フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 島本慈子『ルポ解雇』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2011/03/05 10:16   >>

トラックバック 0 / コメント 0

「規制緩和」の掛け声のもとで、労働者の人権が切り崩されている。

「労働者の権利ばかりが守られすぎている」と、
ワケの分からぬことを言う経営者や御用学者がいる。

彼らは経営難の原因があたかも労働者の側にあるかのように主張する。

かくして労働基準法の改悪が実行された。

 2003年6月27日、参議院本会議で、解雇ルールの新設を含む労働基準法改正案が可決され成立した。(i頁)


本書を読むと、「自己責任論」がどれほど犯罪的であるかが分かる。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


印刷会社に勤めていたあるひとは、ある日突然解雇された。

労働組合を作ったからだった。

 「まず年間休日は77日しかありませんでした。年収は15年勤続の人で230万円くらい。作業するのに必要なカーテンがほしいと会社に頼んでも『段ボールを貼っておけ』と言われる。現場で必要な安全靴も『自費で購入しろ』と言われる。仕事そのものは有名な出版社の本をつくったり、貴重な学術書をつくったり、やりがいがあったんですけど、あまりにも待遇が悪いから次から次へと人が辞めていく。この状態を変えるには組合をつくって交渉するしかないと、切実な要求を掲げて組合を結成しました」(3頁)


明らかな「組合つぶし」だった。

彼は仲間とともに東京地裁に賃金仮払いの処分を求めて裁判を起こした。

ところが、彼らは信じられない判決文を目にすることになる。

そこには「本来解雇は自由である」とハッキリ書かれていたからだ。

何と驚くべきことに、東京地裁では、
「使用者が労働者を解雇するのは元来自由である」
と述べる判決が続出しているのだという。

具体的な理由を示さなくても解雇は自由だ、というのである。

それらの決定・判決を書いたのは若手といわれる裁判官たちで、賃金の切り下げに同意しない従業員の排除を容認し、まったく出社しない役員に高額の報酬を支払いながら「経営が苦しい」と従業員のクビを切ることを認め、正社員を解雇して代わりに派遣労働者を入れることを許し、部門閉鎖による従業員切り捨ても認め、さらにおまけとして解雇の自由をうたいあげた。(5−6頁)


おや、これはどういうことだろうか?

世の中では、「日本は解雇規制が厳しい」と言われていたのに。

諸外国に比べて、日本の解雇規制は厳しすぎる、と言われていたのに。

裁判所はすでに「解雇自由」を繰り返し強調しているではないか。

 よく「日本は解雇の難しい国」だと言われる。しかしそれは、終身雇用という言葉から生まれた誤解か、あるいは、現実を知らない人たちが数字を基に作りあげたフィクションというべきだろう。ひとたび労働事件の「現場」に目を当てれば、不公正な行為への歯止めがまったくないという点で、日本ほど解雇が自由な先進国は珍しい。(9頁)


なるほど。

御用学者たちの主張とは逆に、
実際はむしろ解雇規制がないと言ってよいほどだったのだ。

たしかに思い当たることがある。

わたしの知っているひとたちでも、
不当解雇されたのに裁判で勝ったというひとはほとんどいない。

著者によると、EU諸国やアメリカでさえ、日本ほどひどくはないという。

それに比べると日本は規制はなきに等しいという。

それだけではない。

 ……日本では「でっちあげ」「こじつけ」「言いがかり」が自由自在。(10頁)


企業に都合のいい社会になっているということだ。

もちろん「解雇権濫用法理」として知られる「規制」も存在していたが、
それが現実の労働者の権利を守ってきたかどうかは別の問題である。

そしてそれをさらに緩和しようとしたのが、小泉政権だった。

小泉首相をはじめ、
坂口厚生労働大臣、
八代尚宏・日本経済研究センター理事長、
経済財政担当相・竹中平蔵、
小嶌典明・大阪大学大学院教授、
といったひとたちが解雇自由化へ向けて動き出した。

おなじみの面々である。

目指されたのは、「有期雇用の拡大」と「解雇しやすいルールの制定」。

働くひとたちにとっては、雇用の不安定化以外の何ものでもなかった。

国際会計基準の導入をひかえ、主要企業が次々に数千人規模の大リストラ計画を発表していったのは1999年。国際会計基準には連結キャッシュフロー計算書が含まれ、そこでは短期の現金収入が重視されるため、固定費となる労働コストを削減しようとする圧力はかつてないほど強まった。(24頁)


話はそれるが、
最近ニュース番組で小泉進次郎のインタビューをちょくちょく見かける。

野党党首のインタビューにつづいて、小泉のインタビュー。

なぜこの薄ら馬鹿のコメントを報道陣はありがたくとってくるのだろうか?

わたしにはまったく理解できない。

おい、小泉よ。

きみの父親がこの日本で何をしたのか、われわれは忘れないぞ。

では、政府は解雇規制をさらに緩和して何を実現しようとしているのだろうか?

著者がそれを分かりやすい表現でまとめてくれている。

要するにこういうことだ。

 「労働者は、たとえ不当解雇を受けても、使用者を批判してはいけない。職場復帰を求めてビラをまくといった行動もしてはいけない。そんな反抗的態度をとる者は、たとえ裁判に勝っても、職場には戻れないというルールをつくる」
ということだろう。(40頁)


経営者の気分次第で自由自在に労働者を解雇できる日本社会。

そして忘れてならないのは、多くの国民が小泉政権を支持したということだ。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


大阪のある小さな会社で、ある社員が解雇された。

社長は社員たちの前で「懲戒免職」の解雇通知を読み上げたのだという。

 「貴殿は当社に就業期間中にもかかわらず、昭和60年には千葉県成田市に於いて密輸行為(象牙、コピー商品等)を行ない禁固刑に処せられており、その事実を当社に通告することなく、『身内の葬儀』等の虚偽の申告を行ない、事実を隠蔽した」
 「貴殿はまた平成4年にも暴行傷害事件をおこし、同様の手口で事実を隠蔽した」(57頁)


「犯罪行為を行なっていたなら、解雇されても当然ではないか」。

これを見てそう思ったひともいるだろう。

だが、驚くなかれ。

解雇されたご当人には、まったく身に覚えのないことだった。

犯罪を行なった事実はまったくなく、有罪判決を受けた事実もなかったのだ。

社長によれば「密輸行為」を行なったとあるが、
解雇されたご当人は海外旅行に行ったことも成田に行ったこともないのだという。

信じられるだろうか?

この社長は、まったくの嘘をでっち上げて、この社員を解雇したのだった。

なぜか?

組合を作ったからである。

詳細はぜひ本書を読んでいただきたい。

著者が取材して明らかにした数多くの衝撃的事実に、慄然とするはずだ。

平然と嘘をつく会社。

そしてそれを正当化する会社側弁護士。

さらにそれを認めてしまう裁判官。

 使用者の嘘をあおる弁護士。その嘘をとがめるどころか、使用者の主張なら偽証でもうのみにする裁判官。法曹がつくりだす「嘘つき天国」のなかで、救いを求める労働者は木の葉のごとく翻弄され、勝った者でさえ司法に絶望している。(91頁)


日本は、他の先進諸国に比べて、あまりに立ち遅れている。

日本は、こういうことがあまりに多すぎないか?

人権に関する法整備が立ち遅れている。

朝鮮学校に対する露骨な差別も、堂々とまかりとおっている。

先日取り上げた「慰安婦」問題もそうだ。

 ……日本には解雇制限法もない……。……世界のレベルからいうと、非常に立ち遅れているという状態……。
 日本は民事裁判自体の数も少ないが、とりわけ労働裁判が少ない。年間の労働裁判の件数はドイツ60万件、イギリス10万件、フランス20万件。それに対して日本は、増えたといっても平成14年度で3000件くらい。労働者の人口比からいっても、労働相談件数との対比からいっても、極端に少ない。(105−106頁)


自己責任論が浸透している社会では、これが当然なのか。

では、EUは日本とどこが違うのだろうか?

 ……何よりも大きいことは、EUの国には「労働参審制」があることだろう。労働参審制とは、労使の代表が裁判官となって労働事件の審理を行うシステム。フランスは労使の裁判官だけが審理にあたる。イギリスとドイツでは、労使の裁判官が職業裁判官とともに審理にあたり、労使裁判官には、職業裁判官と同等の権限があたえられている。(107頁)


実際の労使関係に詳しいひとが、審理に当たるのである。

これが労働裁判の公正さを担保する。

だが、日本の経営陣は参審制の導入には強く反対している。

 「参審制については、私どもは反対の考え方を持っております。やはり法律の最終的な判断というのは、プロフェッショナルの裁判官によってなされるべきだと。私どもとしては、現在のプロの裁判官の判断が、それほど問題だというような認識は持っておりません。むしろ、そこへ労使というような人が入ってくることによって、かえって混乱を起こすのではないかというような点が心配でございます」(外資系企業)(108頁)


現行の裁判に問題がないのであれば、参審制の導入は不必要かもしれない。

だが、実際の裁判を見てみれば分かる。

企業による労働者の「モノ扱い」「非人間化」が放置されている。

内部告発をすればその社員は徹底的に報復される。

企業の犯罪行為が公然と行なわれているのが現状だ。

これは、この国の司法の機能不全を示しているのではないか?

 具体的な理由を示さず「懲戒解雇にする」と脅し、「不服があればいろいろどうぞ」と言い放つ。このパターン化した暴力を支えているものは、明らかに裁判システムの欠陥である。(117頁)


司法が監視しないのであれば、企業はますます図に乗る。

 私は、あからさまな不当解雇を受け、裁判に勝って職場復帰したいくつものケースで、「日本の企業のありかた」に慄然とするものを感じた。
 ある人は、キャリアとは関係のない販売に回れと指示された。ある人は、営業の外回りに必要な車を「使うな」と指示されていた。ある人は、他の社員から孤立させるため、「通常の勤務時間中は社内にいないように」と命令されていた。そしてある人は、会社が「盗聴」しているので気をつけるようにと、心配した同僚から注意されたという。(123頁)


これが日本の企業のしていることだ。

自己責任論の跋扈する陰で、企業がしていることだ。

右傾化が進行し、国民の不満が国外に向けられているなかで、
企業はこのような不法行為を平然と繰り返しているのである。

北朝鮮政府もびっくりするのではなかろうか?

日本は民主主義の国だって?

中国のような一党独裁の国とはちがうって?

笑わせてくれては困る。

「美しい国、日本」だって?

この国のどこが一体美しいと言うのだろうか?

日本の右翼は外部の「敵」を強調することで、
こうした問題から目をそらし隠蔽工作に加担しているのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


2003年、当時の自公連立政権は、労働基準法改正案を提出した。

 労基法改正案は、解雇ルールの新設とともに、有期雇用(期限付き雇用)の拡大も含んでいる。その内容は、通常の仕事では3年(現行1年)、高度に専門的な仕事では5年(現行3年)までの契約を可能にしようというもの。(127頁)


労働者派遣法改正案も提出された。

不安定雇用の拡大をねらったものだった。

これらの政策は、明らかに日経連(当時)の要望に沿ったものだった。

別の記事でも書いたが、あらためて確認しておこう。

日経連(現日本経団連)は、
1995年に研究プロジェクト報告「新時代の日本的経営」を発表した。

そこでこれからの従業員を「三層分け」していくことが宣言された。

@ 「長期蓄積能力活用型」グループ

  この人たちは管理職、総合職、技能部門の基幹職といった仕事につく。

A 「高度専門能力活用型」グループ

  この人たちは企画・営業・研究開発といった専門職につく。

B 「雇用柔軟型」グループ

  この人たちは一般職・技能部門・販売部門などに従事する。


終身雇用制はもう古い、という。

グローバル化の時代に対応できない、という。

 そして「期間の定めない雇用契約」(いわゆる正社員)が適用されるのは、トップに位置する長期蓄積能力活用型グループだけ。第二・第三のグループは「有期雇用」にするというのが、日経連が95年に示した未来図だった。(129−130頁)


この未来図に沿って、日本の保守政権は「改革」を断行した。

その結果、他の国で見られない「膨大な数の非正規雇用」を生み出した。

いまや労働者の1/3が非正規雇用になった。

偽装請負も横行している。

それにしても、どうして企業は直接雇用をせず、派遣労働者や請負を使うのか?

なぜわざわざ他社の人間を使おうとするのだろうか?

これについて厚生労働省が実施したアンケート調査がある。

それによると、こうだ。

第1位 「雇用調整が容易なため」

第2位 「雇用管理の負担が軽減されるため」

第3位 「経費が割安なため」(140頁)


いつでも切り捨てることができる、というわけだ。

さらに、知らないひとにとっては驚愕するであろう事実が存在する。

多くの会社で、派遣労働者や請負労働者など外部の人間に支払う賃金は、帳簿上、人件費ではなく「物件費」「物品費」として処理されているという。「物件・物品」の内容が「実は人間である」ということについて、有名企業も、有名企業の社員たちも、いつしか感覚を麻痺させていくことは当然といえるかもしれない。(140−141頁)


このこともわたしは以前ある記事で書いたかもしれない。

どうだったか、忘れてしまった。

ともかく、政府と財界が何を目指しているかは、これで明白だろう。

「労働者が多様な働き方を選択できる可能性を拡大」というスローガンのもとに、企業にとって利用しやすい雇用形態が作られ、「働き方に応じた」労働条件を確保するという文句で、下に位置する者への不当な扱いも公認されていく。いま作られようとしているものは「身分によって生きる権利が変わる」社会であり、「職業には貴賎がある」という思想を公然と語る差別社会である。(150頁)


日本は法治国家のはずだ。

だから、労働者は企業を訴えることもできる。

上役への直言を嫌われて解雇され、裁判で解雇無効を争った管理職の男性が語る。
 「とにかくまいったのは、僕がしてきた仕事について、証拠は全部会社にあったことです。会社は解雇の理由は勤務成績だと主張し、僕がさぼってばかりで、まったく仕事をしていないと主張したけれど、僕がとってきた注文はたくさんある。でも、その書類は会社が保管していますから、会社に『そんな書類は存在しない』と言われたら、それで終わり。
 僕の場合、対抗手段としては、現役の部下に証言に立ってもらうことしかなかったんです。実際に、会杜の仕打ちに腹を立てて『裁判所で証言します』と言ってくれた部下がいたけれど、上司としてそれだけはさせたくなかった。会社にさからっている僕に協力すれば、今度はその部下が会社の中でひどい扱いを受けることは目に見えている。事実を知っている社員を巻き込まず、たった1人で闘おうとすれば、おのずと限界があるんですよ。
 裁判所の期日に出かけるときも、原告の僕はアルバイトを休んで行かなきゃならない。会社からは総務部の人間が来ていましたけど、彼らは勤務時間中に、会社から給料をもらって来ているわけですからね」(155頁)


かつて日本には「三審制」が希望だった時代があった、と聞いたことがある。

「地裁や高裁で負けても、まだ最高裁がある」と。

だが、現在の日本は、そのような希望を持てる国ではない。

 私は、ある契約社員が勤め先と交わした「雇用契約書」を見せてもらったことがある。
 その人は勤め先をリストラされ、ハローワークでいまの仕事を見つけた。職種は技術関係の専門職で、1年契約の有期雇用だったが、応募が殺到。競争率は50倍を超えたという。難関を突破して採用が決まり、会社と雇用契約書を交わした。その内容は、会社にとって「一方的に都合がいい」ものだった。
 まず、仕事で特許・発明を行なった場合、その権利はすべて会社に帰属する。
 契約の終了は、期聞が満了したとき。つまり、どれほど貢献をしても、会社が「期間満了です」といえば、それで契約は終わる。
 そして私が驚いたのは契約書に記載された「懲戒解雇」の項目である。「次の場合は懲戒解雇とする」として、実に30項目もの懲戒理由が並べられていた。その内容は抽象的なものが多く、「職場の風紀を乱したとき」という項目は、その気になれば自由に適用できるし、「会社の中で文書を配布したとき」というのは、労働組合活動への牽制だろうか。(175−176頁)


わたしの辞書によれば、これは「奴隷」と呼ばれるべきものである。

みなさんの辞書ではどうなのだろうか?

「努力すれば報われる社会」か?

「自律・自立した個人」を確立する強い日本社会か?

 企業の経営者が持つ哲学・思想と、社会全体との折り合いを考えていくことが、政治の役割ではないか。この国の不幸は「政治の不在」にある。(178頁)


マルクス主義に親しんだものなら、政府が企業の手先になり下がるのは自明だろう。

現代は、政府と企業の蜜月関係が如実にあらわれている時代だ。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ILO(国際労働機関)という組織がある。

ここである重要な条約が採択された。

修正と妥協を重ねたうえ、「賛成358、反対9、棄権54」によって、国際標準の解雇ルール「ILO第158号条約」が採択された。(194頁)


不当解雇から労働者を守るためのものだった。

どのような内容か、見てみよう。

 第4条 労働者の能力または行為に関連する正当な理由、もしくは、経営上の正当な理由がないかぎり、解雇してはならない。

 第7条 労働者の行為または業務遂行に関連して解雇するときは、解雇をする前に、当該労働者に弁明の機会を与えなければならない。

 第8条 不当な解雇を受けたと認識する労働者は、裁判所、労働裁判所などの公平な機関に提訴する権利を持つ。

 第9条 解雇の不当性を立証する責任は、労働者だけが負うことがないように規定する。
     そのため、次のいずれか又は両方の可能性について規定する。
   ・ 正当な理由の立証責任は使用者にあること。
   ・ 公平な機関に、当事者から提出された証拠に基づき、解雇理由について決定をおこなう権限を与えること。

 第10条 不当に解雇された場合において、復職が不可能なとき、裁判所など公平な機関は、適当な補償の支払い、あるいは、他の救済を命じることができる。(194−195頁)


日本政府は、アメリカとともに、
この条約内容を何とか変更させようと努力したらしいのだが、
結局は日本も賛成にまわった。

この日本政府の妙な振る舞い方は、ほかの条約制定でも見られたものだ。

日本は政労使ともこの条約に賛成の票を投じた。しかし批准はしないまま時が流れた。(195頁)


条約には賛成したが、批准はしない、と。

どういうこと?

この条約が採択されてから、20年以上が経過した。

2003年5月28日、衆議院厚生労働委員会の様子を本書から引用してみよう。

社民党・阿部委員「いわゆるILO158号条約というものが、1982年にできております。それについて厚生労働省の国際課に、どのような検討をしてきたのか、私は昨日に資料を出してくれと言いましたが、資料がない、まったくない、20年間まったくない、と。なぜまったく資料がないのか、どんな検討がされたかもわからないのか、ご存知でしたら教えてください」

労基局長「正直申し上げますと、あまりこの件については詳しくないというのが正直でございます。……」

阿部委員「採択に賛成で、しかしながら、個々に点検すら印象においてしていない、何も公文書が残らない、そんな行政というのはありでしょうか。この158号はむしろ解雇規制のルールです。これを採択したのであれば、国際化した時代に我が国も乗り遅れまいとするならば、やはりきちんとした検討、その検討もなくて、なぜまっさかさの法律が出てくるのか、そこが厚生労働行政の怠慢ではないか」(195−196頁)


「そんな行政はあるのだろうか?」。

同感だ。

それにしても、
日本の右派がこうした責任追及をしたことをわたしは見たことがない。

「toripan1111」もそうだ。

なぜか?

「資本の手先」だからだろう。

「toripan1111」の場合は能力的な問題かもしれない。

「労働は、商品ではない。」

「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である。」

(ILO「フィラデルフィア宣言」1944年)(200頁)


この国の貧困を、この世界の貧困を、われわれの問題と見なせないひとは、
すべて「資本の手先」と言うべきであろう。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


2003年、国会では労働者派遣法改正・労働基準法改正が審議されていた。

これを傍聴していた著者は、与党議員の空席が目立ったと述べている。

そこで実際に出席議員を数えてみたらしい。

結果は全部で14人(定数45)。特に与党は、委員長を含めて出席4人、空席率は実に85.2パーセントである。(202頁)


さらに呆れるようにこう付け加えている。

 がらがらだったのは議員席だけではない。傍聴席は3列あって、その1列目は記者席となっていたが、そこもほぼ空っぽだった。(203頁)


エリートたるマスメディアの連中にとっては、関心の外ということか。

それとも、政府に官房機密費などで懐柔され、骨抜きにされていたのか。

それから何年も経って、
マスメディアはようやく「格差社会」の問題を取り上げることになる。










テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
島本慈子『ルポ解雇』(岩波新書) フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる