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zoom RSS 笠井潔『8・15と3・11』(NHK出版新書)

<<   作成日時 : 2014/04/15 00:38   >>

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本書のタイトルには「8・15」と「3・11」が並んでいる。

なぜか?

「8・15」も「3・11」も同じ原因から生じた大惨事だからである。

ではその同じ原因とは何か?

それについて考える前に、
著者は映画『ゴジラ』をめぐる議論からはじめていく。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ゴジラとはいったい何なのだろうか?

 制作者の田中友幸が映画「ゴジラ」の構想を得たのは、第五福竜丸の被曝事件からだといわれる。また監督の本多猪四郎は、「出征先からの帰還の途上で、原爆で荒野と化した広島を見ており、その経緯から水爆怪獣の映画を撮らなければという思いを持っていたのではないかと推測されている」。(15頁)


第五福竜丸事件が起きたのは、1954年3月1日。

つまり、今年からちょうど60年前の出来事である。

水爆実験によって被曝し巨大化したゴジラ、
この設定はおそらく誰でも知っているであろう。

だが『ゴジラ』にはいくつかの疑問がある。

 たとえば東京湾に上陸したゴジラは、銀座方面から都心に向かい国会議事堂を踏み潰したあと、隅田川方向に進路を変える。(17頁)


国会を踏み潰したゴジラは、
まるで皇居を避けるようにして方向を変えていった。

なぜか?

なぜ皇居を踏み潰さなかったのか?

それだけではない。

……「なぜ『ゴジラ』がその後、50年にもわたって、28回も作られ続けられなければならなかったか」……。(17頁)


1950年代といえば、日本が経済成長に邁進していく時代である。

経済白書が「もはや戦後ではない」と述べたのは1956年だった。

そんなとき、ゴジラが誕生したのである。

 そして……1954年、ゴジラは日本列島に上陸する。十年一昔のものとして忘れかけていた戦死者たちが怨霊・御霊と化し、「平和と繁栄」に向かう日本に襲いかかるという恐怖に、観客たちは戦慄したのではないか。(28頁)


「平和と繁栄」にうつつを抜かしはじめた日本人。

そんな日本人に怨霊のごとく襲いかかったのがゴジラだった。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


連合艦隊司令長官・豊田副武。

彼は、無謀な沖縄作戦に戦艦大和の兵士たちを送り込んだ。

 ……軍事的な意味のない沖縄作戦が「空気」による決定の産物だと指摘したのは、『「空気」の研究』の山本七平だった。山本は、「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時からああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思わない」という豊田の言葉を引用し、「彼が『ああせざるを得なかった』ようにしたのは『空気』であった」と評している。(51頁)


豊田は大和の将兵に、
「一億玉砕に先がけて立派に死んでもらいたし」と命じたという。

 大和の出撃は無謀だと主張した反豊田派には、「それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明瞭な根拠がある」が、豊田や小沢など沖縄作戦を推進した最高幹部には「データ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである」。ようするに「あらゆる議論は最後には『空気』できめられる。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない」。(52頁)


こうした極端な非合理主義は、むろん豊田ひとりのものではなかった。

 総理大臣の直轄機関である総力戦研究所は、1941年の夏に日米戦争の机上演習を行った。緒戦の優勢は期待できるが長期戦化は避けられない、圧倒的な国力の格差から戦局は逆転し、ソ連参戦によって日本は敗北するという机上演習の結果は、ほぼ正確に日米戦争の推移を予告していた。
 総力戦研究所による「日本必敗」の結論を知りながら、東条英機首相は対米開戦に踏みきる。東条は「人間たまには清水の舞台から飛び降りることも必要だ」と、また山本五十六は「是非やれと言われれば初め半年や一年の間は随分暴れてご覧に入れる」と近衛文麿に語った。日米戦争の回避という選択は排除され、日本は「無謀な戦争」に突き進んでいく。(53−54頁)


敗戦の現実を直視することができない。

危機管理能力も想像力も理性も欠落させている。

考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなるだろう。これが「空気」の国の習い性だ。(54頁)


これが日本社会に瀰漫していた病理である。

敗色濃厚な1945年の土壇場になって、ようやく日本はソ連に講和交渉の仲介を頼みこんだ。しかし、このときすでにヤルタ会談の密約で、ソ連は対日参戦を決定している。思いつきと場当たり的な戦争指導は迷走を重ね、他方で米軍の戦略爆撃は激化し、原爆を投下された広島と長崎をはじめ全国各地で戦災死者は激増の一途を辿った。(55頁)


「考えたくないことは考えない」。

「空気の支配」。

言うまでもなく、これは現在の日本社会にも浸透している病理である。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


3・11の福島原発事故でわたしたちはまざまざと見せつけられた。

日本は何も変わっていなかったのだ、と。

戦前の愚かさは何ひとつ変わっていなかったのだ。

日米戦争の経緯を簡単に見てきたが、一目瞭然といわざるをえないのは、戦争指導層の妄想的な自己過信と空想的な判断、裏づけのない希望的観測、無責任な不決断と混迷、その場しのぎの泥縄式方針の乱発、などなどだろう。これらのすべてが、2011年の福島原発事故で克明に再現されている。(87頁)


他国で深刻な原発事故が発生しても、日本人は学ばなかった。

自国の原発で事故が何度繰り返されても、日本人は学ばなかった。

経験から学ぼうとしないのも、ニッポン・イデオロギーの特性である。(89頁)


どうして日本人は学べないのか?

そこには当ブログが何度も指摘してきた「否認」の構造がある。

 無条件降伏による歴然とした敗戦は、「終戦」という曖昧な言葉に置き換えられた。ここには、魯迅が描いた阿Qの奴隷根性が再現されているようにも見える。貧農の阿Qはいかに虐げられてもみずからを勝利者と思いこんだが、少なくとも中国人は抗日戦争の道を選んで最後まで戦い抜いた。敗北を敗北として認めることから抵抗は開始されうる。なにしろ敗けていないのだから、日本人は抵抗する必要などないというわけだ。こうした絶妙の自己欺瞞こそ、ニッポン・イデオロギーの精髄である。(90−91頁)


「敗戦の否認」についてはあらためて記事を書くつもりだが、
この病理に冒されていたのは戦争指導者だけではなかった。

 たんなる一国民でも、アジア侵略という戦争の実態に完全に無知だったわけはない。日本軍による中国戦線での虐殺や強姦の事実を、多くの日本人は漠然とながら知っていた。米軍の進駐に備え、都会の婦女子を田舎に逃がすというような事例が8・15直後に多かった事実が、それを裏づけている。(94−95頁)


日本の一般国民も同罪だったのである。

 8・15を迎えた日本人の多くが、緒戦の戦果に酔いしれていた数年前のことを忘れはて、軍国主義者に騙されていたという類の泣き言を口にしはじめたのも、同じようなニッポン・イデオロギーによる。(102頁)


「悪かったのは一部の軍国主義者だ」という泣き言。

「天皇は平和主義者だった」という寝言。

そして「近代日本は民主主義の国である」という妄想。

日本人は骨の髄まで腐敗しているのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


当たり前のことだが、日本人が自覚していないことがある。

見たくない現実を否認してみせたとしても、
現実から自由になれるわけではない。

不都合な現実が消えてなくなるわけでもない。

 敗戦の事実を「終戦」といいくるめ、瑣末な法解釈で無条件降伏の現実を「有条件」だったと信じることで、日本人は愚かな自己肯定と卑小な満足感を得たにすぎない。惨めな現実から目を背ける自己欺瞞と理念的保身は、その代償として、さらに惨憺たる第二の現実を招きよせてしまう。(132−133頁)


その惨憺たる第二の現実の最たるものが、「8・15」と「3・11」だった。

一方では「日本は唯一の被爆国」などと言い募り、
他方では「原子力の平和利用」などと平然と言ってのける。

考えてみると支離滅裂なのに、なんとなく戦後日本人には通じてしまう点で、「唯一の被爆国である日本人こそが、“平和利用”の先頭にたたなければならない」は、毎年「終戦の日」に繰り返される「戦没者の貴い犠牲によって、戦後の平和が築かれた」とも、原爆死没者慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」とも共通する。(160−161頁)


この支離滅裂も日本人の特性である。

……「唯一の被爆国である日本人こそが、“平和利用”の先頭にたたなければならない」は、日米双方の軍事利用の思惑を見すごし、結果的に黙認するイデオロギーとして機能してきた。(161頁)


福島の原発事故は、もはや「なかったこと」にされようとしている。

「見たくないことは見たくない」。

「考えたくないことは考えない」。

 事なかれ主義、問題の先送り、既成事実への屈服、責任回避、などなどという軍国主義者の精神形態は、福島原発事故を惹きおこした原子力ムラの住人たちにも忠実に継承されている。(182頁)


いや、原子力ムラの住人だけではない。

日本人全体が軍国主義者の精神形態をそっくり受け継いでいるのである。

いったい、この国のひとびとに、中国や北朝鮮を嗤う資格があるのだろうか?








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