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zoom RSS C・ダグラス・ラミス+辻信一『エコとピースの交差点』(大月書店)

<<   作成日時 : 2010/08/07 13:59   >>

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「平和(ピース)」と「環境(エコ)」。

どちらもわたしたちが大事にしたいと思っている「価値」である。

しかし、どちらも近年激しい攻撃にさらされている。

「平和」は右派・保守派によって。

「環境」は企業(資本)によって。

「平和」よりも暴力と恐怖が支配する世界を望むなら、右派や保守派に従えばいい。

「環境」よりも金儲けと自然破壊を望むなら、企業のしもべとなるがよい。

だが、そんな世界には生きたくないと思うなら、われわれは戦うべきではないか?

本書は、ふたりの研究者による対談本である。

対談本だからとても読みやすい。

おもしろい。

おすすめ、である。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ラミスは、学生時代から公民権運動に関わっていたそうだ。

大学でどういうふうに公民権運動をやっていたかというと、バークレーかサンフランシスコで黒人をひとりも雇わない会社や店を選んで、「黒人を雇え」という運動を起こしてピケをはる。店の前でビラをまいて座りこみをしたりしました。(56頁)


ラミスがどのような学生時代を送り、どのような問題意識をもち、
どのような経緯で日本にやってくるようになったのか?

そういうこともこの本ではたくさん書かれている。

ラミスは以前、海兵隊にいた。

そのときの忘れられないエピソードを語っている。

あるとき基地の中のバーで、空軍の将校がとなりの席にいて、なぜか彼と議論になった。ぼくが「広島に爆弾を落とすべきじゃなかった」と言ったら、だんだん彼の怒りの度合いが上がって、真珠湾攻撃をした、捕虜を拷問した、あれもこれも日本軍がやった、という長いリストをあげて、「だから爆弾を落とすのは当然だ」と言った。ぼくは、「日本の軍隊はそういうことをやったかもしれないけれど、広島の女性や子どもたちはどうなんだ?」と聞いた。すると彼は「その女性たちが軍隊を産んだ。子どもたちは大人になったら同じことをするはずだ。だから殺してもいい」と言いきった。
人生には一生忘れないようなショッキングなできごとがあるけれど、これはそのひとつですね。彼は、「日本人は殺すに値する存在だ」と言いきった。(93−94頁)


この強烈な差別意識を、日本人は批判する資格があるか?

ラミスは、いま沖縄に暮らしている。

そこで彼は、日本人の沖縄に対する「差別意識」を感じるという。

それを「自分たちでも意識していない差別意識」と呼んでいる。

ヤマトから沖縄に旅行に来る人は、決まり文句のように「沖縄が大好き」、「癒しの島」、「沖縄の人はやさしいし、料理もおいしい」とかと言う。そこで沖縄の人が、「そんなに沖縄が好きなら、基地のひとつやふたつ、もって帰ってください」と言うと、「えっ、とんでもない。そういうことを言ってんじゃありませんよ」とむきになったり、あるいは黙ってしまう。(101頁)


多くの日本人は、アメリカ人による差別だけを批判する。

しかし、自分たちが行なっている恥知らずな差別は正当化する。

差別を批判できるのは、なべての差別を批判しようとするひとだけである。

東京で国連大学のシンポジウムに参加した。その後、ふたりの女性が私のところにきてこう言うんです。「ラミス先生、9条を世界遺産にしようという話がありますが、すばらしい話ですね。ほんとうにそうなる可能性があると思いますか?」
ぼくは、こう答えました。「日米安保条約が残っているかぎり不可能じゃないですか? だって、日本にはアメリカの基地があり、日本はアメリカの核の傘下にあり、じっさいアメリカの軍事力で守られているのだから。そういう状態で平和な日本を褒めてもらおうというのには無理があるでしょう」
彼女たちは驚いてこう言うんです。「えー、日米安保条約をなくすんですか? だって、ほかの国には軍事力があるのに、危ないじゃないですか!」(104頁)


このふたりの女性は、自分たちの矛盾に何ひとつ気づいていない。

9条が文化遺産になってほしい、つまり世界に褒めてもらいたいと言ってから、1分間もたたないうちに、軍事力でアメリカに守ってもらいたいと言う。そういう意識をどうしてもつことが可能なのか、というのは大きな疑問ですね。そこに矛盾があるということにどうして気がつかないのか。(104−105頁)


どうしてこのような矛盾に対して鈍感でいられるのだろうか?

「その答えが、沖縄なのだと思います」とラミスは述べる。

矛盾に鈍感な「心のあり方」だけが問題なのではない。

矛盾を繰り返す日本人の「ふるまい」も問題なのである。

このことを考えるのに参考になるのが、ガンジーの思想である。

「インドには70万の村がある。イギリスは70万の人間をインドに派遣しても各村にひとりだけ。村の平均人口は700人から800人なのに、どうしてイギリスはインドを支配できるのか。答えは、私たちが協力しているからだ。私たちの協力により、イギリスはインドを支配することができたのだ。私たちは軍に入り、警察や官僚になり、政府に入り、裁判官になり、子どもをイギリスの学校に送って洗脳させ、イギリスの布を買ってインドの繊維産業をつぶした。では、どうやってインドを解放するのか。それは、非協力である。政府に勤めない。選挙に参加しない。子どもたちをイギリスの学校へ送らないで、自分たちの学校をつくる。そしてイギリスの布も買わない」
彼の思想を象徴する糸つむぎは、たんにスピリチュアルな話ではないのです。布を買えばそれがイギリスの経済的な権力になり、インドの人たちを弾圧する。協力をやめればイギリスの権力はなくなる。それが彼の思想の基本だと思います。では独立の後どういう国になるべきかというと、「70万の村のそれぞれは主権共和国になるべきだ」と。(112頁)


ラディカルな思想である。

権力とはどこからやってくるのか。権力者は神に選ばれし者か。それとも特殊な能力、軍事力、経済力、技術などがあるのか。(120頁)


インドを植民地支配したイギリスの巨大な権力は、どこからやってきたのか?

イギリスの特別な力なのか?

そうではない。

支配される人がその権力をつくっている。(120頁)


これがガンジーの考えたことだった。

そう。支配者に協力してはじめてその権力が生まれる。とすれば、権力を倒す方法も、その同じ分析から生まれる。協力をやめればいい。それで権力は消える。(120頁)


わたしたちは、自分の国を「民主主義の社会」だと思い込んでいる。

そう、国民や人民は権力を握ることは無理だけど、権力を握る人を選挙で選ぶことができる、と。だから、それを民主主義と呼びましょう、と。本来の民主主義の定義はちがうんだけど、なかなか実現できないから、それとはことなるものを民主主義と呼びましょう、と言っている。いっけん現実的で便利に見えるけど、論理的にはこれでは通らない。たとえば本屋で「どうしたら金持ちになれるか?」という本を見つけて、おもしろそうだと思って買って読んだら、「あなたは金持ちになることはできないけれど、金持ちになる人を選ぶ方法がある」と書いてあったとする。これでは納得できないでしょう(笑)。(124−125頁)


代議制民主主義こそ民主主義だと、いつの間にか勝手に思い込んでいる。

そうして、アメリカによる差別に反対してみせながら、
日本人は全体としてじつは差別構造を温存しているのである。

これが「ピース(平和)」を破壊している日本人の姿だ。

では、「エコ(環境)」の方はどうだろうか?

ラミスは、いまの日本は「戦争状態」である、と認識している。

戦争状態とは危機状態のことです。「今は戦争が起こりそうな危機的で特別な状況だから、環境を守ったり、自然を保護したりするどころではない」と言える状態。制限なしに石油を掘りたい人や森林を伐採したい人にとっては、この状態はとても便利です。「ここは自然保護区だからだめだよ」と言っても、「そんなことを言っている場合ではない」とおしきれる。戦争に勝つため、あるいはこれから起こりうる戦争に負けないように力をつけるためには、他のすべては二の次なのです。たとえば、一時期アラスカで石油を採るためのパイプラインを通すという計画があり、たいへんな環境破壊になるからやめたほうがいいということになったけれど、アメリカ政府は「戦争状態だからそれどころじゃない」と言いましたね。(132−133頁)


日本も同じような状況にあるのではないか?

驚くことに地球ガイア理論を唱えたジェームズ・ラブロックが、「危機状態だから原発をつくるしかない」と言った。(133頁)


いま原発推進PRのCMに有名女性タレントが出演している。

岡江久美子だ。

「エコ・ファシズム」ということばが以前からあって、地球を守るために人間を全体主義的に管理するという発想を指します。……環境の名のもとに原発、原発と言う人には、エコ・ファシズムの傾向を感じます。(133頁)


国家と企業が「危機」を叫ぶ。

豊富な資金を背景にして、有名人やタレントたちが動員される。

日本の憲法を変えたい人たちによれば、今の平和憲法のせいで日本社会は堕落している。国民はうるさくて、言うことをきかない。だから憲法を変えて戦争ができるようにすれば、国内がしっかりしてくるだろうというんです。そして、まず教育基本法を変えましたね。学校制度を変えることは、憲法を変えることにつながっている。企業社会はすでにある程度戦争状態になっているから、こんどは企業だけではなく社会全体をそういう状態にしたいという意図が読みとれます。ターゲットは国民です。(141頁)


こうした状況に対して、わたしたちはどのように抵抗していけばよいのだろうか?

辻信一がここでおもしろい話を紹介している。

……今、「ゲリラ・ガーデニング」というのが世界で流行っているんです。若者たちが夜影にまぎれてあちこちで使われていない土地に入っていって、木や花を植えるというムーブメントです。日本にも「勝手園芸」ということばがあるし、日本に住んでいる外国人のグループで、……空き地に種がいっぱい入っている泥団子を投げて緑を増やす「緑のゲリラ」もいる。(142頁)


わたしは以前、
テレビのリモコンを使ったユニークな運動の話をどこかで聞いたことがある。

電気店で売られているテレビのリモコンは、
どこのメーカーのテレビでも使用できるものだ。

そこで、そのリモコンを手に、若者たちがひとびとの家々に近づいて、
勝手にひとの家のテレビの「電源」を切っていく、という運動だ。

フランスだったかどこかで行なわれていたという話だが、
「テレビばかり観ているとバカになる」ということらしい。

たしかに「テレビばかり観ているとバカになる」。

他方、ラミスは、
イヴァン・イリイチという思想家との出会いについて語っている。

イリイチのことばで役に立つもののひとつは、「貧困の近代化(Modernization of Poverty)」だと思う。近代化があれば貧困がなくなる、つまり「近代化=豊かさ」というイデオロギーへの痛烈な批判です。……採集文化でも、農耕文化でも、自給自足的に生きてきた人たちには貨幣経済がなかったから、なかなか消費してくれない。だれかが店を開いてもものを買いたがらない。別にお金も必要ないから、工場でも働きたがらない。そういう人たちがたくさんいたわけです。そういう人たちを「貧困」と呼ぶこと自体が問題なのですが、とにかく搾取できないし、産業化のために利用できない人たちが存在した。これを「役に立たない貧困」と呼ぶとして、こういう人たちを、「役に立つ貧困」へと変えてゆくことが必要だったわけです。(159−160頁)


南の国の貧困は、開発の結果である。

南の国の貧困は、先進諸国によって作り出されたものである。

日本人はそのことにどのくらい責任を感じているだろうか?

だとすると、若者たちが、貧しく苦しんでいる人を救いたいという善意でやっていることが、結局、貧困の近代化を促進する役割を果たしてしまうことにもなる。(160頁)


「南の貧困を救ってあげたい」という善意が、貧困をさらにひどいものにする。

ほんとうは、こういうことはずっと前から指摘されてきたことだった。

白人が熱帯地域で植民地をつくるとき、暑いから彼ら自身は肉体労働をしない。でも、植民地をつくるためには港や道路や鉄道や建物というインフラが必要だから、先住民の労働力を使わなければいけない。ところがほとんどの先住民には朝から晩まで働くという概念がなく、貨幣経済もないから、お金をあげるといっても働かない。彼らがほしいものは、なんでも海と森林にあるから、せっかく店を開いてもあまりほしがらない。つらい労働をしてまでほしいものはない。たまにほしいものがあったら、買える分だけ働いて、手に入れたら二度と仕事に来ない……。仕方がないから、ほとんどの植民地の最初のインフラは強制労働でつくらせた。アフリカの鉄道や港の設備などはぜんぶ強制労働によってつくられたんです。(162頁)


日本もこの問題と無縁ではないことは、誰でも知っているはずだ。

だが、この問題を真剣に考えてはこなかった。

だからいまも犯罪行為を繰り返している。

イラクの2004年の失業率は30%だったけれど、GDP上昇率は52.3%だそうです。その多くはハリバートンなど米国の会社が持ちかえったのでしょう。(168頁)


「神と富の両方に仕えることはできない」(マタイによる福音書6・24)。

エコとピースは、別々の領域の問題ではない。

エコとピースは本質的につながっている問題である。











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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 う〜ん、残念ながらゲリラ的な戦いしか私たちにはできないものなのでしょうか? 確かに敵は強大で、正面切った戦いは多大な犠牲を伴うことになるかもしれません。でも、ネットという情報社会で正面切った共同戦線を張ることができれば、かなりの戦いを展開できるでしょう。
 TwitterのRTと同じように、皆でブログのTBをし合いましょう。どこかにそのようなブログが集まったものがあってもいいですね。
山路 独
2010/08/08 02:51
◆山路独さま

ゲリラ戦法はいくつもの闘争のひとつと考えるとよいのではないでしょうか? 不買運動、デモ行進、署名活動、投票行動、そして山路さんのおっしゃるような共同戦線の構築。しかも海外のひとたちともっとつながって抵抗の大きなうねりを作り出すこともできるでしょう。

そうですね、われわれももっと横のつながりを考えてもいいですね。「はてな」には「歴史修正主義反対」を表明するブログの集まりがあるようですが、そういうものがもっとあるといいですね。
影丸
2010/09/04 13:48

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