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zoom RSS 奥村宏『株式会社に社会的責任はあるか』(岩波書店)

<<   作成日時 : 2010/06/04 14:33   >>

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ずっと前に書いた原稿で発表していないものがあった。

完成させてから発表しようと思っていたところで、つづきの原稿が消失してしまった。

パソコンが壊れたからである。

未完成ではあるものの、とりあえず出しておくことにする。

気が向いたらこのつづきを書こうと思う。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「企業の社会的責任(CSR)」という理念が流行している。

企業は利潤第一主義・利益至上主義の冷血な組織であるが、
だからといって金儲けのためなら何をしてもよいというわけではない。

安全な製品を消費者に提供しなければいけない。

そこで、製造物責任がメーカーに問われるようになり、法律も整備された。

だが、企業の責任はそれだけでよいのか?

ということで出てきたのが、この「企業の社会的責任(CSR)」だ。

「企業の社会的責任」(コーポレート・ソシアル・レスポンシビリティ、CSR)という言葉が流行語になり、CSRがひとつのビジネスになっている。……
 アメリカではすでにCSRについてのコンサルティング業が10億ドルのビジネスになっている……。(1頁)


「10億ドル」というのはすごい市場だ。

……社会的責任を果しているとされる会社を選別して、その会社の株式に投資するという社会的責任投資(ソシアル・レスポンシブル・インベストメント、SRI)の投資信託が証券会社によって売り出されている。(2頁)


環境によい製品をつくっている企業や社会貢献を積極的に進めている企業に、
投資家からの資金が集まるようなこの仕組みが広まれば、
企業の姿勢も従来とは変わってくる。

何でもビジネスの対象にするあたりが資本主義の欲深さを示しているが、
よいことをしてそれがビジネスになるのであれば、いいではないか?

そんなふうに思うひともいるだろうが、そう簡単にはいかない。

「CSR(企業の社会的責任)」とはどのようなものなのだろうか?

そこから見てみよう。

日本の経済同友会も、「CSR」が重要であるとして、次の内容を発表した。

よくご覧いただきたい。

【CSRに含まれる内容】

@ より良い商品・サービスを提供すること
A 法令を遵守し、倫理的行動をとること
B 収益をあげ、税金を納めること
C 株主やオーナーに配当すること
D 地球環境の保護に貢献すること
E 新たな技術や知識を生み出すこと
F 地域社会の発展に寄与すること
G 雇用を創出すること
H 人体に有害な商品・サービスを提供しないこと
I 人権を尊重・保護すること
J フィランソロピーやメセナ活動を通じて、社会に貢献すること
K 世界各地の貧困や紛争の解決に貢献すること

出典:経済同友会『第15回企業白書「市場の進化」と社会的責任経営』2003年


Aは「コンプライアンス(法令遵守)」と呼ばれるものである。

だが、ここでふと疑問が浮かぶ。

「法令遵守」?

「コンプライアンス」?

「法律を守る」のは当たり前のことではないのか?

ということは、これまで企業は、法令を守る必要はないと考えてきたのか?

偉そうに「CSR」のなかに入れて宣言するほどのことでもないと思うのだが、
社会や世界に積極的に貢献していこうとするその姿勢は、
果たしてどこまで評価してよいものなのだろうか?

ここで「株式会社」とはどのようなものなのかをおさらいしておこう。

高校の「公民」の教科書には「資本と経営の分離」と説明されている。

それまでの所有主と経営者が同一であるという企業形態とは異なり、
「株式会社」の所有主は「株主」であり、経営陣は「所有主」ではない。

これが「資本(所有)と経営の分離」である。

しかし、株式会社が巨大化し株式が分散化すると、
株主の力が相対的に低下し、それに反して経営者の力が大きくなる。

著者による次の説明を見ると、このことがよく分かる。

株式会社の規模が大きくなると、当然のことながら株主の数が増え、株式所有の分散化が進む。その結果、1929年の段階で、AT&Tの株主は50万人、ペンシルヴァニア鉄道の株主は19万6000人、USスチールの株主は18万3000人に達していた。そしてAT&Tの最大株主は全体の株式数のわずか0.7%しか所有しておらず、ペンシルヴァニア鉄道の最大株主は0.34%、USスチールの最大株主は0.9%しか所有していなかった。(168頁)


巨大株式会社では、株式分散によって、
大株主による資本家支配から経営者支配になったのである。

アメリカでは2001年に起こったエンロン事件、翌02年に起こったワールドコム事件で経営者の責任を追及する声が高まった。経営者たちはストック・オプションを行使することによって巨額の利益を得ていたが、株価を高くするために不正会計を行っていた。(140頁)


ここで登場するのが、「株主重視の経営」という考え方である。

「株式会社は株主のものなのだから、経営者はきちんと株主の利益を守りなさい」
という考え方である。

株主資本主義、あるいは「株主重視の経営」ということを主張する人たちの多くが前提にしているのは個人株主のことである。(29−30頁)


ところが、「所有と経営の分離」がすすむと、
株主の利益と経営者の利益が必ずしも一致しない事態が生まれた。

これに対して、ひとつのアイデアが出された。

このことがアメリカではコーポレート・ガバナンスとして問題になり、さらにストック・オプションの制度が、経営者に格安に自社株を買う選択権を与えることによって、経営者と株主との利益を一致させるようにするため導入された。(137頁)


こうすることで経営者は株価を上げることを至上目標とするようになり、
そのことは同時に株主の利益にもなるというアイデアだった。

さらには、「モノ言う株主」が増え、株主代表訴訟が注目されるようになった。

株主代表訴訟とはどのようなものなのだろうか?

取締役は会社に対して善管注意義務と忠実義務を課せられている。もし、この義務に違反したために会社が損害を受けた場合、その損害を取締役が会社に対して支払えと株主が訴えることができるというのがこの制度である。株主が全株主を代表して訴えるのだが、訴えた株主には勝訴したとしても一銭も入ってくるわけではない。(142頁)


しかし、ここにも限界がある。

なにより株主代表訴訟は「会社は株主のものである」という前提に立って、取締役に対して損害を会社に賠償せよというものである。そこで取締役は会社のために注意深く経営したけれども、結果として間違ったのだということになれば善管注意義務違反にはならない。(144頁)


これを「ビジネス・ジャッジメント・ルール」というらしい。

しかし会社のために良かれと思ってしたことであるというので免罪されるということになれば、公害でも薬害でも、その他ほとんどの企業不祥事は会社のためにやったことなので、結果として会社に損害を与えたとしても、取締役の責任を問われないということになる。株主代表訴訟の限界がここにある。会社のために行われた犯罪こそが問われなければならないのである。(144−145頁)


しかも、先に挙げたエンロン事件やワールドコム事件から分かるように、
こうした制度を活用したことによって企業不祥事が発生してしまうのである。

さらには、株式会社の株主は、「有限責任」しか負わない。

……株式会社が他人に与えた損害について、それが所有している資産の範囲内で責任を持つだけで、残りについては誰も責任を持つ者がいないということである。われわれ人間は無限責任を負わされており、他人に損害を与えたら、それを全額賠償しなければならない。もし払わなければ持っている資産を差し押さえられ、それでも足りなければ破産する。(45頁)


所有権を主張するなら、それだけ責任も重大になっていくはずだが、
株主はごく限られた範囲の「有限責任」しか負わない。

でも、ひとはこう言うかもしれない。

株主は、出資した企業が倒産すれば、不利益を被る。

その不利益を甘んじて受ける。

だから、株主はリスクも含めて引き受けているのである、と。

ところが、企業が経営破綻し、公的資金を投入されたにもかかわらず、
株主が責任をとらなかったばかりか、
株価が上がって株主が得したというケースがある、と著者はいう。

 2003年5月、りそな銀行は巨額の不良債権を抱えて経営危機に陥ったが、政府は約2兆円の公的資金を投入して、りそな銀行を実質国有化した。普通ならこのように会社(銀行)が経営危機に陥って事実上倒産した場合には、会社は減資して、その分だけ株主が責任を負うはずだが、りそな銀行の場合は減資せず、それどころか、政府による公的資金投入で株価は急騰し、株主は儲かった。(61−62頁)


だから、株式会社はきわめて無責任な組織になってしまうと考えたのが、
アダム・スミスであったということは、以前の記事に記した。

これに対して、株式会社を擁護しようとした人物がいた。

J・S・ミルである。

……J・S・ミルは株式会社反対論に対して、株式会社には株主が払い込んだ資本金に見合う資産があり、もし会社が倒産した場合には、債権者はその資産を差し押さえればよいとした。(62頁)


そこで、株式会社は「資本の充実」という原則を取り入れる。

だが、その原則さえ守られていないのが日本の企業だ、と著者はいう。

ところが、りそな銀行は資本金を数倍も上回る債務があり、資本金に相当する資産はない。そのため債権者(預金者)は貸付金(預金)を回収できない。それを公的資金で救済するというのであるから、もはやそれは株式会社としての条件を備えていない。それは有限責任会社ではなく、無責任会社であるといわなければならない。このことは単にりそな銀行に限られた話ではなく、日本の大銀行すべてについていえることである。(62頁)


市民社会の個人とは異なり、法人というのはずいぶんと無責任な存在である。

不動産会社などで、不正な販売をしておいて、顧客が抗議してくる前に会社を解散し、別会社を作って同じような営業をしているというケースが多い……。(116頁)


不正をはたらく企業に対しては、処罰を科すことになる。

企業の不正には「両罰規定」が適用される。

両罰規定というのは、違反行為をした者、すなわち従業員と、法人としての会社の両方を処罰するというもので、証券取引法や独占禁止法、訪問販売法などにその規定がある。さらに最近では「三罰規定」という考え方があり、会社の従業員と法人としての会社、そして法人の代表者(経営者)の三者を罰するというもので、独占禁止法がこれを取り入れている。
 しかし、依然として刑法では法人を処罰できないことになっている。(114頁)


では、罪を犯した法人に対しては、どのような処罰が可能なのだろうか?

法人に対する処罰としては罰金刑のほかに営業停止、さらに会社の解散命令ということが考えられる。(116頁)


営業停止や解散命令を下されれば、企業は大きなダメージを受ける。

これで法人がわるいことをしたとき十分に処罰が整備されていると言えるか?

じつは、会社が解散してしまった場合、別の問題が起こってくる。

チッソは水俣病に認定された患者に対して損害賠償をしているが、もしチッソが解散してしまえば困るのは被害者で、賠償金や見舞金を受け取ることができないということになる。このように法人の犯罪責任を認めたとしても、どのようにして法人を処罰するのかというむずかしい問題がある。(116頁)


公害事件といえば、次の問題が深刻である。

アスベストを吸ったために中皮腫になって死んだ人の数は1995年には500人だったが、2003年には878人とされており、死者の数は今後さらに増えて10万人に達するだろうという報告もある。……死者の数が10万人にもなるとすると、公害事件としては最大の事件になる。(117−118頁)


死者10万人!

生命を危険にさらしてきたのは、現場の労働者たちである。

株主ではない。

1973年にWHO(世界保健機関)が石綿の発ガン性について指摘しており、78年にはアメリカ政府が国民に石綿の危険性について警告を発している。そしてヨーロッパでは、石綿の使用を禁止する国が次々と出ているにもかかわらず、日本政府はこれを放置していた。(118頁)


自民党政権の犯罪は、これから徹底的にあぶりだされなければなるまい。

ともあれ、法人に対して追及できる責任には限界がある。

したがって会社が犯した犯罪についても経営者が責任をとるべきではないか。経営者は会社を代表することで強大な権限を持っており、高い地位と巨額の報酬を得ている。公害などで、経営者が直接にその事実を知っていたかどうかに関係なく、法人としての会社が犯した犯罪については経営者が責任をとるべきではないか。(122頁)


こうして、企業犯罪が多発するなか、
アメリカでは企業経営者に対する罰則を強化した。

有名なサーベンス・オクスレー法だ。

この法律では不正をはたらいた会社幹部に対する禁固刑と罰金を強化し、たとえば証券詐欺はこれまで最高が禁固5年であったものを25年にする、また財務報告証明違反は最高20年の禁固と民事制裁金500万ドルを科す、ということになった。(123頁)


では、日本ではどうだろうか?

これに対し日本ではバブル崩壊以後、粉飾決算が次つぎと明らかになっているが、経営者の責任はほとんど追及されない。そして公害や薬害、欠陥車問題や列車事故などの企業犯罪において経営者の責任はほとんど問題にされていない。(124頁)


さすが「無責任国家ニッポン」である。

戦争責任も果たさなければ、企業経営者も責任を果たさない。

「えらいひとたち」にとって、これほど好都合な国はないのではないか?

「CSR」を批判するのは、通常、株主主権を主張するひとたちである。

彼らは、企業にCSRなどない、と断言する。

企業は株主のためだけにひたすら利益を求めていけばよい、と言う。

本書は、それとは別の方向性から「CSR」を批判するのである。








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