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zoom RSS 斎藤貴男『民意のつくられかた』(岩波書店)

<<   作成日時 : 2014/05/12 00:03   >>

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斎藤貴男の本は、わたしの問題意識といつも重なる。

今回は、3つのテーマについて短く紹介していく。

@ 原発

A オリンピック招致

B 捕鯨

どれも多くの日本人がまんまと騙されてきたテーマである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


@ 原発

原発を50基以上もつくってしまった愚かな日本人。

結局のところ、日本は後進国だったということだ。

 「原子力政策というのは、民主主義の熟度を計る素材なのだと思います。国民的な合意がなければ円滑には進まない。だからこそ、たとえばヨーロッパの多くの国では、国会の議決や国民投票などで決められている。しかるにわが国における原子力の長期計画は原子力委員会に設置された、事業者自身をはじめ原子力ムラの人々が大半を占める策定会議で決定され、閣議報告がなされるだけです。そもそもエネルギー政策基本法に盛り込まれることもなく、したがって国会議員さえタッチできない領域になってしまっているんです。……」(12頁)


これは佐藤栄佐久(元福島県知事)の発言である。

この国には原発で甘い汁を吸ってきた関係者たちがいる。

原子力マフィアの面々だ。

彼らは、原発に反対するひとたちをどう見ていたのだろうか?

 反核派には、大きく分けて二つのグループがあります。ひとつは、反核を旗印にかかげた“隠れ左翼集団”です。「プロ市民」と呼ばれる一般市民を装った左翼活動家や、市民活動で利権を得る人物が活動しています。もうひとつは、感情論であたまから核を嫌う人たちです。(中略)
 「連帯」(引用者注・最終処分場の受け入れに反対した地元団体の機関紙)の“思想”がよくわかる一文が裏面にありました。
 〈核兵器製造も含む原子力産業は巨大な市場であり世界の財閥の金儲けの戦場と化しています。
  アメリカのモルガン、ロックフェラー、フランスのロスチャイルド、そして日本では5つの財閥が国を巻き込んでこの産業を推進しています。@三井(東芝など)、A三菱(三菱原子力工業、三菱重工など)、B住友(住友原子力工業、住友金属など)、C日立製作所、D富士電機(川崎重工など)です。巨大な電力会社もこの系列下にあり、一部のマスメディア、学者先生、文化人らも人類滅亡の死の産業の応援団に並んでいます……〉
 こんな主張は、反核運動というよりは、極左集団の政治スローガンのようです。……(37−38頁)


この国のバカが反対派に対して使う常套句。

「反日」「左翼」「極左集団」「非国民」。

日本のど田舎にはこうした言葉に怯えるひともまだまだいるのだろう。

 原子力に関する教科書の記述は、戦争のそれとよく似ている。一種の踏み絵になっているらしい。そして、これも戦争と同様に、踏み絵のハードルが年々高くされてきた。2004年に行なわれた前回の教科書検定でも、教科書会社8社の中学校「公民」教科書のすべてに検定意見がつけられ、修正されていた。〈東京書籍は申請時に「ヨーロッパで脱原発が進む」と記述したが、検定意見によって削除し、代替エネルギーに課題がある説明に変更。(中略)清水書院はチェルノブイリ原発の事故を本文から注へと扱いを小さくした。このように、原発の危険性を薄めたり利点を入れたりする修正が5点、自然エネルギーの課題を入れる修正が6点。要するに、原発は安全で自然エネルギーには課題ありと書かせたのである〉……(59頁)


安倍晋三というキモメンも、欧米諸国に対して、
「自由と民主主義の価値を共有する国」などとよく言う。

国家が堂々と検閲をしておきながら?

国家の最高法規を破壊しておきながら?

都合のわるい記述を強制的に修正させる。

これを普通、独裁国家と呼ぶ。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


A 五輪

五輪招致に熱心だった石原慎太郎(元都知事)。

彼らはこんなことを公然と述べていた。

石原 (前略)戦後憲法もそうした風潮の一つの要因になっているのだろうけれど、今日ほど子供も大人も個人が肥大化した時代はないと思います。個人がぶよぶよに膨れあがり、中身はすっからかん。同時に恐ろしいほど画一的になってしまった。特に若者がそうだ。(中略)

――なぜ、そうなったか。

石原 端的にいうと、60年間戦争がなかったからですよ。戦争がないのは有り難いことだけど、つまり国や社会全体が緊張した瞬間が一度もなかった。オリンピックで勝ちたいとか勝たせたいとか期待したことはあるけれど、そんなものは知れている。国全体が緊張したことは全くない。乱暴な言い方になるが、「勝つ高揚感」を一番感じるのは、スポーツなどではなく戦争だ。北朝鮮でノドンが開発されたと聞いた時、私は「いいじゃないか。1発日本に落ちたらいいんだ」と思った。もしそんな事態になったら、日本人は自分たちの稀薄さにすぐに気がつくはずですよ。(「石原慎太郎『中国に勝つ日本』」『週刊ポスト』2005年1月14日・21日合併号)(159−160頁)


その4年後。

同じ人物がIOC会長に宛てて書いた手紙がある。

 私は、少年として体験した忌まわしい戦争の余韻から解放され、国家を違えても世界は世界としてあり、民族を違えても人間は人間としてあるということを痛感しました。
 オリンピックは人間が作り出す劇の中で最も美しい。その感動がもたらすものは、人間の劇の中で最も崇高で比類なきものです。人間の競争心、闘争心は人間に活力を与えますが、しかしなお過剰な闘争心は要らざる摩擦を生み、時には大きな惨禍をもたらします。我々の行う競争の中で唯一人々の精神と肉体を高揚させるものはスポーツです。
 私の祖国日本は、第二次大戦の後自ら招いた戦争への反省のもと、戦争放棄をうたった憲法を採択し、世界の仲で唯一、今日までいかなる大きな惨禍にまきこまれることなく過ごしてきました。その日本でこそ、今日の動乱の世界に大きな反省を促し、民族の融和、国家の協調を担う大きなよすがとなるオリンピックを行うことは、世界の平和に大きな貢献ができるものと信じます。(160−161頁)


なんと白々しいジジイだろうか?

こんな大ウソつきがいまも日本の国会議員なのだ。

こんな人物を高く評価しているのが橋下徹であり、
極右団体の維新の会を支持している有権者なのだ。

日本人は、欧米に対しては、いつも腰を低くしてゴマをする。

そして、日頃ツバを吐きかけているはずの「理念」を持ち上げる。

中国や北朝鮮には好戦的な態度をとり、
韓国に対しても露骨な人種差別的態度をとりつづける日本人。

そんなひとたちがオリンピック招致に浮かれる。

そんなひとたちが、未来の世代に巨大な負債を背負わせる。

日本人は、モラルも恥の感覚も持たないのだろう。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


B 捕鯨

捕鯨問題に見られる日本のナショナリズムについて、
当ブログでは何度か批判してきた。

これからも続編を書く予定なのだが、
捕鯨問題になると日本人は「反捕鯨」に感情的に反発する。

「欧米だって昔は捕鯨大国だったじゃないか!」

「日本の捕鯨は欧米とちがって無駄なく利用するんだ!」


日本の捕鯨の立場は正しいと思い込んでいる。

 だが、ここに捕鯨黄金時代の濫獲ぶりを白日の下に晒した内部告発の書が存在する。鮎川(宮城県)や太地(和歌山県)の事業所所長を歴任し、その半生を沿岸での大型捕鯨に捧げた近藤勲氏(1927年生まれ)が2001年に自費出版した『日本沿岸捕鯨の興亡』(山洋社)。

 ちなみに北海道東沖漁場の抹香鯨は、かつて無尽蔵と言われた程であったが、昭和48年にはついに資源も枯渇し、同年度を最後に荒廃終息し、以後捕鯨を行なうことなく幕を閉じたことは前述の通りで、残された漁場は当時金華山沖と小笠原諸島沖漁場のみとなるに至った。なぜこれ程までに枯渇したのであるかを述べれば原因は無計画な営利のみを目的とした、ただ濫獲の一語に尽きる。
 また、日本沿岸の抹香鯨の正確な捕獲頭数記録は、昭和24年までの日本沿岸における捕獲成績(日本捕鯨協会)のみであり、昭和25年からは少ない頭数であれ隠滅が開始され、翌26年以降は益々エスカレートしていった。
(211頁)


捕鯨に携わっていた当事者による告発だ。

それだけではない。

 資源の枯渇に直結するので幼い個体の捕獲は禁じられていたのに、これを破っては、水産庁の監督官を誤魔化す行為も日常的に行なわれていたという。慌てたのは水産庁だ。IWCの年次総会で、「日本政府とは何の関係もない」と苦しい弁明を強いられた一幕が、関係者の間ではよく知られている。(212頁)


上の本の著者は、インタビューでこう答えている。

 「捕鯨の実態は闇に葬られているんです。マルハも日本水産も記録を消却してしまっている。私自身も濫獲の一員だったのですから、せめてわかる範囲だけでも、記録として残しておかなければならないと思った。何か目的があって書いたんじゃありません。
 捕鯨の仕事は楽しかったですよ。とても面白い時代でした。ただ、たくさん獲らなくちゃ生きられない時代でもあったんです。もっと少ない頭数でも商売になればよかったのですけどね。反捕鯨の流れは、結果的に正しかったのだと思います。鯨が本当にいなくなってしまったら、元も子もないのですから」(212頁)


もう一度言う。

これは当事者による証言である。

「反捕鯨の流れは結果的に正しかった」と述べている。

自分たちが行なってきたことを反省もせず、
ただ「捕鯨は日本の伝統文化だ」とわめいていられるのは、
日本人がナショナリズムという宗教にはまっているからである。

……鯨食は19世紀末までは九州北部など一部の地方に限られていたらしい。(213頁)


ご記憶の読者もいるだろう。

以前当ブログに絡んできた捕鯨信者たちは、
日本はすでに商業捕鯨の再開などできないとわたしが指摘したことに、
強く反発してみせていた。

では実際はどうか?

 現実にも水産業界は、とうの昔に南氷洋での商業捕鯨再開など諦めている。彼らが調査捕鯨に船団や乗組員を提供している「共同船舶」も、もはや完全な官営事業だ。「捕鯨に関わり続けること自体が世界の趨勢に反する経営リスクになりかねない」などといった理由で、各社とも保有していた株式のすべてを数年前までに手放してしまったためである(『日経産業新聞』2006年5月29日付など)。(214−215頁)


これと同じようなことをわたしはすでに指摘してきた。

結局のところ、「反捕鯨」に反発するだけの「反・反捕鯨」なのだ。

感情的な反発、子どもじみた反抗。

構造改革や安全保障のような、誰にとっても肝心要の分野では平身低頭の対米服従を喜んで受け容れている人々が、こと捕鯨問題についてだけは、アメリカやグリーンピースの独善に怒り狂ってみせる。別に鯨肉を食べたいわけでもないのに、メディアを通じて聞き知っただけの伝統文化論だけを拠り所に――。(216頁)


似たような構図は、捕鯨のほかにもある。

靖国問題だ。

だから、捕鯨問題は「海の靖国問題」なのだ。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


以上、3つのテーマを見てきた。

最後に、おまけでもうひとつの大事なテーマについて触れておきたい。

NPOについてである。

 特定非営利活動促進法(通称NPO=Non Profit Organization=法)は超党派の議員立法による法律だ。1998年3月に全会一致で可決・成立し、同年12月に施行された。その理念は同法の第1条に明らかだった。
 〈特定非営利活動を行う団体に法人格を付与すること等により、ボランティア活動をはじめとする市民が行う自由な社会貢献活動としての特定非営利活動の健全な発展を促進し、もって公益の増進に寄与することを日的とする〉
 NPO法人として都道府県や内閣府の認証を受けた団体は、各種の契約や土地の登記といった局面で権利能力の主体となることができる。代表者の個人名義を持ち出す必要がなくなるわけだ。税制面での優遇措置もあるので、団体にとってのメリットは非常に大きい。(116−117頁)


NPOが日本でも広がっていった。

これまでは政府や権力者が「公共性」を独占的に定義してきたが、
NPOは市民の側から立ち上げる「公共性」だ。

ようやく日本にも自律的・自立的な市民が登場したのである。

 NPO法の制定は、民間・非営利で公益的な活動を展開する人々の悲願だった。従来の公益法人制度は天下りの横行や行政の下請け化といった深刻な弊害を招いていた……。(117頁)


いわば「上からの公共性」に対抗する「下からの公共性」。

これが欧米に遅れること数百年、日本にもやっと浸透してきた。

2011年4月末日現在の認証NPOは4万2556団体を数える(内閣府HPより)。とりわけ保健・医療および福祉、社会教育、街づくり関連の分野での拡大がめざましい。(117頁)


ところが、である。

NPOといっても、いい団体ばかりではなかったのだ。

 「ひとつは非営利でも何でもないのにNPOの認証を取って、パブリック(公的)なゾーンで商売をしているだけの団体の増加です。介護保険など公共部門の官から民へのアウトソーシングが進んでいく過程で生じた流れと言えますね。極端ではありますが、「円天」と呼ばれた擬似通貨による詐欺容疑で摘発された会社が、トップの親族を理事とするNPO法人を設立して消費者を安心させていた例もあります。
 もうひとつは、相当数のNPOが行政の下請けと化してしまっている現実です。対等のパートナーとしての“協働”を謳いながら、実際には行政からの業務委託に依存して組織を維持しているNPOがあまりに多い。(117−118頁)


ある種のひとたちにとっては、
NPOといえばただちに「よい市民団体」というイメージに結びつく。

「NPOが広がることはよいことだ」。

「NPOの活動に期待したい」。


そんな素朴な見解が巷には少なくない。

むろん優れた活動を行なっている団体もある。

しかし日本の多くのNPOは、「隠れ蓑」か「下請け」だった。

……2000万円から4000万円の収入規模を有するNPOの収入内訳で最も割合が高いのは「事業収入」で75%。このうち80%は行政からの受託金だという。収入全体の60%は業務委託で稼がれている計算だ。
 続いて11%を占めたのが、これも行政からの「補助金・助成金収入」。自律のためにも確保したい「入会金・会費収入」と「寄付金収入」は、いずれも7%に過ぎなかった。ちなみに寄付金収入がゼロだというNPOが全体の54.5%にも達しているそうだ……。(118頁)


日本人の「お上意識」と「ずるさ」は、
そう簡単には崩れなかったということなのかもしれない。











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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
 まっ、今という時代は、所詮「商人の利益の為の政治の時代」に過ぎませんから。
山路 独
2014/05/12 02:20

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斎藤貴男『民意のつくられかた』(岩波書店) フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
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