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zoom RSS ルイス・フロイス『ヨーロッパと日本文化』(岩波文庫)

<<   作成日時 : 2011/01/24 23:29   >>

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おもしろい本を読んだ。

著者はイエズス会の宣教師で、江戸時代の「日本」を観察した人物だ。

「日本」に「 」をつけて表記したのは、
当時は国民国家としての日本はまだ成立していなかったからである。

彼が見た「日本」は、まったく異なる文化を持った別世界であった。

じつに興味深いのは、この本を読むと、
われわれの感覚はむしろ著者の方に近いのではないかと感じることだ。

江戸時代の「日本」は、現代の日本人にとっても異文化世界なのだ。

保守派や右派は何かというと「伝統文化」だの「日本文化」だのと言い出す。

当ブログに執拗ないやがらせをしてきた「toripan1111」のような御仁も、
「国民国家と文化」の問題をまるっきり理解できていなかった。

彼らは「伝統文化」や「国民文化」の意味がさっぱり理解できないらしいので、
そのことについてはまた後日記事を書くことにする。

彼らがイメージしている「あるべき日本の姿」は「伝統」でも何でもない、
ということがこの本を読むとじつによく分かる。

貴重な記録である。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


著者の目に映ったのは、江戸時代のひとびとの「奇妙な」服装と仕草だった。

たとえばこんな具合だ。

われわれの間では男たちは髪を刈っており、禿頭にされると侮辱されたと考える。日本人は毛抜を用いて、自分で、毛の残らないように、全部抜いてしまう。そのことは苦痛と涙を伴う。(17頁)


現在は、多くの日本人が「ハゲ」を恥じている。

毛を抜くなんて、とんでもない。

抜けた毛を必死に集めてもとに戻したくて仕方がないくらいなのだ。

高価な育毛剤を買う現在の日本人やカツラをかぶる現在の日本人は、
江戸時代のひとたちから見ると「そんなやつらは西洋かぶれだ!」というところか。

われわれは散歩を、大きな保養で健康によく、気晴らしになるものと考えている。日本人は全然散歩をしない。むしろそれを不思議がり、それを仕事のためであり、悔悛のためであると考えている。(27頁)


ここを読んでわたしも思い出した。

アメリカかどこかのサラリーマンが香港を訪れ、ジョギングをしていると、
現地のひとから「なぜ走っているのか、お金がもらえるのか?」と訊かれた、
というエピソードをどこかの本で読んだ覚えがある。

もうずいぶん前のことだったが、その話に似ている。

われわれはいつでも唾を吐き出す。日本人は概して痰を呑み込む。(29頁)


伝統を重んじる日本の右翼諸君は、これからはご自分の痰を飲み込んでほしい。

ヨーロッパでは暖まるために火に向かって一方の足を露わにすることは奇異の感を与える。日本では暖をとるために火に向かって立っている者が恥じることもなく公然と臀をまくる。(32頁)


何と日本人はお下品な……。

われわれは衣服を手で擦って洗う。日本では足で蹴るようにして洗う。(33頁)


足で洗うなんて……これも現代日本人には下品に見えるだろう。

われわれの間では夏でも冬でも身体が見えるほど薄い衣服を着ることはない。日本では夏にはほとんど丸見えになるくらい薄いものを着る。(38頁)


身体の露出に「恥じらい」を感じなかった。

「恥じらい」の感覚それ自体が歴史的産物だということだ。

江戸時代の女性たちの行動も、著者にとっては驚きの連続だった。

そして、現代日本人にとっても驚きの連続ではないだろうか?

ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。(39頁)


ここは、自民党の女性国会議員どもにぜひ読ませたい。

彼女たちの思い込みは、見事に叩き壊されることになるだろう。

ヨーロッパの女性は美しい整った眉を重んずる。日本の女性は1本の毛も残さないように、全部毛抜で抜いてしまう。(43頁)


眉毛をすべて抜くのが、みだしなみ。

自称保守派の女性たちは、眉毛をすべて抜いていただきたい。

われわれの間では女性が素足で歩いたならば、狂人か恥知らずと考えられるであろう。日本の女性は貴賎を問わず、1年の大半、いつも素足で歩く。(46頁)


いっつも裸足。

ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く。(48頁)


ここも日本の保守派・右派に読ませたい部分である。

ヨーロッパでは、妻を離別することは、罪悪である以上に、最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる。(49頁)


かつての女性の方がいまよりもはるかに自由だった面もあるのかもしれない。

離婚に対するタブーが日本は少なかった。

これはよく指摘されることである。

汚れた天性に従って、夫が妻を離別するのが普通である。日本では、しばしば妻が夫を離別する。(49頁)


近年離婚率が高まっていることを取り上げて、
日本の家庭は崩壊しているなどと危機感を煽る保守派がうじゃうじゃいる。

だが、これも自分たちの勝手なイメージを過去に投影したものにすぎない。

ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで1日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。(50頁)


昨今の若者を見て眉をひそめる保守派にとって、これも都合のわるい事実だろう。

ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている。(50頁)


フロイスにはびっくりの連続だっただろう。

ヨーロッパでは、生まれる児を堕胎することはあるにはあるが、滅多にない。日本ではきわめて普通のことで、20回も堕した女性があるほどである。(50頁)


日本で中絶論争があまり起きないのは、このことも影響しているのだろうか?

ヨーロッパでは嬰児が生まれてから殺されるということは滅多に、というよりほとんど全くない。日本の女性は、育てていくことができないと思うと、みんな喉の上に足をのせて殺してしまう。(51頁)


「嬰児殺しは日本の伝統文化だ」と保守派は言うのだろうか?

ヨーロッパでは修道女の隠棲および隔離は厳重であり、厳格である。日本では比丘尼biqunisの僧院はほとんど淫売婦の街になっている。(52−54頁)


性的に自由な女性たち。

われわれの間では女性が文字を書くことはあまり普及していない。日本の高貴の女性は、それを知らなければ価値が下がると考えている。(54頁)


こういうところだけは、保守派が好んで取り上げるだろう。

ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。そして貴人(フイダルゴ)たちは料理を作るために厨房に行くことを立派なことだと思っている。(56頁)


へえ。

ヨーロッパでは女性が葡萄酒を飲むことは礼を失するものと考えられている。日本ではそれはごく普通のことで、祭の時にはしばしば酔払うまで飲む。(57頁)


なるほど。

われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ〔言葉?〕によって譴責するだけである。(64頁)


へえ。

最近の親は子どもを甘やかしている、と保守派は言えなくなってしまう。

われわれの間では女性だけが化粧品と白粉を使用する。日本の上流社会では10歳までの少年が外出する時に、同様に化粧品を使う。(69頁)


「男が化粧をするなんて」という保守派の嘆きも、根拠がない。

仏の道に仕えるはずの坊主たちの姿も、著者には驚きだったようだ。

われわれの間ではデウスに誓ったことを完全に守るべく努力する。坊主らは外面には肉も魚も食べないと公言する。しかしほとんどすべてのものが蔭では食べているので、食べないのは人に見られるのを惧れるためか、または食べることができないためである。(72頁)


タテマエとホンネ。

われわれの修道士は飲むこと、とくに葡萄酒を飲むことに大いに節制を守り、中庸を持している。坊主らは禁じられているにも拘らず、道路で酩酊しているのに〔出会わすことが〕しばしばある。(74−75頁)


坊主は、肉も魚も食べ、さらに大酒をくらう。

ヨーロッパでは主人(セニョール)が死ぬと従僕らは泣きながら墓まで送って行く。日本ではある者は腹を裂き、多数の者が指先を切りとって屍を焼く火の中に投げ込む。(81頁)


自称保守派は、ぜひこの慣習を復活させていただきたい。

われわれの死者は顔を上に向けて横たえられる。彼らの死者は坐らされ、顔を膝の間にはさんで縛られる。(88頁)


死者の扱いは、各地で違いはあったのではなかろうか。

われわれは乳製品、チーズ、バター、骨の髄などをよろこぶ。日本人はこれらのものをすべて忌み嫌う。彼らにとってはそれは悪臭がひどいのである。(101頁)


いまでは、それらも日本人の大好物である。

われわれは嬉しい愉快な顔を示して主人の葡萄酒を褒める。日本人は泣いているように見える厭な顔をして褒める。(103頁)


ほほう。

われわれの間では人が自殺することは最も重い罪とされている。日本人は戦争の際に力の尽きた時は、腹を切ることが、勇敢なこととされている。(116頁)


天皇をはじめ戦争指導者たちは、誰も腹を切らなかったのだが。

われわれの間では医者は試験を受けていなければ、罰せられ、治療をすることはできない。日本では生計をたてるために、望む者はふつう誰でも医者になれる。(137頁)


怖いな。

われわれは書物から多くの技術や知識を学ぶ。彼らは全生涯を文字の意味を理解することに費やす。(139頁)


実用性は重視されなかったということか。

われわれの間では人に面と向かって嘘付きだということは最大の侮辱である。日本人はそれを笑い、愛嬌としている。(178頁)


だから右派は平気でウソをつくのか。

われわれの間では人を殺すことは怖ろしいことであるが、牛や牝鶏または犬を殺すことは怖ろしいことではない。日本人は動物を殺すのを見ると仰天するが、人殺しは普通のことである。(178頁)


平気で人を殺す「日本人」。

われわれの間では窃盗をしても、それが相当の金額でなければ殺されることはない。日本ではごく僅かな額でも、事由のいかんを問わず殺される。(178−179頁)


すぐ殺す「日本人」。

われわれの間では人が他人を殺しても、正当な理由があり、また身を守るためだったならば、彼は生命は助かる。日本では人を殺したならば、そのために死ななければならない。またもし彼が姿を現わさなければ、他人が彼の代りに殺される。(179頁)


誰でも殺す「日本人」。

われわれの間では一般に蛇を怖れ、手で触れるのも厭がる。日本人は怖れることなく、きわめて易々と手で掴み、あるものはそれを食べる。(181頁)


なるほど、ヘビを食べたひともいたであろう。

別にこれはびっくりしない。

われわれの間では別れる時や外から帰ってきた時に抱擁するのが習わしである。日本人は全くこういう習慣を持たない。むしろそれを見ると笑う。(186頁)


以前、渋谷で、見知らぬ通行人と片っ端からハグをする、
というイベント(?)をしていた若者を見かけた。

愛国心が強い現代の若者だが、
彼らは「伝統文化」を重んじる保守派から「非国民」と呼ばれるのだろうか?

われわれの間では偽りの笑いは不真面目だと考えられている。日本では品格のある高尚なこととされている。(187頁)


「愛想笑い」のことだろうか?

日本では、おかしくもないのにニヤニヤ笑うひとがたしかに多い。

皇室の女性たちがまさにそうである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


保守派や右派の言う「日本の伝統文化」は、
彼らの勝手な理想を過去に投影していたものにすぎない。

その多くは過去に存在してもいなかった。

過去の都合のいい部分だけをつまみ食いするのが右派・保守派である。

本書を読むと、そのことがよく分かる。










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