の丸・君が代の法制化が強行された。

同じころに成立した法律には、周辺事態法や盗聴法もある。

全体主義化・戦争国家化への準備である。

このような流れに位置づければ、
国旗国歌法がどのような意味を持っているのかは明らかである。

当時はまだ法制化に批判的なひとも多かった。

昭和天皇が生きているうちには
国旗国歌法の制定はできなかった。

それが今では、日本人全体が右翼になってしまったのだ。

オリンピックやワールドカップを通じて、
日本人のナショナリズムはますます高揚していくだろう。

最後に、神奈川県に住む女子大学生の言葉を引用しておこう。

 「6月にECC主催の英語弁論大会に参加したときでした。200人か300人ぐらいの参加者でしたが、大会の冒頭で両国国歌演奏、と言われ起立を求められました。えっと思ったんですけど、起ちました。最初にアメリカの国歌でしたが、私はそれを聴きながら、次は『君が代』だな、どうしようと思った。座らなくちゃ、座らなくちゃと、頭の中が真っ白になりそうでした。焦っていました」。
 鶴丸さんは「日の丸」も「君が代」も好きになれなかった。とくに「君が代」は天皇を讃える歌だと知っていたから「ゼッタイにイヤ」だった。
 アメリカの国歌が終わった。鶴丸さんは、座れなかった。「周りの、とくに親たちの視線があって、私は座る勇気がどうしてもなくて、『君が代』の演奏が始まる寸前、トイレに飛び込んだんです。で、両耳を塞ぎました。でも、かすかですが、あのメロディーが聞こえてきました」。鶴丸さんは、「君が代」が聞こえてきた間じゅう、「悲しくて、悔しくて、ずっと泣いていました。抵抗できなかった自分と、何でこんな歌が国歌として平気で流れるのかが悲しくて、ひとりぼっちの気分でした。もう二度とこの弁論大会には出たくないと思いました。自宅に帰っても悲しくて、泣いていました」。(225頁)


国旗国歌法が制定されたとき、
野中広務は、強制はしない、と明言していた。

だがそれはウソだった。

結局政府というのは法律を作ったら、その後必ず拡大解釈していくのだ。

集団的自衛権の行使に関する議論も同じだ。

政府は必ずこれを拡大していく。
この国の政府・自民党は約束を守ったことがないのだから。

日の丸・君が代は、誰も幸福にしない。

そのことは事実が証明している。









テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書) フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる