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zoom RSS 粟屋憲太郎ほか『戦争責任・戦後責任』(朝日選書)@

<<   作成日時 : 2010/11/11 15:20   >>

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日本は、世界にとって「はなはだ迷惑な存在」である。

なぜなら、これほど無責任な国家はないからだ。

政府ばかりではない。

今年の夏もメディアは戦争の記憶をめぐるさまざまな特集を組んだ。

だが、どれも歴史認識を深めるものではなかった。

相も変わらず加害責任を問われるような歴史問題は慎重に回避していた。

こうした日本の無責任ぶりとよく対比されるのが、ドイツである。

「日本とアジア諸国は仲良くなれない」と思い込んでいる日本人は、
戦後のドイツ政治史をきちんと勉強して、おのれを深く恥じるべきである。

もともとドイツとフランスは、歴史的に「宿敵」と言ってもいい関係だった。

だが、両国が歴史的和解を果たし、
ドイツが欧州における信頼を得ることができたのは、
戦後のドイツが果たしてきた「戦争責任」と強くつながっている。

ドイツの「戦争責任」を抜きにしてEUは語れない。

では、ドイツと日本は、どこがどう違うのだろうか?

本書は、戦争責任における日独のちがいを解説してくれている。

こういう本はありがたい。

必読である。

この記事が「ネット右翼ホイホイ」機能をまた発揮してしまうかもしれないが、
卑劣なコメントが来れば来るほど、
いかに日本人が無責任で「悪」に満ちているかを示す証拠となるだろう。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


◆序章 「戦争責任・戦後責任」問題の水域(望田幸男)


ドイツは戦後数十年経っても、戦争責任を追及しつづけてきた。

それを象徴する事件がこれである。

ドイツのシュトゥトガルト地方裁判所が元ナチス親衛隊員・強制収容所所長ヨーゼフ・シュヴァムベルガーに対して、半世紀前の度重なる殺人と大量殺人ほう助の罪のゆえに終身刑の判決を下した。1992年5月18日のことである。シュヴァムベルガーは敗戦とともに国外逃亡し、アルゼンチンで養魚場を営んでいたが、87年11月そこで捕らえられ、90年5月にドイツに送還され、裁判に付されていた。半世紀前の罪のために80歳の老人に終身刑が下されたのである(ちなみに、ドイツでは死刑が廃止されているので最高刑は終身刑である)。(7頁)


「過去は水に流す」といった無責任な考え方はしていない。

犯罪者は法にもとづいて裁かれ、処罰されなければならないからだ。

では、日本はどうか?

多くのひとを殺害しても、そ知らぬ顔で戦後も高い社会的地位にいた「戦犯たち」。

日本の支配層は責任を果たすこともなく、そのまま戦後も生き残った。

ドイツは、「ナチス犯罪(殺人)の時効を廃止し、永久に追及する」
という国会決議を1979年に採択した。

西ドイツではニュルンベルク国際軍事裁判だけでなく、自国の裁判所によって、これまでに9万人を超えるナチス関係者が裁判にかけられ、7000件近い有罪判決が下されている。(7頁)


7000件近い有罪判決!

しかも現在にいたってもこの責任追及はつづけられているのだ。

それに比べて日本はどうだろうか?

なんと、0件(!)である。

ドイツは、自国で戦犯を裁いただけではない。

旧西ドイツでは、まず52年のイスラエルとの交渉によって成立したルクセンブルク協定にもとづいて、ユダヤ人の被害者のために34億5000万マルクが支払われた(94年5月現在の為替レートは1マルク=約64円)。次いで56年の連邦補償法によって、人種・信仰・世界観、あるいは政治的理由またはナチズムに対する抵抗運動などの理由で迫害を受けた人びとに対して、約679億マルクが支払われてきた(このなかにはドイツ兵の遺族への補償1000億マルクはふくまれてはいない)。加えてヨーロッパ12カ国との包括的協定によって、それらの国のナチス犠牲者のために10億マルクが支払われた。90年までに、その他もふくめて総額864億2700万マルクが支出されたのである。(7−8頁)


とはいえ、当時は冷戦下だったこともあり、
東ヨーロッパ諸国に対する戦時賠償は未解決のままだった。

だが、冷戦が終わると、ドイツはさらに責任を果たすことを決めた。

一方、旧ソ連・東欧諸国の戦争被害の検討は、旧西ドイツと西側戦勝国との戦時賠償の支払いを決めた53年の「ロンドン債務協定」でドイツ統一後に持ち越すことにされていた。……まず92年4月28日、ポーランドに「和解基金」が設立され、ドイツ側が5億マルクを提供することによって、ナチスの収容所に収容された人びと、ドイツ企業で強制労働に従事させられた人びとなどに対する「償い」の証しとされた。また同様の意味で93年1月29日、ドイツは、ロシア、ベラルーシ、ウクライナに10億マルクを支払う約束をした。(8頁)


もちろんここに記されていることばかりではない。

「加害責任」を認めて、責任を果たしていくドイツの姿が、ここにある。

もっとも、このドイツでさえ責任をまだ十分に果たしていないのではないか、
といった批判が投げかけられていることも忘れてはいけないだろう。

それに対して、「加害責任」をごっそり欠如させているのが、日本だ。

91年12月6日、金学順さんら韓国の戦争被害者35人が、日本政府に対して戦後補償を要求して、東京地裁に裁判を起こした。これをきっかけに、従軍慰安婦問題が日本の朝鮮支配や侵略を象徴する戦争犯罪としてクローズアップされてきた。……92年8月14日には、国連人権委員会の差別防止・少数者保護委員会が旧日本軍の従軍慰安婦に対する補償と名誉回復のため、その実態に関する資料を集めることを決議し、ついに国連機構の公式会議の注目するところとなった。
 こうして従軍慰安婦問題にとどまらず、強制連行による強制労働の被害に対する問題、台湾出身の元日本兵への補償、韓国の元女子挺身隊員による損害賠償など、相次いで戦後補償問題で裁判所への訴えが出されるに至っている。(9頁)


だが、日本は被害者たちの訴えをことごとく斥ける。

斥けるばかりか、被害者たちを罵倒し、愚弄し、侮辱している。

何年にもわたってレイプされたひとに向かってツバを吐きかけ、
奴隷労働に駆り出されたひとに向かって罵声を浴びせかける。

そのときの日本人の表情は冷酷で残虐だ。

せせら笑いながら被害者を辱めているのだから。


◆第1章 日本の戦後補償と歴史認識(田中宏)


戦後の日本政府は、軍人・軍属に限って手厚い補償を提供した。

 ところで、日本の戦後補償の“哲学”は、戦争犠牲者援護を軍人、軍属など「国との使用関係のあった者」に限定し、従って空襲被災者などを除外したことである。……旧西ドイツにも連邦援護法(1950年制定)があるが、そこでは、空襲被災者も同様に援護の対象となっており、しかも軍人については「階級差なし」の扱いとなっており、日本とは質的に大きく異なっている。(40頁)


だから日本では今になっても空襲被災者の問題が解決していないのである。

ちなみに、最近若者の間で、
空襲被災者たちに対する冷笑と非難が高まっていると聞く。

若者の間に広がっているこの「空気」に危機感を覚えずにはいられない。

 ところで、諸外国ではどうなっているのだろうか。日本の外務省の調査結果「負傷又は戦死した外国人に対する欧米各国の措置概要」(82年6月)によっても、調査対象のアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、西ドイツ(当時)は、いずれも外国人元兵士等に対し、自国民とほぼ同様の一時金または年金を支給している。……日本の国籍条項のもつ“異常さ”が浮かび上がってくる。(45−46頁)


日本政府がさまざまな場面で「国籍条項」を活用してきたことは、よく知られている。

都合のわるいことになるとこれをふりまわす。

「選別と排除」のご都合主義的な使い分けである。

アメリカやカナダでは、日系人に対する謝罪と補償を行なっている。

 ……アメリカとカナダは大戦中の日系人強制収容問題について、「謝罪と補償」を行った……。(46頁)


ネット右翼どもはどうしてこれを批判しないのだろうか?

日本人は、自分たちのこれまでの考え方からすると、
アメリカ、カナダの「謝罪と補償」を厳しく批判しなければ筋が通らない。

自分たちは被害者に対する謝罪も補償も拒んでいるのに、
他国だけは謝罪と補償をして当たり前だ、などと言えるはずもないからだ。

では、アメリカ、カナダを批判した右派・保守派はいるのだろうか?

「アメリカやカナダは日系人強制収容所問題で謝罪も補償もするな!」


そう叫んでいる日本人を見たことがあるか?

「強制収容所問題など存在しない!」と主張する日本人はいるのか?

おかしいではないか。

おかしいことは、これだけではない。

近ごろのひとたちは、何も知らないくせに、平気でウソをつく。

たとえば、「日本は戦後、巨額の賠償金をアジア諸国に支払った」という意見だ。

わたしはこれを何人ものひとの口から聞いたことがある。

「日本もたくさんのお金を払ってきたのに、文句を言われるのはおかしい」
というのが彼ら・彼女らの言いたいことらしい。

では、実際にどうなっていたのか?

 平和条約にもとづき、日本に賠償を請求したのはフィリピンと南ベトナム(当時)の2カ国であり、ビルマ及びインドネシアとは個別に平和条約並びに賠償協定を結んだ。また、中国(又は台湾)並びにインドとも、個別に平和条約を結んで戦争状態を終結したが、両国はいずれも対日賠償の放棄を宣言した。カンボジア及びラオスは平和条約の当事国であったが、賠償請求権を放棄したので、日本はそれを考慮して「無償資金供与」を行ってこれに応えた。(50頁)


日本が正式に賠償を支払ったのは、
フィリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシアの4カ国だけ、である。

それも、アメリカを後ろ盾にして、値切りに値切ったものである。

日本は、これまで自国が勝利した戦争では、
多額の金を容赦なく相手国から奪い、領土までも分捕った。

にもかかわらず、日本が負けたときには、しかも「無条件降伏」だったのに、
被害を与えた相手国とほとんどまともに交渉をしようともしなかった。

まず、国内支出はすでに33兆円に達し、まだ当分続くだろうが、対外支払いの1兆円の方は、20年賦で支払われたフィリピンなどを含めてすべてが完了している(ただ、北朝鮮は現在国交交渉中のため未済)。(52頁)


国内の軍人・軍属にはじゃぶじゃぶとお金を支払い、
国外の被害者にはほとんど支払ってこなかったというのが、日本の特徴だ。

北朝鮮に対してはいまだに何もしていないことも、覚えておくべきだろう。

また、国内支出と対外支払いを比較すると、前者はことごとく被害者「個人」に支給されているのに対し、後者はそのほとんどがダム建設や製鉄所建設などの「社会還元」方式がとられ、被害者個人に届くことはほとんどなかったのである。(53頁)


これはどういうことだろうか?

国内の元軍人・軍属には「個人」宛てに支給する。

国外に対しては「社会還元方式」を採用する。

合理性のない卑劣なダブル・スタンダードである。

ここから日本政府による国外への支払いについて見てみよう。

 賠償などの対外支払いについて、日本はどういう認識を持っているのであろうか。大蔵省の『昭和財政史――終戦から講和まで』(第1巻、東洋経済新報社、84年)は、次のように述べている。
 「日本が賠償交渉でねばり強く相当の年数をかけて自らの立場を主張しつづけたことも、結果的には賠償の実質的負担を大きく軽減させた。賠償協定の締結時期が遅くなった結果、高度成長期に入った日本は、大局的にみてさほど苦労せずに賠償を支払うことができたのである。加えて、時期の遅れは復興した日本が東南アジアに経済的に再進出する際の絶好の足がかりとして、賠償支払や無償経済協力を利用するという効果をもたらした」(傍点は田中)
 日本の賠償などの支払いは、結局「資本財」を中心として行われるが、その点について、外務省はより率直に次のように述べている。
 「輸出困難なプラント類や、従来輸出されていなかった資本財を、賠償で供与して“なじみ”を作り、将来の進出の基盤を築くことが、わが国にとって望ましいのである」(外務省賠償部監修『日本の賠償』世界ジャーナル社、63年)(53−54頁)


つまりだ。

意図的に時間稼ぎをして、日本の負担を軽くした。

表向きは「賠償」と見せかけておいて、
実際は戦後の経済侵略のための基盤を整備しておいた、というのである。

これほど破廉恥な「戦争責任」の果たし方があるだろうか?

オウム真理教が被害者への補償をまったく同じやり方で行なったとしたら、
ひとびとはどう思うのだろうか?

ところで、ここで著者による驚くべき指摘がなされる。

ILO(国際労働機関)で労働時間の削減が議論されていたとき、
日本政府は「時短勧告」に反対しているのだが、
そのときに日本政府が持ち出した理由というのが、「賠償の支払い」だったのだという。

近隣諸国に賠償を支払わないといけないので、
労働時間を削減することはできません、というわけである。

保守政権が何を考えてきたのかが、よく分かるというものだ。

愛国心だの何だのと騒いでいる連中は、本当の敵が誰なのかを考えた方がよい。

このように日本政府の戦後処理には特徴があった。

国内支出に比べて対外支払いが極端に少なかったことだ。

では日本政府は戦争に勝ったときはどうしていたのだろうか?

例えば、日清戦争後の下関条約によって、戦勝国日本は台湾の割取のほか、2億3000万テール(当時の清国の歳入総額の2.5倍に相当)の賠償金を手にした。(55頁)


ひどい話である。

これでは国際社会から信頼されるはずもなかろう。

ところで、満州事変から15年にわたる日本の中国侵略は、「事変」であって「戦争」ではない、という説がある。その理由は、日清、日露などのように「宣戦布告」を行っていない、という形式をいうらしい。(55頁)


日本が持ち出す形式論は、いつものご都合主義である。

ではそこにはどのような意図が隠されていたのだろうか?

当時は、対日講和に関して、各国から賠債要求が出されており、戦争責任を回避し、交渉を少しでも有利にしようとしたのであろう。(55頁)


なるほど。

「事変」説をとる理由には、もう1つのねらいがあったと思われる。戦争ということになると、戦争に関する国際条約、例えば、俘虜の人道的待遇を定めたハーグ条約(1907年)やジュネーブ条約(1929年)などの遵守義務が生ずるのである。(55−56頁)


なるほど。

国際法違反を問われないようにするための作戦ということだ。

日本政府は、すでに成立していた中華人民共和国を無視して、
蒋介石の台湾政府との交渉にのぞむことにした。

ちなみにこれもアメリカのご意向を受けたものだった。

……「日華平和条約」が調印され……、さすがに、“事変”説では済まなかったようで、同条約第1条は「日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日に終了する」(傍点は田中)となった。(56−57頁)


それから約20年経って、
日本は中国政府(北京)との間で「日中共同声明」に調印した。

1972年9月のことであった。

当時の田中角栄首相は挨拶の席で、
「中国国民に多大のご迷惑をおかけした」と述べた。

「ご迷惑」などというあまりに軽すぎる言葉を用いたことで、
多くの中国人を深く傷つけたことは、よく知られている。

日本の外務省は、20年前に台湾との間で戦争に関する問題はすべて解決しているとして、「戦争状態」はすでに終結しており、また中国が「賠償請求」を持つことはありえない、との立場をとった。(58頁)


こうして日本にきわめて有利なかたちで戦後処理が進められていった。

この背景には、東西冷戦があった。

1952年の日華平和条約は、朝鮮戦争における米ソ対立のもとで締結。

1972年の日中国交回復は、中ソ対立のさなかで行なわれた。

こうして日本は過去と厳しく向き合うこともせず、
東西冷戦による「漁夫の利」を得て、「受益者」となったのだった。

多くの日本人の印象とは異なり、
戦後の日本は一貫して被害者たるアジア諸国を足蹴にしてきたのである。

日本に強制連行された中国人の生存者・遺族から、かつての苦汁に満ちた日々について聞き取りをした時のことである。「いったい、私たちが、日本または日本人に何をしたから、こんな酷い目に遇わなければならないのか」と問われたことがある。私はひとりの日本人として、答えに窮してしまったが、ここにこそ問題の核心があるように思う。(58頁)


戦後の和解と平和の努力を裏切りつづけてきたのは、ほかならぬ日本だった。

だが、そうした認識さえ持っていないのが現在の日本人だ。

昨今の「尖閣」問題にもその影響がハッキリと見てとれる。

つぎに朝鮮半島との問題を見てみよう。

北朝鮮との戦後処理は何ひとつ解決していないことは、すでに記した。

一方、韓国との間では1965年、日韓請求権協定が締結され、請求権問題は「完全かつ最終的に解決された」という。しかし、その意味するところについて、日本政府は91年8月、次のような国会答弁を行っている。
 「日韓両国において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますが、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」(8月27日、参院予算委、外務省条約局長)
 実は、こうした趣旨の答弁は、従来から一貫している。古くは、被爆者の日本政府に対する国家賠償請求訴訟においても、日本政府の対米請求権放棄は被爆者個人のもつ請求権には影響を及ぼさないと主張し、最近では、日ソ共同宣言について、「(共同宣言の請求権放棄は)日本国民がソ連政府に対して直接個々に請求権を提起されるということまで禁じたものではない」との見解を示している(91年3月20日、参院予算委、外務省欧亜局長)。(61−62頁)


つまり、国家間の形式的解決と個人の権利の問題は別なのだ。

このことを日本政府自身もじつは認めているのである。

右派はアジアの被害者個人に対して賠償をすることに反対するだろう。

とすると、彼らは、日本人がロシアに対して個人賠償を求めることも認めないわけだ。

なるほど、右派は誰の味方なのかがよく分かる。

だが、身勝手な右派は別にして、
さすがに日本政府は個人賠償をすべて否定することはできなかった。

そこで次のような措置をとることになった。

……87年9月と翌年5月に、相次いで法律が制定され……、88年9月から戦死者及び重度戦傷者には、1人200万円の弔慰金(見舞金)が支払われることになった。これは、日本政府が外国の個々人に補償を行う唯一の例外となった。(63頁)


ここで「弔慰金(見舞金)」となっていることに注意を促したい。

あくまで国家の責任は認めない形式を採用したのである。

日本は侵略した国のひとびとを一方的に「日本人」にしていったが、
戦後は一方的に「日本国籍」喪失を宣告した。

このとき日本はある矛盾に直面した。

BC級戦犯の問題である。

戦犯として捕らえられていたひとのなかに、
旧植民地出身者(朝鮮人、台湾人)が含まれていた。

彼らも、戦後、日本国籍を剥奪された。

それなのに、彼らは戦犯として刑を執行されたのだった。

 日本国籍の喪失は、刑の執行には影響を及ぼさないが、戦後補償には影響が及び、そこから除外された、ということになる。(65頁)


詳しい内容は本書を読んでいただくとして、
旧植民地出身者たちは、
「かつて日本人であった」ことを理由に処罰され、
「いま日本人でない」ことを理由に補償から排除されたのだった。

こうして日本政府は戦後補償から外国人を巧妙に排除してきた。

これによって、戦争の被害者は日本人であるという倒錯した意識を培養してきた。

 「日本の方々は、よく広島、長崎をおっしゃいます。大事な点であることは分かります。しかしながら、35年前、私の国も実は日本の軍隊によって支配されていたのであります。ですから、シンさん〔インドの作家〕が、広島、長崎に対して同情を示されたのと同じ気持を、私は持っておりません。
 35年前のフィリピン人の考え方は、広島、長崎ばかりでなくて、東京も京都も大阪も、全部やってしまえばよかったのに、と。戦争を始めたから当たり前だ、と正直のところ思っていたわけです。もちろん、このような惨禍が二度と繰り返されてはならない、ということはわかります」(69−70頁)


これはあるフィリピン人作家の言葉である。

「賠償」を「経済援助」を言い換え、どこまでも責任逃れをしてきた日本。

支払額もギリギリまで安く値切ってきた日本。

このような日本なら、「不戦の誓い」を破ることなどたやすいことだろう。











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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
おめでとう!

2010/11/19 06:28
◆wさま

ありがとうございます。
影丸
2011/01/04 13:07

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粟屋憲太郎ほか『戦争責任・戦後責任』(朝日選書)@ フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
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