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zoom RSS 湯浅誠『どんとこい、貧困!』(理論社)D

<<   作成日時 : 2010/06/14 12:55   >>

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ホームルームの時間もあとわずかになりました。

最後に、湯浅さんがどのような活動をされてきたのか、
それを読んでみましょう。

……私たちはもうちょっと「いっしょにやる」ことを大事にしてきた。
 たとえば、炊き出しをするにしても、私たちみたいなホームレス経験のない人たちがつくって、ホームレス状態にある人たちにあげる、というのではなく、できればいっしょにつくっていっしょに食べるようにした。だって、ただ「くれるものをもらう」というだけでは「恵んでもらってる」みたいで受け取るほうも気分がよくない。できれば「自分でつくったものを自分で食う」というのがいい。
 それは、誰もがふつうにもっている感覚だし、とくにホームレス状態にある人たちは、いまはホームレス状態で仕事も家もないかもしれないけど、ちょっと前までは自分で働いて生活してきた人たちで、建設現場の土工さんだったり、飲食店の板前さんだったり、自分の「腕一本」で生きてきた人たちが少なくない。
 だから「もらう」ということにはとても敏感な人が珍しくなく、「冗談じゃねえ。恵んでもらうなんて、ごめんこうむる」という人が結構いる。それが日本でホームレス状態にある人たちの多くにとって誇り(プライド)だったりする。だからその誇りを尊重したかった。(163−164頁)


「してあげる」という態度は、ひとを傷つけます。

この態度は傲慢です。

「してあげる」ではなく、「いっしょにやる」。

そこでみんなでつくってみんなで食べる、といったやり方にした。この形を「共同炊事」と呼んだりする。これは、私がホームレス状態にある人たちに関わりはじめるずっと以前から、そうした人たちと真剣につき合ってきた人たちが苦労してつくり出したスタイルだ。(164頁)


ここはとっても大事な部分だと先生は思います。

ボランティア活動は、長い長い積み重ねの上に成り立っているのですね。

ボランティアのひとたちも活動を通じて学んでいったというのです。

 たとえば、ホームレス状態にある人たちと話していると、捨てられた物をはじめて拾って食べたときのつらさを語る人によく出会う。「なにかを失ったと感じた」「とうとう一線を越えたと思った」「やってしまった」……そんな言葉だ。(165頁)


ほんとうにつらかったでしょうね。

ちょっと話がそれるように思われるかもしれないけど、
先生がずっと気になっていることがあるのです。

それは、「歌」です。

日本では多くの歌が歌われ、聴かれていますよね。

でも、最近の「歌」って、「夢をもとう」とか「自分を信じて」とか、
そういう類の歌詞がとても多いように思うのです。

あ、ほかのクラスの先生がそういう歌を褒めていたって?

うん、先生のなかにはそういう歌が大好きだというひとも多いよね。

あと、NHKが大好きそうだよね、そういう歌って。

創価学会のひとたちも好きだそうだよ。

でもね、これもじつは「自己責任論」に似ているのではないでしょうか?

だって、本人の気持ち次第で人生はどうにでもなる、
って言っているようなものなのだからね。

そうやって「自己責任論」を社会にはびこらせ、
わたしたちは企業や政治家の言いなりになってきたのじゃないかな?

お、坂本くんもそういう歌が大嫌いか?

「反吐が出る」って?

ちょっと言葉はきついけど、よく分かっているね、きみは。

「夢を持とう」とか「自分を信じて」って歌うひとたちは、
「自己責任論」を社会に浸透させることに手を貸しているひとたちなんだね。

歌手が権力の手先になっていると言ったら、言いすぎでしょうか?

 だから私はいま、こう思っている。大事なことは、他人が呑気に「生きてりゃそのうちいいことあるさ」と言うことではなく、本人が本気で「生きてりゃそのうちいいことある」と思えるような状況をつくることだ、と。(175頁)


そういう状況をつくることは、社会を良くしていくこと。

制度を変えて、社会をもっと良いものにしていくこと。

 私が探しつづけてきたのは、生きやすく暮らしやすい社会だ。私はそれをホームレス問題に取り組むことを通じて探してきた。ホームレス状態にある人たちは、さまざまなものから排除されている。仕事からも、アパートからも、家族(いたとしても)からも、地域(あったとして)からも、社会保障からも、住所がないことによって選挙権からも、その他もろもろからも。(189頁)


この視点は、わたしたちの思考を刺激してくれますね。

だって、社会から排除されているひとたちが、ほかにもたくさんいるからです。

日本で暮らす外国人たちもそうですよね。

誰かを排除しない社会なら、きっと誰もが暮らしやすい社会になるでしょう。

 ところが、活動をしているうちに、それまでホームレス状態になかった人たちが、どんどんホームレス状態にある人と同じような貧困状態に落ちこんでいった。解雇されて職を失った人や、アパートに住んでいるけど食べていけなくなった人などが、つぎからつぎへと相談にくるようになってしまった。……空から、鳥がばらばら落ちてきたような感じだった。(189−190頁)


ホームレスのひとたちのそばにいた湯浅さんは、
問題の深刻さを心の底から実感していたのですね。

それでも「自己責任論」を主張するひとたちはたくさん出てきてしまいます。

そのひとたちは、ホームレスの近くにはいないひとたちです。

そういうひとたちが、「自己責任論」を言ってきました。

どんどんはじき出すいまの社会のあり方が問題なんで、本当に変わらなきゃいけないのは社会のほうだ、と。(191頁)


それにしても、これだけしんどい活動をつづけている湯浅さんには、
先生も頭が下がる思いですけど、何が湯浅さんを突き動かしているのでしょうか?

 その根っこには、私は人間を簡単に排除するような社会で生きたくない、イヤだ、という気持ちがある。(197頁)


そうだよね。

先生もそう思う。

みんなもそう思うかい?

そうか、先生はうれしいなあ。

人間を簡単に排除したりいじめたりする社会では生きたくないし、
ましてや、排除したりいじめたりする側には絶対になりたくない。

 自分がイヤだから活動している、こういう社会はイヤだから、社会全体が変わるべきだと思っている――とそれだけを言うと、反発されるかもしれない。なんだそれ。この社会がイヤなんだったら出ていけばいいじゃん。残るんだったら、いまの社会のあり方に従えよ。あんたがイヤなのはわかった。勝手に変えてくれ。でもおれを巻き込むなよ。べつにいいじゃん、どうだって……などなど。(198頁)


「どうだっていいじゃん」というのは、意見ではなくて、思考停止です。

社会は変わらなくてはならない。

社会を変えなくてはならない。

 もちろん、それはたんなるわがままだったら、そう言われておしまいだ。(198頁)


きみたちはどう思う?

社会を良くするために活動するのは、「わがまま」でしょうか?

「べつにいいじゃん」と何もしない方が「わがまま」でしょうか?

何もしなければ、何も変わらない。

いや、もしかしたら、何も変わらないどころか、もっとひどくなるかもしれない。

もっとひどくなったときに「やべえ」と思っても、もう遅いかもしれない。

 「年越し派遣村」のときに、何百人といる人たちの中で、しじゅうわめき散らしている人がいた。わーわー言ってるけど、なにを言ってるのか、なにを言いたいのか、よくわからない。みんなが忙しく立ち働いているときに、協力してその場を切り盛りしようとがんばっているときに、邪魔するようにわーわーわめいている。
 あなたならどうする? 注意すると歯向かってきてよけいややこしくなるかもしれないから、無視する? あるいは、迷惑なんだよと力づくでその場から追い出し、排除する?
 私はそのとき、近寄って「どうしたんですか」と話を聞いてみた。その人は少し落ち着いて、ふつうの声の大きさで話し出した。言っていることは昔のことなどが複雑に入り混じっていて、なにを言いたいのか、やっぱりよくはわからなかった。ただ、いろいろとこれまでイヤな目にあって、自分をイヤな目にあわせたその人たちと私たちが同じ人たちなんじゃないかと勘ちがいしているらしいことが、少しわかった。そして話を聞いているうちに、どんどん落ち着いていった。一番は、自分の話を聞いてもらいたいらしかった。(206−207頁)


先生はね、この部分もとっても大事なところだなあって思います。

涙がこぼれ落ちそうになります。

何度でも繰り返して読みたい部分です。

貧困に陥ったひとたちにも、ひとりひとり、顔がある。

みんなにも顔があるように、彼らにも顔があるのです。

だから湯浅さんは、まずそのひとの声に耳を傾けた。

でも「自己責任論」って、そういうひとたちの顔を見えなくします。

みんなまとめて「自己責任」。

湯浅さんは、そうではありませんでした。

もしわめいているひとを追い出したら、その場はまるくおさまるかもしれません。

でも、それって、「社会的排除」と同じことをしてしまうことになります。

さて、このわめいていたひとは、その後どうなったと思いますか?

3日目くらいから、ほかの人たちといっしょに周辺の掃除を手伝ってくれるようになり、最後の日には結局派遣村のメンバーになった。(207頁)


いい話ですね。

「してあげる」じゃなくって、「いっしょにやる」の精神がここにも生きているようです。

 いい年をした大人が、人の注意をひきたくてわーわーわめき散らすというのは、一般的にはあまり受け入れられる方法じゃない。大人としては幼稚すぎることかもしれない。でもそれが、注意をひくための「彼なりの」努力だったこともまちがいない。もしかしたら、彼としては最大級の努力だったのかもしれない。
 だとしたら、それを受けとめてみようとしてもいいんじゃないだろうか。(207−208頁)


ホームレス支援を実際に何年もつづけてきたひとの言葉だけに、
ずっしりとした重みが感じられるのではないでしょうか?

ほんとうは、ホームレス問題というのは、ここ数年の問題ではないのです。

日本社会にずっとあった問題なのです。

高度経済成長期にも本当はあったのです。

でも、そのころは、ほんの一部のひとだけがなるものだ、と思われていました。

貧困も、日本とは無縁のことだと思われていました。

それは発展途上国の問題であって、日本にはないものだと思われていました。

だから、ほとんどのひとたちは自分たちの問題として考えませんでした。

しかし、日本経済の状況が大きく変わってきました。

いまでは、一生懸命に働いても生活が苦しい、というひとたちがたくさんいます。

そう、「ワーキング・プア」って言葉、聞いたことあるよね?

 その後、1日単位で人々を派遣で働かせていたグッドウィルという会社が、「データ装備費」という名目で、その人たちのわずかな給料から働くたびに200円ずつかすめとっていたという問題や、福岡県北九州市で毎年のように生活保護を申請できずに、またはそこから追い出されて餓死した人が出ている問題、働いているのに、アパート生活を維持できずにネットカフェで暮らしている人たちの問題、学校の給食費を支払えなかったり、病院の医療費を支払えなかったり、健康保険料を支払えなかったりする人たちが増えている問題など、社会がひどいことになっている実態がつぎつぎと明らかになっていった。(213頁)


やっと社会は、貧困がひとごとではない、と気づきはじめたのですね。

「先生!」

なんだい?

「うちの親はいっつも金がない、金がないって言ってるけど、うちも貧困家庭なの?」

そのことについても、この本には書かれているのだよ。

「貧困」には、2つの見方があります。

ひとつは「絶対的貧困」、もうひとつは「相対的貧困」。

 「絶対的貧困」は、国連(国際連合)の定義で、1日1ドル(約100円)とか2ドル(約200円)以下で暮らしている人たちを指す。……相対的貧困……は、たとえばOECD(経済協力開発機構)という国際機関の定義だと、各国の所得の中央値の50パーセント以下の人たちを指す。(218−219頁)


では、日本では「相対的貧困」はどうなるのでしょうか?

……所得238万円以下が日本における……相対的貧困だ。(220頁)


もしきみの家の所得が1年間で238万円を下回るなら、相対的貧困家庭ですよ。

どうかな?

え? 親は所得を教えてくれないって?

まあ、それはそうかもしれないね。

でも、いちおうこの定義を覚えておいてほしい。

では、この定義によると、日本にはどのくらいの相対的貧困層がいるのでしょうか?

「日本は経済大国なんだ、そんなのいたとしてもちょっとだよ!」

そうかな?

見てみよう。

OECDのデータがあるのだけど、いちばん多いのはどこの国だと思う?

じつはアメリカなんだよ。

意外かい?

「アメリカは自由の国だよ」

ほほう、先生の高校時代の友だちにもそんなことを言っていたヤツがいたなあ。

でもね、あまりに貧乏だったら、自由も何もないんじゃないか?

アメリカでは、自由を謳歌しているひともいる。

しかし、まったく自由でないひとたちもたくさんいるのです。

そのアメリカについで多いのが、じつは日本なのです。

つまり日本は、いわゆる先進国と呼ばれるグループの中で、アメリカに次いで(相対的)貧困率が高い国、貧困が多い国、ということになる。(220−222頁)


いまいっせいに「えー!」ってびっくしたような声が出ましたね。

そんなの、はじめて聞いたって?

うん、じつは日本政府はこのことをずっと隠していたのです。

だから、そんな問題は日本にはないかのように「偽装」できたのです。

でもね、民主党政権に変わってからは、
日本の相対的貧困が深刻な問題であることをやっと認めたのです。

「じゃあ、麻生首相は認めていなかったの?」

そうだよ、麻生は問題を隠しつづけてきた張本人なんだ。

「なんだ、麻生首相はいい首相だったって言うひとがいるけど、ウソなんだね」

そうなんだよ。

「でもさ、麻生首相はいいこともやったよ」

「たとえば何だよ?」(苦笑)

「あるよ」

「だから何だよ?」

「定額給付金!」(一同爆笑)

まあねえ、お金を全国民にばらまくことがいい政策なら、
先生にだって簡単にできるよ。

まちがっちゃいけないのは、定額給付金は、みんなのお金だからね。

麻生首相が自分のお財布から出したわけではないのだよ。

あ、チャイムが鳴ったね。

では、ホームルームの時間はこれでおしまいです。

みなさん、きょうのお話をどう聞きましたか?

なんだか、すっきりした明るい表情に見えるね。

さっきまでは「甘えるな」ってきつい表情のひとたちもいたけど、
なんだかいまではみんなの表情が明るくすっきりしているように見えます。

この本には、
湯浅さんがどうしてホームレス支援の活動にたずさわるようになったのか、
彼がどのような問題意識を持って学生時代をすごしてきたのか、
そういったことも書かれています。

ぜひみなさん、この本を買って読んでみてください。

本を買えば、湯浅さんを応援することにもなりますよね。

それからこの本の巻末には、
作家の重松清さんと湯浅さんの対談も掲載されています。

ぜひこれも読んでみてくださいね。

はい、では日直。

起立! 礼! 着席!










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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
この湯浅という男信用できないな。
ジャガ
2010/06/16 10:12
湯浅氏個人のことは別として、公的派遣村のようなものについては、大きな疑問を感じる一人ですが、機会があれば、この本を読んでみたいと思います。
箕輪伝蔵
2010/06/16 21:25
◆ジャガさま

まず鏡をご用意ください。そしてそこに映った人物をよくご覧ください。そのひとに比べれば、湯浅さんはるかに信用できるひとでしょう。何せ湯浅さんは行動し実践しているのですから。

あなたは、現実の問題に対して、何をしていますか?
影丸
2010/06/22 08:45
◆箕輪伝蔵さま

公的機関がやらなければ誰がやるのでしょうか? 国家には市民の人権を保障する責任があるのですけど。「機会があれば」と言わず、「機会をつくって」ぜひ読んでみてください。
影丸
2010/06/22 08:47

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