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zoom RSS 柳田邦男『犠牲(サクリファイス)――わが息子・脳死の11日』(文春文庫)

<<   作成日時 : 2011/06/01 01:33   >>

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著名な作家にとって本書の執筆はあまりに苦しい作業だっただろう。

多くの中学校・高校で課題図書に指定されていると思われる本書は、
すでに多くの読者を得ていると思われる。

案外知らないひともいるかもしれない。

題名は知っているが実際に読んだことはないというひともいるかもしれない。

本書を読めば、「脳死」問題のイメージは一変するにちがいない。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


著者の次男・洋二郎さんは、哲学書や詩に親しむ繊細な青年だったようだ。

ガルシア=マルケスを読み、タルコフスキーを観る。

カフカ、ヘンリー・ミラー、安部公房、大江健三郎なども好んで読む。

そんな青年だったそうだ。

文学や映画について父親と語らうこともしばしばだったというから、
相当に文化レベルの高いご家庭だったようである。

彼はある日、父親と脳死に関するNHKの特別番組を見ていた。

熱心に見ていた洋二郎は、番組が終わると、最も基本的なことを私に質問した。
「脳死推進派の人たちは、なんであのように反対を押し切ってまで脳死を人の死としたがるのだろうか」と。(45頁)


誠実な青年らしいまっとうな「問い」である。

脳死推進派はなぜ脳死をひとの死にしたがるのか?

理由はきわめて単純である。

人間から臓器を取り出したいからである。

生きているひとから臓器を取り出せば「傷害」や「殺人」になってしまう。

だからそのひとを「死」んでいることにして合法的に取り出したいのだ。

 つまり、脳死を人の死としようという考えは、一に掛かって、臓器を合法的に取り出すための要請から生じたものなのである。
 私がこのようなことを説明すると、洋二郎は若者らしい歯に衣着せぬいい方をした。
「なるほど、脳死推進派の医師がいかにも心臓を欲しがっているような顔をしているわけがわかった」(47頁)


そんな繊細な青年が、やがて自死を選んでしまう。

ただちに病院に運び込まれ、懸命の救命医療が行なわれた。

発見したのは父親だった。

脳幹はかろうじて機能しつつも、やがて脳死と呼ばれる状態へと陥るのだが、
しばらくは命をつなぎとめていたという。

 そこへ看護婦が現われた。くりっとした目の可愛い娘だった。
「聴覚だけは最後まで生きているといいます。たくさん声をかけてあげてくださいね」
 といってくれた。
 うれしいことをいってくれるものだと感動した。私は、イギリスの著名な国際問題ジャーナリスト、ビクター・ゾルザ夫妻がガンに冒された25歳の娘ジェーンをホスピスで看取った手記を思い出した。そのホスピスでは、末期患者が昏睡状態に陥っても、医療スタッフや家族は患者が聞いているという前提で、患者を会話の中心に置くようにして、言葉を交わすという感動的な情景が記録されていた。
 その本を読んだとき、よもや自分が昏睡状態から脳死へと移行していく同じ25歳のわが子に対し、懸命に耳許で声をかけることになろうとは、思ってもみなかったことだった。(68−69頁)


自死を選ぶものに世間の視線は冷酷であろう。

しかし、世間のひとびととはまるで対照的な生を青年は生きていた。

 洋二郎がこのように漆黒の河を渡るような精神生活をしていたことは、おそらく大学や教会の友人たちは想像すらできなかったのではなかろうか。いい面では、「おだやかでやさしい青年」と映っていたろうし、悪い面では、「やる気があるのかないのかわからない男」「なんで働かないのか親に甘えている男」と映っていたかもしれない。(106頁)


青年は、中学2年のときに、級友が投げたチョークが右目を直撃し、
11日間にも及ぶ入院治療を受けるほどの大怪我を負った。

 ちなみに彼は、チョークを投げつけた級友を非難したり憎んだりしたことは、一度もなかった。彼は私と妻に対し、「チョークをぶつけ合うのはいつもやっていることで、ぼくが加害者になった可能性だってあるんだ。誰が悪いんじゃない、事故なんだ」といって、その級友の親に対し、医療費などの補償を要求することを禁じたのだった。
 彼は私との数え切れないほどの会話のなかで、周囲の人々を非難したことはなく、逆に「自分が弱いから駄目なんだ」といっていた。(120頁)


自死を選ぶひとに世間の評価は冷淡であろう。

だが、自死を選ぶひと自身は世間に冷淡でいることはできなかった。

この落差にわたしたちは何を思うのか?

青年の容態は悪化していった。

遠のく希望のなかで、著者は臓器提供も選択肢として考えはじめる。

その経緯については本書を読んでいただきたいが、
著者は脳死問題について勉強をつづけていったという。

あるとき、臓器移植推進派の医師によって書かれたパンフレットを手にとった。

そこにはこう書かれていたという。

 救急の現場のある看護婦から、「脳死は死として認められない」という意見を聞き愕然とした。彼女の意見はとても専門家の意見ではなく、日頃接触している家族の心情を思うと脳死をもって死とすることは残酷であるので認められない、という意見であった。患者の生死という重要なことが情に流されて認識できないのでは、看護婦ではなく、介護者になってしまう。心情的に苦しいことはよくわかるが、看護婦としてはこういうことでは困る。(146頁)


この医師にとっては、
家族の情に無頓着でいることがよい看護なのだろうか?

当時の脳死臨調がまとめた資料には、つぎのような記述があったという。

 集中治療室の看護婦の一人は、脳死のこどもを看護している際、ある教授が毎日やってきて、「まだ死なないか」と聞くと言って怒っている。
 脳死が人の死とされると、この傾向はいっそう強化される。臨終の場はこれまでと様がわりする。家族は、静かに死別の悲しみにひたる間もなく、脳死によって人の死と判定された時点で、脳死者は死体となり臓器提供体として、運ばれて行くことになる。(149頁)


さいわいと言うべきか、青年の入院する病院はそうしたところではなかった。

 ……医師や看護婦から、「脳死であっても最後までお世話をします」とか、「たくさん声をかけてあげて下さいね」といわれ、実際に息子のことを誠心誠意ケアしてもらっていることで、慰められつつ、ゆっくりと息子の生と死について考える時間を与えられていることに感謝している自分を見出していた。(177頁)


脳死がひとの死であると見なされたら(もうなってしまったのだが)、
脳死のひとや家族はどのように扱われていくのだろうか?

移植医療の世界でも、ある「自明性」が前提とされている。

それは、「日本は移植に関して世界に遅れをとっている」というものだ。

原発に関してもそうだった。

「世界の原子力技術に追いつき、追い越せ」と。

捕鯨の世界でもそうだった。

「世界の捕鯨技術に追いつき、追い越せ」と。

「日本の技術は最高レベルだ」と言われれば、
単純なナショナリストはコロッとダマされるだろう。

だからそれらに反対するひとたちは「遅れているひとたち」と罵られた。

脳死・臓器移植もそうである。

日本で移植が進まないのは日本人の意識が遅れているからだ、と言われる。

 どうやら私は、「遅れている人」であるらしい。脳死と判定された息子の前で、「心臓でも肝臓でもどうぞ」といえる心境には、いまだなれず、ぐずぐずと考えごとを続けているのだから。(178頁)


移植医たちは、脳死者の前で、ハイエナのように待ち構えている。

なるべく「フレッシュな臓器」がほしいからである。

 私が「犠牲(サクリファイス)」を「文藝春秋」(1994年4月号、5月号)に発表した直前の1994年1月に、大阪府立千里救命救急センターで53歳の脳死患者から、心停止を待たずに肝臓などを摘出しようとして、行政側から中止勧告を受け、仕方なしに、心停止スレスレのところで肝臓・腎臓・大動脈・眼球・皮膚を摘出したという騒ぎが起きた。しかも、この臓器提供は年老いた母親への十分な説明もなければ、ゆったりとした看取りの「時間」も与えられず、母親のこころに深い悔恨と苦悩の傷を残してしまった……。
 医療界の一角に、こういう実態があるのを見ると、いのちの「共有」だの、グリーフワークの「時間」と「場」だのという問題がどうなるのか、慄然となる。(226−227頁)


この病院は臓器移植を積極的に行なっていることで知られているが、
名前を変えた方がいいのではないかと思われてならない。

そう思わないだろうか?

著者は、脳死・臓器移植にまったく反対というわけではなかった。

仕事柄、一般のひとたちよりもはるかに医療にも詳しい。

脳死がどのようなものであるかをよく知っているつもりだった。

 ところが、自分の息子が脳死に陥り、その状態の変化を、毎日毎日見つめるうちに、脳死とは一体何なのか、ほんとうに脳死をもってその人を死んだとしてよいのかと、わからなくなってしまったのだ。
 わからなくなったというのは、脳死判定で脳死と判断されたら、即「この人は死んだのです」「ここに横たわっているのは死体です」といえるのかどうか、私には即答できなくなったという意味である。(233頁)


わたしたちは医学の素人だ。

「脳死は死んでいるのと同じです」と言われれば、「そうか」と思う。

だが、実際に脳死患者の状態を見たひとの印象はまったく異なる。

毎日、私が会いに行き、「おい、洋二郎」と声をかけると、血圧も心拍数も上昇する。看護婦が「あら、上がった」と驚く……。顔も胸も血色がよく、あたたかい湿り気がある。この身体にメスを入れて、心臓を取り出すことなど、私にはとてもできないと思ったとたん、脳死をわかったつもりでいたそれまでの私の考えがぐらついてしまったのだ。(233−234頁)


ほんとうは、こうしたことをふまえて議論をすべきなのだ。

ほとんどのひとたちは脳死の実態を知らないのだから。

ところが臓器移植推進派は、こうした情報をほとんど明らかにしてこなかった。

原発問題とまったく同じ過ちを繰り返しているとも言えるだろう。

これまでの医療は、つぎのようなものだった。

@ 死が完結するまで待つ、
A 急がない、
B 普通の人々の生活感覚で納得できる(238頁)


しかしこれからの医療はこうなっていく。

@ 死が始まったところで終点とする、
A 急ぐ、
B 普通の人々の生活感覚では納得できない(238頁)


著者は、脳死関連の資料をさらに読み、深いショックを受けたという。

 ガンの終末期医療の重要性にはやくから着目し、イギリスにおけるホスピスの存在を先駆的に紹介した、私の尊敬する朝日新聞編集委員のF氏が、脳死と診断された後、人工呼吸器で心臓を動かし続けるのは、家族の「気休め」にすぎず、世間体のためだ、そのためにかかる1日5万円から10万円の医療費は自己負担にすべきだ、と主張しているのである……。(242−243頁)


「自己負担にすべきだ」というのは、いまで言う「自己責任論」にほかならない。

「自己責任論」はすでにこうした形で姿をあらわしていたのである。

だが、著者はこれに納得できない。

「脳死は人の死」という考え方に踏み切れない、日本人特有の何かがあるのだ。それは、日本人の死生観であり、遺体観であり、非個人主義的家族愛であると、私は思う。(248頁)


これまで本書に好意的な印象をもっていたわたしも、
こういうところは見逃すことはできない。

大いに引っかかる。

「日本人特有」という表現で心地よい思いをするのは日本人のみである。

まるで外国人には「家族愛」がないかのように受け取れる表現は問題だ。

学校ですすめられて本書を手にとった若者たちは、
こういうところには引きずられないようにして読んでもらいたい。

さて、最後にぜひ紹介しておきたい話がある。

当ブログでも取り上げたことがあると思うのだが、
「脳低体温療法」のことである。

1994年の暮れ。

NHKで臓器移植法に関する番組が放映された。

 番組はつづいて、日本の救命医療の最先端の話題に入った。日本大学医学部付属板橋病院の救命救急センターで林成之助教授らが取り組んでいる脳死寸前の患者に対する低体温療法の成果についてだった。
 連日集中治療室にはりついていた取材半のカメラの前で驚くべきことが起こった。9月27日、トラックにはねられて脳に損傷を受け、意識を失い、瞳孔も開いてしまったふじ子さんという中年の主婦が運びこまれると、直ちに脳神経細胞の死を防ぐための低体温療法が施された。
 ふじ子さんは、瞳孔散大が続き、脳圧30以上という日が続いた。脳の温度が38度にも上がり、それを冷やす努力が2週間以上も続けられた。従来の救命医療であれば、すでに蘇生限界点を越えたとして、治療は中止されていたであろう。治療を中止すれば、確実に脳死に陥るところまで来ていた。私は息を呑んだ。ふじ子さんのはれぼったくなった顔が、脳死状態に陥った忘れえぬ私の息子の顔とそっくりではないか。脳死の顔というのだろうか。
 林助教授らは、それでもやめなかった。26日目、驚くべき奇蹟が起こった。医師や娘さんが声をかけると、ふじ子さんが目を開けたのだ。
「すごい、すごい、お母さん頑張って!」
 娘さんは泣きながらも、母親の顔をなでていた。前例のない劇的な生還だった。
 ふじ子さんは、身体の障害も言葉の障害も残さず、78日目の12月13日、花束を抱いて、歩いて退院したのだ。(252−253頁)


いかがだろうか?

これでも臓器移植を進めるべきだと言えるのだろうか?

これでも脳死はひとの死だと言えるのだろうか?


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


日本は、国策として「原発」を推進してきた。

そのためにほかの自然エネルギーによる発電が広まらなかった。

移植医療でもまったく同じことが言える。

移植が当たり前の医療になれば、脳死患者を救う医療は進まないだろう。

脳死患者を救うための研究より、移植の研究により多くの予算がつくだろう。

移植の世界にもすでに御用学者がたくさんいる。

脳死患者を臓器摘出のための「材料」と見なすのか?

それとも、脳死患者の命を最後まで救おうとするのか?

あるべき医療の姿はどちらにあるのか?

わたしには考えるまでもないことにように思えるのだが。

悲しいことに世の中のひとたちはそうは考えないようだ。









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柳田邦男を読む「サクリファイス犠牲わが息子・脳死の11日」を書き始めて30日経ちました。 私の記事や詩は、文部科学省が出版社、新聞社、詩人、小説家、ジャーナリスト、政治家等に盗ませて、直木賞、芥川賞作家等が改竄した後、馬鹿げた内容にし、誤字脱字を入れて何年も経った後、総務省が私を侮辱する目的で、検索の後の方に幾つか公開しています。 しかし、この記事だけは、「柳田邦男」で検索するだけで、私の記事が出ていました。 しかし、今は、「柳田邦男 犠牲」で検索すると、3ページ目に私の記事の幾つか... ...続きを見る
成田悦子清う湖の朝
2014/02/27 22:15

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