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zoom RSS 西垣通『ウェブ社会をどう生きるか』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2010/08/13 12:24   >>

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ウェブの世界には、新しい用語が多い。

しかもその大半が「カタカナ語」である。

分からないひとには何のことなのかちっとも分からない。

たとえば、よく耳にする「ウェブ2.0」とは何なのか?

こうした初歩的な用語から解説してくれる親切な本である。

IT企業の技術者・コンピュータ専門家の書いたものは、
多くの場合、学術的な基礎概念を無視して展開されている。

ところがこの著者の場合は、学者だから、そこをきちんとおさえている。

たとえば、「情報とは何か?」という問題がある。

多くのひとは、「情報は伝達可能なもの」と考えている。

だが著者は、「情報はそもそも伝わらない」と言う。

どういうことか?

いつだったか、私が授業で「情報は小包のような実体ではない」と講義したところ、1人の学生がやって来て、「僕は昨日の巨人阪神戦のナイター中継を見そびれて、どっちが勝ったか知らなかったのですが、それを今朝、友だちがメールで教えてくれました。これは情報を実体としてもらった、ということじゃないんですか?」と質問しました。(28頁)


この学生さんは素朴な思い込みを持っていたわけだが、
でもそうやって先生に疑問を投げかけているところはすばらしい。

そこで著者は次のように答える。

しかし、仮に友人が「巨人が勝ったよ」と教えてくれたにしても、それを理解できるのは学生が日本語を読めるからで、地球人口60数億のうち大半の人たちにはチンプンカンプンです。さらにたとえ日本語を理解できたとしても、ヨーロッパの日本語学科の学生のように、日本のプロ野球に興味がない人には何を言っているのか全然わからないのです。逆に言えば、巨人阪神戦が日本社会では重要なニュースであり、その勝敗がかなりの関心をよぶという「国民的」共通了解の上で、はじめて友人の情報は「(擬似的に)伝わる」ことになります。(28−29頁)


ここでソシュールの名を思い出したひとは、ちゃんと勉強しているひとである。

著者は、ソシュールの記号学を解説しながら、
この問題をていねいに説明してくれている。

情報はモノではない。

ソシュールが分からないひとに、この部分はおすすめできる。

IT化は、わたしたちの意識や社会のあり方に大きな影響を与える。

……法学者ローレンス・レッシグが提案している「クリエイティブ・コモンズ」の考え方は参考になる……。そこでは、自分の作品の改変をみとめるか、自分(著作者)の名前の表示をもとめるか、また営利目的の利用をみとめるか、などの選択的制限条件をつけた上で、なるべく作品を自由に利用し共有財とする仕組みが作られています……。(42頁)


レッシグについては、以前このブログでも紹介したことがある。

 ウェブ2.0の特長として、いわゆる「集合知(collective intelligence)」なるものがよく指摘されます。平たく言えばこれは、ウェブで不特定多数の人々が意見交換をし合い、専門家をしのぐような知的成果をあげることができる、という一種の仮説です。(71頁)


ウェブ上の百科事典「ウィキペディア」や、
オープンソースのOSである「リナックス」などがその典型例だろう。

もっとも日本の「ウィキペディア」の場合、
ネット右翼たちによる落書きのせいで信頼性が低下しているが。

他方、コンピュータの側も人間に近づけようとされている。

コンピュータと人間の共生。

コンピュータと人間のコミュニケーション。

ところが、これがそう簡単な話ではないのである。

 コンピュータに人間の言葉を理解させることがいかに難しいか、具体的な思考実験例をあげましょう。ある人が人工知能をそなえたメイド・ロボットを購入しました。暑い日、帰宅してメイド・ロボットに「冷蔵庫のなかに水はないかね」と尋ねると、「あります。ナスの細胞のなかにあります」という答が返ってきてしまいました。いったいこのメイド・ロボットは「人間の言葉を理解できる」と言えるでしょうか?
 メイド・ロボットは「冷蔵庫のなかにはナスがある」「ナスの細胞のなかには水分が合まれている」といった“知識”をもとに、推論処理をおこなって正しく質問に答えました。けれども、期待されたのは、「水はありませんがビールならあります」とか「ありませんが、ミネラル・ウォーターなら近くのコンビニで売っています」といった答えだったのです。(87頁)


人間は、どれほど簡潔なコミュニケーションの場面においても、
じつはきわめて複雑で膨大な情報処理をしているのである。

コンピュータが登場するはるか以前から、
人間を「機械」に見立てる見方がヨーロッパに出現していた。

「人間機械論」だ。

この見方は、医学などの大幅な進歩には貢献した。

けれども、そうすると機械と人間の境界線はどうなるのだろうか?

人間を機械に見立てるモノの見方には、当然強い反発も起きる。

日本には素朴なウェブ礼賛論やロボット愛好論が多すぎる、
と著者はたしなめている。

人間と機械のちがいという原理論をないがしろにしてはいけない、という。

そこで新たな考え方があらわれた。

……20」世紀後半に提唱されたのが「自己組織システム」という考え方……生物の体が自己組織的に形成される点に着目したものです。(120頁)


これはどういうものなのだろうか?

結論を簡潔にいえば、「ミクロなゆらぎからマクロな秩序」ができるのが生物の体だと考えられています。(120頁)


こういう考え方は「非平衡開放系」とも呼ばれる。

……「非平衡開放系」……より広くはカオスやフラクタルといった領域をふくむ「複雑系理論」の一部をなし、現在もっとも活発に研究されている科学分野の一つとなっています。(120−121頁)


こうしたことをふまえて、
現在もっとも有力とされているのは「オートポイエーシス」だ、という。

現在、生物を機械から分かつ考え方としてもっとも有力とされているのは、「オートポイエーシス性」です(「オート」は自己、「ポイエーシス」は制作行為をあらわすので、「自己創出性」と訳されることもあります)。生物が「オートポイエティック・システム」であるのに対し、非生物である機械は「アロポイエティック・システム」と呼ばれます。生物は自分で自分を作り続けていく存在ですが、機械は他者(アロ)である人間によって設計され制作される存在なのです。(121−122頁)


オートポイエーシスもむずかしい理論だが、
この本ではとても分かりやすく解説してくれている。

基礎情報学では、「メディア」とは、「コミュニケーションをまとめあげるもの」という、通常より広い意味をもっています。つまり、メディアはコミュニケーションをになう記号表現を物理的に媒介・伝達するだけでなく、記号内容に即してコミュニケーションを分類したり接続したりする役割をもつわけです(ちなみに、ルーマンの社会理論においては、権力、真理、愛などの抽象概念さえも「メディア」とされます。これらはそれぞれ、政治システム、学問システム、家族友人システムなどにおけるコミュニケーションをみちびくからです)。(137頁)


最後に「知」について引用しておこう。

「暗黙知」の話も出てくるのだが、
「暗黙知って何?」と思ったひとはぜひ本書を手にとっていただきたい。

情報論の世界ではよく知られている考え方である。

現代の教育においては、「知」とは教えられるもの、とされている。

だから教師は生徒に「知識」を教え伝達しようとする。

だが、それとは異なる「知」の教育方法がある。

これを「しみ込み型」の教育法という。

 「しみ込み型」は、日本の伝統芸道における「わざ」の習得過程で用いられるものです。たとえば義太夫の師匠である竹本津太夫は、「稽古の最中に「ダメだ」「そうじゃない」といった叱責を与えたのみで、どこがどういう理由でダメなのか教授することは稀であった」……そうです。弟子はひたすら真似るだけなのです。自分で工夫し、自分なりに目標を立て、試行錯誤を繰り返しながら「わざ」を体得していくというわけです。
 義太夫にかぎらず、「習うより慣れよ」とか「わざは兄弟子から盗め」といった教育方法は、日本のあらゆる伝統分野に共通しています。つまり、「しみ込み型」教育方法とは、何より「学習環境」と「お手本」を重視するわけです。学習者はそれらの作る「場」のなかで、模倣しながら自然に学んでいくという方法なのです。
 これに対して、「教え込み型」の教育方法は、どちらかというと西洋由来で、これが近代日本に輸入されました。そこでは言語化された明示的な知識体系が前提とされます。教師は知識体系を細かい要素に分解し、綿密なカリキュラムにしたがって、それらを学習者の頭脳に計画的に注入していくわけです。(144−145頁)


考えてみれば、動物界でも「知の伝達」は行なわれている。

ライオンは子どもに狩りの仕方を教えますし、アザラシも子どもに泳ぎ方を教えます。動物の親はやってみせるだけで、カリキュラムもシラバスもありません。まさに「しみ込み型」教育方法そのものです。子どもは生きるために、自ら命をかけて学ぶのです。(146−147頁)


動物は、言葉で教え込むわけではない。

動物は、「しみ込み型」の教育を通じて必要な技能を「身につけていく」のである。

ここで著者は、興味深いことを指摘している。

自閉症の症状にコンピュータ処理に近いものがみられるというのである。

 自閉症の患者は、周囲とうまく言語的コミュニケーションがとれないと言われます。しかし、この障害をもつ人物のなかに驚くべき能力が隠されている場合があることは特筆すべきでしょう。たとえば「87年前の12月25日が何曜日であったかを即座に答えてしまう」とか「一度CDで聞いたピアノ演奏を即座に何も見ずほぼ完璧にひき始める」といった、われわれには想像もできないような能力です……。
 にもかかわらず、自閉症児は、街でハンバーガーを買うといったごく簡単なことは苦手なのです。これは、お目当ての商品が売り切れだったり、今日だけの特別メニューがあったり、カウンターで釣り銭を落としてしまったり、あるいはハンバーガーショップまでの道が工事中だったりといった、予想できない状況にフレキシブルに対処することが難しいからです。(147−148頁)


ロボットも自閉症も全く同じ「弱さ」を持っているのではないか?

著者は、情報とは何か? 知とは何か? の考察を進めていき、
本当の「知」とは、あるいは「情報」とは、
環境のなかで身体を動かし、相互作用することによって生まれてくるものだ、述べる。

これこそ「関係としての情報」にほかならない、という。

情報格差を是正するための試みとして行なわれている、
「地域プラットフォーム」や「地域メディア」なども本書で紹介されている。

ウェブ関係の本では失望させられるものも多いが、これはなかなか良かった。











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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 知識は使わぬなら詰め込まない方が良いと思います。
ゴンゴン
2010/08/13 12:52
◆ゴンゴンさま

ご忠告ありがとうございます。ただわたしは、知識を使いますのでね。
影丸
2010/09/04 13:49

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