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zoom RSS 斉藤道雄『治りませんように』(みすず書房)

<<   作成日時 : 2011/06/19 04:11   >>

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「べてるの家」は何を問いかけているのか?

わたしたちに何を問いかけているのか?

この問いに真摯に向き合ったのが本書である。

当ブログをはじめて訪問された方は、過去の記事を先にお読みいただきたい。

● 「大熊一夫『ルポ・精神病棟』(朝日文庫)

● 「『精神異常』の世界

● 「浦河べてるの家『べてるの家の「非」援助論』(医学書院)

● 「斉藤道雄『悩む力――べてるの家の人びと』(みすず書房)

そのあとで以下の記事をお読みいただきたい。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


患者は浦河に来て病気が治るわけではない。

病気をくり返し、そのなかで生きていく。

くり返しながら、病気を治すというよりは、病気を生きることを学ばなければならない。なにしろ統合失調症は、かんたんに治る病気ではないからだ。治ったと思っても再発する。もういいと思ってもまた引きもどされる。そこで治そう治そうと必死になっても、そのこと自体がいつしか病気をよびこむというややこしい疾患だ。(9頁)


症状に振り回され、重苦しさを抱えて生きていかなければならない。

しかしそうであるからこそ人はそこで、いかに治すかではなく、いかに生きるか、なんのために生きるかを問われるのである。そして浦河の地でべてるの家の人びとが積み重ねてきたことは、そのような重苦しさや絶望感に打ちひしがれ、弱さとみじめさを思い知らされ、怒り、引きこもり、爆発し、逸脱しても、そのありのままをことばにし、仲間に語り、ひたすら聞きまた語りつづけることによって、人は人とのつながりを取りもどし、生きてゆけるということだった。いや、生きてゆけるだけではない。深い森のようなことばの広がりのなかで熟成され、病気がもたらす苦労はいつしか暮らしの一部となって、豊饒の物語へと編みこまれてゆく。(9−10頁)


しばらくして症状が安定してくることがある。

すると、自分はもう治ったのではないか、と思いはじめる。

「健常者になりたい」、そう思う自分がいる。

彼らの多くが、薬を飲んでいては健常者になれないと思い、あるいは自分はもう健常者なのだと思い、またそう思いたくて薬をやめている。そしてほとんど例外なく、再発や悪化を経験している。
 べてるの家の人びとは、だれもそれを止めようとはしない。薬をやめるのは本人の生き方であり、その結果がどうなるかは本人が引きうけるべき問題だからだ。その結果をあらかじめ予測してやめさせるのは、本人の生き方を奪うことになる。失敗する自由を奪わないというのは、べてるの家にかかわるものの基本的な作法でもある。そのような場におかれてはじめて、失敗は本人が担うべき苦労として、じつに人間的な苦労として、本人に還元されてゆく。そしてまたそうした当事者の苦労が、しばしばゆたかなエピソードを生みだし、語り継がれ、物語となることによって、有機体としてのべてるの家を不断に再生しつづけてゆく。(71−72頁)


病気を生きること。

その苦労を引き受けること。

弱さを抱えながら生きていくその姿は、劇的な世界観の転換をもたらす。

精神障害を抱えていないひとたちに世界観の転換をもたらすのである。

わたしたちも仕事で苦労する。

職場や学校の人間関係にも苦労する。

子育てにも苦労し、恋愛にも苦労する。

苦労を生きていないひとはいない。

そう考えたとき、健常者と障害者の区別はあいまいになっていく。

でもなぜ健常者は薬を飲まなくても破綻しないのだろうか?

アルコールでしばしの気晴らしができるからか?

消費文化のなかで感覚を麻痺させているからか?

おのれを欺くことに健常者の方が長けているのか?

病気になることも許さない社会があるからなのか?

むしろ向こうからこちらを見たとき、異常で混乱し、人間性を喪失した世界はどちらと見えるのだろうか。もしもそこで、感情をすりつぶして生きているのが健常者といわれる人びとであるならば、健常者とはいったいなにものなのだろうか。(80頁)


そういえば、この社会はほんとうに正気か? と問うたのはE・フロムだった。

そして、ずいぶん前にわたしは漫画家のつげ義春のことにも触れた覚えがある。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


浦河で28歳の青年・竹内さんが亡くなった。

彼は浦河赤十字病院に入院していた統合失調症の患者だった。

ある日、病室で寝ていたところを知り合いの患者に襲われた。

包丁で何カ所も刺され、間もなく死亡が確認された。

病院関係者は記者会見にのぞみ、記者からの厳しい質問にさらされた。

記者たちがもっとも問題にしたのは、包丁の管理だった。

容疑者はどうやって包丁を手に入れたのか?

なぜいとも簡単に「精神障害者」の手に渡り、病院に持ち込めたのか?

持ち物検査をしないのか?

管理責任はどうなるのか?

容疑者をただちに拘束しなかったことも批判の的にされた。

批判、というより非難の数々は、「包丁が自由に買えるような管理」だの「野放しの外出許可」に向けられ、「検査を強化しろ」「金属探知機の導入を」と求める声、さらには「全国からヘンな人を集めていい気になっているからこんなことが起こるのだ」と、べてるの家への妬みともいえるようなものまでまじっていた。(87頁)


このとき、ひとりの患者が医師に声をかけてきたという。

「先生、人間って死ぬものだぞ」


わたしはこれを読んだとき、目頭が熱くなった。

おそらく多くの読者はこれを聞いて反発するにちがいない。

人命軽視で事の重大さを認識していないのではないか、と。

そうではないのだ。

この言葉はそういう意味を語っているのでは絶対にないのだ。

この不器用な言葉のうしろには患者の万感の思いが込められているのだ。

けれども、わたしはここでその微妙なニュアンスを再現できない。

ぜひ直接本書を読んでいただきたいと思う。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


浦河日赤に入院していた河崎寛さんは、爆発してしまう病気を持っている。

予備校に通っているときに統合失調症と診断され、
以来爆発を繰り返すようになったという。

ある日、彼は父親に電話して「寿司が食べたい」と頼んだ。

「寿司。うん、寿司の折り詰め」


寿司を買って病棟まで持ってきてほしい、ということだったようだ。

父親は「できない」と断った。

しばらく押し問答がつづいたあと、爆発が起きた。

受話器を叩きつけ、公衆電話を壊してしまった。

このあと、向谷地氏は河崎さんにこう語りかけたという。

 「爆発って、どうして起きるんだろうね。どうすればそうなる自分を助けることができるんだろうか。これはすごく貴重なテーマだから、河崎君、ひとつ自分の爆発の研究をしてみないか」
 爆発を非難するのではない。やめろというのでもない。爆発の元にはなにがあるのか、なぜ爆発してしまうのか、「考えよう」とか「反省しよう」というのでもない。「研究しよう」というのだ。
 そのことばに、ピクッと反応があった。
 「研究かあ。うん、俺、やってみる」
 泥沼のなかに降りてきた、一筋の糸。(109頁)


こうして河崎さんの「爆発の研究」がはじまった。

べてるの家では「爆発ミーティング」が開かれ、
何人ものメンバーがそれぞれの爆発を語りはじめた。

 「きょうね、たまたまライターを貸してくださいっていったの。そしたらね、若い人、新任の看護婦さんなんだけど、『(ベテランの)塚田さんに確認とってから』っていったから、そんなのね、『確認とらなくたっていいべさー』っていって、『ひよっこーー』とか『みじゅくーー』とかっていってね、爆発すんだわ、けさ」(155頁)


入院患者が納豆を食べたいと思っても、
申請書にサインをして許可をもらい、やっと食べられるのが3日後。

かつてそんな苦労があったこともメンバーによって語られた。

こうして研究が当事者たちによって進められ、総会で成果が発表された。

河崎さんは「発見」した「爆発のサイクル」について説明した。

そのサイクルとは、病気や人間関係がもとで物事は思いどおりにならないとイライラし、そのイライラを親にぶつける、親がいやがることをしてどんどん緊張関係を高め、その緊張のもとで爆発のエネルギーをためこむ、エネルギーが十分たまったところで、寿司買ってこい、などと無理難題を押しつけ、反発を誘って爆発する、というものだった。(111頁)


スライドを用いたこの発表に、聴衆は感動し、大いに笑った。

この発表で河崎さんは、このあと引きつづきおこなわれたべてるの家恒例の「幻覚妄想大会」で、2001年最優秀新人賞を受賞することになった。
 表彰状にはこう記してある。

 あなたは、精神分裂病との付き合いに苦労しながらも、研究に取り組み、浦河での生活体験を通じて自らの苦労の核心は「爆発」であること、爆発の兆しとして「生寿司を親に買わせる」という重要な発見をなさいました。今後、爆発型の精神分裂病の研究の成果が、世界の平和と人類の未来に多大な貢献をすることと思います。


 賞状とともに贈られた記念品は、「生寿司(握り寿司)のお食事券」だった。(111頁)


このとき、河崎さんの父親も壇上に招かれ、父子は和解したという。

浦河に来ると、「すべて許されている」という感覚を持てるという。

だから「治っていないのに、楽しい」と言える患者たち。

「かえって、病気治ったらどうなるんだろうねえ」

「たいへんだよ、急に治っちゃったら。あしたから出社とかしなきゃならないんだから、7時とかに起きてさ。治んないでほしい」(192頁)


七夕のある短冊にはこう書かれていたという。

「病気があって幸せ。治りませんように」


かくして本書の題名は「治りませんように」。

 「治りませんように」という遊び心のこもったメッセージは、後に“浦河の名言”としてべてるの家のカレンダーの標語にも採用されたが、こころやさしい購買者から「これは、まちがいではないのか」と問い合わせがきたという。べてるのしていることは少し先を行きすぎているのだろうか。ありうは脇を行きすぎているのだろうか。(193頁)


べてるの家の画期的試みは、偶然にして生まれたわけではない。

 20世紀前半のアメリカで画期的な精神医療をきりひらいたH・S・サリヴァンは、「精神医学は、対人関係の障害の学である」といい、「似た者は似た者によって治される」とくり返し述べている。その治療の柱は、精神病院に入院してきた患者に「似た者」、つまり患者にできるだけ共感できる資質を持つスタッフを寄り添わせることだった。そうすることで治療は多大な成果をあげたという。(198頁)


著者によると、サリヴァンはべてるの先駆者である。

べてるは、サリヴァンのその先を進んているという。

べてるは「治さない医療」にまで到達しているからである。

浦河には、具体的な人間関係を生きる当事者がいる。

自らを語る力を持った当事者がいる。

そんな患者たちがいるからこそ、医師も変われたのだ、と。

「治さない医者」を標榜し、「薄味」で「低脳薬」、ときには「無脳薬」の医療を追い求めることができるようになった。(200頁)


ありていに言えば、ここでは患者は信頼されている。

 精神科医ががんばらなくても、患者はミーティングや当事者同士の多様な人間関係に支えられて病気と向きあうことができる。……精神科医がなにをするのかではなく、なにをしないかが問われ、その分患者や仲間、スタッフがなにをするかが問われている。(200頁)


わたしは意外にもここでふと落合博満監督のことを想起していた。

彼もまったく同じことを述べているからである。

 もし医者が主役になっていたら、あるいは家族が、医療が、福祉が主役になっていたら、患者の当事者性は失われ、「この病気と出会ってしまった」ことの意味を考えられなくなってしまう。そんなことが医者に許されるだろうか。(201頁)


浦河日赤の川村敏明医師もはじめは普通の医師だった、という。

患者を一生懸命に治療する精神科医だった。

だが、やがて彼は悩める医師となり、
浦河で向谷地氏と運命の出会いを果たすことになる。

詳細は本書を読んでほしい。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


本書の冒頭は、ナチスの強制収容所の記述からはじまる。

巻末でも、ふたたび強制収容所の場面が取り上げられる。

ある著者の本が向谷地氏の心に深く刻まれていたからである。

それがエリ・ヴィーゼルだということは、巻末で明らかにされる。

ちなみに当ブログはちょうど1年前に偶然にもヴィーゼルを取り上げている。

● 「エリ・ヴィーゼル『夜[新版]』(みすず書房)
















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