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zoom RSS 野田正彰『見得切り政治のあとに』(みすず書房)@

<<   作成日時 : 2010/09/03 20:25   >>

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著名な精神科医によるエッセイ集である。

エッセイ集は、ちょっと空いた時間に読めるので、よい。

ほんの数分だけ電車やバスに乗っているとき、
ウイルス・チェックを行なっているとき、
こうしたちょっとした時間を無為に過ごすのはもったいない。

こういう時間はエッセイを読むのにちょうどいい。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


◆「拷問による教育」

東京都教育委員会は、人間を、命令に従う従順な「家畜」したいようだ。

 東京都教育委員会は2003年10月、全都立学校長に対し卒業式で全教職員に「君が代」の斉唱をさせるように職務命令書を出した。その後、命令に従わなかった者、従順でないとみなされた者は処分され、さらに「服務事故再発防止研修」なる思想改造の強制が行われてきた。(27頁)


21世紀になっても、このような露骨な人権侵害が行なわれている。

しかも東京で。

東京都教育委員会はファシストによって牛耳られているのだ。

 先生たちは初め怒り、あきれた。自ら考え、自分の良心に従って生きるように示し伝えるのが教育ではなかったか。思考を停止して強制に従う姿を生徒に見せて、教師として生きていくことができるのか。だが、不利益の重なりは家族に迷惑をかける。さらに校長は、「不起立を通せば、あなたはいいかもしれないが、学校の名誉が傷つき、同僚が迷惑する」と責める。自責と苦悶はやまず、学校を辞めたい、休息したい、死にたいという逃避願望が駆けめぐる。こうして多くの教師が自己評価を低くし、卑屈になっている。これを拷問と言わずに何と言うか、私は知らない。(27−28頁)


またしても「世間の論理」が人権を抑圧しているのである。

戦前と何も変わっていない。


◆「問題多い精神鑑定」

日本ではまともな精神鑑定が行なわれていない、と著者は言う。

 日本の精神鑑定は無い無い尽くしである。凶悪事件で犯行時に精神障害であった者の8割ほどが、精神鑑定を受けていないという報告がある。簡単に調べられる知的障害者についてさえ、判定されていない。たとえば1998年の新受刑者の知能指数調査によると、全殺人犯520人のうち知能指数49以下の者が25人(5パーセント)いる。彼らは知能障害の重度に分類され、意思の交換や環境への適応は困難とされている。このような被告でさえ、法廷で何が言われているのか、理解できていると考えられている。法の下での公平な運用が行われている、とは言い難い。精神障害者や知的障害者は刑務所でも処遇困難とされ、治療されずに放置され、満期出所となって、しばしば再犯に至る。大阪池田市での児童殺害犯もその1人であり、市民社会は無知と無作為による高い代償を払わされている。(30頁)


著者によれば、ドイツやロシアでは、
日本とまったく異なるシステムが整備されているという。

日本では、検察はお好みの精神科医を指定する。

精神科医たちは、検察が期待するとおりの鑑定結果を出してくれる。

裁判所はそれをそのまま鵜呑みにする。

国民は、精神障害者への無知・無理解を温存させる。


◆「教育基本法改正の道徳心」

少年犯罪が凶悪化していると、保守派は言う。

少年たちのモラルが低下している、と保守派は言う。

 今また、少年の凶悪犯罪が起こるのは教育基本法に「道徳心」や「公共の精神」が盛り込まれなかったからであるという、政治的煽動が行われている。それでは少年による殺人事件は戦後、確実に急激に減少してきたのをどう説明するのだろう。敗戦後しばらく、まだ教育勅語を叩き込まれた少年が多かったころ、凶悪事件が極めて多かった。愛国心や道徳心を教育の基本にせよと主張する人たち、たとえば首相。彼らは教育基本法で戦後教育を受けたために、国会の場で学生時代の売春疑惑や、某新聞社への不正入社が問題にされたり、働いていない会社から給与をもらったりするようになったのだろうか。(56頁)


若者に道徳心を植えつけようとするひとたち。

彼らこそ、道徳心の欠片も持ち合わせていないのではないか?

性犯罪の被害者を侮蔑して何とも思わない安倍晋三も同じである。

えらそうなことばかり言うくせに、
自分では何ひとつ国家のためにしない愛国者気取りのタレント。

都民の血税をほしいままにする都知事。

上から都合よく人間を操作したいと望むとき、道徳や公共がとなえられる。(56頁)


彼らの言う「道徳心」や「公共」は、戦前のそれらとまったく同じである。


◆「真の最高裁判所を」

日本の裁判所は、権力をチェックしない。

憲法をないがしろにする。

支配権力に寄り添う判決を出す。

権力志向、出世主義の裁判官が集まる東京地裁、東京高裁の判決がひどい、
と弁護士たちの間でもっぱらの評判だそうだ。

 靖国裁判、戦後賠償裁判などでは、原告に不利益がないとか、不法行為から20年以上たっており賠償請求権がないとか、基本的判断を迂回する判決がほとんどである。……そんな裁判官たちが司法改革を叫んでいる。(58頁)


そこで著者は「真の最高裁判所を創りたい」と言う。

日本国憲法に立ち返り、国際人権規約を尊重する「真の最高裁判所」。

ちなみに、本書の内容からは外れるが、
わたしには大嫌いな日本の建築物が3つある。

@ 金閣寺

A 東京都庁

B 最高裁判所


俗悪きわまりないこれらの建築物。

美しさとはまったく無縁の建築物。

建築家の権威主義・権力主義がこれほど露骨に出ているものはない。

金閣寺をありがたがる日本人の無神経さも信じられない。

彼らは「有名なもの」であれば何でもいいのだろう。

自分の頭でモノを考え、判断することなどできないのだろう。

これらはどれも燃やしてしまうべきだ、と思う。


◆「小泉首相が靖国参拝にこだわる理由」

小泉純一郎はもともと靖国神社に関心が高くなかった、と言われていた。

 小泉純一郎首相はなぜ「靖国公式参拝」にこだわってきたのか。その行為は政略的な判断と、意固地な性格からくる個人の反応という、異なる二面が混ぜ合わせられたものである。政略的判断とは、首相になる前、最大派閥でなかった彼は、自民党員の2割とも言われる日本遺族会と軍恩連盟の票を故橋本龍太郎元首相から鞍替えさせるためだった。性格反応としては、彼は難しいこと、分からないことは単純に割り切り、他を顧みないことによって自分らしさが表現できると思い込んできたのではないか。知性よりも勘に生きてきた小泉首相にとって、靖国の歴史、その社会的役割、誰が祭られているか、誰がいかにして祭神としてきたかなど、どうでもよかった。(72頁)


このメンタリティは、ネット右翼にも見られるものではあるまいか?

 靖国神社は敗戦の翌年9月、宗教法人となったが、政治的方便によるものであり、宗教法人と呼べるものではない。……靖国神社には儀式があるだけで、「靖国教」の信者もおらず、教義もなく教義の布教もない。もともと国家神道は宗教にあらずと戦前は主張されてきたのであり、靖国神社はその国家神道の中心施設であった。どう言いつくろうとも、宗教施設ではない。(73頁)


とするなら、宗教法人として得てきた「特権」が問題にされなければなるまい。

やがて日本の右翼は、靖国は宗教ではないと、自分で言いはじめるだろう。

日本の伝統的な慣習だ、と言いはじめるだろう。

そのとき、数十年間にわたる「脱税」について、右翼はどう弁明するのだろうか?










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