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zoom RSS 小熊英二『インド日記』(新曜社)B

<<   作成日時 : 2010/10/07 13:07   >>

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著者は聖都ベナレスへと移動した。

ベナレスでは、ある事件が起きていた。

『ウォーター』という映画がベナレスで撮影されようとしていたのだが、
それがヒンドゥー至上主義者のデモによる妨害で、
中止に追い込まれてしまった事件があったというのである。

おや、日本と似たようなことがインドでも起きていたのか。

右翼というのは映画に反応するものなのか。

なぜこの映画が抗議のターゲットになったのだろう?

監督はカナダ在住のインド系女性で、
かつてレズビアンの恋愛描写を含んだ作品を撮っていたことが、
ヒンドゥー右翼の怒りを買う原因になったのだそうだ。

ベナレスの話については、本書を直接読んでいただきたい。

さて、著者は大学での講義に戻ることになった。

この日のテーマは、「太平洋戦争が現代日本の文化・価値観に与えた影響」。

戦後の日本人には強い平和志向が生まれたが、
これは戦争の影響が大きかったことは誰にでも理解できるだろう。

さらに「正義」や「戦い」への屈折感も生み出した、と著者は考える。

日本では第二次大戦を描いた戦記映画や漫画は数多くあるが、能天気に正義が勝ち、悪が負けるストーリーは少ない。そんな描き方をすれば、日本は極悪だったから負けたことになってしまう。その代わりこうした映画や漫画は、主人公が「正義のスローガン」への疑いを抱きながら戦い、最後は敗北するか戦死するという、哲学的ともいえる内容を含んだものが多い。未来戦争を描いたようなアニメ作品でも、政治的背景の設定が複雑で、どちらが正義かはっきりせず、敗北する敵側の人物が主人公よりも魅力的に描かれたりする。(254頁)


著者は、黒澤作品の『七人の侍』もここで取り上げて考察している。

講義を終えると著者は、
インド南部にあるビジネス都市バンガロールへと向かった。

ここで開催される国際会議に出席するためだったという。

インドの知識人だけでなく、各国の知識人たちとも交流を持ったらしい。

参加した研究会は議論が活発なものとは言えない状況だったため、
会を盛り上げるために著者はこう発言したという。

「ヒンドゥーって何ですか?」


このひとことによって、会場の雰囲気は変わったという。

「私はどうやったらヒンドゥー教徒になれますか? 言葉を換えていえば、インドにいるイスラム教徒は、どういう生活習慣や宗教マナーを身につければ、ヒンドゥー教徒と認められるのですか?」


この問いかけは、「ヒンドゥー教徒」を「日本人」に置き換えてみると意味が分かる。

右傾化した日本人が、
「お前はほんとうの日本人じゃない」とか、
「お前は非国民だ・反日分子だ」などと言うことがあるだろう。

 じっさい、ヒンドゥーというのはわけのわからない「宗教」である。そもそも「入信の儀式」というものも、「これさえ守っていればヒンドゥーだ」という戒律もない。しかも多神教で、インド各地でいろいろな形態があって、「これがヒンドゥーだ」という特定のかたちがない。
 もともとヒンドゥーについて、「宗教というより生活習慣」という認識がある……。……だから、ヒンドゥーからイスラムや仏教に改宗する人はいても、その逆はほとんど聞かない。(295頁)


「日本人とはこういうものだ」とか、
「日本人はこうあるべきだ」とかいった思い込みの激しいひとは、
この問いかけにどう答えるのだろうか?

そもそも答える能力を持っているのだろうか?

……「日本人に生まれる」ことはあっても、「日本人になる」ことはきわめて難しい……。どんなに努力して日本語を話し、日本の習慣を身につけても、「もとからの日本人」でない人間は、「真の日本人」としてはなかなか認められない。
 これは同化政策などで朝鮮人や台湾人を「日本人」に改造しようと唱えた側も同じことで、いざ「日本人になれ」と命令しても、何をどうすれば「日本人になれる」のか答えようがない。朝鮮人に神道の神社を拝ませたり、日本語を話させたり、日本風の名前に変えさせたりしても、それで「真の日本人」になったと日本側がみなしていたとは思いがたい。そうしたとき、朝鮮人や台湾人から「日本人って何ですか? 私はどうしたら日本人として認めてもらえるのですか?」と質問されても、絶句するしかなかっただろう。(296頁)


沖縄やアイヌに対する日本人の視線もここで重ねて考えてみるべきだろう。

たとえば、わたしがこのブログで「従軍慰安婦問題」を取り上げると、
「お前、日本人じゃないだろ」というコメントが寄せられた。

コメント投稿者にとって「日本人とは何なのだろうか?」。

……ヒンドゥー・ナショナリズムを叫ぶ人びとは、「イスラム教徒やキリスト教徒は真のインド人ではない。ヒンドゥーこそが真のインドなのだ」と主張している。(296頁)


もっとも、インドではこうしたヒンドゥー至上主義には反発も強いらしい。

そのため、彼らの「真のインド」という主張は「目立つ」存在だという。

他方、日本ではどうだろうか?

「領土問題」を見ても分かるように、
いまや日本人は「総右翼化」していると言っても過言ではない。

 さらに私はインド知識人たちに、「ヒンドゥーというのは、寛容な宗教だといわれますが、実はとても排他的な宗教だと思いますよ」と述べた。ヒンドゥーは多神教だから、ちょうど日本の人びとがイスラムのモスクだろうがキリスト教の教会だろうが平気でお参りするように、ヒンドゥーの人びともいろいろな神にお参りする。こうした姿勢は、一見開放的で寛容に見えるし、インドのヒンドゥー系知識人もそう思っている。しかし、私はこう続けた。
 「もし私が、ヒンドゥーの寺院にお参りしたら、ヒンドゥーの人たちは言うでしょう。『外国人がお参りしたってかまわないよ。ヒンドゥーは寛容な宗教だからね』。そして私がガンジスで沐浴して、腕輪を巻いたら、『そいつは結構なことだ。ヒンドゥーの文化を学びたいんだね』と言うでしょう。しかしそのあと、私が『それでは、私をヒンドゥー教徒と認めてくれますか』と言ったら、彼らは『どうしてだい。おまえは外国人じゃないか』と言うに決まっています」。(298頁)


このように考えてみると、ヒンドゥーと日本の類似性に驚く。

ヒンドゥーは柔軟な宗教だといわれ、さまざまな様式やテクノロジーをとりこんで変形してゆく。しかし、その柔軟性は、排他性と表裏一体のものである。(298頁)


まさに日本がそうだ。

柔軟性と排他性。

寛容に見えて寛容でない。

 これがイスラム教のような厳格な戒律を持つ宗教なら、事情は反対である。戒律が厳格であっても、その戒律さえ守れば、外国人でも「イスラム教徒」として認めてもらえるだろう。ヒンドゥーが「柔軟性と排他性」の宗教だとすれば、イスラムは「厳格さと普遍性」の宗教だ。異邦人に開かれた普遍性と開放性をもたせるためには、「この原理にさえしたがえばあなたも仲間として認めよう」という基本原理と戒律が生み出される。開放的になるために、単純化された原理が設けられるのだ。そしてもちろん、日本の神道は、ヒンドゥーに似た「柔軟性と排他性」という性格をもつ宗教である。
 さらに私は、「もしかしたら、ある種のヒンドゥー原理主義者のほうが、普通のヒンドゥー教徒より外国人に開放的でしょう。彼らはインド各地の多様なヒンドゥーの形態を画一化して、ヒンドゥーを一神教的な厳格な宗教にしようとしています。しかしそうやって決められた形態や戒律に従えば、原理主義者は外国人だってヒンドゥー教徒として認めるんじゃありませんか」と述べた。チャタジー氏は複雑な表情になって、「そうかもしれない。いや、その通りだろう」と応じた。(298頁)


この点に関しては、日本の右傾化現象と異なるところかもしれない。

2月のある日。

著者は観光地ケーララへ足を運んだ。

ここにはキリスト教徒も多く、
キリスト教の教会のほうがヒンドゥー寺院よりも目立っていたという。

また、ユダヤ系移民が建てたシナゴーグもあったという。

もっとも、イスラエル建国後は、ほとんどの住民が移住してしまったという。

シナゴーグ近くにアンティーク店があった。

欧米人の観光客が品物を買っていた。

その店に入った著者は、店主に話しかけてみたという。

 店の主人に値段を聞いてみたら、なんと古いアイロンや壊れた目覚まし時計が900ルピー。……「おい、冗談だろう。こんなガラクタを誰が買うんだよ」と聞くと、店主はニヤニヤ笑って肩をすくめながら、外国人観光客がけっこう買ってゆくと言っていた。
 アンティークの店は本屋も兼ねており、インド文化やヨガの本、あるいは『自然の恵み』などと題した写真集など、いかにもインドにロマンを求める外国人が喜びそうなものが置いてある。古アイロンや古時計も、日本円に直せば2000円ちょっとだから、先進国の人間が記念品に買ってゆくことはありえる。(311頁)


ガラクタが高値で売られていた。

日本人観光客も、旅行先でアンティーク品を買ってくるだろう。

そしてその自分の行為が、地元のひとたちにある影響を与えているとしたら?

しかし、壊れた古アイロンや古オモチャを周辺の農村から集めてきて、それが何万円にも売れるとなったら、下手をすればマジメに働く気が失せるだろう。地道に働いて稼げる何十倍ものお金が、外国人観光客を相手に一商売すれば手に入ってしまうのだ。(312頁)


わたしはベトナムのことを思い出していた。

夜のマーケットに行くと、観光客はあちこちの店員につかまる。

通りを歩いていると、カタコトの日本語で話しかけられ、
やたらと高い値段でモノを売りつけられそうになる。

インドでも同じような光景が見られるという。

……街頭で市価の2倍ちかい値段でフィルムを売りつけようとした少年たちや、理由もなく「お金をくれ」と言ってきた子供たち(制服を着た学校の生徒で貧乏そうではない)もいた。現地感覚でいえば数万円のお金を簡単に使う観光客の存在が、現地の青少年に与える悪影響ははかりしれまい。しかし現地の人びとは、ほんとうはそうした観光客をあざ笑っている。古道具を選んでいるアメリカ人観光客の横で、笑いをかみ殺すようにかしこまっていた店主の様子は印象的だった。(312頁)


ベトナムやインドを旅行して、
「彼らは強欲だ」などといった印象を持って帰ってくる日本人がいたとしたら、
彼ら自身のほうがよっぽど傲慢なのではなかろうか?

さて、いよいよ著者にとって、デリー大学での最後の講義の日。

テーマは「近代日本の植民地支配とマイノリティ差別」。

日本の朝鮮・台湾支配と、イギリスのインド支配。

いずれも過酷な植民地支配を行なったという共通点がある。

では相違点はどこにあるのだろうか?

それは、分割統治・間接統治の採用度だ、と著者は指摘する。

 現在のインドでイギリスの支配を振りかえる場合、インドに分割統治が施されたことが強調されることが多い。イギリスは各地の王族や、宗派ごとの有力者を支配に協力させる見かえりとして、王族の既得権を「自治」として保証し、またカーストなどを「宗教上の慣習」として認めた。これによって、カーストや王族支配は、イギリスの支配下でより強まったといわれる。もともと「カースト」という名称をつくったのもヨーロッパ側だった。こうしてそれまで無自覚な慣習だったものが、制度化されてしまったというわけだ。(331頁)


これまで日本とインドの類似点ばかりに気をとられてきたひとは、要注意だ。

日本は植民地支配を行なった側であり、インドは植民地支配を受けた側なのだから。

ちなみに、現在の日本では、
朝鮮系のひとびとのなかでも日本式の通名を持っているひとたちがいる。

現在にいたっても日本には差別が激しく残っているからだ。

これと似たことがインドにもあるという。

名前から出身地やカーストが分かってしまうことがあるため、
都会などに出たさい名前を変えてしまうひともいるのだという。

日本にはインドのような差別はない、とは当然言えないわけだ。

最後の講義を終えた著者は、
インド北西部のパンジャブ州の最大都市であるアムリトサルへ向かった。

パンジャブ州は、海外移民が多い土地として知られているらしい。

ここで、途上国の貧困問題に関心を寄せる日本の若者にも
じっくり考えてもらいたい問題がある。

「緑の革命」についてだ。

 また「緑の革命」も、高収量品種の導入などで農業生産を増大させたものの、一方で貧富の格差や環境の破壊を招きやすかった。高収量品種は、もともとの土地に根ざしていた在来品種よりも、多くの水や肥料を必要とした。そのため、ダムが必要になったり、塩害で土地が荒れたり、肥料を買える富農だけが豊かになったり、また肥料や機械を導入するために借金が増えた農民が出たのである。(338頁)


パンジャブ州では、そのために、出稼ぎ移民が多く出たという。

あるものはデリーに流入し、あるものは海外へ移民に出た。

東京にあるインド料理店も、その多くはパンジャブ系の北インド料理である。(339頁)


これは外国人労働者・移民問題を考えるうえで、重要なポイントである。

この問題を考えるのに「日本の若者」に限定する必要はもちろんないのだが、
最近わたしが痛感するのは、
貧困問題に関心を持つ若者の多くが「助けてあげる」という態度を持っていることだ。

・ 途上国のひとたちは何も知らない無知のひとびと。

・ 日本人はよく知っているひとびと。

そういう構図を暗黙のうちに描いてしまっているのである。

だから、日本が行なっている途上国支援はいいことだし、
日本企業が進出することもいいことだと思い込んでしまうのだ。

ひょっとしたら自分たちは「新たな植民地主義」を広めているのかもしれない、
といった批判的視点はまったく持っていないのである。

この問題については、後日、別の記事を書く予定である。

本書の内容に戻ろう。

著者はジャリアーンワーラー庭園に出かけたという。

植民地時代の1919年4月に、イギリスが発布した集会禁止例に抗議してこの庭園に集まった人びとを、イギリス軍が発砲して虐殺した場所である。(352頁)


ここで日本人は次の事実を想起せねばなるまい。

ちなみにこの前月には、朝鮮でも三・一独立運動が起こり、日本軍が各地で非武装の朝鮮人を虐殺した。ソウルでは、この事件のときに独立宣言文を読み上げたというパゴダ公園に、日本軍の虐殺場面を描いたレリーフがあるのが有名だ。いわばジャリアーンワーラー庭園は、「インドのパゴダ公園」である。(352頁)


朝鮮の公園とインドの庭園。

朝鮮とインドで2つの事件がほぼ同時に起きているのは、偶然ではない。(352頁)


イギリスの植民地支配を批判できる日本人でも、
朝鮮を植民地支配した日本を批判できるひとはどれだけいるのだろうか?

記念館には殺された指導者などの肖像がならんでいたが、発砲命令を出したイギリスの将軍を後年にロンドンで射殺したシーク教徒の英雄、ウダム・シンの肖像が重視されていた。朝鮮では、伊藤博文を射殺した安重根が英雄視され、記念館もあるが、ウダムはいわば「インドの安重根」である。(352頁)


ところで、パンジャブのひとたちはインドに対して複雑な感情を持っているという。

次の発言がそのことを物語っている。

……「パンジャブではガンディーは人気がない。みんな印パ分離の責任はガンディーにあると思っている」……。(369頁)


パンジャブ問題を知らないひとにとっては、
何のことを意味しているのかよく分からないかもしれない。

ちなみにわたしはここで「タゴール」を思い出した。

本書の紹介はこれでおしまい。


















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