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zoom RSS 川口有美子『逝かない身体――ALS的日常を生きる』(医学書院)

<<   作成日時 : 2011/06/03 10:49   >>

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ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病がある。

原因不明の脊髄の病気で、悪化の速度もはやく、
平均3〜5年で亡くなると言われる難病である。

宇宙物理学のホーキング博士の病気と言えば伝わるだろうか。

ちょうど最近ホーキング博士のニュースが届いたので、
病気とは別の内容だが紹介しておく。

世界の雑記帳:「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言

 [ロンドン 16日 ロイター] 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。

 ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。

 博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。

 また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。

 1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。

(『毎日新聞WEBサイト・2011年5月17日11時18分』から)


天国も死後の世界もないという話が、まだニュースになるらしい。

信じているひとたちがまだ多いからなのだろう。

ALSになってもこうして活躍しているひとがいるというのは知っておくべきだ。

念のために加えれば、活躍しているかどうかが大事なポイントなのではないが。

さて、話を本書に戻そう。

そんな難病に自分の母親が冒された。

本書は、難病の母親を介助してきた娘による記録である。

ただし、著者が向き合うことになったのは母親の難病だけではなかった。

このことがきっかけとなり、自分の家族にも歪みが広がっていった。

自分と母親との関係、自分と父親との関係、自分と妹との関係。

さらに自分と夫との関係。

とても話題になった本であるから、知っているひとも多いかもしれない。

ちょっと辛口なことを言えば文章や考察に物足りなさも感じるのだが、
それでも本書は多くのひとが読むべきものであると思う。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ALSにかかると、身体機能は急速に低下していく。

コミュニケーションもうまくとれなくなり、
人工呼吸器を取り付けるかどうかが問題になる。

人工呼吸器を取り付ければ、もう外すことはできなくなる。

もし付けなければ死は間近である。

著者の母親は、地域でデイ・ケアのボランティアを立ち上げるほど、
高齢者介護に熱心に取り組むひとだったという。

そんな母親も「人間らしい死」を迎えたいという希望を持っていたようだ。

世界中の老婆の望みは愛する娘に決して迷惑をかけないこと、美しくない姿を見せないことだ。そのためならひとり静かに逝くのが望ましい。しかし、縁が切れかかっている母子は別として、母親を大事に思う娘にとれば、そのような母親の覚悟こそが間違っている。「命がいちばん大事」と何度も念を押されて育てられたのに。ALSに罹ったとたん「自分は別」では矛盾が生じてしまうではないか。(35頁)


人工呼吸器をつけるか、どうするか。

患者は選択を迫られる。

 尊厳死を希望していた患者が呼吸困難になったとき、やはり生きたいと言い出しても、前言撤回を認めない医師がいる。つまり、呼吸器をつけないとずっと言いつづけていた患者が、呼吸困難の錯乱状態のなかで「呼吸器をつけてくれ」と言ったとしても、その希望は冷静な判断を欠いているから無効だというのだ。またそれとは逆に、患者は状態が悪くなって初めて本音がいえるという医師もいる。苦しくなる前から冷静に気管切開を希望できる患者などほとんどいないからである。
 患者と家族はといえば、先々のことを考えると怖くなるので、なるべく考えないようにして暮らしている。(40−41頁)


入院することが決まって、救急車を呼んだ。

そして搬入された神経病院の救命救急室で、母は初めて私に青白い顔を向けて、不明瞭な発音で「あうれれ」と言ったのである。
「お母さん、なんて言ったの?」
近くにいた看護師は不思議そうに聞いてきた。でも私は、母のその言葉を初めて聞いた。「助けて」。懇願である。虫の吐息のようでもあった。
「じゃ、呼吸器、つけるのね」
「うん」
母の目はそのとき、私の肩越しにはっきりと「死」をとらえていた。そして、しがみつくような眼差しで今度は私に助けを求めてきた。母の承諾の瞬間を認めた。(42頁)


思い悩んだすえに呼吸器を装着し自宅で介護することになった。

いまでこそ人工呼吸器は医療保険でカバーされるらしいが、
当時は300万円もする機械の購入は自己負担だったという。

さらに介助のために自宅の大改造。

仕事と介助の両立は不可能なため、仕事もやめなければならないと言われた。

 ここに至るまで母は、りっぱに死んでいったというALSの母親患者の死に際の話を保健師から聞いてはうっとりとし、自分もそうなりたいと願っていた。その女性患者は最後まで呼吸器を拒みつづけ、娘さんの腕のなかで息を引き取った。そのときも医師たちはベッドのそばでメスを持ち、気管切開の承諾を待っていたという。
「映画みたいな美しい死に方。最愛の娘の腕に抱かれて死ねるなんて」
 みんなの目前で愛する人の腕のなかで死んでしまう。これこそ悲劇のヒロインだ。しかしこの手の物語は嵩じると、「知的レベルの高い患者は呼吸器をつけない」という説話に、さらに「家族思いの人は、家族のために死ぬ」というふうに患者に犠牲を強いる話になっていく。(42−43頁)


死が美化されることの危うさ。

自分もそうなりたいが、実際は……。

あらかじめ考えていたこととは大きく変わった。

脳死でも尊厳死でも、似たような問題が起きている。

難病患者の介助は、背負いきれないほどの負担を家族にかける。

もし私たちの代わりに看護師を雇って1日の介護を依頼すれば、その費用は1か月400万円を超すこともわかっていた。試しに電話で問い合わせた先の看護師派遣会社の社長は、はっきりと「私たちは貧乏人を相手にしない」と言った。家政婦なら24時間の住み込みでも100万円前後で収まりそうだったが、それも普通の家族が望める金額ではない。(61頁)


母親は、意思表示も困難になった。

家族の思うようになってくれないこともあった。

家族との軋轢も増していった。

難病の母親を介助する日々がいつしか日常になっていった。

すると、ALSのひとたちがこの社会でどのような扱いを受けているのかを、
著者は知るようになっていった。

たとえば選挙である。

 1996年から98年にかけてはいくつも選挙があったが、投票所に出かけて行くには人手がいる。それに寝たきりで手足も萎えた母には立候補者の名前を書くことができず、自筆厳守の郵便在宅投票もできなかった。四肢麻痺の人には実質的な参政権がなかったのである。(74頁)


参政権がないというのは、重大な人権侵害である。

 2000年1月14日、国に賠償責任を求める裁判「ALS選挙権国家賠償請求訴訟」が始まると、日本中でALSの当事者が動き出した。(76頁)


著者の母親はこのとき、まばたきもできなくなっていたため、
残念ながら原告団のひとりとして名を連ねることができなかったという。

しかし、市民による運動が成果をあげた。

 2002年11月28日、筋萎縮性側索硬化症の患者たちが「郵便投票において代筆が認められない現行の選挙制度は法の下の平等に反する」として国家賠償等を求めた訴訟判決が東京地裁で下された。原告側の訴えは棄却されたが、「制度がなかったということは憲法違反である」として、翌2003年4月には議員立法で公職選挙法の一部を改正する法律案が提出され可決した。(76頁)


身近にこうした難病患者がいないと、
気づくことさえなかった問題なのかもしれない。

難病患者の人権侵害が改善される一方、母親の病状は過酷さを増していったという。

 眼球周辺の筋肉が弱ったためか、文字盤をかざしても焦点を合わせる力がなく、がんばれば瞳がぐらぐら揺れてしまう。しまいには私の目にも涙がにじんで、母が指し示そうとする文字が見えなくなった。妹は夜勤のたびに何か言いたげな母につきあい文字を拾おうとするが、時間がかかるのでいらついてしまう。すると必ず母の「死にたい」が始まった。(96頁)


眼球のまわりの筋肉も衰えていく。

少ない力をふりしぼって伝える文字盤から、「死にたい」の文字が浮かぶ。

しかし、「死にたい」という言葉がすべてなのではない。

言葉のうしろには、見えない部分がある。

「死にたい」から「死にたい」と言うわけではない。

「会いたくない」という恋人への言葉にも、
そのうしろに複雑な感情が交錯しているように、
「死にたい」という言葉のうしろにも幾重もの感情の絡みがある。

それを理解しない人間関係は薄っぺらなものであろう。

 わずかに伝えた言葉も、家族が勝手に意味を類推して、自分のいいように納得している。疲れた家族は文字盤さえまともに取ってくれないのだから、患者は不平を「しにたい」と手短に表現するしかない。だが患者のそんな悲痛な叫びも、追いつめられている家族には余裕がないから、「そんなに死にたいのなら、そうしてあげるのがいいのではないか」とばかりに、殺意さえわき上がってくるのである。
 妹は苛立つ気持ちを抑えきれずに、文字盤をベッドの縁に打ちつけ、立てつづけに2枚も割った。(96−97頁)


患者も、そして家族も、苦しみを深めていった。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


進行のはやいALSだと、自力で瞼を動かせなくなるという。

一度瞼を閉じてしまえば、再び光を見ることもむずかしくなる。

あるALSの青年は、サランラップを両目にかぶせたという。

眼球の乾燥を防ぐため、である。

 ある患者は、ベッドで仰向けに寝ていると、宙を舞っている微小な埃がだんだん落下してくるのが見えて気になると言う。落下する埃がだんだん自分の顔の上に舞い降りてきて、目に入りそうになったとしても、瞼を閉じることができなければ、それは恐怖だろう。(140頁)


たとえマニュアルが存在したとしても、
ALS患者を支える家族は創意工夫しながら介助していく。

医師も看護師も家族も知人も患者を中心に集まる。

いつしかALS患者に巻き込まれようにそこに人間関係が生まれていく。

ときおり本書にはユーモラスな表現が登場する。

比較的体格がよかったという母親について、著者はこんなふうに書き記す。

 母の皮下脂肪は天然のエアマットだ。他の患者のように骨が皮に突き刺さるような痛みを訴えずに済むので本当にありがたかった。元気なときは「中高年は将来の寝たきりに備えて、皮下脂肪を蓄えているのよ」と冗談まじりに言っていたのが、みずから証明することになったので、私たちはやはり母はすごいと思った。(155頁)


こうしたユーモアもじつはとても大事なことのように感じる。

なぜなら、患者も家族もつねに泣いてばかりの毎日ではないのだから。

前にも記事にして取り上げたことだが、恐ろしい価値観が日本で広まっている。

「話もできなくなったら、死んだも同然だ」

「動くこともできなくなったら、生きていても仕方がない」


こうした傾向に対して著者は断固として抗議する。

 実際のところとてもたくさんのALSの人たちが死の床でさえ笑いながら、家族や友人のために生きると誓い、できるだけ長く、ぎりぎりまで生きて死んでいったのである。だから、あえて彼らのために繰り返して何度も言うが、進行したALS患者が惨めな存在で、意思疎通ができなければ生きる価値がないというのは大変な誤解である。(182頁)


身体にぬくもりがあるうちは、可能性があるということだ。

まさしく、このときを生きている、ということだ。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ALSの母親と生きていくことで、著者のなかで変化が生じた。

 法や政治に興味をもつようになると、今度は母のような人のためにこそ安楽死の法整備が必要だと考えはじめていた。今でこそ、安楽死の恐ろしさも歴史的背景も知っているが、そのときは甘美に聞こえたし、「死ぬ権利」も当然あるほうがよいと思っていた。(195頁)


著者は大学院に通いはじめ、生命倫理を研究していく。

そこで「安楽死」「尊厳死」の危険性を学ぶ。

いまでは安易な「人間らしさ」のイメージなど持ちあわせなくなった。

患者を一方的に哀れむのをやめて、ただ一緒にいられることを尊び、その魂の器である身体を温室に見立てて、蘭の花を育てるように大事に守ればよいのである。(200頁)


そう記すことのできた著者は、一気に社会の危険な流れを認識する。

……介護疲れの果ての殺人、尊厳死法制化の兆し、後期高齢者医療、「脳死」臓器移植法と、世の中は長患いの人の生を切り棄てる方向に猛スピードで走り出している……。(264頁)


人間を「非人間化」すること。

これを暴力と呼ぶならば、暴力は日本社会のすみずみで見られる。

この国では「ひとに迷惑をかけてはいけない」という規範意識が強い。

これが暴力を助長している。

それが暴力であると自覚するひとはあまりに少ない。









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