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zoom RSS 斉藤道雄『悩む力――べてるの家の人びと』(みすず書房)

<<   作成日時 : 2011/06/15 12:17   >>

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「べてるの家」に魅せられたひとりに、TBSテレビのプロデューサーがいる。

彼が現地を取材して著したのが本書である。

「べてるの家」は順風満帆の船出を果たしたわけではない。

地域には統合失調症やアルコール依存症の問題が横たわっていた。

 ……浦河という町でことさら深刻だったアルコールの問題は、この地域に多いアイヌの人びとの問題を抜きにしては語れない……。飲んで倒れて救急車に運ばれていくのは、しばしばアイヌの人びとだったのである。
 「結局、差別で仕事がないっていうのもあるでしょうし、アルコールの問題ってやっぱり差別と関係ありますよ……ほかの教会の人からは、アイヌの人たちとはあまり深いかかわりをもたない方がいい、なんであんな人たちのためにそこまでやるのとかいわれましたからね、たしかに」(40頁)


そう述べるのは、浦河に移り住んできたキリスト教会の牧師である。

差別的なひとは「アル中のアイヌのひとは怠け者だ」と言うだろう。

アメリカでも先住民はそう言われてきた。

オーストラリアでも先住民はそう言われてきた。

侵略者たちはつねに侵略される側を「怠け者」と見なした。

日本人がアジアを侵略したときもそうだった。

わたしは以前あるアイヌのひとから、
アイヌはもともとアルコールを飲まなかったが、
シャモ(和人)がお酒で酔わせて侵略したのだ、と教えてもらったことがある。

本書に話を戻す。

世間からは「あんなひとたちがいて困る」と言われたが、
この牧師は「あんなひとたち」と付き合っていくことになる。

 古くからの教会員のなかには「これは自分たちの教会ではない」といって去っていく人も多かった。しかし、だからこそ「これが教会なんだ」と考える人もいた。(42頁)


イエスの教えはどちらの味方なのか?

その程度のことはすぐに分かりそうなものだと思うが、
信者でないからそう思うのかもしれない。

「べてるの家」は、従来の障害者福祉とまったく異なる考えに立っていた。

自立や社会復帰は、ほとんどがいわゆる健常者が唱え、計画し、進めてきたことではなかったろうか。その健常者は親であり医者でありソーシャルワーカーであり、役人や地域の人びとであったかもしれない。けれど彼らの唱える社会復帰や自立は、つねに健常者を基準にしている。少しでも健常者に近づくこと、病気を治すこと、幻覚や妄想を取り去ること、立派な人間になって一人前に働くこと、そのようなことがイメージされている。そうしたことのすべては、「病気であってはいけない」「いまのままのお前ではいけない」というメッセージをあくことなく発信しつづけているのではないか。ところが、治せ、なくせといわれているその病気ははかならぬ精神病なのだ。風邪や胃炎とちがってかんたんに治せるような病気ではない。多くの人が一生をこの病気とともに過ごさなければならないのだとすれば、病気を治せ、健常者になれといわれつづけることは、すなわちその人が一生「いまのあなたであってはいけない」といわれつづけることになる。そうではなく、病気があろうがなかろうが「そのままでいい」という生き方があるのではないか。(56頁)


この問題については、いずれあらためて記事を書くかもしれない。

「そのままでいい」という生き方。

そうして「だれも排除しない」という原則。

……そもそも彼らのなかでは排除ということばが意味をなさない。彼らはすでに幾重にも、幾たびもこの社会から排除され落ちこぼれてきた人びとだったのだから。おたがいにもうこれ以上落ちこぼれようがない人びとの集まりが、弱さをきずなにつながり、けっして排除することなくまた排除されることもない人間関係を生きてきたとき、そこにあらわれたのは無窮の平等性ともいえる人間関係だった。そのかぎりない平等性を実現した「けっして排除しない」という関係性こそが、べてるの場をつくり、べてるの力の源泉になっていた。(63頁)


これが「べてるの家」の特徴だ。

ではどうやって生きていくか?

べてるがユニークなのは、自分たちでビジネスをはじめたところだ。

「そうだ、金もうけするべ!」とあるメンバーが言った。

誰が社長をやるのか、どうやって事業をはじめるのか。

話が盛り上がってきたところで、水を差すひとがあらわれた。

なにを冗談みたいなこといってんのよ。
 「会社作るだなんて、あんたたちみたいなバカにそんなことできるわけがない」
 このひとことがきっかけとなった。
 「いや、俺らバカ者か、俺ら?」(65頁)


「できるわけがない」と言ったのは女性メンバー。

しかしこの言葉が逆にキッカケとなった。

 「『そんなこというんだったら、やるべ!』っていうことになって、あの女にくってかかったのが俺なの。あの女が『会社なんか、できるわけないでしょ、あんたたちみたいな気ちがいに、できるわけない』っていったのが突破口だったの。だから、やろうといったのが俺。そっからはじまった会社なの」(65頁)


前の記事にも書いたが、
こうしてはじまった「べてるの家」の商売は急成長していく。

 10万円の資金ではじめた商売は、6年後には1200万円、8年後には2200万円の売り上げを記録する。最初の給料が払われてからまもなく、べてるは紙オムツなどの介護福祉用品を販売する「福祉ショップべてる」を開店……。(68頁)


それだけではない。

 そして4年後の1993年6月4日、べてるは念願の会社設立にこぎつける。会社の名前は「有限会社福祉ショップべてる」……。「あんたたちバカにできるわけがない」のひとことが、ほんとうに会社を作ってしまった。会社と作業所をあわせたべてるの総事業収入は、1998年には1億円を超すまでになっている。(68頁)


商売大繁盛なのである。

成功の秘訣は何だったのだろうか?

一生懸命に働いたから?

そうではない。

なにせべてるには、「働け」と言われても働けないひとたちばかりなのだ。

それどころか、遠慮なくサボっていい、というルールがある。

わたしたちの社会のルールとはまるであべこべなのである。

「働け」と誰からも言われない。

「もっと成果をあげろ」と誰からも言われない。

「つらかったらいつでもサボっていい」と言われる。

このような試みは健常者の社会ではとても実現しなかっただろう。

どうしてか?

働けないものは寝ていてもいいという、そんな不平等なシステムを一般社会は許容しないからだ。けれどべてるの人びとは知っている。精神障害者のなかには、働きたくても働けないものがいるということを。病気が出れば働けなくなるものがいるということを。そのことを認め、安心してサボっていてもいいと保証したとき、彼らはほんとうの意味で自由になった。その自由と安心感が最後には商売につながっていく。(70頁)


さて、こうしてビジネスが成功したわけだが、
当初「うまくいくわけがない」と言った女性メンバーが気になるだろう。

わたしたちの社会なら、こういう場合どう思うだろうか?

「ほら、オレたちが正しかったじゃないか」

「ざまみろ」


こんなふうに女性メンバーを見下すところではないか?

ところがべてるの家では誰もそうは言わなかった。

他のメンバーたちは、むしろ、
「べてるの会社を生み出した貢献者」として再評価したのだという。

彼女はその後、毎年、会社の総会にゲストとして招かれているという。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


べてるの家は、問題だらけ、である。

ときにはケンカも起きる。

しばしば乱暴をはたらく青年がいた。

みさかいなく殴ってしまうこともあり、パトカーが出動することもあった。

ミーティングが開かれた。

彼を共同住居から出ていってもらおうという声があがった。

 「話がそっちの方向に進もうとしたとき、あるメンバーが『いや彼も困っているんだ。彼も追いつめられているんだ、つらいんだ』と、被害者のなかから加害者を救おうという声がでました。その声が徐々にみんなの意見になっていって、『そうだ、彼に必要なのは応援なんだ』、『彼を追い出して排除すればすむ問題ではないんだ』という声に意見がまとまるんですよ」
 そして彼がなぜ暴力をふるうかについて、いろいろな証言が飛び出してくる。パチンコで負けたとき、靴下が買えなかったとき、要するに彼はお金がないとムシャクシャして暴力をふるってしまう。
 そんなひどい奴は放り出してしまえ、というのがふつうの反応だろう。ところがべてるの家の議論はそうはならなかった。
 「彼はいまこそ救いが必要なんだ、応援が必要なんだという声に意見がまとまるんですよ。ついにどんなことがおきたかというと、彼にお金を渡そうということにメンバー全員で決めました。そのときは5千円を貸そうということに決まったんですね。そこで加害者の彼に早坂君が5千円を、みんなの前で授与するというセレモニーが行われました」
 被害者が加害者を応援する。しかも金を貸すセレモニーまで開いてしまう。(73頁)


すごいことではないか。

セレモニーまで開いて表彰してしまうのだ。

これが「精神異常」のひとたちの姿である。

社会から「異常者」と見なされたひとたちの姿である。

健常者と言われるひとたちこそ、彼らから大いに学ぶべきではなかろうか?

異常とは何なのか?

健常とはいったい何なのか?


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


誰も排除しない、というべてるの家。

だが、向谷地さんには重苦しい懸念があった。

浦河の町のすみっこで、だれにも知られないようにやってきたが、
べてるの家が知られるようになると、つぶされてしまうのではないか?

そんな不安を抱いていたという。

べてるの家は誰も排除しない。

だが、町もそうだろうか?

彼らは町のなかでは必ずしも受け入れられていなかったのである。

日赤病院からべてるの家に至る2キロの大通りにはいつも独語空笑異形の人びとが歩いていたし、彼らの深夜早朝の徘徊、妄想やアルコールによるトラブルやケンカで、パトカーや救急車の騒ぎはあとをたたなかった。町民感情はきわめて悪かった。おまけにしばらく前には精神病患者同士の殺人事件がおきたばかりである。不起訴になったとはいえ、事件は精神障害者一般にたいして世間がもつ「なにをするかわからない人びと」という、あのイメージをことさら強めていた。(79―80頁)


その町に出て商売をしようというのである。

どんな厳しいことを言われるかと不安になっていたという。

ところが、地域からの反対の声は起きなかった。

それどころか、地域のひとびととのつながりが広がっていった。

わたしも何か手伝うわ、と言って参加してくれるひとまで出てきた。

銀行のひとも、飲み屋のひとも、建設会社のひとも、
べてるのメンバーを受け入れてくれたというのだ。

じつにいい話ではないだろうか。

べてるの家は、外部からの訪問者も受け入れている。

訪問者は、べてるのメンバーたちを見ると驚く。

彼らは冬眠中のクマのように緩慢で怠惰な暮らしをしているかと思えば、突然「俺は死ぬー!」と叫んで海に入り、あるいはじっと引きこもって生死の境をさまよっている。健常者から見ればおよそ非常識で、欠点と不可解な言動ばかりが目立つ彼らだが、そうしたすべてのことをとおして見えてくるのは、彼らのかけねのない正直さともいえる生き方なのである。病気があっても、いや病気であるがゆえに、彼らはあるがままの自分をそのままに生きている。そう生きなければならない。飾り、気取り、自分を作ろうとすれば、どこかで破綻してしまう人びとなのだ。それはまるであらゆる飾りを取りのぞいた後にあらわれる、原初の人間の姿のようにもみえる。(87―88頁)


こうしてひとびとは「べてる」の魅力にハマっていくのかもしれない。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


向谷地生良さんは、浦河に来たときのことを振り返る。

 「浦河にいったときに、精神科の患者さんに会っていちばん最初に思ったことは、この人たちは病気によって幸せを奪われているのではなくて、本来的に人間に与えられている“苦労が奪われている”人たちだと考えたのです」(140頁)


彼は「べてるの家」という画期的な試みを北海道ではじめるわけだが、
前から彼のなかには現状に対する根源的な批判があったようである。

どうして彼がそのように考えるようになったのか?

これは興味深いことである。

いずれ本にして書いてほしいと思う。

悩む力があればこそ、病気を悩み、病気とともに生きる人生を悩み、生きることの豊かさを見出すことができる。(141頁)


ところが、患者たちは「悩む力」を奪われていた。

つまり「苦労を奪われていた」。

だから「べてるの家」は「苦労」や「悩む力」を取り戻す場だったのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「生きる苦労」を実感とともに取り戻したひとがいる。

松本寛さんである。

 「純粋な精神分裂病」を標榜する松本さんは1972年生まれで、小学校のころは勉強もスポーツもできる優等生だった。それが高校に入ってから雰囲気が変わり、あきらかにおかしくなったのは18歳のころだった。(146頁)


はじめの兆候は幻覚だったらしい。

そのキッカケは過酷な練習だったという。

 野球選手をめざしていた松本さんは、くる日もくる日も「死にものぐるい」の練習にあけくれていた。毎朝十キロ走り、学校にいって野球部の練習をし、夜は疲れはてて返ってからもさらに腕立て伏せを500回というぐあいだった。それも365日。(147頁)


す、すごい。

「部屋のなかの自分の姿が見える」と訴え、家のなかを素っ裸で走りまわる。「なんで俺なんか産んだんだ」と母親を殴るかと思えば、石を飲みこんだり道路をなめるなどの奇行がはじまった。部屋にあるものをすべて投げだしたこともある。(148頁)


なぜ道路をなめたり石を飲み込んだりしたのか分からないが、
彼はお墓からの声が聴こえるようになってしまったのだそうだ。

そしてお墓と話ができるようになってしまった。

 かつて松本さんは野球選手になろうとして練習に打ちこんだが、選手にはなれなかった。倒れて入院し病気ではないといいはったけれど、やはり自分は病気だと気がついた。薬は飲まないと決心したのに、つらさに耐えかねて薬の力を借りるようになった。ようやく退院して働こうとしたのに、しかも点滴を受けてまでがんばったのに、結局倒れて病院にもどってしまった。毎朝10キロを走り、500回の腕立て伏せをしていた青年は、気がつけば1日1時間のアルバイトもできない身体になっていた。(158頁)


そんな彼が浦河日赤病院に入院したのは21歳のときだった。

病気になるまではつらかった。それが病気になってからはずいぶん楽になった。病気になったおかげで「全国いろいろ旅できて、みんなに会えて、家族も仲よくなるし、いいことつづき」なのだという。(159頁)


彼が野球選手に憧れ実際に王貞治に会いに行った話。

入院したときの話。

その後の話。

本書で青年が詳しく証言しているので、ぜひ読んでみてほしい。

最近も松本さんの話を聞いた人から手紙が舞いこんだことがあるが、中味を読んで焦らずにはいられなかった。手紙の末尾に「あなたの病気が1日も早く癒されることをお祈りしています」と書いてあったからだ。
 「俺、こまった。この人、俺の病気が治るように祈っている」
 口をとがらせて、松本さんは向谷地さんにいった。(159頁)


治ったら困るんだよ、と言う松本さん。

彼にとって病気は克服の対象でない。

自らの生き方のなかに織り込まれている個性なのである。

 誤解のないようにつけ加えるのだが、もちろんべてるの人びとといえども薬は飲んでいる。医療や福祉を否定しているわけではない。すすんでその思恵に浴している。そうしながらもしかし、診察を受け、薬を飲んでいるだけで精神病は治せないことを彼らは自分自身の経験をとおし骨身にしみて知っている。回復への過程は、一度病気によってこわれた人間関係を、人間の輪のなかで、ことばによって取りもどす作業をくり返すなかで、はじめて見出すことができる道筋なのだ。それも、悩み、苦労し、その苦労を共有し、べてるという場のなかでつながりあった人びとが作り出す豊かさがあって、はじめて可能になることのように思えるのである。(218頁)


幻聴を薬によってかき消すのが治療の成果だと思っているひと。

そういうひとにとっては、これは信じられない話だろう。

けれども「べてる」のひとびとは幻聴に「さん」をつけて呼ぶ。

「幻聴さん」。

これほど画期的な試みは、なかなか理解されなかっただろう。

とりわけ専門家には。

実際、向谷地さんは、
勤務先の精神科への「立ち入り禁止」を言い渡されたことがあった。

無力感にうちのめされ、立ち直れなくなった、という。

当時のことを向谷地さんはこう振り返る。

 「いろんなことがあったときに、私は絶望感みたいなものが自分のなかに実感していくのがわかったんです。『もしかしたら、これがほんものの絶望感かもしれない』と、“絶望感”という深い鉱脈を掘り当てたかのような感慨といいますか、感動が自分を襲うようになりました。『あ、これがほんとうの行き詰まりなのかな』『これがほんとうの絶望というものか』『自分はいい経験をしているな』と思えたんですね。これだ、と。私の前には自殺未遂をはかったり、いろいろ生きづらさを抱えている人たちがいるわけですが、『こういう気持ちになるのかな。そうか、こういう気持ちでそうなるんだ。そうか、そうか。これで、生きたくなくなる気持ちになったり、生きるのをやめようと思うんだ』『これはいいものを経験させてもらった』というふうに思えたんですね。究極のものを掘り当てた、そういう感じを思うようになりました」(233頁)


後日談がある。

それから5年後。

精神科への「立ち入り禁止」を言い渡した上司が、
「君は負けたよ」と向谷地さんに握手を求めてきたという。

彼はもう絶望のどん底ではなかった。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ここまで読んできて、誰もが実感したのではないか?

「ひとに迷惑をかけてはいけない」。

この日本社会の強烈な規範意識。

これがなかったために彼らはイキイキとしているのだろう、と。

本書も必読である。

超おすすめ。












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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
続編の「治りませんように」もね♪
パンダ
2011/06/16 23:29
◆パンダさま

ありがとうございます。『治りませんように』も、このあとに記事を書いて紹介してありますので、ご覧ください。というか、もうとっくに読んでいらっしゃいますね、きっと。1年以上もお返事をせず、失礼いたしました。
影丸
2012/06/18 16:33

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