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zoom RSS 浦河べてるの家『べてるの家の「非」援助論』(医学書院)

<<   作成日時 : 2011/06/11 09:23   >>

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いま「べてるの家」が注目されている。

北海道の浦河町にある精神障害者たちのグループ・ホームである。

日高昆布で有名な浦河町である。

「べてるの家」設立に尽力したのは向谷地生良(むかいやち・いくよし)氏。

彼は浦河日本赤十字病院で働き、
現在は北海道医療大学の教授も務めるソーシャル・ワーカーである。

「べてるの家」はいろいろな意味で画期的な試みであった。

テレビでも紹介されたことがあるから、知っているひとも多いかもしれない。

いまでは、過疎地域である浦河に、
国内外から年間3500人(延べ)もの研究者・見学者が訪れるようになったという。

「べてる」の何がひとびとを惹きつけるのだろうか?

どれほど画期的な試みかはつぎのスローガンにとてもよくあらわれている。

【べてるの家の理念】

・三度の飯よりミーティング

・安心してサボれる職場づくり

・自分でつけよう自分の病気

・手を動かすより口を動かせ

・偏見差別大歓迎

・幻聴から幻聴さんへ

・場の力を信じる

・弱さを絆に

・べてるに染まれば商売繁盛

・弱さの情報公開

・公私混同大歓迎

・べてるに来れば病気が出る

・利益のないところを大切に

・勝手に治すな自分の病気

・そのまんまがいいみたい

・昇る人生から降りる人生へ

・苦労を取り戻す

・それで順調


安心してサボれる職場?

自分で自分の病気をつける?

偏見差別大歓迎?

公私混同大歓迎?

既成の価値観を覆すほどあまりに画期的だから、
その意味が皆目理解できないというひともいるかもしれない。

世間にとって精神障害者は「頭のおかしい連中」であり、
社会にとって不安のタネであり、排除の対象でしかない。

だがわたしはすっかり「べてるの家」に魅せられてしまった。

抱腹絶倒の必読図書である。

本書を読めばみなさんもきっと「べてる」のファンになるだろう。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


まず、「べてるの家」がどういうところなのかを知るために、
10年以上前の新聞の社説(本書収録)から紹介していくことにしよう。

少々長いが、じっくりお読みいただきたい。

「べてる」の風――のけ者つくらぬ文化を

「えりもの春は、何もない春です」
 森進一のヒッ卜曲で知られる北海道・襟裳岬に近い浦河町。ここに、「浦河べてるの家」はある。浦河日赤病院の精神科病棟を退院した人たちが、12年前に10万円の元手で昆布を買い付け、産地直送事業を始めた。それがいまや年商1億円、100人を超す元入院患者が働く地元の「大企業」である。
       *
 歯をくいしばって、がんばったわけではない。合言葉は、「安心してサボれる会社づくり」「利益のないところを大切に」「弱さを隠さず、弱さをきずなに」である。
「べてる」は旧約聖書の「神の家」からとった。精神病の豊かな個性をむしろ持ち味に、浦河の町にとけこむ姿、そこに新潟や会津若松、名古屋の人々がほれ込んだ。費用を出し合い、映像記録『ベリー・オーディナリー・ピープル/予告編」をつくった。すでに8巻になる。
 コピー自由とあって、手から手へと広がり、全国各地で「べてるの風」を吹かせている。映像の主に会いたい、経営手法を学びたいと、人口1万6000人の町に年間1000人以上がやってくる。
 何が人々をひきつけるのか、それが知りたくて、浦河を訪ねた。仕事場では、20人ほどが、その日に働く時間帯を報告し合っていた。管理職はない。勤務時間は体調を考えて自分で決める。大きなテーブルを囲んで、だしパック、おつまみ昆布などの商品がつくられてゆく。笑い声が絶えない。
 昆布加工のほかに、紙おむつの配達、住宅改造、清掃、引っ越しの手伝い、ゴミ処理など、町の人が必要とするものを見つけては、漁協や地元企業と協力して事業化してきた。訪問者の航空券やホテルの手配など、旅行代行業も手がける。
 入院歴16回という早坂潔さんに連れられて、町なかにある精神病棟を訪ねた。体験者ならではの的確な助言ができる早坂さんたちは、病棟への出入りが自由だ。退院後の生活に不安をもつ入院者だけでなく、病院の職員からも頼りにされている。
 19歳で分裂病を発病したギタリストの下野勉さんはいう。
「発病直後に入った別の病院では、外出は禁止。6人部屋で娯楽はテレビだけ。1列にならんで口を開け、薬を口に入れられ、合図とともに水で飲み込む。ぼうっとして寝てばかりでした」
 下野さんは、いま、浦河の町で恋人と暮らす。愛や妄想をテーマにした自作の曲を各地で演奏する。CD化の話も持ち上がっている。病気が完治したわけではない。仲間やソーシャルワーカー、医師たちの応援で、幻聴や妄想と付き合うすべを身につけたのだ。
「ここでは、批判はされても、最後は受け入れられ、迎えられる。その体験が安心の世界をつくるのでしょう」と、浦河日赤病院精神科部長の川村敏明さんはいう。
 昔からこうだったわけではない。日高管内初の精神科ソーシャルワーカーとして、向谷地生良さんがこの病院に着任した1978年当時、入院患者は近所の店に納豆を買いにいくにも「3日前の外出届」を義務づけられていた。退院者が殺傷事件を起こし、住民の目は不信に満ちていた。
 いまは、退院者たちが小中学校や高校に招かれて体験を話す。「分裂病という病気に誇りをもっていて、素晴らしいと思いました」と、ファンレターも舞い込む。
 幻聴や妄想は、「変に思われるから他人に話してはいけないもの」「薬で消さねばならぬもの」というのが、多くの精神科医の見方である。だが、ここでは「幻聴さん」と呼んで体験をおおっぴらに話し合う。
(朝日新聞2000年8月7日社説「世紀を築く」より)
(30−31頁)


知らないひとのために説明すると、
「分裂病」は現在「統合失調症」と名称変更されている。

統合失調症は差別と偏見にさらされてきた精神病である。

はじめに「『精神異常』の世界」をお読みいただきたい。

それから下記の部分を読み進めていただきたい。

◆統合失調症とは?

統合失調症(とうごうしっちょうしょう)とは、妄想や幻覚などの多様な症状を示す、精神疾患のひとつです。2002年までは、精神分裂病と呼ばれていました。発症率は、国、人種、文化など関係なく人口比1%程度と言われています。発病時期は、10代後半から20代にかけて多く見られます。


◆どんな症状がある?

統合失調症と一言でいっても、その症状は様々です。
・幻聴:人の声、物音など、そこに実在しない音が聞こえてくる。
・妄想:間違った認知を修正できず、思考が被害的になりがちになる。
・自分の思考が他人に漏れてしまう。
これらは、陽性症状とも言われます。薬物療法が有効に働くケースが多いです。これらの苦労とつき合っていくためには、それなりの練習が必要な場合があります。

べてるのメンバーには、幻聴系(例:小泉首相が求愛してくる)、体感幻覚系(例:夜中に体に落書きされる)、サトラレ系(例:自分の考えたことが周囲に伝わってしまう)、被害妄想系(例:イラク戦争は自分の罪のせいだ)など、それぞれ個性的な体験を持っています。
浦河では「当事者研究」が盛んに行われており、メンバーそれぞれが自分の実感に合った「自己病名」を持っています。(例:統合失調症爆発型、逃亡失踪症、などなど)

その他には、
・自分を守るために家に閉じこもったりする。
・疲れやすくなったり、集中力が低下したりする。
・意欲や自発力が低下したように見える。
・感情が乏しくなったように見える。
・周囲に無関心になったように見える。
このような症状は、陰性症状とも言われます。怠けてるかのように誤解されやすいという苦労があります。
(「べてるねっと」より)


統合失調症は苦しい病気であることにちがいないのだが、
この文章からしてどことなくユーモラスだ。

小泉首相に求愛されるというのは、相当に苦しいことであろう。

心中お察しする。

「べてるの家」は、精神障害者の治療に劇的に成功したから有名なのではない。

「べてるの家」は、問題がないところではない。

いつも「問題だらけ」のところである。

「べてるの家」の重鎮に早坂潔さんというひとがいる。

彼はよくテーブルをひっくり返して暴れていた。

相変わらず壁に激突したり、突然倒れたり、1日中無言で過ごしたと思ったら、いきなり「マジンガーZ!」と叫んで立ち上がってポーズをとったりしていた。
 まわりは意味不明のアクションとパフォーマンスにすっかり振り回されていた。しまいには「マジンガーZ!」と叫ぶ彼を「ちょっとドライブに行こう」と我が家に誘い、マジンガーZの大ファンであった私の5歳の息子に紹介した。
「のり君、マジンガーZのおじさんを連れてきたよ」
 息子が敵のロボットとなり剣をもって戦っていた。ヤケクソである。
 食事の際に箸をもったまま固まってしまう潔さんに、あるとき長男がおもちゃのハンマーで頭をピコッと叩いた。すると潔さんは「おお!」と声を出し、我に返ったようにご飯を食べだした。その場面に出くわして以来、べてるの家には「早坂潔発作防止装置 川村ドクター推薦!」と書かれたアンパンマンのハンマーがまじめに置かれていた。(20頁)


このユーモアと包容力が「べてるの家」の何よりの魅力だ。

「べてるの家」のメンバーは数々の問題を引き起こす。

 隠しカメラが設置されていると言っては警察に捜査を依頼したり、深夜お腹がすいたと夕食のカレーライスの残りに火をかけたのを忘れてしまい、焦げたにおいをかぎ「オウム真理教に放火された」と119番通報をしたり……(そのときは実際に消防車が駆けつけた)。(21頁)


7年ものあいだ四六時中人から見られている苦痛に耐え、
ひきこもっていたひともいる。

お墓と話をしたというひともいる。

好きな歌手の声が心臓から聴こえるというひともいる。

そんなひとたちが集まって暮らしているのが「べてるの家」だ。

「べてるの家」の画期的な点は、社会の価値観と真っ向から対立するところだ。

たとえば、「昇る生き方」に対して「降りる生き方」を提唱する。

 現実には多くの人たちが、病気になりながらも「夢よもう一度」の気持ちを捨て切れず、競争しつづけ「右上がり」の人生の方向を目指している。何度も何度も自分に夢を託し、昇る人生に立ち戻ろうとする。ところが不思議なことに、「精神障害」という病気はそれを許さない。「再発」というかたちでかたくなに抵抗する。まるで「それはあなた自身の生きる方向ではないよ」と言っているかのように……。(40頁)


だから「降りる生き方」をすすめる。

無理に治そうとしないでいい、と。

従来の精神医療は、患者を「治療」するのが目的だった。

患者は強い薬を処方され、それによっておとなしくなっていく。

だが、それは本当にいいことなのか?

向谷地生良氏はそう考えた。

 私が浦河赤十字病院精神科病棟のソーシャルワーカーとして仕事をはじめて最初に脳裏に刻んだ言葉は、《医学→「囲」学》、《看護→「管」護》、《福祉→「服」祉》というものだった。つまり、「囲い込み」と、「管理」と、「服従」の構造を、精神医療の世界に垣間見たのである。(42頁)


患者を社会から隔離し、専用施設で管理する。

これが従来のやり方だ。

ハンセン病患者の扱いもそうだった。

社会から切り離し、強制断種まで行なわれていた。

身体障害者の扱いも高齢者の扱いもそうだった。

社会から切り離し、わたしたちの眼に見えないところへ隔離する。

だが、薬で症状を抑え込むことはできても、結局は完治するわけでもない。

治療はむしろ患者から「生きる苦労」を奪っているのではないか?

そのように劇的に認識を転換していった。

 いまになって思えばそれは、「能率によって人を切り捨てない」ことと、「経済的な利益」を生み出すという相反するテーマへの挑戦でもあった。(45頁)


患者への加害的暴力性を認識したということだろう。

そこから、患者は管理の対象から当事者へと大きく変化することになる。

だから当事者研究が「べてるの家」の柱のひとつなのである。

患者は治療され管理される対象ではない。

患者自身が自分たちの病気について研究・発表するのである。

これを「当事者研究」という。

さらにすごいのが、病を抱えるひとたちを集め、
ビジネスをはじめてしまおうとしたことである。

名づけて「所得倍増計画《プロジェクトB》」。

「B」は「病気」の「B」だそうである。

ビデオの販売、日高昆布の加工・販売で、
いまや大きな利益を生む地元の優良企業にまで成長している。

メンバーのひとり佐々木社長の「金持ちになる方法」がまたおもしろい。

佐々木社長は“ガム好き”です、でも社長は節約名人なのです。病気もありますが、お金もためてます。

ぼくはガムを3日間かみつづけます。ねる時はいったん口から出して、枕もとに置きます。朝再び口に入れます。それを3日はつづけます。こうしてぼくはお金をためるのです。(69頁)


統合失調症のひとたちにとって、襲いかかる「幻聴」は、苦しみである。

たとえば、電車のなかで見知らぬひとが突然大声を出したら、
わたしたちはびっくりして急に不安に襲われるだろう。

「幻聴」は、それが自分の頭のなかにあらわれる。

しかも、ひとつやふたつではない場合もある。

 孤独で、将来に希望のないなかで聞く幻聴は、おしなべて「死ね」とか「馬鹿」とか、とにかく嫌なことを言ってくる。ところが、不思議なことに仲間が増え、人とのコミュニケーションが豊かになると、幻聴にも愛嬌が出てきたりする。
 そのような当事者の体験を聞かされるにつれ、幻聴とのつきあいは人とのつきあいに似ていると思う。その人自身が置かれた日々の人間関係や、その人自身の暮らしのスタイルと密接に関連していることがわかってきた。
 そして誰が言うともなく、幻聴は親しみを込めて「幻聴さん」と呼ばれるようになっていった。(101頁)


従来の医療では治療の対象であった「幻聴」。

これも彼らはなくそうとはしない。

「幻聴さん」と名前をつけて、親しみをもって接しようとする。

メンバーの大崎さんには何と721人の幻聴さんがいる。

彼が講演旅行に出かけると、721人の幻聴さんもついてくる。

すると疲れてしまったのか、「先に帰るよ」と幻聴さんたちが言い出す。

なかには頭のなかにとどまって講演を聴きつづける幻聴さんもいる。

「べてるの家」に戻ると、
先に帰っていた幻聴さんたちが「お帰りなさい」と大崎さんを迎えてくれた。

それでも何人か少ない気がした大崎さんは、数日後、
ヒッチハイクで出かけていたという幻聴さんたちが帰ってくるのを迎える。

こうしてたくさんの幻聴さんたちと仲良く暮らしていくのである。

もう一度述べるが、べてるは問題のないところではない。

絶えず問題が発生する場所である。

けれどもその問題を排除しようとはしないのである。

ここには統合失調症に特有の問題もある。

 フラワーハイツという共同住居の例をあげよう。
 一人の女性が「食べるな」という幻聴に耐えかね、思わず「うるさい!」と叫んだ。すると隣に住んでいる女性メンバーが「私が悪口を言ったのがバレたのかな?」と心配になり、廊下にある公衆電話で母親に「誰かが告げ口をして困る」と訴える。すると壁越しに内容を聞いていた別のメンバーが「自分が疑われている」と思い込み眠れなくなる――こんなぐあいに、ドミノ倒しのように心配や不安が連鎖していくのである。(206頁)


少しの不安やストレスが雪だるまのようにふくらんでいく。

ふつうならここで「気のせいだよ」とか「もっとみんなのことを考えよう」とか、
そう言って秩序を保持しようと試みるものだろう。

「あのひとと一緒に仕事したくない」、
「働かないのに給料をもらってずるい」、
そんな不満をもつひとたちも出てきてしまうだろう。

しかしべてるの家ではそうひとは出てこない。

……「最近、彼女も怒ってばかりいるけれど、あの腹の立て方はいいよね。今後が楽しみだね」などと誉められる人まで出てくる。(207頁)


それだけではない。

怒ってばかりひとは、「なぜ怒ってしまう自分がいるのか」をテーマに、
自分で当事者研究の発表をしてしまうのである。

さらにまたその研究をみんなで聞くのである。

たとえば、こんなこともあったという。

小さいころからソーシャル・ワーカーのお世話になっていた女性がいた。

彼女は知的ハンディをもつひとたちの施設で暮らしていたのだが、
そこで知り合った男性と付き合うようになり、やがて妊娠が発覚する。

周囲は大騒ぎになり、出産をあきらめるように説得した。

彼女は向谷地氏に電話をかけた。

すると向谷地氏はなんと浦河への「駆け落ち」をすすめたという。

ふたりは浦河へ移り住み、小さなアパートで子育てをはじめたのだが、
ふたりは「パチンコ三昧」の暮らし。

こんなことになるなら、世間からは轟々たる非難が沸き起こるところだ。

しかしべてるではそうはならなかった。

なんとイベントでこのカップルを表彰してしまうのである。

98年度 G&M大会 ベストカップル大賞
石川貴洋・信子様


 あなた方夫婦は、お金もない、米もない、味噌もないどん底の生活にもめげず、懸命にパチンコに通い不況に喘ぐパチンコ業界の発展に寄与したばかりでなく、あまりの生活の「不備」により周囲の圧力で離婚を余儀なくされ、離婚届を書かされましたが、提出した離婚届にも「不備」があり受理されず離婚の危機を回避いたしました。
 以来、夫婦の絆はさらに強まり、特に父ちゃんは、いまやワークサービスの貴重な戦力として成長しました。よってここに今年度ベストカップルと認め、副賞として米と味噌を贈呈いたします。

98年6月6日 G&M大会選考委員長 川村敏明

(浦河べてるの家『べてるの家の恋愛大研究』大月書店、186−187頁)


あまりにおもしろい本なので、電車のなかでは読めない。

超おすすめである。

ぜひともたくさんのひとたちに読んでもらいたい本である。

わたしたちこそ、「べてるの家」から学ぶべきことがたくさんありそうだ。




【参考サイト】

◯ 「社会福祉法人浦河べてるの家

◯ 「べてるねっと










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斉藤道雄『治りませんように』(みすず書房)
「べてるの家」は何を問いかけているのか? ...続きを見る
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2011/06/19 04:11

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