フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 大熊一夫『ルポ・精神病棟』(朝日文庫)

<<   作成日時 : 2011/06/05 06:27   >>

トラックバック 1 / コメント 0

新聞記者の著者は、酒をかなり酔うほど飲んだ。

無類の酒好きだったから、ではない。

落ち込むようなことがあったから、でもない。

アル中だったからでもない。

アル中患者を装うためである。

彼はそのまま妻と友人に付き添われ、精神病院に向かった。

「病状」を適当に説明すると、診察した医師はただちに入院を決定した。

1分足らずの診察で、ニセのアル中患者は重症患者と診断されたのである。

著者は精神病院のなかでいったい何を見たのだろうか?

本書は、著者がアル中患者を偽装して精神病院に入院した衝撃の潜入ルポである。

3週間の取材のつもりが、12日目で精根尽き果てたという。

精神病院とはいったいどのようなところだったのだろうか?

これほど恐怖を感じさせる話があるだろうか?

昭和45年(1970年)に朝日新聞紙上で連載された記事がもとになっている。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


放りこまれた保護室は、コンクリートに囲まれた広さ3畳ほどの部屋だった。

鉄格子入りの窓に、べっこう色に変色した畳。

フケだらけのふとん。

部屋のすみに便所の穴があり、そこから絶えず臭気が吹き上げてくる。

隣りの部屋には、便所の穴からすくった水で顔を洗う老人がいた。

彼は外出を許されないため、便所の水を飲んでいた。

廊下には汚物にまみれた下着やおむつが山積みにされ、異臭を放っていた。

入院して6日目。

著者は大部屋に移された。

日本医師会の武見太郎会長(当時)は、こう言ってのけている。

「精神病院の経営者は牧畜業者と同じである」と。

入院したら最後、そこには地獄が待っていた。

病院なのに医師との接触はほとんどなく、退院時期も分からない。

逃げようものなら壮絶なリンチが待っている。

……ここは「病院」の名をかたる「人間の捨て場所」であった。(10−11頁)


ときおり回診があった。

医師と接触できる数少ないチャンスだ。

「かいしーん」という声が聞こえると大部屋の患者たちが壁を背に正座する。

そこへ非常勤医師、看護師ら5人を従えた副院長がやってくる。

癲癇の青年の前で彼が立ち止まる。

「どうだね」

「はーい。風邪もひきません。癲癇も置きませーん。くすりもよく飲んでいまーす」


つぎに白髪のアル中患者の前で立ち止まる。

「あなたは、こういう病院、もう何回目ですか」

「8回目です」

「何が悪いんでしょうねえ」

「意志が弱いのだと思います」

「だれかに意志でも借りてきますか。ファッファッファ」(45頁)


これが回診のときの光景である。

ほんの10分ほどで終わったという。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


患者たちが「電パチ」と呼んで恐れているものがあった。

患者のこめかみに電極を当て80〜110ボルトの電流を数秒流す。

患者は失神し、強い痙攣を起こす。

「電気ショック療法」のことである。

「電パチ」の様子については、本書を読んでいただきたい。

あまりの恐ろしさに夜も眠れなくなるかもしれない。

患者の間で使われている別の隠語に「スイカ割り」がある。

いわゆる「ロボトミー手術」のことである。

前頭葉の神経線維を切り、患者の性格を変えるという手術だ。

 精神科医が、患者を前にして「なんとかしなければならない」と考える気持ちもわからないではない。しかし、それならば、スリを更正させるには手を切ってしまえば“なおった”ことになるだろうし、詐欺師は舌を抜いてしまえばいいことになる。でも、それは許されていない。(216頁)


この手術はポルトガルのモニスが1936年に始めたという。

モニスは1949年ノーベル医学賞を受けたという。

世界中でロボトミー手術が行なわれ、多くの「廃人」を生み出した。

「異常者」は「治療」して当然、と言われるかもしれない。

だが、精神病院へ送るべき「異常者」と見なされるのは、いったい誰なのか?

つぎの記事(『朝日新聞』昭和47年5月22日付)を読んでみてほしい。

未婚の母は精神病院へ

隔離され半世紀 英で2人が犠牲


 英国ヨークシャーの精神病院に、全く正常な女性2人が50年間も収容されていたことがこのほど明るみに出て、センセーションを巻き起こしている。収容の理由は「私生児出産」。――道徳のきびしかった今世紀初頭の英国の慣習と法律の犠牲者だった。
 2人の女性はドンカスターの聖キャサリン病院に入れられていたルシー・ベーカーさん(74歳)とアニー・キトソンさん(66歳)。ことし初め2人の出身地デュースベリの社会福祉局長フランク・シェリング氏が調査の結果発見、地元の道徳福祉協会の年次総会で発表した。2人の女性はすでに退院、デュースベリの施設に移された。
 ベーカーさんは1921年、キトソンさんは1928年にそれぞれ聖キャサリン病院に収容され、一生の大部分を精神病患者として過ごしたわけだ。2人はいずれも若い娘時代に“あやまちを犯し”、子供を産んだ。両親の届けを受けた当局は“全く合法的に”同病院に収容した。
 1913年の精神欠陥法により私生児出産は「道徳的欠陥」として強制的に精神病院に送ることになっていたからだ。生まれた子供の運命は全くわからない。……
 この種の被害者は英国全土でまだ数千人もいると推定されている。……(228−229頁)


未婚の母が出産することは、精神病院へ送られる十分な理由になった。

道徳に反する行為だったからだという。

「政治犯」や「思想犯」も精神病院へ送り込まれ、
薬物治療やロボトミー手術の対象にされてもおかしくない。

そのとき、「異常」のレッテルを貼るのはいったい誰なのだろうか?

つぎの発言を読んでほしい。

「遺伝病に苦しむ人々によって生じる経済的負担は、国家および社会に対して危機を醸成しております。200万人のアル中患者と約400万人の精神病患者の出費を除外しても、彼らの看護に充当するためには、全部で3億100万マルクの出費が必要であります。間もなくあらゆる国々は、その国力が国民の精神と血液の純粋さに存することを理解するであろうとわれわれは確信するしだいです。平穏な生活の唯一の保証は、血と血を区別することにあります。われわれは、みずからの生存にとってもまた他人の生存にとっても危険な精神障害者や、自分のからだを清潔にしたり、自分自身で食べることもできぬ白痴が、多大の努力と莫大な出費をひきかえに育てられ、扶養されることは、意味がないと考えます。自由な自然においては、これらの被造物は生存することができず、神の法によって殲滅されるでありましょう」(232頁)


金額の単位のところでドイツの話だとすぐに分かっただろうと思う。

これはナチ党会議(1934年)でのワグナー保健相の演説だという。

だが、ウルトラ右翼の渡部昇一も言いそうな内容である。

麻生太郎も似たようなことを言いそうである。

ナチスにとってアル中や精神障害者は殲滅の対象だった。

ユダヤ人もシンティ・ロマも共産主義者も殲滅の対象だった。

 昭和20年6月、敗戦が間近に迫っているとき、大阪陸軍司令官は「食糧が足りず本土が戦場になるから、老幼者と病弱者は皆殺す必要がある」と語ったという……。(235頁)


もう一度問うてみよう。

彼らに「異常」のレッテルを貼るのはいったい誰なのだろうか?


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


じつはいまも多くの医療従事者の間で精神障害者は蔑視されている、と聞く。

本書には、あまりに恐ろしいことがたくさん書かれていて、
その多くを紹介しきれない。

ぜひ本書を直接読んでいただきたい。

著者はその後退院することができた。

そしてルポを発表した。

だが、多くの患者はそのまま病院のなかに置き去りにされていた。

彼らは何を言っても、何を叫んでも、誰にも聞いてもらえなかった。

なぜなら彼らは「異常者」だったからである。

ところで、本書で興味深いのは、このルポの反響を紹介した部分である。

衝撃的な記事が公表されると、たちまち著者のもとに非難が寄せられたという。

どのような反響と非難があったかについても本書で報告されている。

送られてきた手紙を紹介し、著者はそれらにていねいに反論している。

たとえば、著者が実際に体験したから精神病院の実態を告発しているのに、
決まってこういう「非難」が浴びさせられる。

「一部の悪徳病院を誇大に取り上げているにすぎない」

「ほかの一生懸命に働く病院関係者に対して失礼だ」


いかにもありそうな声である、と思う。

社会的に大きな問題が起きると、この種の「反発」が決まって出てくる。

現在の原発事故でも、これらとそっくりの「反発」が見られたではないか!

「不安を煽るな、事故の影響を誇張するな」

「大多数の東電社員はまじめに働いているのです」


こうした「反発の声」があちこちで聞かれたではないか!

でも「反発」してみせるご当人はその呆れるほどの「凡庸さ」に気づかない。

彼らには地獄の底に突き落とされたひとびとの叫びは聞こえない。

この反響に関する記述を読むと、日本人の恐るべき姿に戦慄する。

当時の日本人の姿と、それがいまも変わっていないことに、である。










テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
斉藤道雄『治りませんように』(みすず書房)
「べてるの家」は何を問いかけているのか? ...続きを見る
フォーラム自由幻想
2011/06/19 04:11

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大熊一夫『ルポ・精神病棟』(朝日文庫) フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる