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zoom RSS 宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2014/04/18 09:54   >>

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市場万能主義の神話が跋扈している。

民間にできることは民間に。

市場原理を導入して経済成長を。

規制緩和による経済発展を。

こんな単純なデマにひとびとは今も騙されつづけている。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「共有地の悲劇」という有名な話がある。

 1968年、生物学者のガーレット・ハーディン(Garett Hardin)が、『サイエンス』(Science)に、「共有地の悲劇」(“The Tragedy of the Commons”)と題する一文を寄稿した。それは、1833年、ウィリアム・ロイド(William Lloyd)という無名の人の書いた文章を引用して、共有地が必然的にそのキャパシティを超えて過剰利用され、再生の能力を失って、崩壊せざるをえないという命題を打ち出したものであった。(78−79頁)


どういうことだろうか?

ロイドによれば、こうだ。

共有牧草地の特徴として存在するすべての人々が利用する権利(共有権)をもつ。その結果、共有地は必然的に過密となり、牧草は枯渇し、牧草地は結局消滅してしまうことになると主張したのである。ロイドはさらに進んで、労働市場も同じような性質をもち、供給過剰となり、賃金水準の低下を惹き起こし、結局、労働者階級の窮乏を招来することを憂えたのであった。ハーディンの議論……何人かで共有している牧草地について、たとえ、これ以上利用すれば、その条件が著しく悪くなることが明らかになっていても、一人一人にとって、家畜をふやすことによって直接的に得られる限界的便益は、牧草地全体の条件が悪化することによってこうむる限界的被害より大きいかぎり、家畜の数をふやそうとするであろう。1頭の家畜をふやすことによって得られる限界的便益を1とすれば、牧草地の条件が悪化することによってこうむる限界的損失はその何分の1かになるのが一般的だからである。一人一人の個人が合理的行動をおこなっていても、全体としてみたときに、不合理な結果を生み出してしまうことになる……。(79−80頁)


むずかしく見えるだろうか?

要するにこういうことだ。

共有地というのは誰でも利用できる土地のことである。

そこで家畜を放牧しているとする。

あるとき、誰かが家畜を増やしてみようと考える。
それによって得られる利益も増えるからだ。

このとき彼の判断は「合理的」である。

家畜を10頭のままより15頭、20頭と増やしていけば利益が増大する。

するとほかのひとも同じように家畜頭数を増やしていこうとする。

共有の牧草地を利用するひとたちがみな家畜を増やしていく。

すると、牧草地の許容量を越えてしまい、家畜が草を食い尽くし、
結局はすべての家畜が全滅してしまう。

このようにひとりひとりが「合理的行動」をとっていくと、
全体的には「不合理な結果」を招いてしまうというのが「共有地の悲劇」だ。

この牧草地の荒廃は環境問題の比喩として捉えることもできる。

それぞれの国や企業が自分たちの利益を求めて行動していくと、
全体的には「不合理な結果」を引き起こしてしまうからである。

さて、普通はこの牧草地の荒廃の原因をどう考えるだろうか?

「私的利益」の過剰な追求が原因だ、と考えるだろう。

利益を求めて家畜を増やしたから牧草地が荒廃したのだと。

ところが「共有地の悲劇」はそれをひっくり返す。

むしろ資源の「私有制」が欠如していたからこそ悲劇が起きたのだ、と。

……共有権を分割して、私有制を導入することによって、費用と便益とをともに内部化することが可能となり、不確実性を減少し、個々人が環境に対してもつ責任の所在が明確化され、希少資源をより効率的に配分することが可能となる。共有地制度のもとでは、市場のメカニズムが十分に働くことができないのであって、私有化することによってはじめて、アダム・スミスのいう市場の「見えざる手」が働くことができるというわけである。(80−81頁)


共有地の悲劇は、共有地だからこそ生じるのだ。

その土地がもし自分の私有地ならば、
牧草を食い尽くしてしまうほど家畜を増やそうとはしないはずだ。

共有地の悲劇は、土地の私有化によってこそ解決されるのだ、というのだ。

 新古典派的発想に立って、「共有地の悲劇」を分析しようとする人々は、共通して、私有制か、あるいは国家権力による統制かという二者択一のかたちで問題を提起する。(81頁)


こうしてひとびとは、
「市場による自由」か「国家による統制」か、
という二者択一に迫られることになる。

だから「国家による統制」を嫌うひとびとは、
「市場による自由」に任せることがよいことだと思い込んでしまうのだ。

だが、この「共有地の悲劇」はウソである。

ここには「共有地」の概念に関して、ある前提条件が存在している。

第一は、いわゆるオープン・アクセスの条件であって、共有地は、だれでも自由に利用することができるという前提である。普通コモンズといわれている共有地は、ある特定の集団あるいはコミュニティにとって「共有」であって、その集団ないしはコミュニティに属さない人々にとって、コモンズはアクセス可能ではない。……
 第二の条件は、コモンズを利用しようとする人々は完全に利己的動機にもとづいて行動し、常に個別的な便益の最大を求め、社会的な行動規範ないしはコミュニティの規約には制約されないという仮定である。しかし、コモンズについては、その集団にないしはコミュニティに属している人々は、コモンズの利用にかんして、歴史的に定められたルールにしたがって行動することを要請されているのが一般的である。……
 第三には、コモンズの希少資源は必ず過剰に利用され、枯渇してしまうという前提条件である。(83頁)


これらの前提条件がそろってはじめて「共有地の悲劇」は成立する。

しかし実際にそのような共有地はほとんど存在しなかった。

歴史を学べば分かることである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


税金は安いほうがいいと言うひとがいる。

自分の稼いだ所得は自分のもの(所有物)だから、
そこから税金をたくさんとるのは不当だと言うひとがいる。

企業は自分たちの資源を利用して利益をあげているのだから、
国家は企業の経済活動を邪魔するべきではないと言うひとがいる。

だが、企業は独力で経済活動を営んでいるのだろうか?

自動車が走行するためには、道路が整備されていなければならない。

信号機や横断歩道が整備されていなければならない。

しかしながら自動車メーカーはそれらを建設しない。

トヨタは高速道路をつくらない。

日産もホンダも信号機をつくらない。

企業が必要とする労働者を雇うには、
労働者に、たとえば文字の読み書きからさまざまな能力まで、
多くの能力が求めらるだろうが、
これらの能力は企業が教育してきたわけではない。

労働者が身につけた能力というのは、
学校、家庭、地域、さまざまな人間関係のなかで育成された能力である。

企業は、いったい誰のおかげで商売ができていると思っているのだろうか?


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


こうした問題に取り組むのが本書である。

見えないコスト、見えない資源を、見えるようにする。

ここで重要なのが「社会的共通資本」という概念である。

 社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。
 ……自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の3つの大きな範疇……。大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、そして教育、医療、司法、金融制度などの制度資本が社会的共通資本の重要な構成要素である。(ii頁)


自然環境はみんなのものである。

自然環境も社会的インフラも制度資本も、
どれかが欠けていたら私たちは経済活動を営むことはできない。

逆に言えば、私たちも企業も、
これらの「社会的共通資本」を利用して経済活動を行なっているのである。

社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすものである。社会的共通資本は、たとえ私有ないしは私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。(4頁)


資本主義が絶対だと思い込んでいるひとびと。

所有の観念と神話に取り憑かれているひとびと。

そんな彼らが何をしてきたか?

……1986年から1990年にかけて……住専問題が生まれた……。東京、大阪をはじめとして全国の主要な都市で、大銀行が中心となって、不動産業者を使って、果敢に地上げを強行していった。……魅力的な町並みがいたるところで破壊……農山村では、ゴルフ場、リゾート開発の名目を掲げて、山林や農地の買収がなされていった。(199頁)


私有の論理が「社会的共通資本」を破壊してきた。

私有の論理が「コモンズ」を食い荒らしてきた。

彼らは、いったい誰のおかげで商売ができていると思っているのだろうか?

私有と所有の暴走を、
道徳の言葉でなく、経済の言葉で批判しているのが本書である。

とても重要な仕事である。







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