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zoom RSS エリ・ヴィーゼル『夜[新版]』(みすず書房)

<<   作成日時 : 2010/06/15 02:28   >>

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1944年のことだった。

トランシルヴァニアの小さな町にドイツ軍があらわれた。

15歳の少年は、父親とともにゲットーへ移住させられた。

なぜか?

罪を犯したからか?

暴力をはたらいたからか?

そうではない。

ただたんにユダヤ人だったからである。

少年はやがてアウシュヴィッツ強制収容所へ送られた。

その少し前の1942年の末ごろ。

ユダヤ人は家畜用の貨車に詰め込まれ、移送されはじめていた。

そのとき少年はまだ事態の深刻さと恐るべき未来を予感していなかった。

ある日、強制収容所へ送られた男が、奇跡的に戻ってきた。

彼の姿はすっかり変わり果てていた。

 そして彼は、涙を流すのであった。
 「ユダヤ人のみなさん、私の言うことを聞いてください。お願いするのは、ただそれだけです。金もいりません、憐れみもいりません。ただどうか、話を聞いてください」。(38頁)


誰も彼に耳を貸さなかった。

 あるとき、私は彼にこう問いかけた。
 「なぜそんなに、自分の言うことをみんなに信じさせたいの。ぼくがあなたの立場にいたら、信じてもらえても信じられなくても平気だろうがなあ……」
 彼は時間から逃れようとでもするように目を閉じた。
 「あんたにはわからないんだよ」と、彼は絶望をこめて言った。「あんたにはわかりっこないんだ。おれは助かった、奇蹟的に。首尾よくここまで戻ってくることができた。その力をどこから汲みとったのだろうか。シゲットに戻って、あんたたちにおれの死を話して聞かせたかったんだ。あんたがたがまだ間にあううちに仕度をしておけるようにと思ってね。生きるって? おれはもう命には執着がない。おれはひとりきりだ。でも、戻ってきてあんたたちに警告したかったんだ。ところがね、だれも耳を藉してくれない……」(38−39頁)


誰も彼の話を信用しなかった。

彼の絶望的な孤立は、その後、
地獄から奇跡的に生還した生き残りたちも味わうことになる。

やがて少年も強制収容所へ連行された。

そこで彼は、地獄の光景を目撃してしまう。

ほど遠からぬところで、穴から炎が立ちのぼっていた、巨大な炎が。そこでなにかを燃やしていた。トラックが1台、穴に近づいて、積み荷をなかに落とした。――幼児たちであった。赤ん坊! そう、私はそれを見た、われとわが目で見たのであった……。子どもたちが炎のなかに。(78頁)


彼は目の前の現実を信じることができなかった。

そして著者はこう述べている。

人間が、子どもたちが焼かれているのに、しかも世界が黙っているとは、どうしてそんなことがありうるのか。いや、なにもかも本当のはずがない。悪夢なんだ……。いまに、胸をどきどきさせながら、不意に目が覚めるのだろう、そして、はっと気がついたら、私は自分の子ども部屋にいて、私の本が見えてくるのだろう……。(78−79頁)


だが、それは夢ではなかった。

本書は、強制収容所を奇跡的に生きのびた証人による貴重な証言である。

歴史修正主義者に読ませたい。

右傾化している日本の若者に、中高年に、読ませたい。

ところで、著者は、なぜ本書を記す気になったのだろうか?

それは「証人としての生き方」に関わっている、と著者は言う。

この証人は、敵が人類の記憶からみずからの犯罪を抹消することによって、みずからの死後における勝利を、その最後の勝利を収めたりしないようにする義務が自分にはあると、道義的にまた人間的に信じているのである。(7頁)


歴史を偽装し、自分たちの都合のいいように書き換えようとするものがいる。

ドイツのネオナチがそうだ。

ロシアの右派がそうだ。

アメリカの右派がそうだ。

日本の右派がそうだ。

彼らは過去の犯罪をなかったことにすることで、最後の勝利を手にしようとする。

だが犯罪者に勝利の笑みを浮かばせてはならぬ。

それが「証人としての生き方」である。

 はじめに信仰があった、幼稚ながら。そして信頼があった、空虚ながら。そして幻想があった、危険ながら。
 私たちは〈神〉を信じていた、人間に信頼していた、そしてこのように幻想を抱いて生きていた。……
 これは私たちのあらゆる不幸の原因と言わないまでも、その源泉ではあった。(11−12頁)


地獄を体験してきた著者は、「証言」する。

忘れようものなら、危険と侮辱とを意味することとなろう。死者たちを忘れようものなら、彼らを二度重ねて殺すこととなろう。さて、殺し屋どもとその共犯者どもとを別にすれば、なんぴとにも彼らの最初の死にたいする責任はない。そうではあっても、私たちは第二の死にたいしては責任がある。(20頁)


このことは、戦後に生まれた世代にも当てはまる。

わたしたちには直接の戦争責任はない。

だが、「第二の死」に対しては責任がある。

歴史修正主義者は、犠牲者を何度も殺害するからである。

証人がみずからの気持ちを押さえて証言することを選んだのは、今日の若い人たちのためであり、また明日生まれでる子どもたちのためである。証人は、みずからの過去が彼らの未来になることを望まないからである。(21頁)


「みずからの過去が彼らの未来になる」。

この怖ろしい言葉が妙に現実的に聞こえるのはなぜだろうか?










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