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zoom RSS 小熊英二『インド日記』(新曜社)A

<<   作成日時 : 2010/10/02 13:58   >>

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国家は自然に権力を維持できるわけではない。

ナショナリズムは自然な感情ではないからだ。

たとえ国民にとって愛国感情が自然なものに感じられたとしても、である。

国民を統合するためには、
国民を熱狂的なナショナリストにつくり上げるためには、
さまざまな装置が動員される。

 戦前日本の統合の中核は天皇だったが、今のインド統合の中核は何なのだろう。ガンディー主義は下火だし、戦後日本のように「豊かな国」とか、アメリカのように「世界でいちばん強くて豊かで正義の国」といった豪華三段重ねみたいなナショナル・アイデンティティ(どれか一つでも脅かされればかなりのアメリカ人は納得しないのじゃなかろうか)でもあるまい。(117頁)


ではインド統合の中核には何があるのだろうか?

著者が現地テレビを見ていて感じたところによると、
古代ヒンドゥー文明とパキスタンとの紛争が大きな要因ではないか、という。

ナショナリズムは過去の「偉大な歴史」を国民に刷り込もうとする。

そしてもうひとつは「敵国」に対する憎悪である。

過去と現在の記憶をめぐる感情の共同体。

日本でもまったく同じである。

アジア諸国を敵視し、「日本文化」の独自性に酔いしれる。

陶酔の共同体。

アジア諸国との融和をはかると「土下座外交」などと罵り、
アメリカに屈服するのは国際政治のリアリズムだなどと居直る。

日本の自称愛国主義者は、アメリカ人の靴の裏でも喜んで舐めるだろう。

さて、近ごろのインドでは女性の地位向上のための運動も盛んだという。

だが、結婚持参金制度はいまも存続しているらしい。

「ダウリー」と呼ばれる結婚持参金の話である。

 インドのダウリーは女性から男性の家に払うもので、日本や中東の結納金とは逆だ。こうした結納金は、貴重な労働力になる女性を男性側が「受け取る」代わりに、金銭などを女性側の家に「支払う」という一種の売買契約として機能していた。(130頁)


ところで意外なことに、
このダウリーはもともと上層カーストの間で行なわれていた慣習らしい。

上層カーストの間で行なわれていた慣習が広まっていったものだったという。

こうした事例は日本にも見られる。

江戸時代には人口の6パーセント(数え方に諸説ある)にすぎなかった武士の、しかもそのなかでも例外的な行為として存在していた「切腹」が「日本文化」として有名になったり、江戸の富裕な商人の慣習だった「七五三」が明治以降に全国的に波及したりしたのは、その一例である。(131頁)


「文化」を「国民国家」と結びつけることしかできないひとたちに、
声に出して繰り返し何度も読ませたい部分だ。

彼らは何も知らずに「○○は日本の文化だ」と言ってしまうから。

話を本書に戻す。

インドでは女性の社会進出が進んでいる。

それぞれの村には長老会議があり、
かつては男性メンバーばかりだった。

ところが、新法ができて、3分の1を女性にすることが定められたという。

そしてこれを国会議員にも適用するかどうかで、議論を呼んでいるのだそうだ。

 インドの知識人のあいだでは、この国会議員定数案には、「女性の社会進出につながる」という賛成論と、「地方女性は教育程度が低く右翼支持者が多い」とか「地方ボスの奥さんが議席を占めるだけで保守に有利」という反対論の両方があるらしい。後者はなんとなく、日本で敗戦直後に女性参政権が付与されたさい、「女性票は夫に同調する保守票だから、共産党の進出を防止するのに役立つ」という保守系の賛成論があったことを思い出させる。(133頁)


日本人の多くは、日本はインドより進んだ国であると考えているだろう。

だが、日本における女性の社会的地位は相変わらず低い。

日本女性の生涯賃金は、男性の半分である。……国家議員に占める女性の比率は、世界でもかなり低い。(141頁)


女性の社会的地位だけでなく、日本は市民社会も未熟である。

誰のせいか?

右翼や保守派や国家主義者のせいだと思う。

著者は、日本ではどうしてNGOの活動が盛んではないのか? と訊ねられたという。

……日本は中央政府の主導で近代化が行なわれ、民間の公共活動は反政府運動の芽のようにみなされて、常に圧迫されてきた歴史があることを説明した。……日本政府がNGOへの敵視をやや改め、法律の整備をはじめたのは95年の阪神大震災以降であるとも述べた。(137頁)


ある日の著者のインドでの講義。

この日は日本の宗教をテーマにしたそうだ。

 話の内容は、要するに神道は多神教なので、神道の体系内で他の神を受け入れるのは容易であるということ。太陽の神やキツネの神が、キリストやブッダに入れ替わっただけで、多くの神を並行して崇めるという姿勢そのものが神道の構造だ、という私の持論である。(152頁)


この話はインド人にも理解しやすいものだった。

ヒンドゥーもサルやゾウの神さまがいる多神教だからだ。

 おもしろいのは、学生から「インドでも、ヒンドゥーの夫婦で子供ができないときなどに、イスラムの聖者廟にお参りに行くことがよくあります」と返答があったこと。(152頁)


イスラム参りが子宝に効くという民間信仰があるのだという。

日本人も、お寺に行き、神社に行き、教会に行く。

でもほとんどのひとが「自分は無宗教だ」と考えている。

……最近は「インドの右翼」のなかに、「ヒンドゥーは宗教ではなくてインドの生活習慣だ。だから国家が後援しても政教分離に違反しない」などという主張があることだ。政治家というものは、どこでも似たようなことを考えるものだと思う。(154頁)


まったくだ。

では、そうした日本人の節操のなさは、
よく言われるような「寛容さ」を意味しているのだろうか?

よく日本人はこう言う。

「多神教の日本は、一神教の欧米に比べて、寛容なのだ」と。

ほんとうにそうなのだろうか?

そうではない、と著者は言う。

一見開放的で、どの宗教でも受け入れているように見えるが、じつは「多くの神を同時に崇める」という点は頑固に変えない。そのため、「私はキリスト教徒だから、神社には参拝できません」といった姿勢をとる者には、極度に不寛容である。戦前に朝鮮のキリスト教徒が神社参拝の強制に抵抗したさい、参拝を強要する総督府側が「神社は宗教ではない。だからこれは宗教の強要でもなければ、信教の自由の侵害でもない」と応じた史実もある。(154頁)


右傾化が強まっている日本で、
靖国参拝が強制される日も近づいていると思うと、ぞっとする。

日本では、明治天皇も東郷元帥も神さまになる。

それだけではない。

日本の企業では、企業の創業者を神社に祭っていたり、朝礼時に神棚を社員に拝ませるところもある。インドの学生たちに、諸君が日本企業に入ったら、場合によってはこういう神社に参拝に行くことを命じられ、拒むと「協調性がない」などと非難されることもありうると言ったら、さすがに気持のよい顔はしていなかった(ちなみに、日本語の「協調性」を英語ではどう翻訳するか議論になったが、「同化assimilation」がいちばん適切だという結論をインド側の人びとは下した)。(154−155頁)


日本の「協調性」は、じつは「同化」だった。

腑に落ちる。

さて、著者はカルカッタへと移動する。

カルカッタには、デリーとはちがって、街中に牛がいない。

 ……ニューデリーは1970年代から80年代に急成長した町で、もとは村だった地域が多いため、住民がいまだに牛を市内で放牧しているのだそうだ。……そして政府は、聖なる動物である牛が交通事故死したりゴミをあさったりしている状況を憂慮して、牛を郊外に出す政策をとっているとのこと。……デリーの牛は減ったと話していた。
 つまり「デリーの市街地に牛がいる」という現象は、「インドの文化」などではなくて、急速な近代化の副産物として近年になって出現したものだったわけで、当のデリー市民も困惑しているのである。そして、おなじくインドでも古くから市街地だったカルカッタには、牛がいないというわけだ。安直に「インドの文化」などと思ってしまっている現象には、意外とこういうもの少なくないのかもしれない。(165頁)


ここも「○○は自国の文化だ」と言ってしまえるひとたちに読ませたい部分だ。

デリーに戻った著者は、国際ブックフェアに足を運んだ。

そこには日本の出版物もたくさん展示されていたという。

とくに目立ったのが「アンパンマン」だったらしい。

でも、インド人に「アンパンマン」を説明するとなると、相当に骨が折れるのではないか?

インド人に「あんぱんまん」を説明するには、中国から中世期に渡来した餡と、幕末に渡来したイギリス式ブレッド(日本の「パン」は、なぜか実体はイギリス式なのに名称はフランスないしポルトガル式である)が出会って「アンパン」というクレオール食物が誕生し、さらに戦後にアメリカのテレビ番組「スーパーマン」が輸入されて混交したという、文化交流の歴史を語らねばならない。おなじく、食物にハエが少々たかっても気にしないインド人に、「あんぱんまん」の敵が「ばいきんまん」である意味を説明するためには、近代日本の初等教育でいかに衛生知識の普及が重視されてきたかを説明しなければならないだろう。(194頁)


これも文化本質主義者に読ませたいところである。

さて、著者はある日の大学での講義で、
江戸時代の寺子屋と近代小学校がどのように異なるのかを解説したという。

俗に「読み書き算盤」というが、算盤を教えていたのはおもに商人地域で、農村の寺子屋は必ずしも算盤を教えていなかった。習っても、農村の仕事には役立たないからである。武士の子にとっては算盤など「賤しい」ものであり、武士の教養である儒学を習う。(201頁)


明治政府は、このような身分別の教育制度を破壊することにした。

日本では中央政府が強力で、ほとんどは旧寺子屋や民家の改造だったとはいえ、とにかく全国に小学校を配置した。さらに就学督促を行ない、児童を学校にかき集める。強制就学や授業料徴収にたいし、反乱や学校焼討ち事件が起きても動じない。さらに教科書検定を開始し、日本の事情に合わない(「教育内容が合わない」と「危険思想が混ざっている」の両方だったが)教科書を「日本化」させる。そうこうしているうちにしだいに産業化が軌道に乗りだし、学校で読み書きや計算を習うと有利な職に就けるようになりはじめた。そして日清戦争で勝利し、当時の国家財政4年分以上の賠償金をせしめ、その一部を基金にするなどして授業料を廃止し、就学率は急上昇したのである。
 要するに、よくも悪くも中央政府が強力だったこと、産業革命と合わせタイミングよく戦争に勝利した運の良さが、就学率を最終的に上昇させた要因だと説明した。(202頁)


学生たちは熱心に耳を傾けていたという。

「日本では不登校の問題fがあるそうだが、なぜか」といった質問も飛び出す。

著者がそれに答える。

するとまた新たな質問が出てくる。

またそれに著者が答えていく。

授業を終えると、著者は日本山妙法寺のデリー道場へと向かった。

そこで中村上人に面会するためだった。

彼の話がなかなかおもしろいのだが、
ここでは妙法寺の活動のあり方についての話を紹介しておく。

彼によれば、「私が祈り修行をしている、その状態が仏教徒であるのです。もし私が南インドで海水浴をしていれば、そのときは仏教徒ではない。仏教徒とはある人間を指すのではなく、魂の状態をいうのですから、誰が『信者』で誰が『信者』ではないといった固定したものではない」という。
 この組織原理と人間観は、たいへん興味深いものだ。1960年代から70年代にかけて、硬直化したピラミッド組織に堕してしまった共産党にあきたらず、自由な活動原理を求める新しい運動が西欧やアメリカ、日本で発生した。イタリアのアウトノミア運動、西ドイツの「緑の党」の初期、そして日本の「べ平連」(「ベトナムに平和を!市民連合」)などがこれにあたる。(206頁)


こうした新しい社会運動の影響で、ポスト構造主義の思想も生まれた。

……ポスト構造主義の思想……では、「人間のアイデンティティや同一性は固定したものではない。たとえば、あるときに人が『男』としてふるまえばそのときは『男』だし、別のときに『女』としてふるまえば『女』なのだ」といった発想をする。こうした思想は、「おまえは男なのか女なのか」といった社会的圧力に悩まされていたゲイやレズビアンの運動、あるいは「おまえは日本人なのか朝鮮人なのか」といった圧力に苦しんでいた「混血」の人びとなどに、自然に受け入れられていった。(207頁)


ここも日本のナショナリストたちに読ませたい部分である。

この新しい人間観(新しいと言っても、もうずいぶん前から言われてきたことだが)。

国際結婚によって生まれた子どもも、これに救われるだろう。

アイデンティティに悩む帰国子女たちも、この考え方によって救われるだろう。

「お前、日本人じゃないだろ!」と言うのは、立派な暴力なのである。

 こうした「アイデンティティの複数化」も、ナショナリズムや原理主義をのりこえるために、現代思想で強調されているポイントの1つである。たとえば在日の運動でも、「朝鮮人」というアイデンティティだけでは、「日本人」が「敵」になってしまいがちだ。しかしその在日の人に「世田谷在住者」や「女性」というアイデンティティもあれば、「日本人」による世田谷住民や女性の運動とも連帯できる。もちろん、「非世田谷在住者」とはまた別のアイデンティティ、たとえば「仏教徒」というアイデンティティの回路で対話できるわけだ。国家・民族・宗教といったアイデンティティを、対立のもとになるからといって全否定してしまうのではなく、逆にアイデンティティを複数に増やすことで中和してしまうという戦略である。(210頁)


もっとも、この戦略がどの程度有効なのかは、意見の別れるところだろう。

この議論のなかで中村上人は、
「オルタナティヴ・アイデンティティ」の必要性を強調したという。

社会の競争原理が激しくなればなるほど、ひとびとの不安はかえって強まっていく。

近代産業社会の論理そのものを見直す必要があるのではないか?

「物をたくさん持ちたい」という欲求から、
「荷物を減らしたい」という欲求への転換である。

これに対して著者は、つぎのような話をしたという。

マックス・ウェーバーは、社会学の古典である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、「がまんして働いてでもお金が欲しいというのは、欲望の形態としては変態なのではないか」という問いを立てた。
 ウェーバーが生きた19世紀末のドイツでは、現在のポーランド付近に企業が進出したとき、高い給料を払っても労働者が働かなかった。「高いお金をもらうより、必要以上に働かないで休んだほうがいい」という価値観の人びとが多かったからである。彼らの村の生活にたくさんのお金はいらないし、必要のないものは買う気もない。だったら、苦労してお金を稼ぐ必要はない、というわけである。
 ウェーバーは次に、「では、現在のような資本主義の欲望形態は、どこからきたのか」という問いを立てた。彼が注目したのが、プロテスタンティズムの一派であるカルヴィニズムである。この宗派は、「神による最後の審判で救われるためには、神の与えた現世の天職につくすことが必要だ。そしてどれだけ現世の天職につくしたかは、その仕事で稼いだ金額で決まる」という考え方をとったのである。この宗派の人びとが、お酒を飲むのも友人とつきあうのも我慢して、ひたすら長時間働いて無駄使いをせず、お金を貯めて事業を大きくした。こうして、「来世のために我慢をするしという禁欲の信仰が、「お金をひたすら求める」という欲望の形態を生み出したというのである。(211−212頁)


さらに著者は、見田宗介の話を紹介していく。

……現代日本の社会学者、見田宗介……は、「人生の道具化」を問題にする。いま我慢して勉強するのは、よい学校に入るため。よい学校に入るのは、よい会社に入るため。我慢して働くのは、よい老後のため。今日の生活は、明日に備えるための道具であり、明日は明後日のための道具である。しかし、人間は無限に生きるわけではない。それでは、ひたすら我慢して勉強し働くのは、「よい墓に入るため」なのか?(212頁)


金融資本主義が世界をめちゃくちゃにしてからというもの、
「金融資本主義はダメだ、健全な産業資本主義に戻るべきだ」
といった意見がふりまかれるようになっている。

だが、産業資本主義ならいいというのは、相当深刻な健忘症だろう。

これまでどれだけの問題を産業資本主義が引き起こしてきたのかを、
彼らはすっかり忘れているのだから。

問題を金融資本主義のせいにして、自己弁護しようとしているだけであろう。

見田はそうしたプロテスタンティズムの精神を、景色を見ることも、鳥の鳴き声を楽しむことも我慢して、ひたすら目的地に直行する旅のようなものだと形容している。金銭や出世のために、友人との交際や家族とのふれあいを我慢することは、欲望そのものではなく「欲望の貧しいかたち」であり、合理的な行為というより「不合理なまでに『未来』を信仰している」結果なのだ。(212頁)


「世界遺産をいくつまわれるか」
といった観光しかできないひとたちには耳の痛い話ではないだろうか?

 さらにマルクス流にいえば、近代の労働は疎外された労働の形態だ。人は工場や会社などで、生産手段をもつ資本家の命じるまま働き、その対価として賃金をもらう存在にすぎない。そこでは人間は、自己の意志のままには行動できない、いわば奴隷のような存在だ。しかしそうした近代社会でも、人は物を買うときだけは「お客さま」として「主人」や「神様」になれる。いわば一瞬の買物のときに「主人」になるために、「奴隷」として我慢してお金をためるのだ。奴隷としての生活が不満であるほど、「主人」として物が買いたくなる。彼または彼女は、商品を「消費」することによってしか、自分の生活を思い通りに「設計」したり「生産」する場を得られない。人は物そのものが買いたいというよりも、買物という行為によって「人生の主人公」になれる瞬間を求めているといえる。(212−213頁)


現在の日本を見渡しても、そうだ。

金銭の奴隷と企業の奴隷と国家の奴隷ばかりではないか。

「人間の解放」というテーマは、いまも失われていないはずだ。











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