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zoom RSS 渡辺治『憲法9条と25条・その力と可能性』(かもがわ出版)A

<<   作成日時 : 2010/06/22 08:39   >>

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日本社会には女性差別が横行していた。

差別と果敢に闘ったのは女性たち、それから彼女たちを支援するひとたち。

住友セメントでは「結婚退職制度」というあからさなま差別があった。

各地で差別に反対するひとたちが企業や役所を相手に立ち上がった。

日産自動車では当時、男性55歳、女性50歳という定年制差別があった。

勇気ある女性がこれに異議を申し立てた。

ところが裁判所は、女性の主張を認めなかった。

仮処分二審判決に至っては、会社側の言い分を入れてすごいことを判示していました。
 「一般的に見て女子の生理的水準は男子におとり、女子55歳のそれに匹敵する男子の年齢は70歳位と見られている」「女子従業員は勤続年数を重ねても企業への貢献度は男子ほど向上しない」というのです。(29頁)


しかし、女性たちの闘争はつづけられ、差別定年制はなくなっていった。

これで「めでたしめでたし」となればよかったのだが、
政治家と企業はあらたに「人権の切捨て」を開始してきた。

1980年代に入ると、自民党政権は「第二臨時行政調査会」を設置。

臨調行革の社会保障財政削減の要請を受けて、生活保護費の削減が始められましたが、それは、さしあたり生活保護基準に手をつけるのを避けて、生活保護受給者の削減という形をとって行われました。その口実に使われたのが、生活保護に対する「不正受給」キャンペーンでした。1970年代末から、暴力団が不正受給をしているというキャンペーンが張られ、その中で、厚生省は、生活保護の「適正化」を推進することになります。(193頁)


サッチャー、レーガン政権をまねた「新自由主義改革」の影響だった。

「小さな政府」を支持するひとたちはいまも日本にいると思われるが、
彼らは社会のもっとも弱いひとたちをターゲットにして「いじめ」を楽しむ。

他方、「小さな政府」はそれと矛盾する方向性を同時に打ち出す。

すなわち「軍事大国化」である。

だが露骨な「軍事大国化」路線は国民の支持を得られにくい。

そこで保守政治はいくつかの迂回的方策を追求した。

 第一に、明文改憲を阻む最大の政治的要因であった議会での野党、とりわけ社会党の力を殺ぐために、「政治改革」が打ちだされました。(206頁)


ここで行なわれたのが「小選挙区制」の導入である。

国民の多くは「小選挙区制」によって政権交代のある政治が可能になる、
と単純に信じた。

しかし、小沢一郎ははっきりと述べていた。

政治改革を主張し実現させた小沢一郎が、インタビューに答えて、政治改革のねらいを「社会党の解体だ」と断言したこと……。(207頁)


もうひとつの迂回戦略は、解釈改憲を優先する路線の選択であった。

 さしあたり9条には手をつけないで、9条の下で、その解釈変更により自衛隊の海外派兵を強行する戦略です。そこで出てきた正当化論が「国際貢献論」でした。(209頁)


このころから日本の「大国化」を望む声が目立つようになった。

国際社会における日本の強い発言力を求め、
常任理事国入りを求める声がだんだんと高まった。

「強い日本」を求めるようになってきた。

……解釈改憲の最初の一歩が、1997年にアメリカと締結した新ガイドラインであり、それを国内法化した1999年の周辺事態法でした。この法律は、我が国「周辺」において発生した「我が国の安全に重要な影響を与える事態」に際しては、米軍の活動を支援して自衛隊が後方支援に乗りだすことができるようにするためのものでした。国連PKOとは別に自衛隊の海外派兵を初めて正当化した法律でした。(210頁)


「日本国憲法は押しつけ憲法だ」と非難していたひとたちは、
金魚の糞のようにアメリカの軍事戦略に追従する道を選んだのだ。

ところが、この法律は、……政府にとっては使い勝手の悪い「欠陥商品」でした。最大の欠陥は、これでは、「我が国周辺」の米軍の行動しか支援できず、イラクやアフガニスタンなど、とうてい「我が国周辺」とはいえないような地域での米軍の軍事行動への支援はできないことでした。(210頁)


そこで自民党政権は、「特措法」という形で対応することにした。

自衛隊を積極的に海外派兵することに、まんまと成功したのである。

他方、企業が求める構造改革も開始された。

新自由主義にもとづく改革には、3つの手法があった、と著者は指摘する。

 第一の手法は、企業の労働者の賃金を下げ、労働者を雇ったり首切ったり、効率的に出し入れできる体制づくりです。(217頁)


平たく言えば、労働者をモノ扱いする、ということである。

 新自由主義の第二の手法は、法人税や社会保険負担など、大企業に課せられた負担を軽減する改革です。(217頁)


「財政再建」「社会保障削減」といったスローガンのもとで、
企業はその責任をみずから脱ぎ捨てていったのである。

第三の手法は、企業活動に対する様々な規制の緩和・撤廃です。(218頁)


さまざまな規制が企業の競争力をそいでいる、と主張された。

規制緩和・規制撤廃は、主に4つの分野で行なわれた。

ひとつは、労働者の生活を保護するための規制を緩和すること。

ふたつめは、大企業との競争から中小企業を保護するための規制を廃止すること。

第三は、同一産業分野の競争を制限するための規制で、……同じ金融でも都市銀行は保険に参入してはならないとか、生命保険会社は損害保険業界に進出してはならないとかという「業際規制」がそれでした。(219頁)


そしてもうひとつ。

第四は、国民の安全を守るための社会的規制です。公害、環境保護のために企業活動を規制したり、国民の安全を保護するために、食品添加物を規制したり産地表示を義務づけたりという規制で、これも福祉国家であればそれだけ強いといえます。(219頁)


こうした規制は大企業にとっては邪魔だった。

では、こうした一連の規制緩和はいつからはじまったのだろうか?

日本では、「構造改革」というと真っ先に小泉政権が連想されるが、
1996年に成立した橋本龍太郎内閣から本格的にはじまったのである。

……橋本内閣こそ、日本の新自由主義―構造改革の初の本格政権だったのです。(222頁)


橋本内閣は、「財政構造改革」という名の新自由主義政策をはじめた。

医療費の自己負担分は2割に引き上げられました。ふくらむ高齢者の介護や医療分野での公費支出を抑えるために、97年、介護保険法が成立しました。
 また、法人税軽減の代償として消費税率の3%から5%への引き上げも強行されました。さらに規制緩和では、大店法の廃止が強行され、農産物の自由化も推進されました。(222頁)


また、構造改革を推進するにふさわしい官僚機構づくりとして、
「中央省庁再編」も実行された。

以前わたしはある若者に、
「厚生労働省っておかしくないですか?」と質問されたことがある。

「厚生」と「労働」というそれぞれに重要な役割がある役所を、
ひとつにまとめるのはおかしいのではないか? という質問だった。

この若者はじつに鋭いところに気がついた、と言ってよいだろう。

「厚生」と「労働」をまとめたのには、行政の新自由主義的な思惑があったのである。

……また、小渕内閣の下で、……労働者派遣法が改正され、派遣が原則自由化され……国立大学の法人化、司法改革もこの時代に基本的骨格がつくられたのです。(223頁)


軍事大国化と構造改革。

これらを実現していくためには、何が必要だろうか?

邪魔者を排除することが必要だろう。

そこで出てくるのが「アメリカ型保守二大政党制の構想」だった。

軍事大国化、構造改革を容認する保守二台政党が屹立し、自民党が批判を受けて倒れれば民主党が、民主党が倒れれば今度は自民党がという具合になれば、構造改革は継続する、こうして、構造改革を遂行するためにも、保守二大政党制が模索されることとなったのです。(224頁)


自民党に失望した有権者は、こんどは民主党政権に期待を寄せる。

だが、民主党も構造改革と軍事大国化を進めていくだろう。

有権者はまんまと洗脳されてしまったわけである。

政権交代といっても、最悪の選択肢しか与えられない。

最悪Aと最悪Bのどちらかを選べと言われても困る、というひともいるのではないか?

まとめよう。

戦後の日本政治史に無知なひとたち。

保守政治が目指す「改革」の正体を理解していないひとたち。

そうしたひとたちが、民主党に淡い期待を寄せてしまうのである。

つづく








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