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zoom RSS 豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2014/05/16 10:44   >>

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右翼・安倍晋三というひとは、つくづく卑劣な政治家だと思う。

河野談話の見直しを画策しながら、
国際的に大きな批判を招き自分の妄想が通用しないことが分かると、
「政府としては河野談話を継承する」などと白々しく述べる。

従軍慰安婦問題で軍による強制はなかったと言いながら、
国際的批判を浴びるとたちまち米国に向けて形式的な謝意を表明する。

「侵略の定義は決まっていない」などと前代未聞の暴言を吐く。

憲法第9条の「改悪」を主張していたはずが、
それが果たせないと分かると「第96条」を変えようと言い出す。

それもむずかしいとなると、
こんどは政府解釈だけで「集団的自衛権の行使」を認めると言い出す。

ときの支配者の気分で憲法解釈を勝手に変えてもいいのなら、
それはもう法治国家でも法の支配でも何でもない。

それはむき出しの独裁制であり、まさに日本の今はそれである。

だから安倍晋三の面構えからは悪人特有の悪臭が放たれている。
アジアに傲慢で欧米におびえる彼の目はいつも泳いでいる。

キョロキョロと泳いでいる。

この、天ぷら野郎め。

(「天ぷら野郎」の意味が分からない方は検索してください)


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


昨日(5月15日)、軍国主義者安倍首相がとうとう解釈改憲を表明した。

集団的自衛権の行使を検討すると公式に宣言した。

これは実質的なクーデターである。
わたしたちはこれを「5・15事件」として記憶しなければならない。

本書は、集団的自衛権について考えたい人なら、
必ず手に取らねばならないものだ。

はじめに知らないひとのために簡単に説明しておく。

そもそも集団的自衛権とは何か?

……「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」……。(5頁)


自分の国が攻撃されたときに武力で反撃する権利を、
個別的自衛権という。

それに対して、自分の仲間の国が攻撃されたときに、
自分の国は攻撃されていなくても、
自分たちに対する攻撃と見なして反撃する権利、
これを集団的自衛権という。

「自国と緊密な関係にある外国」とはどこのことだろうか?

日本の場合は、まずはアメリカ合州国である。

ここでひとつ注意しなければいけない点がある。

国連で規定している「集団安全保障」と「集団的自衛権」のちがいだ。

日本ではしばしば両者を混同した議論が見られる。

改憲派は故意に混同してひとを欺く。

 そもそも国連憲章は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、……慎まなければならない」(2条4項)と規定して武力行使禁止原則を謳っているが、次の3つの場合にのみ武力行使が認められている。その1つが、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」の発生に対し、安全保障理事会(安保理)の決定に基づいてとられる力の行使」にたとえられ、集団安全保障と呼ばれる。(i−ii頁)


これだけ見ると、
「集団安全保障」と「集団的自衛権」は同じに見えるかもしれない。

だが両者は根本的に異なる。

……「仮想敵」を想定せず安保理の管轄下で実施される集団安全保障(collective security)と、共通の「仮想敵」を設定し、安保理が機能するまでの間においてのみ認められる集団的自衛権(collective defense)とは、根本的に異なった概念なのである。(ii頁)


そもそも中国や北朝鮮などの特定の「仮想敵」を想定し、
相手国を再三挑発し攻撃準備を整えることなど、
国連が採る考え方と同じであるわけでがないだろう。

覚えておくとよいだろう。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


従来の日本政府は、集団的自衛権についてどう主張していたのか?

「国際法上は保有しているものの、憲法上行使できない」


日本もほかの国と同様、国際法上は集団的自衛権を持っている。

しかし、日本国憲法が認めていないので行使できない。

これが日本政府の公式見解だった。

これに対して、安倍晋三はこう疑問を呈してきた。

「権利があっても行使できない――それは、財産に権利があるが、自分の自由にならない、というかつての“禁治産者”の規定に似ている」

「権利を有していれば行使できると考える国際社会の通念のなかで、権利はあるが行使できない、とする論理が、はたしていつまで通用するのだろうか」

(『美しい国へ』)


この稚拙な言い分を聞いて、
わたしでもすぐにそのおかしさは見破れる。

だが、驚くべきことに、
この程度の屁理屈に説得されるひとがいるらしい。

安倍のこの主張には元ネタがあるらしいのだが、
それはおいておくとして、
専門家はこれについてどう答えているかを見てみよう。

はじめに、京都大学教授の浅田正彦(国際法)の見解だ。

「権利を保持するということとそれから権利を行使するということ、権利を保持する能力と権利を行使する能力というのを峻別するというのは、法律学でいえばもう言わば常識でありまして、(中略)国際法においてもこれは同様であろうというふうに思います」「具体的な例を申し上げますと、……例えば永世中立という考え方があります。これは、主権国家であれば他国と同盟を結ぶということは権利として当然認められておるわけですけれども、しかしながら永世中立国は、自らは他国と同盟を結ばないという選択を行って、永世中立という制度はそれを自己に義務付けたわけであります」「日本も日本国憲法の解釈として、集団的自衛権を国際法上は保持しているけれどもそれを行使、憲法上行使できないというふうな解釈をとっておるその解釈が正しいということを前提とすれば、それは十分あり得ることであって、これが論理的に矛盾しているとかあり得ないということでは全くないというふうに思っております」(11−12頁)


もうひとりは、東京大学教授の大沼保昭(国際法)である。

「私も浅田参考人と全く同じ意見でありまして、……法的に権利を持っているのに行使しないのは矛盾であるということには全くならないと」「国際法上も、自分が本来、自国が本来持っている権利を自国の決断、判断によって拘束するということは十分あり得ることであって、国際法上持っている権利を日本が憲法上それを制約するということは法的に全くあり得ることで、それを矛盾と言うことの私は意味が全く理解できません」(12頁)


これらはいずれも国際法の専門家が国会で行なった証言だ。

権利を持っているが、それを行使しないというのは、
別におかしいことでも何でもないのである。

常識で言ってもそうではないのか?

わたしは自分の所有する書籍を古本屋に売る権利を持っている。
しかしわたしはこの権利を行使しない(つまり本を売らない)。

この理屈に何かおかしいところでもありますか?

漢字の読み書きができない安倍くん。

もうひとつ、集団的自衛権の行使を求めるひとが、
わざと混乱させている理屈がある。

それは、「集団的自衛権は自然権」だというものだ。

集団的自衛権は、国連加盟国の固有の権利であり、国家の自然権である、
というものである。

しかし、国連憲章第51条で使われている「固有の権利」という言葉の意味は、
「自然権」といったものではまったくない。

こうした意味の「自然権」は、英仏案に具体化されていた連盟規約15条にまで遡る「戦争に訴える自由」を内実とするような権利であり、こうした自衛権概念は51条の成立にあたって「放棄」されたのである。(30頁)


つまり、歴史的経緯を無視した暴論にすぎないというわけである。

ところで、最近の日本のニュースは、集団的自衛権の話題で持ちきりだ。

まるで政府の解釈改憲のお膳立てをしているかのようだ。

もし集団的自衛権行使を認めるなら、
安倍晋三くんは次のような他国の行為も認めなければいけなくなる。

1979年末、当時のアフガニスタン政権の「要請」に基づいて、
集団的自衛権を行使して同国に侵攻したソ連の例である。

安倍くんは、ソ連は正しい、と言っていることになる。

それだけではない。

 1981年6月7日、イスラエル空軍はイラクのバクダード近郊にあるオシラク原子炉に奇襲攻撃をかけ、空爆によって原子炉をほぼ完全に破壊した。イスラエル政府は特別声明において、この原子炉はイスラエルを攻撃目標におく原爆製造を目的としたもので、核燃料の注入によって1カ月以内、あるいは遅くとも3カ月以内には稼働する状況にあったのであり、イスラエルの安全をはかるためには事態を座視することはできず作戦行動に踏み切った、と主張した。(39頁)


イスラエルは、この攻撃をどう正当化したのか?

……「……国家の固有かつ自然権としての自衛権……」……自衛権概念における「新しいテーゼ」に依拠してオシラク空爆の正当化をはかろうとしたのであった。(42−43頁)


つまり、改憲派はソ連やイスラエルを擁護してしまうのである。

むろん事例はこの2つに限られるものではない。

集団的自衛権の容認は、ありとあらゆる戦争行為を正当化するのだ。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


いまや日本の国は、敗戦後の出発点から大きく逸脱している。

かつては自衛隊の存在それ自体が大問題であった。

米軍の存在も大問題であった。

しかるに、今では自衛隊の海外派兵もさほど問題にもされず、
海外に自衛隊の基地までつくっても何も問題にされなくなった。

核武装への準備まで公然と語られる始末である。

日本が核武装に踏み切るということは、NPTから日本が脱退することを意味する。唯一の被爆国であり、非核三原則を「国是」として掲げ、世界に核不拡散を訴えてきた日本が脱退するということは、NPTに加盟する多くの国々もそれにならい、核武装の権利を主張する突破口を作り出し、NPT体制は名実ともに崩壊に向かうであろう。日本が核武装するならば、北朝鮮はもとより、韓国や台湾や中東諸国をはじめ、各国が核武装に走ることを止める論理は一切失われるであろう。いかに日本が北朝鮮という「ならず者国家」の脅威に直面していることを訴えても、韓国は日本の脅威を喧伝するであろうし、中東諸国は「国家テロ」のイスラエルやシーア派イランの脅威を持ち出して核武装を正当化するであろう。
 問題はそこに止まらない。仮にサウジアラビアやエジプトなど、事実上の独裁体制を維持する一方で、国内に多くの過激派を抱え込んでいる国々が核を保有するならば、テロリストにとって核にアクセスできる機会は飛躍的に高まるであろう。核とテロとの結合という、今日における最も恐るべきシナリオが、現実性を帯びる可能性が一気に増大するのである。日本における核武装論は、北朝鮮や中国との関係においてしか問題を見ていないという、致命的な視野の狭隘さによって特徴づけられているのである。(207頁)


日本はここまで狂ってきたのだ。

狂人が日本の政治を牛耳っているのだ。

だが、かつて次のような国会決議があったことは意外に知られていない。

……1954年、自衛隊の発足にあたり、参議院は6月2日の本会議において「自衛隊の海外出動をなさざることに関する決議」を採択していた。(58頁)


この国の政治家は、平気でウソをついてきた、ということである。

改憲派は、日本国憲法はGHQによって押し付けられた、という。

懲りずにデマを垂れ流しつづけている。

 ……筆者は……『安保条約の成立』において、1951年1月末から2月にかけて吉田首相とダレス(当時は米大統領特使)との間で展開された交渉について、焦点は日本の再軍備問題にあったという「通説」に対し、日米の資料を再検証することによって、当時のダレスにとって再軍備問題は副次的な課題であり、交渉における彼の最大の獲得目標は、「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」の獲得にあった、ということを明らかにした。(61頁)


日米安保は日本を守るために結ばれたものでも何でもない。

 かくして……米国側は、「極東における国際の平和と安全の維持」のために駐留米軍が日本の基地を使用できる旨を、安保条約本文の第1条に挿入するように求めてきたのである。これが、今日にまでいたる「極東条項」の“起源”である。この条項は、占領期の米軍の特権が維持され続けるという意味で「占領条項」であり、「押しつけられた条項」と言うべきであろう。(65頁)


だが興味深いことに、
自称愛国主義者たちはこの「押し付け」については沈黙するのだ。

おめでたい人たちである。

 ……在日米軍とその基地は、日本の防衛のためにあるのではなく、世界の半分をカバーする米軍の戦略展開のための最大拠点であり、むしろ自衛隊が米軍基地の防衛にあたっているのである。あえて安倍のレトリックを使うならば、米国の若者は日本を守るために「血を流す」のではなく、逆に日本の若者が在日米軍を防衛するために「血を流す」構造になっているのが安保条約の現実に他ならない……。(120頁)


彼らは集団的自衛権の行使を可能にすることによって、
ひたすらアメリカの軍事作戦・戦争についていくことにしたのだ。

そのための準備は何年も前から行なわれていた。

 ……1996年4月、橋本龍太郎首相とクリントン大統領との首脳会談において日米安保共同宣言が出された。これが「安保再定義」であり、安保条約の果たすべき目的が、それまでの「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に一挙に拡大され、1978年11月に策定された「ガイドライン」(日米防衛協力のための指針)の見直しが明記された。この「旧ガイドライン」は実は、1955年からおよそ20年間にわたって、歴代首相にも秘密裏に自衛隊と在日米軍の間で毎年つくりあげられていた「共同統合作戦計画」が、当時のソ連の脅威を背景に、米国側の圧力によって「オーソライズ」されたものであった。つまりは、シビリアンコントロールの根幹をゆるがす秘密計画が、公式に追認されることになった訳である……。(92頁)


国会でも次のような見解が表明されている。

1999年4月1日の衆議院防衛指針特別委員会において公明党の富沢篤紘議員は、「米国が、周辺事態が発生した、日本に協力要請をする、これに対して日本政府がノーと言うことも当然考えられると思いますが、そういう想定はできますか」と核心に切り込む質問を行なった。これに対し野呂田芳成防衛庁長官は、「観念的には考えられますけれども、私たち〔日米両国〕は絶えず緊密な連絡調整をやっているわけですから、実態上はないと思います」との答弁を行なった。この答弁は、「周辺事態」の認定が実質的には米国によって行なわれ、しかも米国からの要請には「ノーと言わない」との立場を明言したものであった。(93−94頁)


アメリカにとって、これほど都合のよい国はほかにないだろう。

自分たちの見解に無条件に従ってくれる。

お金も出してくれる。

自衛隊員の命も差し出してくれる。

……米国が「周辺事態」と認定すれば、日本は“無条件”で協力するという立場を公然と打ち出したことは、日米関係においても、日本の防衛外交政策においても、重大な転換点を意味していた。(94頁)


これがわが国の自称愛国者の姿である。

普通、こうした状態を「属国」と呼ぶのではないだろうか?


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


では、日本が無条件に従っているアメリカは、どういう国なのか?

アメリカがこれまで犯してきた凶悪犯罪については、
当ブログでは何度も取り上げてきたので、
ここでは本書からほんの少しだけ紹介しておく。

湾岸戦争やイラク戦争当時、「フセインは独裁者だ」と盛んに言われた。

それによって戦争が正当化された。

だがそれよりも前にこんなことがあった。

 ……レーガン政権は1982年2月にイラクをテロ支援国家のリストから外し、これによって、イラクが米国から物資を輸入するにあたって融資保証を得られる道が開かれた。この道筋を本格的な軌道に乗せる役割を担うことになったのが、まことに皮肉なことに、2003年のイラク戦争を推進した最大の責任者である前国防長官ラムズフェルドであった。(144頁)


イラクはアメリカの協力で化学兵器を保有したのだ。

 ……1983年11月1日付けの書簡において、国務省で軍事問題を担当するジョナサン・ハウがシュルツ国務長官に対し、「イラクは、米国の海外子会社をも含め、主として西側の企業から化学兵器の生産能力を獲得した」ことが確認された旨を伝えていた。しかも問題は「生産能力」にとどまらず、イランとの戦争において「イラクは今やほぼ毎日のように化学兵器を使用している」という情報も明らかにしていたのである。しかしレーガン政権は……化学兵器の問題は一切提起されなかったのである。(145−146頁)


レーガンは、フセインが何をしていたのかを知っていた。

 このようにレーガン政権は、イラクがイランに対してばかりではなく、国内のクルド人に対しても化学兵器を使用しているという確かな情報をつかんでいたのである。……しかしレーガン政権は、……イランの「敵」であるイラクを援助するという基本路線を継続し、制裁に反対するという結論に至った……。(148頁)


アメリカ国内でこのことがどのくらい知られているのか?

少なくとも日本人はこうしたことをまったく知らない。

現在、中東やアフリカでイスラム原理主義が抬頭している。

これもじつはアメリカが招いた事態だった。

 ……レーガン大統領は1985年3月、ムジャヒディンに対する秘密軍事援助を「ステップアップ」させ、兵器の供給を「劇的に増大」させる方針を打ち出した国家安全保障決定指令166号に署名した。これを受けて翌86年、ウイリアム・ケーシーCIA長官は、重大な3つの措置を実行に移した。まず第一に、それまで直接供与していなかった米国製の兵器をムジャヒディンに提供し、米軍事顧問団を派遣して訓練を施すことに踏み切ったのである。提供された兵器のなかに、ソ連のヘリコプターの撃墜に大きな役割を果たし、後には米軍を悩ませることになるスティンガー対空ミサイルが含まれていた。
 第二に、パキスタンのISI(軍統合情報部)とCIAが協力して、ソ連の軍事物資の補給経路であったソ連邦のタジキスタンとウズベキスタンの両共和国に対するゲリラ攻撃を組織する、ということであった。
 そして第三の措置として、世界中からムスリム急進派をパキスタンに結集させ、アフガン・ムジャヒディンとともに戦わせる、というプロジェクトをCIAが本格的に支援する、との方針が決定された。すでに世界各地から、アフガニスタンの「共産化」に対抗してジハードを闘うために、サウジアラビアの情報部の指導のもとにムスリム急進派がパキスタンに集まっていた。しかし、右の決定を契機に飛躍的に組織化が進み、最終的には世界43カ国から結集した、およそ3万5000任がアフガン・ムジャヒディンとともに戦ったと言われる。さらに、直接戦闘に参加しなくとも、周辺からの“支援”に携わったムスリム急進派は10万人を越えたとも推測されている。
 実は、世界中からムスリム急進派をパキスタンに結集させるというこうしたプロジェクトの組織者の1人が、オサマ・ビン・ラディンであった。彼は豊富な資金力とCIAの援助を背景に、戦争支援の“インフラ”の整備に乗り出し、さらにはムジャヒディンと支援するサービス・センターとしての「アル・カイダ」(基地)を設置したのである。(156−157頁)


もうひとつこれに関して思い出しておきたい。

2001年10月初めから11月にかけて発生した炭疽菌テロ事件である。

……結果的には死者は5人に止まったが、肺炭疽の場合は致死率が90%を超えるとされ、現にレーヒ−議員が受け取った手紙には、10万人を殺害できるような「驚くべき高純度」に精製された菌が封入されていた、と報じられた。……
 当初、チェイニー副大統領をはじめブッシュ政権の閣僚達は、この事件をアルカイダやイラクのフセインと結びつける発言を繰り返していたが、やがて検出された遺伝子が、メリーランド州の「米陸軍感染医学研究所」が保管してきたエームズ株と呼ばれる炭疽菌の遺伝子と一致することが明らかになって以降は、事件についてほぼ沈黙を維持することとなった。(185頁)


もう一度確認しておこう。

こういうアメリカの戦争に日本はどこまでも従う、ということだ。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


日本がこれほどアメリカの軍事作戦に従順なのは、
その都度、外敵や脅威が都合よく強調されてきたからである。

テロの脅威、北東アジアの脅威などなど。

 2001年9月下旬に訪米した小泉首相に対しブッシュは、日本もインドとパキスタンへの制裁解除に踏み切ることを要請したばかりではなく、「核保有国の政情は安定してもらわねばならない」との理由を掲げて、パキスタンに対して経済援助を実施することまで求めたのである。これを受けて小泉政権は翌10月26日、両国への経済制裁を解除し、パキスタンへの緊急援助の方針を決定した。(165頁)


日本の外交は、まるでたったひとつの方針に従っているようだ。

アメリカにひたすらついていけば安心だ、という方針である。

 ……2004年12月、小泉政権は新防衛大綱の閣議決定に際し、ミサイル防衛関連部品の対米輸出を三原則の「例外」扱いにすることを取り決め、三原則の緩和に踏み切った。しかも、当時の官房長官談話によって、ミサイル防衛以外については今後「案件ごとに個別に検討」するとされた結果、「事実上あらゆる分野が緩和の対象となる」という突破口が開かれることになった。(182頁)


これには「北朝鮮の脅威」が利用された。

 ……国務省がテポドン発射を北朝鮮の声明と同じく「人工衛星」の実験であったとの公式見解を明らかにしていたにもかかわらず、9月20日の日米安全保障協議会委員会においてミサイルの脅威を強調した。かくして日本は、米国の強い要請を背景に、ミサイル防衛の前身であるTMD(戦域ミサイル防衛)構想の共同研究に参加することを正式に確認したのである。わずか3週間前には、防衛庁がTMD関係予算の次年度計上を断念することもあり得るという状況であったことを考えれば、文字通りの急転直下の展開であり、ペンタゴンの関係者が「金正日のプレゼント」と快哉を叫んだと言われる所以なのである。(208−209頁)


これも何度も指摘してきたなのだが、
こうした「売国」行為をするのが日本の「愛国者」にほかならない。

「脅威」が語られ、安全保障の重要性が強調される。

笑いが止まらないのは、アメリカの軍需産業である。

「集団的自衛権」は、その裏に「集団的自営権」が隠れていたということだ。

お金のためなら人殺しもするのである。












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