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zoom RSS 粟屋憲太郎ほか『戦争責任・戦後責任』(朝日選書)A

<<   作成日時 : 2010/12/20 01:28   >>

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記事の更新を長いことサボってしまった。

なにせ毎日目がまわるほど忙しいのだ。

コメントもいくつか頂戴しているようなので、
なるべく早めにお返事を書かせていただこうと思う。

コメントをくださった方々はまだ当ブログをご覧になっているのだろうか?

例の粘着質の御仁は、相変わらずのご様子。

どうやらヒマでヒマで仕方がないひとのようだが、
ご自分がヒマだと他人までヒマだと思い込んでしまう性質らしい。

やれやれ。

自己中心的で幼稚なひとというのは内臓の奥底からヘドが出ますね。

今年もあと10日ほどしか残されていない。

できるだけ更新していこうとは思っている。

ありがたいことに記事を読んでくださる方々がけっこういるらしいから。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


きょうの夕方、フジテレビでとんでもない番組が放映されていた。

「特命報道記者X2010ニュースが伝えきれなかった真相」という名の番組で、
中国で「反日洗脳教育が行なわれていた!」という趣旨の内容だった。

ご覧になった方はおられるだろうか?

わたしは黙っていられず、怒りのあまり、抗議のメールを送った。

ふだん「マスゴミ」などとメディア批判をしている連中は、
こういう番組にかぎっては素朴に共感し納得してしまっていることだろう、と思う。

フジテレビって、改めて思ったが、やっぱり最低ですね。

日本人がいかに過去の問題に無頓着であるかを示す格好の事例となっていた。

だから、こういう卑劣な人間にならないためにも、過去の問題と向き合う必要がある。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


今回は、東京裁判から見ていくことにしよう。

東京裁判というと、日本のボンクラ右派は「裁かれたこと」に文句を言う。

だが、東京裁判で「裁かれなかったこと」がある。

東京裁判では、何が裁かれなかったのだろうか?


◆第2章 東京裁判にみる戦後処理(粟屋憲太郎)


ポツダム宣言は、日本の戦争犯罪人を厳しく処罰することを規定していた。

処罰を怖れた右翼連中はすぐにある行動に出た。

 日本の支配層はポツダム宣言を受諾して降伏したのだが、連合国の戦犯処罰方針に対処するため敗戦直後になされたのが、関係重要資料の焼却であった。(76頁)


つまり凶悪犯罪者たちによる組織的な「証拠隠滅」だ。

そのうえで彼らは「証拠がない」と居直る。

ネット右翼どもも「証拠がない」とはしゃぐ。

これで犯罪は完成される。

右派は、戦前・戦中の日本政府の行為を正当化したがるが、
それならどうして当時の軍部は「証拠隠滅」を図らなければならなかったのか?

彼らは東京裁判による裁きを非難してみせるが、
東京裁判では「裁かれなかった重大な事実」が存在する。

日本軍による「人肉食」だ。

最近ではこうした事実も知られなくなっているようだが、
日本軍は戦争中、飢えのあまり人間の肉をむしゃむしゃ食らっていたのである。

では、誰の肉を食らったのか?

日本軍の人肉食の対象になった被害者を4つのグループに分けると、こうなる。

 第1はオーストラリア兵、第2は「労務者」としてニューギニアに連行されてきたアジア人捕虜、第3はニューギニアの原住民、第4は自軍の日本人兵である。(102頁)


「輝ける皇軍」の実態は、こんなものだったのだ。

「白人からアジアを解放する」と言ったものの、実態はこんなものだったのだ。

何とひとの肉まで食べていたのだった。

しかも同胞の肉まで。

だが、この事実も今ではほとんど語られていない。

……東京裁判の訴追内容に日本軍の人肉食をふくめなかった。(103頁)


よく東京裁判に対して、「勝者の裁き」で正当性を欠くものだ、という批判がある。

だが、アメリカ側から日本人判事・検事も登用する考えが示されたものの、
日本政府にそのような発想がそもそも存在しなかったのだという。

天皇の戦争責任も問われなかった。

なぜか?

端的にいえば、アメリカが日本の占領統治を円滑にするため、高度の政治的配慮から天皇の戦争責任を不問に付し、その在位を認めて天皇制を温存したのであった。(88頁)


本書では、天皇が訴追リストから外された要因として、
アメリカの戦略のほかに蒋介石の意向がはたらいていたことも指摘している。

 天皇免責は、戦後日本における最大の政治神話を普及させることになった。すなわち、「昭和天皇は平和主義者で立憲主義者」だったという浮説がそれである。(92頁)


ではなぜ多くの日本人は、
「天皇は平和主義者」などという妄想を抱くことができたのか?

 昭和天皇死去に際して、フランス『ル・モンド』は、天皇の名において数多くの犯罪がなされてきたが、戦中派の多くの人々は天皇と「共犯意識を共有しているのだ」と鋭く指摘した。つまりそれは、自分たちもまた、程度の差こそあれ、同じ罪を犯したという「うしろめたさ」があり、それがある以上、天皇だけを厳しく批判するにはためらいがある、天皇に向けられた刃は実は自分自身に向けられた刃であることを潜在意識で感じる心情にほかならなかった。(93頁)


自分たちを免罪するためにこそ、天皇免罪が必要とされたのだった。

こうして、日本人の主体的な戦争責任意識の育成を妨げたのであった。

そしてもうひとつ、東京裁判で免責されてしまった重大な問題がある。

それは日本の植民地支配である。

朝鮮における「人道に対する罪」を追及すれば、当然、日本の植民地支配が問題になるはずである。朝鮮人は「帝国臣民」だったわけなので、朝鮮人強制連行など日本の「帝国臣民」への虐待行為を「人道に対する罪」で追及することが可能になったはずである。
 ところが、この後の起訴状の作成過程で、「朝鮮」は脱落することになった。東京裁判では、独立国家としては成り立っていなかった朝鮮の代表はいなかった。また裁判参加11カ国のうち植民地保有国家があり、植民地支配そのものが審判の対象となることを避けるため、日本の植民地支配は、東京裁判の訴追からは除外されることになったのである。(87頁)


ゆえに、日本人はいまだに植民地主義を克服できずにいる。

東京裁判で取り上げられなかった犯罪は、まだある。

日本軍による化学戦(毒ガス戦)、生物戦(細菌戦)の免責だ。

アメリカの当局者は、自国政府がドイツでは、ニュルンベルク継続裁判で、ドイツの科学者や医学者を人体実験の嫌疑で訴追していたことを知っていた。しかも731部隊関係者の人体実験もドイツの場合と同質だと判断していたにもかかわらず、これを免責したのである。(96頁)


日本が行なった人体実験も生体実験も裁かれることはなかった。

右翼の好きな論理である「やられたらやりかえせ」に則るならば、
中国人には日本人を生きたまま解剖し拷問する「権利」があるだろう。


◆第3章 ドイツ知識人の果たした役割(三島憲一)


戦後のドイツは、日本に比べると、はるかに戦争責任を果たしてきたと言える。

だが、ドイツをあまりに理想化しすぎるのも危険である。

なぜか?

 結論的に言えば、戦後の西ドイツでは多くの人々は最初のうち過去の犯罪に頬かむりをしていた。平均的な人々は、「ユダヤ人殺害のことは知らなかった」という発言を繰り返し、ドイツのやったことはさておいて、ドレスデンやハンブルクに対する連合軍の大空襲を恨み、批判する声の方が強いほどであった。(125頁)


戦後ドイツでは、連合軍によって「非ナチ化」が進められていった。

だが、ナチスの最高幹部だけを裁けばよいのか?

多くの党員の責任はどうなるのか?

ヒトラーの名を歓呼した何百万人のドイツ市民の責任はどうなるのか?

 ユダヤ人差別を合法化するために1935年に制定されたニュルンベルク人種法のコメンタールを書いたグロプケがアデナウアー内閣の官房長官を務め、やがてはローマ教皇ピオ12世の謁見まで受けたことは、今では語り草だが、やはり、非ナチ化のゆるさを象徴していよう。ついでに言えば、ヴァチカンは、1933年7月にヒトラーと協約を結んでおり、ユダヤ人虐殺の事実に対しても、ドイツのカトリック教会の組織防衛のために特に抗議の行動を取らなかった。(128−129頁)


カトリックは過去の過ちに誠実に向き合ったか?

現在の法王はいったい誰なのか?

総じて、ドイツ国民の多くは被害者意識を持つようになっていた。

 つまり、悪いのは、ヒトラーとその一味であって、ドイツ市民階級はむしろ被害者であったという考えがそこには通底している。(132頁)


これは戦後日本人の意識と似ている。

悪いのはA級戦犯であって、天皇および日本人はむしろ被害者であった、と。

最近では、A級戦犯でさえ悪くはない、と言い出す日本人が増えているが、
これは彼らがヒトラーを賛美するネオナチの連中と同類であることを示している。

ともあれ、日本人にとっても、ドイツ市民の戦争責任は思考の外にあった。

カラヤンが自ら進んでナチ党員になっていたこと、そしてそのことを戦後過ちと認めていないこと……。(133頁)


こうしたことは、日本人の関心に入ることはなかった。

とはいえ、「過去の克服」はドイツの知識人にとって重大なテーマになっていった。

ここで著者は、ハイデガー、ハーバーマス、アドルノ、ギュンター・グラス、
といった思想家・著名人の動向を取り上げる。


◆第4章 ドイツにおける戦後責任と戦後補償(広渡清吾)


この章では、ドイツが果たしてきた戦後補償が解説されている。

国民に対して、どのような補償が行なわれたのか?

対外的にはどのような国家賠償が行なわれたのか?

こうしたことが説明されている。

旧東ドイツにおける「過去の克服」についても簡単ではあるが触れられている。

ドイツに特徴的なのは、「過去の克服」が、国家犯罪の反省と結びついていることだ。

だから、旧東ドイツ政府の犯罪行為も批判の対象とされた。

1961年8月に構築された「壁」は、89年10月の開放に至るまで、200人を超える東の市民の犠牲者を生んだ。
 まず、「壁」を守備し、実際の射殺行為を行った国境守備兵が殺人罪に問われて、法廷に立たされた。もちろん、近代刑法の原則によると、行為の時点でその行為を処罰することを法律が定めていなければ、行為者は事後的に処罰されることはない(罪刑法定主義の原則)。それゆえ、国境守備兵は、東ドイツ刑法の殺人罪規定によって裁かれるのである。もちろん、国境守備兵は、恣意的に発砲したわけではない。東ドイツには、「壁」を越えること(違法な出国)を犯罪とみなし、それを阻止するために発砲を認める、国境法という法律があった。つまり、発砲し、越境者を死に至らしめたのは、形式的には殺人行為であるが、この行為は国境法によって正当化されるので、殺人行為の違法性がなくなる、つまり犯罪でなくなる。これが、国境守備兵の弁護側の主張であった。
 裁判所(ベルリン地方裁判所)は、この主張を認めず、国境守備兵に殺人罪で有罪を宣告した(92年1月20日)。その理由によると、市民の出国の自由を阻止する内容を持つ国境法は普遍的人権の基準に照らして「不法な法」というべく、それゆえ、発砲行為の正当化のために援用することはできないとされた。「不法な法は法ではない」という理屈は、ナチス犯罪を追及するときに、戦後西ドイツの裁判所が用いたものでもあった。(207頁)


日本の右派は、侵略戦争や植民地支配を正当化しようとするとき、
「当時は合法的に行なわれたのだ」と言い張る。

「悪法も法なり」だというわけだ。

それなら、
もし彼らと敵対する勢力が権力を握って彼らを抹殺することを合法にしたら、
「それもそのときの法に照らして合法だ」と納得してくれるのだろうか?

ドイツの話に戻ろう。

ドイツ基本法でもっとも知られているものといえば、「庇護権」だろう。

さすがカントを生んだ国である。

……基本法規定の中でもっとも注目されるものが、庇護権に関する規定であった。基本法16条2項2文は、「政治的に迫害されている者は、庇護権を享受する」と定めた。政治亡命者の受け入れは、伝統的な国際法によれば、主権国家の裁量に属するものであり、亡命希望者が受け入れを請求する権利を持つわけではない。それゆえ、この規定の画期性は「政治的に迫害されている」という要件の下に、外国人がドイツ国家に対して「基本権」としての庇護請求権を有することを認めているところにある。逆にいえば、政治的迫害の要件が示されるかぎり、ドイツ国家は、その外国人を庇護権利者として、自国に受け入れる義務があるのである。こうして、庇護権規定は、個人の尊厳の保障をうたう基本法のシンボル的存在であり(日本国憲法9条に対比できる)、また民族的、人種的偏狭さから自由な「開かれた共和国」を目指す旗幟と考えられてきた。(215頁)


迫害の歴史をもつ国は、庇護の重要性を認識する。

他方、迫害の歴史を持ちながら、
戦後60年以上も経って、いまだに迫害を継続している国もある。

どこの国のことかは、言わずにおこう。

本書を読めば、日本がいかに国際社会の倫理から孤立しているかが、よく分かる。











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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
>例の粘着質の御仁は、相変わらずのご様子。

>どうやらヒマでヒマで仕方がないひとのようだが、
ご自分がヒマだと他人までヒマだと思い込んでしまう性質らしい。

>やれやれ。

>自己中心的で幼稚なひとというのは内臓の奥底からヘドが出ますね。




ん?これは何を指して言ってるのだろう?

もしもtoripan氏に対しての事ならば「反論するから楽しみにしていろ」と言ったのは影丸氏本人なのだからヒマだろうがヒマでなかろうがさっさと反論すべし。
反論できないならばそれを認めて素直に謝罪するべき。

この様に言を左右に責任から逃れようとする卑怯な人格の人物が反体制気取りでモノを言う、それを可能にしているネット社会は問題多し・・・
さとりん
2010/12/23 18:46
ついでに影丸氏がtoripan氏に対して言ったコメントをtoripan氏が引用再掲載しているので紹介しておこう。

http://jiyuu-gennsou.at.webry.info/201003/article_2.html


どうも、toripan1111で御座います。

影丸クン、キミは

http://jiyuu-gennsou.at.webry.info/201002/article_24.html

のコメント欄で、2010/09/11 14:17に↓の様に書いてるんだけど、


『こんどあなたのための記事を書こうと思います。そこであなたへの批判と反論を展開していこうと思っています。いま猛烈に忙しいので、もうちょっとお待ちくださいね。「削除」されることをご心配なさっているようですが、どうぞご安心ください。「削除」どころか、あなたのための独立した記事を書こうというのですから。くれぐれも言っておきたいのですが、あなたも逃げないでくださいよ。いやあ、たのしくなってきましたねえ……(わたしも相当にいじわるかもしれないが)。では、また。 影丸』


それから一月以上経ってるんだけど、未だ御返事書けないの?

このブログに書いてる様な愚にもつかない記事を更新する暇があるなら、さっさと私が書いたコメントに反論しなよ?

と言っても、キミみたいな捕鯨に関する基礎的な事実関係も知らない様な人間が私の示してる客観的事実に対し反論する事が出来ないなんてのはとっくに判ってる事なんで、反論できないなら出来ない、でさっさとそう言いなよ?

いつまでもグズグズするな馬鹿w
さとりん
2010/12/23 18:50
因みにtoripan氏は自身が書いたコメントのページを全て魚拓にとって保存してるらしいから、影丸氏が反論できないからと削除してもその卑怯な態度の証拠は残る。

氏が逃れられないように私がtoripan氏のコメントを再掲してそれも魚拓を取っておこう。そうでないとこの御仁はいつまでも惚けとおすだけだ。

以下toripan氏の全コメント再掲載。↓
さとりん
2010/12/23 18:53
あはははw
このブログ主は酷いw

>「削除」どころか、あなたのための独立した記事を書こうというのですから。くれぐれも言っておきたいのですが、あなたも逃げないでくださいよ。いやあ、たのしくなってきましたねえ……(わたしも相当にいじわるかもしれないが)。では、また。 影丸』

と自ら書いておいていつまでもその記事を書かず、催促されると「粘着質」呼ばわりで「内臓の奥底から反吐が出る」とw

色んなところにこのブログを紹介しておいてあげようねw

大河内
2010/12/23 19:53
これは明らかに嫌がらせですね。

以下、同じコメントのコピーが並んでいるだけなので、40件ほどを削除。

おヒマですねえ。
影丸
2010/12/24 19:28
◆読者のみなさまへ

この記事に「さとりん」という投稿名で40件近くの嫌がらせコメントが貼り付けられました。大半は削除しましたが、一部は上に残してあります。

ところで、「さとりん」は「toripan1111」の援護射撃を買って出たかのように見えますが、突然出てきたこの「さとりん」とは一体誰なのでしょうか?

「さとりん」のIPアドレス
112.137.156.123

「toripan1111」のIPアドレス
112.137.156.123

みなさん、どう思いますか?
影丸
2010/12/24 19:42
◆読者のみなさまへ

もうひとり「大河内」という名のひとが、愚鈍で幼稚な「toripan1111」の味方になってつまらないコメントをよこしてきましたが、このひとも本当は誰なのでしょうね?

「大河内」のIPアドレス
112.137.156.123

「toripan1111」のIPアドレス
112.137.156.123

あれ、またIPアドレスが同じですよ。お得意の偽装でしょうか?

ひとり応援団ですか……、これ。
影丸
2010/12/24 19:49
>「白人からアジアを解放する」と言ったものの、実態はこんなものだったのだ。

明治の「白人コンプレックス」(「鹿鳴館」の馬鹿騒ぎに表れていますね)から「脱亜入欧」への道を選択した、上っ面な「近代化」の当然の帰結であったと言えましょう。

「外国人に対して乃公(おれ)の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないよう だが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである」(夏目漱石)

>右翼の好きな論理である「やられたらやりかえせ」に則るならば、
>中国人には日本人を生きたまま解剖し拷問する「権利」があるだろう。

「世の中には何と諦(あきら)めても諦めの附かぬ程の苦痛があります。このやうな苦痛を人に與へた者には、決してたゞの死刑では足りません。死刑より幾倍も辛い責苦を加へて遣らねば」(黒岩涙香訳『岩窟王』)

>ドイツ基本法でもっとも知られているものといえば、「庇護権」だろう。

これこそ近現代の日本が、徹底して無視し続けてきたものと言えましょう。
反小市民
2010/12/24 22:59
◆反小市民さま

いつも鋭いコメントをありがとうございます。そして、すっかりお返事が遅くなってしまって大変に失礼いたしました。反小市民さんがいつもわたしの記事を文学や思想に適切に接続してくださるので、読者にとっても、思考が大いに刺激されていくのではないかと思っています。あなたのような知的水準の高い方がいてくださると、わたしもうれしい気持ちになります。

カルデロンさんご一家に対して示された日本の排外主義は、まさに「庇護権」に対する徹底した無視を象徴する事件でした。当ブログにも排外主義者の汚らしいコメントが後を絶ちません。
影丸
2011/03/18 03:06

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