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zoom RSS 大島堅一『原発のコスト』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2013/04/09 15:18   >>

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放射能関連の報道が、すっかり消えてしまった。

中国で発生しているPM2.5には大騒ぎするのに。

放射能汚染のニュースはほとんど聞かれない。

そのおかげで「原発事故は終わった」と思い込んでいる日本人がいる。

と思ったら、汚染水をお漏らししているニュースが入ってきた。

でもこれは福島第一原発敷地内の話として処理され、
国内に広がる汚染の問題はやはり消し去られている。

「アベノミクス」報道に浮かれ、原発事故は過去のものとされつつある。

 福島第一原発事故による放射能の放出量は莫大である。半減期が長いセシウム137は、保安院が6月6日に再評価したところによれば1京5000兆ベクレルあった。広島原爆では89兆ベクレルであったから、その169発分に相当する量である。(11−12頁)


この一節を読むだけでもめまいを覚える。

原爆は、アメリカが投下したものだ。

だが原発事故は、日本人自身が招いたものだ。

原爆169発分もの放射性物質をなんと自分の国に撒き散らした。

それがわが日本人である。

さすが自称愛国主義者たちである。

日本では一般市民(放射能を扱う職業についていない一般人)の、自然被曝と医療被曝を除いた年間の被曝量の限度は1ミリシーベルトで規制されている。(17頁)


これが一般市民の規制だった。

原発で働く労働者には、別の基準が設けられていた。

……原発労働者に対しては、法令にもとづいて被曝量に関する基準がさだめられていた。被曝量の基準値は5年間につき100ミリシーベルトを超えず、かつ年間50ミリシーベルトを超えないようにしなければならない。また女性は3カ月あたり5ミリシーベルトまでとされている。(23頁)


ところが、この規制は守られていない。

……3月25日に東京電力の下請け企業作業員の3人が3号機タービン建屋内で高濃度のたまり水に足をいれてしまい、うち2人がベータ線熱傷の疑いがあるとして病院に搬送されている。(22頁)


ちなみにこの「足の写真」がネット上に出ている。

ぜひ探して実際にご自分の目でご覧いただきたい。

相当にショックを受けると思う。

規制を守れないとなって政府が何をしたかというと、
何と基準値そのものを引き上げてしまったのである。

ところが、事故直後の3月15日に、原子力緊急事態宣言がだされた日から解除までの間、「特にやむをえない場合の措置」の「特例」として、年間250ミリシーベルトとすることが政府によって決められた。(23頁)


改憲派のやり口とまったく同じである。

戦力不保持の規定を守れないから憲法そのものを変えてしまおう、と。

規制が守れないなら規制そのものを緩和してしまえ、というわけだ。

しかしながらこの新たなゆるゆるの基準すら守るのが困難のようだ。

早くも4月27日には、福島第一原発で業務を行っていた女性従業員の1人が女性労働者の限度を超え、18ミリシーベルトになっていることが発覚した。また5月28日には、年間250ミリシーベルトを超える可能性がある労働者が2人にいることが東京電力によって明らかにされた他、その後も次々に労働者被曝の実態が明らかになった。(23−24頁)


労働現場ではこのようなことが起きている。

では、一般市民の方はどうか?

 国の原子力災害対策本部は、2011年4月19日に、「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用における暫定的な考え方」を作成し、その中で、年間被曝量にして1〜20ミリシーベルトを学校や幼稚園・保育園などの利用判断の基準とした。つまり、緊急時とはいえ、平常時の一般市民に対する基準である1ミリシーベルトの20倍までは利用可能とする判断基準をしめしたのである。(32頁)


ここでも同じことをしたのである。

しかも子どもに対してもこれまでの20倍の放射能を許容したのだ。

いったいこの国はどんな国なのだろうか?

日本人とはいったいどのようなひとびとなのだろうか?

さすが自称愛国主義者たちである。

 この文科省の方針については、特に福島県の子どもをもつ親から強い反対運動があった。これを受け、文科省は方針を事実上撤回し、8月28日には新たに「福島県内の学校の校舎・校庭等の線量低減について(通知)」を出し、学校において児童生徒が受ける年間被曝量を1ミリシーベルトとし、毎時1マイクロシーベルトを校庭・園庭の空間線量率の目安とするとした。……
 とはいえ、新しい目安において示されている年間1ミリシーベルトという被曝量は、学校などの施設にいる時間だけを対象にしたもので……実際、毎時1マイクロシーベルトを1年間に換算すると、1×24時間×365日=8.76ミリシーベルトになってしまう。(33頁)


母親たちの必死の抗議は、ネット上では注目されていた。

例えば飲料水の基準をみると、放射性ヨウ素はWHO飲料水水質ガイドラインの300倍に相当する。また食品中の放射性セシウムは、チェルノブイリ原発事故後の食品輸入の制限値1キログラムあたり370ベクレルを超えた500ベクレルである。(34頁)


政府は国民の命など決して守らない。

愛国主義者はひとの命など何とも思っていない。

戦争のときに学んだはずではなかったのか?


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


もし私たちが誰かを傷つけたら、その罪を償わなければならない。

企業が事故を起こしたら、被害者に賠償しなければならない。

これを否定するひとはいるだろうか?

右派・保守派のなかにはこれさえ否定するひとがいるが、
普通はそうは考えないものだ。

原発事故についても以前から損害補償制度が定められていた。

原賠法である。

ところが、驚くべきことに、そこにはこんな記述が忍び込んでいる。

 原賠法は、事業者に対する無過失責任を課しているが、例外的に免責される場合がある。……

   第3条(続き) ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない。(55頁)


今回の東日本大震災は「異常に巨大な天災地変」だから、
東京電力は賠償しなくてもいいということだろうか?

原賠法においては、プラントメーカーなどは製造物責任法の適用除外とされ、故意の場合を除いて原子力事業者から求償されることもない。(59頁)


なんとメーカーまで責任を問われないというのである。

どうしてこのような信じがたい規定が入ったのか?

どうやらアメリカの要請によるものだったようだ。

原子炉を日本に輸出したアメリカ側が、
メーカーの責任を免除するよう強く求めていたというのである。

ここでも日本の保守政権のおなじみの体質が明らかになる。

アジア諸国には傲慢で、アメリカには卑屈なほど隷従するのだ。

さすが日本人である。

さすが自称愛国主義者である。

損害賠償の原則について、その意味が本書では詳しく説明されている。

その他の企業不祥事について考えるのにも参考になる。

ここでは次の点を確認しておきたい。

 ……損害賠償を資金の側面から確実にするために、原子力事業者には賠償措置をとることが義務づけられている。具体的には、「原子力損害賠償責任保険」(責任保険)の契約と、「原子力損害賠償補償契約」(補償契約)の締結である。(61頁)


なぜ保険に入っていないといけないのだろうか?

原子力事業者が事業を行うにあたって、保険の締結を義務づけるということは、自動車を所有する人が自賠責保険の加入を強制されていることと似ている。通常、原子力損害が起こると、原子力事業者は責任保険によって賠償する。なぜこのような仕組みがあるのか。それは、巨額の賠償リスクを、経常費に落とし込むためである。こうして、損害賠償のリスクが大きくても、原子力事業者はそのために倒産するというようなことに陥らずにすむ。(61−62頁)


では今回の事故の場合、責任保険と補償契約から賠償金が支払われるのか?

 ところで、福島第一原発事故の場合は、責任保険から保険金が支払われることはない。というのも、責任保険は、噴火や地震、津波の場合は免責とされているからである。(62頁)


なるほど。

ここでもちゃんと免責されているわけだ。

 補償保険は、責任保険が適用されない原子力事故が起こると発動される。この場合、損害賠償を原子力事業者が行った後、その額を国に請求し、国がその額を填補する。(62頁)


つまり、深刻な事故を引き起こしても、国が補償してくれるのだ。

国が補償するというのは、われわれの税金で賄うということである。

電力会社の無責任体質は、
こうした仕組みによって生み出されたものだった。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


本書の著者大島堅一を有名にしたのは、
「原発のコスト」を明らかにしたことだった。

かつて原発推進派は、「原発は発電コストが安い」と言っていた。

それが原発を正当化する根拠のひとつになっていた。

政府が発表していた各電源コストの例は次に通りである。

・ 太陽光:49円
・ 風力(大規模):10〜14円
・ 水力(小規模除く):8〜13円
・ 火力(LNGの場合):7〜8円
・ 原子力:5〜6円
・ 地熱:8〜22円

(単位:円/キロワット時)(82頁)


なるほど、これを見ると原発はコストが安いように見える。

では本当にそうなのだろうか?

発電コストはまず基本的に3つに分けて考えられる。
 第一に、「発電事業に直接要するコスト」である。これは、減価償却費(資本費)、燃料費、保守費などからなる。……
 第二に、政策的誘導を行う場合の追加的コスト……「政策コスト」……。これは、@技術開発コストと、A立地対策コストからなっている。
 @の技術開発コストには、……高速増殖炉や核燃料サイクル技術……などに関するコストも含まれる。(98−99頁)


原発推進派には高速増殖炉をコストに入れることに異論があるらしい。

だが著者はこれについてきっぱりと反論する。

 高速増殖炉開発などを発電コストに含めて計算すべきでないという主張もあるが、国民的観点からすればこの指摘は適切ではない。高速増殖炉を中心とする新型炉開発および再処理技術のコストは技術開発コストの典型である。日本政府は、これまでのところ、使用済燃料からプルトニウムを取り出し、将来的には高速増殖炉でこれを利用することを政策目標としてきた。高速増殖炉開発は失敗と計画目標の遅延の繰り返しの歴史で、開発開始以来何十年もたつが、一向に実用化のめどがたたない。実に無駄なコストが国費から拠出されている。これを含めないとすれば、それは意図的に原子力開発のコストを過小評価することにつながる。高速増殖炉開発を含む技術開発コストも、原子力発電推進政策を実現していくためにかかっているコストであり、現実に国民の財布たる国家財政から支払われているのである。このような技術開発コストは本来ならば民間事業者が捻出して支払うべきものである。そうすればそのコストは最終的に製品・サービスに転嫁され、見えるコストになる。原子力の場合、これを国家財政に肩代わりさせ、国民の目に見えにくくしている点が問題である。
 Aの立地対策コストは、電源三法(電源開発促進税法、特別会計に関する法律〔旧電源開発促進対策特別会計法〕、発電用施設周辺地域整備法)に基づく各種の交付金が中心となっている。(99−100頁)


政府は立地対策費用をコストに含めないという考えらしいが、
これについても著者はきっぱりと批判している。

……仮にこれをコストでないとみるなら、交付金抜きに原子力開発を進めなければならない。(100頁)


きわめてまともな指摘である。

原発事故をキッカケに、カネの力で地域をねじ伏せてきた手法は、
多くのひとびとによって知られることとなった。

政策立地コストの中心は、あの「電源三法交付金」である。

 自治体は、環境影響評価の対象になった翌年度からこれらの交付金の対象となる。建設期間を10年ととった場合、運転開始までに449億円が自治体(交付金によって市町村に入るものもあれば県に入るものもある)に交付される。これ以降は、地元自治体には主に固定資産税を中心とした税収がもたらされる。運転開始後も年間20億円程度の交付金がだされ、運転開始後30年をこえ、原発が老朽化すると新たに原子力発電施設立地地域共生交付金が追加され、30〜34年目は30億円程度が自治体に入る。これらをすべて合計すると、原発1基あたり1240億円が45年間の間に交付される。
 電源三法交付金は、電源開発促進税(電促税)を財源としている。電促税は、電気料金にかけて徴収されるため、財政需要がなくても資金的には毎年確保される。そのため、立地が進まない時期には予算が余り、1980年代には、予算消化率が3割合を記録したほどである。予算消化率の低さは、次第に解消されていったが、それは交付金の使途を拡大したことによる。特に2003年度からは地場産業振興、コミュニティバス事業、外国人講師の採用による外国語授業まで支援の対象となった。(108−109頁)


これは決して過去の話ではない。

 例えば、中国電力上関原発をめぐっては、未着工である現段階ですら立地白治体である上関町(人口3550人)に対し、1984年〜2010年度の期間に総額で約45億円交付されている。これを利用して、海を目の前にした自然豊かなこの地の小学校に室内プールがつくられた。また、温泉施設(総工費9億円)や総合文化センター(総工費12億円)が交付金(原子力発電施設等立地地域特別交付金)を財源に建設される予定であった(2011年11月に見送り)。このように、小さな自治体に巨額の交付金が流れ込んだ結果、上関町の2011年度一般会計当初予算歳入(約44億円)のうち、税収部分は歳入の5%ほどにすぎない(約2億2400万円)のに対し、原発がらみの歳入はおよそ3分の1(約14億円)を占めている。これは、中国電力の上関町への巨額の寄付金(2007年以降24億円)とともに、原発受け入れの原動力となっている。(109頁)


そして次に3つめ。

 以上に加えて、第三に、「環境コスト」が含まれなければならない。……環境破壊を通じて第三者が負担しているコストのことである。例えば火力発電についていえば、二酸化炭素排出によって生じる地球温暖化問題への対策費用、原子力発電について言えば、……事故被害と損害賠償費用、事故収束・廃炉費用、原状回復費用、行政費用である。(100−101頁)


原発の場合、事故が発生したときの被害が甚大である。

こうしたことを考えれば原発のコストは安いなどというのは、
すぐにウソだと分かるようなものだと思うのだが、
多くの日本人はこのウソにいとも簡単に騙されてきたのであった。

まとめると、こうなる。

発電コストには主に次の3つがある。

・ 「発電事業に直接要するコスト」
・ 「政策コスト」
・ 「環境コスト」


そこで著者は、発電に直接要するコストと政策コストの計算をし直した。

すると次のような結果になったという。

・ 原子力:10.25
・ 火力:9.91
・ 水力:7.19
・ 一般水力:3.91
・ 揚水:53.07

(単位:円/キロワット時)(112頁)


揚水は原発とセットだから、
これを見れば原子力がいちばん高いことが分かる。

しかもこれは上記の2つのコストの計算だけであって、
それ以外のコストは含まれていない。

たとえば、政府が過小に見積もっている「事故コスト」がある。

さらに「バックエンドコスト」がある。

 バックエンドコストとは、核燃料を使用した後に残る使用済燃料の処理・処分コストである。(115頁)


核のゴミの処理費用である。

 高レベル放射性廃液は、強い放射能を帯びた液状の廃棄物で、このままでは扱いが難しいので、ガラスに混ぜて固化体にする。できあがった廃棄物をガラス固化体という。その放射線量は、固化体ができた直後は毎時1万4000シーベルトで、近くに人間がいれば瞬時に致死量を超える被曝をするほどである。……例えばネプツニウム237は半減期約214万年、ジルコニウム93は半減期約153万年である。(116頁)


いったい数百万年も後までのコストをどうやって負担するというのか?

日本列島がいまのような形になって、まだ3万年だという。

それよりもはるかに長い期間の管理と負担が必要なのだ。

東京電力は100万年後も存続していると思っているひとがいるのか?

日本政府が100万年後も存続していると思っているひとはいるのか?

こうしたことを考えれば、原発のコストが安いはずがない。

誰でも少し考えてみれば分かりそうなものだ。

日本人は合理性に欠けている、ということだ。

合理的にモノを考える能力に欠けている、ということだ。

そんな日本人が、いまも、世界中に放射能を撒き散らしているのである。

本書もオススメである。

文系のひとたちにも読んでほしいものである。









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