フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 森巣博『越境者的ニッポン』(講談社現代新書)@

<<   作成日時 : 2010/10/13 14:56   >>

トラックバック 0 / コメント 6

心強いことに、とてもイキのいいひとが現れてくれた。

その名も森巣博。

ギャンブルを生業とする博奕打ちで、
オーストラリアに暮らしているという「無頼の作家」だ。

彼の発する語彙は少々乱暴で、うつくしいものではない。

だが彼は日本人の「愚かさ」と「醜悪さ」を、的確に、撃つ。

多くの日本人が当たり前だと思い込んでいることが、
じつは当たり前でも何でもないことを、容赦なく抉り出すのである。

日本人がいかに腐りきっているかを、日本人は認識できない。

だが、森巣博にはハッキリと見える。

日本を外から見ることができているからであろう。

噂によると、彼の妻は、著名な研究者テッサ・モーリス=スズキらしい。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


森巣博は、みずからを「チューサン階級」を名乗っている。

「チューサン階級」とはどのような意味か?

……チューサン階級とは「中学3年生程度の知識の持ち主」の意味だ。(7頁)


そんな彼から見て、日本国民は「無知」をあられもなくさらけ出している。

 日本国民は、無知になってしまったのだろうか?
 まあ、こう書くと、怒る人もいるだろう。
 ただ、無知とは「知識がないこと」を意味しない。知識がないのが無知であるなら、人は誰でも皆、ほとんどの局面で無知である。そうではなくて、無知とは「疑問を発せられない状態」を指す。じつはこれは、1960〜70年代の植民地解放闘争での理論的支柱となったフランツ・ファノンの指摘だった。(7頁)


フランツ・ファノンをさり気なく引用するところなどは、
どうしてどうして、とても「中学3年生程度の知識の持ち主」とは思えない。

この無頼派のギャンブラーは、じつは結構なインテリではなかろうか?

わたしもファノンの主要な著作は読んだが、
現在の日本の植民地問題」を考えるうえでも必読図書である。

もうひとつ、驚いたことがあった。

著者がこの本のなかで、
「コーネル大学の天才研究者・酒井直樹」(42頁)と書いていることだ。

このチューサン階級のおじさんは酒井直樹まで読んでいるのである。

気に入った。

酒井直樹の著作は、このブログでも紹介してきた。

まだご覧になっていない方々がいたら、下記を参照してほしい。

◆「酒井直樹『日本/映像/米国』(青土社)

◆「酒井直樹『希望と憲法』(以文社)

酒井直樹は、わたしが信頼を寄せる、数少ない知識人のひとりである。

さて、話を本書の内容に戻そう。

取り上げられているのは「愛国心教育」だ。

 ――愛国心は自然なものだから、学校で教えなえればならない。
 と優秀な文科官僚や偉い政治家のセンセイたちはおっしゃる。
 ……
 でももしそれが「自然なもの」であるとするなら、学校で教える必要なんかないんじゃない? とわたしなら考える。少数からのものかもしれないがその反対を押し切り、無理矢理学校で教えたりしたら、それこそ愛国心は「自然なもの」じゃなくなってしまう。(10頁)


愛国心は「自然な感情」と言いながら、
それを学校教育の現場で強制していく日本の右派・保守派。

そして見事に洗脳されてしまう多くの単純な日本国民。

著者はここで皇居に目を向ける。

 さて、「美しい日本」の中心部・皇居の外苑には、天皇陛下がおわす宮城をお守り申し上げるがごとく、楠公像が堂々と聳え立つ。(18頁)


楠正成のことである。

だが楠正成は後醍醐天皇の南朝に仕えた武将ではなかったか?

現在の天皇の先祖に弓を引いた逆賊ではなかったか?

 そんな逆賊極悪人が、皇居前広場で今上天皇がおわす宮城に向かい、堂々と聳え立っていた。日本国史の謎である。街頭右翼はよく黙っているものだ、と感心する。(19頁)


なるほど、謎である。

ウヨクはまったくお勉強をしていないからだろうか?

ウヨクは銅像が「キム・ジョンイル」であっても気づかないかもしれない。

右派・保守派・ネット右翼などの諸君は、
韓国や北朝鮮に対して粗暴な「敵愾心」を隠そうともしない。

では、天皇自身はどう思っているのだろうか?

 サッカーのワールド・カップ日韓共同共催を控えた2001年暮れに、
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」
 と天皇は記者会見でおっしゃった。(20頁)


おや?

右派の諸君はこの発言をどう受けとめているのだろうか?

 それから数年後の恒例の秋の園遊会では、おそらく歓心を買うつもりだったのだろう都教委(東京都教育委員会)の将棋指しの委員が、
「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」
 と媚びた時、
「やはり、強制になるということではないことが望ましい」
 と陛下は、勘違い将棋指しをいさめている。
 この将棋指しは、戦後民主主義教育の恩恵をもっとも受けた人間の1人、と断言しても、おそらく間違いではあるまい。あれが戦前であるなら、
「畏れ多くも畏くも、陛下にあんなことをおっしゃらせるとは。さあ、死ね。いま、死ね。コノヤロメッ」
 と右翼に詰め腹を切らされていたところだろう。(21頁)


わたしは天皇主義者ではないので、
天皇の一連の発言を容認するものではないのだが、
天皇自身は「日の丸・君が代の強制」に反対していることがここからも分かる。

「将棋指し」というのは、米長邦雄のことである。

ふと思う。

米長をはじめ、石原慎太郎などは、どうして切腹しないのだろうか?

不思議でならない。

愛国者気取りの国会議員・稲田朋美などもそうだ。

わたしは性差別主義者ではないのでそうは言わないが、
右派・保守派の価値観・思想からすれば、
「女の分際で偉そうにモノを言うな」と差別される側にいるはずなのに、
彼女のような女性右翼たちはそのことにまったく気づいていない。

いまは便利だから適当に「チヤホヤ」されているにすぎないのに。

なのに日の丸・君が代の強制は彼ら・彼女らによって着々と進められている。

強制に反対する勇気ある教職員もいるが、
これまでにのべ350人以上もの教職員が処分されている。

 これは、明らかに国旗・国歌の「強制」ではなかろうか。つまり、閣議決定違反。(22頁)


おっしゃるとおり。

しかも、天皇の意思にもそむいている。

これを彼ら自身は「国賊」と呼んでいたのではなかったか?

 国旗・国歌に不起立で処分される教職員の多くには、「再発防止研修」という名のもと、都教委から研修命令が下され、彼ら彼女らは「研修所」に送られた。もちろん「思想改造」のための研修だ。(22頁)


「研修所」は、英語のメディアでは“REEDUCATION CAMP”と表記されるという。

これは、ただならぬ雰囲気をかもし出す用語である。

 ここでチューサン階級は、素朴な疑問を発したい。それも、激しく問いたい。
 国旗掲揚や国歌斉唱の時に起立しなかったという理由で(あるいは、生徒が起立しなかったという理由で)、教師を“REEDUCATION CAMP”に送る国が、日本以外にこの地球上に存在しているのか?
 と書いてから、気づいた。あった。北朝鮮だ。(23頁)


ついでに付け加えれば、
天皇も強制に反対しているのだから、
天皇も思想改造キャンプに送り込まないといけないのではないか?

天皇が君が代を歌っているところを、わたしは見たことがない。

日の丸・君が代の強制が厳しいのは東京都だけではない。

神奈川県も同じである。

そこで神奈川県教育委員会の顔ぶれを見てみよう。

 委員長・平出彦仁(中部大学特任教授)、委員長職務代理者・岡田伸浩(横浜岡田屋代表取締役社長)、委員・宮崎緑(千葉商科大学教授)、同・具志堅幸司(日本体育大学教授)、同・渡邉美樹(ワタミ代表取締役社長)、教育長・引地孝一(元県福祉部長)。(73頁)


これらの名前をよく覚えておこう。

ここで著者は、上のひとたちよりも、
日の丸・君が代の強制に抵抗するひとたちこそ、
じつは「愛国者」なのではないか、と問うている。

 おそらくもっとも「愛国心」に欠けているのは、「みんなが立つから」とか「立たないと罰せられるから」とか思って起立する教職員たちではなかろうか。
 「愛」の正反対の意味を持つ言葉は、断固として「憎悪」ではなくて、じつは「無関心」だ。……
 すなわち、教職員たちの君が代斉唱時の不起立は、他の「愛国者」たちより賞賛されるべき行動であって、決して非難されるべきそれではないはずなのだ。ここが「愛国者」を自称するウヨクたちには、まるでわかっていない。(85頁)


その何も分かっていない国粋主義者によって、
この国の政治も教育も乗っ取られてしまっているのが現状だ。

彼らはこぞって、「日本人はいかに優秀か」と言いたがる。

ゴミのように生み出される膨大な数の「日本人論」もそうだし、
日本人には優れた属性が宿っていると言って憚らない石原慎太郎もそうだ。

 こういった不変で固有で永遠の倫理観なり価値観の存在を信じる人たちのことを、一般的には原理主義者と呼ぶ。(25頁)


そのとおり。

右派は原理主義者なのである。

ブッシュやアルカイダを原理主義者と呼ぶのと同じだ。

そんな原理主義者ばかりが、きょうも日本のテレビ画面を占拠する。

著者は、日本を外から見ているために、気づくことがあるという。

 アパートから出てきた老女が包丁で刺殺されたり、少年が駅構内で電車を待つ者を線路に突き落としたり、19歳の少女が出会い系サイトで出会った男に拉致・監禁されたのは、確かに「事件」なのだろうが、それが公共放送局の重大ニュースとして大々的に報道される価値があるものだとは、わたしにはとうてい思えない。そういった種類のニュースは、多くの場合、被害者に同情するような振りをして、実際は被害者を喰いものにしている場合が多いのだから。(37頁)


たしかに日本は犯罪報道が異様に多い。

それも殺人事件に関する報道が多い。

こうして「非国民を取り締まれ」という雰囲気を作っているわけだ。

「怖い、怖い」と騒ぎ出し、不安を煽って国民統合に利用する。

「怖い、怖い」と言っていると、本当に「怖い社会」になる。

メディアのおかしいところは、ほかにもある。

 日本での報道は、隣国で開催されたオリンピックの成功を祝福するというより、重箱の隅をつっつくようなあら探しに終始していた、と感じたのはわたしだけだったか。日本の大手メディアは、中国のなにをそんなに僻んでいたの?(47頁)


たしかにそうだった。

しかもオリンピック報道では、
お涙頂戴のエピソードや手垢のついた安っぽい教訓話のオンパレード。

二宮金次郎と「おしん」の精神にあふれていた。

……(ついでだがわたしの知り合いの元警察官は、警察学校時代に些細な間違いをしただけなのに、炎天下の校庭で2時間にもわたり、「申し訳ありませんでした」と二宮金次郎像に向かい謝罪させられたそうである)。(48頁)


さすが「アジアの一等国」である。

つけ加えれば、最近もこんな報道があったばかりである。

二宮金次郎の魂脈々 出身・神奈川、144校に像

 勤勉さや報徳思想で知られる江戸時代後期の偉人、二宮金次郎(尊徳)の出身地の神奈川県で、公立小学校百四十四校に尊徳像が設置されていることが、県土地家屋調査士会の調査で分かった。平成に入ってからも新たに十三校に設置されていた。同会は結果を冊子にまとめて全公立小に配る予定で、高沢孝一理事(43)は「子どもたちに尊徳を深く知ってもらい、時代を超えて語り継がれることを期待する」と話している。(横浜支局・寺岡秀樹)
 尊徳は現在の小田原市生まれ。測量技術を駆使して農村復興に尽力したことから、測量と関連の深い同会が、土地家屋調査士の制度化六十周年を機に尊徳像を調査。全公立小学校八百六十三校(昨年度)のうち、約17%に当たる百四十四校で設置を確認した。
 市町村別では、横浜市が三十七校と最多。出生地の小田原市では約64%にあたる十六校にあり、二体ある学校もあった。
 設置時期は、満州事変二年後の一九三三年から太平洋戦争開戦の四一年までが四十六校で、全体の約三割を占める。尊徳を紹介する「報徳博物館」(小田原市)の館長代理・斎藤清一郎さん(82)は「勤労や倹約といった教育思想が時代に合っていた」と説明。石像やコンクリート像が多いのも「銅像は戦時中、金属物として供出された」と解説する。
 像の形態はさまざまで、本を両手で持ったり、片手で持ったり。薪を置いて丸太に座って読書する姿のほか、世の中の役に立とうと編んだわらじを配る姿もあった。風雨から守るため、屋根付きの像も。
 県土地家屋調査士会が作成した冊子には、すべての尊徳像を写真付きで掲載。斎藤さんは「それぞれの姿の意味を理解すれば、尊徳自身や像の作者らの思いを知ることができる」と話している。

(『東京新聞WEBサイト・2010年10月9日 14時10分』から)


もうひとつ加えれば、
実際の二宮金次郎は、大人になってからは酒と道楽が大好きだったらしい。

話がそれた。

中国を冷笑する日本人の視線は、優越心の裏返しだろうか?

 中国で起これば低俗な「ナショナリズム」、日本で起これば崇高な「愛国心」。そういうことになっている。(48頁)


そして、麻生太郎が好きそうな、
「日本人はいかに優れた国民であるか」と説教した本が量産される。

 ……「愛国心」を主題にした本は、「生まれた所なのだから、それを愛するのは当然だ」式のあまりにも幼稚でバカバカしい説明が多くて、最後まで読み通すにはかなりの根気と努力が必要だろう。
 生まれた所を愛するのが当然ならば、受刑者の子として刑務所で生まれたなら、刑務所を愛するのは当然なのだろうか?(49頁)


そして、愛国心の強制。

「わしのことを愛さんか、こりゃっ。と追い掛け回す者のことを、通常ストーカーと呼んでいますね。その卑劣なストーカー行為を、日本の教育を司る文科省が、税金を遣い率先してやっているのは、いかがなものか」(51頁)


お。

わたしとまったく同じことをこの著者は述べているではないか。

愛国心を強制してくる国家は「ストーカー国家」にほかならない。

気に入った。

◆「高橋哲哉『「心」と戦争』(晶文社)」を参照のこと。

なるほど、一部のネット右翼とちがって、
ある種のひとたちは「日本の侵略戦争」を無邪気に肯定することはしない。

それは「真の愛国心」ではない、と言う。

また、日本人のなかにもひどいヤツはいるが、
そうしたひとたちは「真の日本人」ではない、と言う。

「真の日本人」などと言いたがるひとたちは、
日本の右傾化を批判するひとを「反日」と言ってバッシングするし、
日本に批判的なわたしのことは「日本人」とは認めようとしないだろう。

実際わたしのことを「お前、日本人じゃないだろ」とコメントしてきた愚か者がいた。

彼はさぞかしご立派な「真のニッポン人」なのであろう。

「真の日本人」像は、エスニック・マイノリティや特定の日本人を排除する。

それだけではない。

でも、満員通勤電車の中で、縦四つ折にしたスポーツ紙のスケベ記事を読んでる疲れ果てたおっさんたちは、「真の日本」の中に含まれないのだろうか。年寄りを押しのけ確保した地下鉄の座席に坐ると、白いガーゼのハンカチで額に浮いた汗を拭うおばちゃんたちは、どうなんだ?
 三島由紀夫の理解する「真の日本」からは、おそらく軽く99%を超す日本人が排除されてしまうことだろう。(53−54頁)


おっしゃるとおり。

「真の日本人」など、どこにも存在しないのである。

「非国民バッシング」にいそしむ自称愛国主義者だって、
天皇のために死ぬ勇気など、これっぽっちも持っていないのである。

だいたい彼らの大半は、アメリカ式のライフ・スタイルにどっぷりと浸り、
「日本の古典文学」など読んだこともないし、見識も持っていないのである。

笑わせてくれるひとたちではないか。

右派・保守派は単純なひとたちだから、
日本が「強い国家」になればまるで自分も強くなった気になってしまう。

中国や北朝鮮を冷笑するメディアは、そのくせアメリカには従順である。

右派・保守派は、こぞってイラク戦争に賛成していた。

メディアもこれを「イラク作戦」「テロとの戦い」と報道していた。

だが、おかしくないだろうか?

「イラク作戦」……戦争当事国のアメリカやイギリスやオーストラリアの主要メディアは、すべてこれをはっきりと「イラク侵略(INVATION OF IRAQ)」と呼んでいるからである。(64頁)


イラク戦争は、アメリカによる侵略戦争だった。

イラクが大量破壊兵器を隠し持っているという口実で、アメリカは攻撃した。

だがそのようなものは存在しなかった。

存在しなかったことを、ブッシュ自身もしぶしぶ認めた。

 サダム・フセインがアメリカ軍によって捕縛され、口の中を検査されているニュース映像を記憶している読者も多いことだろう。口の中でなにを探していたのか、ご存知か?
 大量破壊兵器を探していたそうである。(66頁)


多くのイラク市民が殺害された。

子どもも大勢殺害された。

彼らは、いったい何のために殺されなければならなかったのか?

多くの日本人はもうイラク戦争のことをすっかり忘れている。

自民党・公明党・民主党の議員たちも、その責任を問われていない。

犯罪に加担したというのに、である。

つづく










テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
生活にそう不便な訳でもないがド近眼で本はほとんど読まないというか読めない
興味深い本のようだが、尖閣諸島でにわかにナショナリズムも大手を振って歩けそうだ
自民や民主にいる日の丸派の方々に怖さを覚えるが、そんなでも尖閣諸島での民主党政権の
対応は無いもんだ、共産党独裁資本主義国家の中国の覇権は警戒してしすぎることはない
そんな傍若無人の下品な中国の怖さといまだ世界の大国に言論統制の国がいるとはおぞましい
そして隣国の下品さを嘆き、さらに人を嘆くどころか日本の人を嘆かれてるが
本当に謙虚にして礼節を尊ぶこの国は何時こんな寂しい国になり国にしてしまったのか........
いまや普通の人が異様なのであるこの国は、お客さんと対応する職業だがこの10年くらいだろうかクレームや文句のつけてくる程度の異様さに恐怖すら覚える、そして連日の残虐にして殺す意味すら解らない殺人事件が続く.....外国イギリスでちょっと生活したこともあるが、国とは文化の為にはあっても、人は国の問題ではない様に思える、通勤電車にのれば”足が触れたろ”とかいいおっさんが罵声と殴り合いを何度見かけたことか......周囲にまったく感心もなく携帯にのめり込む人また人.......
無縁社会が雑誌に踊り......この国に何を愛せよというのか.........ザッケサッカーにひとときの愛国というとこでしょうか....短期間に確かに強くなった.....
ド近眼
2010/10/13 22:26
◆ド近眼さま

はじめまして、コメントありがとうございます。

電車のなかの日本人を見れば、どこが「すばらしい日本人」なのか、とわたしも思いますが、犯罪に関しては前にも書きましたが、安易に「最近のひとたちは……」と言わない方がよろしいと思います。また、「中国の覇権」とおっしゃいますが、そのナショナリスティックな視点は日本の右傾化と共犯関係を結びます。ご注意ください。
影丸
2010/10/21 17:35
>やはり、強制になるということではないことが望ましい
=自然な気持ちで国旗国歌を敬ってもらえるようになることが望ましい。

です。
けっして、敬意を払わないことを推しているわけではない。
不起立教師の方々は、暗に明に子供たちに影響を与えてしまっていますね。
箸の使い方、鉛筆の持ち方、朝晩の挨拶などと同様に、どの国の国歌であっても公の場で流れた際には起立、正対、脱帽などの敬意を示す。…といったような国際ビジネスマナー集や国際儀礼慣習(プロトコール)のテキストに載っているような事象を故意に教えようとしません。
えまのん
2010/10/27 13:39
箸の使い方、鉛筆の持ち方、朝晩の挨拶、どの国の国歌であっても公の場で流れた際には起立、正対、脱帽などの敬意を示す、といった事象はすべて故意に教えられてきたのでは?

世界にはこのような一見「常識」と思われるような事象が、非常識である場所や地域は無数に存在していますが、上記のコメンターはそのような地域で生活する人間を無意識に排除したうえで、発言されてはいませんか?
非国民
2010/11/02 05:47
◆えまのんさま

お返事が遅くなって失礼いたしました。
箸の持ち方・朝の挨拶と君が代斉唱が同じレベルですか? どうかしてると思いますよ。

教師のふるまいは、もちろん子どもたちに影響を与えるでしょう。不起立も起立も、です。差別的な権威に屈従する教師の姿は、子どもたちに悪影響を及ぼすでしょう。

>自然な気持ちで国旗国歌を敬ってもらえるようになることが望ましい

それはそうでしょうね。金正日だってそう考えているでしょう。アドルフ・ヒトラーが何と言っていたか、ここで思い出しておくのもいいでしょう。「権力者にとって民衆がなにも考えないことほどありがたいことはない」。えまのんさんの正体がこれではっきりしましたね。

あなたはデモクラシーの敵です。
影丸
2010/12/22 14:38
◆非国民さま

コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、えまのんさんはご自分の「常識」だけが世界の「常識」なんだと勘違いしていますね。しかもその視点は「国家権力」の側のものであって、大衆は操作・支配の対象でしかないようです。国家権力にとってこれほど都合のいい人物はなかなかいないでしょう。えまのさんご自身がまさに「洗脳教育」の成果でしょう。
影丸
2010/12/22 14:45

コメントする help

ニックネーム
本 文
森巣博『越境者的ニッポン』(講談社現代新書)@ フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる