フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 愛敬浩二『改憲問題』(ちくま新書)B

<<   作成日時 : 2010/05/31 16:47   >>

トラックバック 0 / コメント 0

改憲論者は、「偽装」が得意である。

自分はタブーに負けない改革者であると見せかける「偽装」。

憲法をとにかく変えることが良いことなのだと見せかける「偽装」。

こうした「偽装」工作がお得意である。

たとえば、改憲派の政治学者・御厨貴は、大日本帝国憲法が「不磨の大典」とされて、これを改正できないばかりに戦前の日本はさんざん苦労したはずなのに、現行憲法96条の改正規定はあまりにも厳格なため、日本国憲法は戦後半世紀以上も改正できずに、「不磨の大典」になってしまったと批判する……。(98頁)


御厨貴といえばTBS「時事放談」の司会で知られるひとだ。

日本国憲法が「不磨の大典」だって!?

何をどう変えるのかという本質的な内容を棚上げにして、
憲法をとにかく変えること自体が正しいかのように装う論法である。

護憲派のなかにもさまざまな立場があるにしても、
護憲派は現行憲法を未来永劫変えてはいけないと主張しているだろうか?

改憲派が何をもくろんでいるのかをまったくご存知ないのだろうか?

呆れてモノも言えない。

小泉純一郎が首相になってからは、改憲派の論法はさらに粗野になった。

それは「神学論争はもうやめよう」という「決めゼリフ」だ。

 たとえば、小泉首相は、テロ対策特措法が武器使用基準を緩和したため、自衛隊の携行する武器の範囲が問題となったところ、「もう神学論争をやめようと私は言いたいぐらいなんですよ。近くの仲間が危機に瀕して、自然の常識で助けることができるんじゃないかと。その場合には、この武器はいけない、あの武器はいけないというよりも、最初から決まっているんだから、武力行使はしない、戦闘行為には参加しない、そこはもう常識でやりましょう」と論じ、その判断は現場の指揮官に委ねればいいではないかと答えている(衆院テロ特別委・2001年10月11日)。


「ごちゃごちゃ細かいことは言うな」とおっしゃっている。

 また、イラク特措法の制定の際には、「自衛隊が『非戦闘地域』で道路の補修や給水活動をするのであれば、わざわざ自衛隊を派遣するニーズがあるのか」との質問(民主党・末松義規議員)に対して、小泉首相は「非戦闘地域」だからといって、民間人が活動できるほど安全とは限らないという趣旨のことを述べたうえで、「戦争状態だからどこまで危険だと言えば、これはもう神学論争みたいになってしまって混乱しますが、……民間よりも自衛隊のほうがてきぱきとできる可能性がある」と答えている(衆院イラク特別委・2003年6月25日)。(以上、120−121頁)


これはもはや「法の支配」をかなぐり捨てるに等しい暴論だ。

「神学論争はやめよう」とさえいえば、相手の議論を封じ込めることができるのだから、まったく便利なフレーズである。(121頁)


ここで「神学論争はやめよう」という言い方が犯罪的であるのは、
細かいことについて議論せざるを得ない状況を作ったのは誰なのか?
ということを隠蔽しているところにある。

自衛隊がそもそも海外に行かなければこんな議論は必要なかった。

 既成事実をつくれば、政府解釈はそれを正当化するためにさらに無理をする。すると、神学論争はますます混迷を深めることになる。そうしたら、「神学論争はもうやめよう!」という主張が、さらにもっともらしくなる。
 よって、問題は「神学論争をやめるか否か」ではなく、自衛隊の海外での軍事行動を広く容認するか否かである。(133頁)


自民党政権は自分たちで自衛隊を海外派兵しておきながら、
「神学論争はやめよう」などと言ってきたわけだ。

 「神学論争はやめよう」という議論は、政府解釈を骨抜きにして解釈改憲をさらに進めることで、軍事法制の整備に関する支配層の「思惑」を実現する手法だといえる。(134頁)


しかも怖ろしいのは、
こうした暴論にまんまと騙されてしまう国民も少なくないということだ。

……論理的に対抗するのを諦めて、「神学論争をやめよう」と論じて、この問題に不案内な人びとの直感に訴えることで、内閣法制局の解釈の積み重ねを一気に爆破しようとする手法である。妙なネーミングだが、「法解釈をする気のない解釈改憲論」と呼べるだろう。(135頁)


政治家というのはほとんど「詐欺師」ではないか、と思う。

さて、本書では、最近の新しい「9条論」も取り上げている。

これは、タカ派による軍事優先の改憲とはまったく別種のもので、
日本の右傾化には強く反対してきたひとたちによって主張されているものだ。

だからといって「護憲派」なのではない。

彼らの特徴は、従来の「護憲派」と一線を画すという点に特徴がある。

そして著者はそれらをひとつずつ論破している。

ではどのような「9条論」が批判されているのだろうか?

@ 大沼保昭の「護憲的改憲論」

A 今井一の「憲法9条国民投票論」

B 井上達夫の「9条2項削除論」

C 長谷部恭男の「穏和な平和主義」

D 小林正弥の「墨守非攻論」

E 内田樹の「おじさん的思考」


ここに並んだ著名人の名を見ても分かると思うが、
彼らはいわゆる「ゴリゴリの改憲論者」「右派」ではない。

これまでの改憲派/護憲派という対立が閉塞化しているなか、
自分の主張こそ現実的で解決可能なものだとそれぞれ主張している。

細かく見ればそうではないところもあるだろうが、
おおよそそういう共通点を持っていると言ってよい。

このなかから、井上達夫の「9条削除論」を著者がどう批判しているのかを見よう。

その前に「9条削除論」とはいかなるものなのかを見てみよう。

憲法9条と自衛隊・日米安保には大きな乖離が存在している。

憲法に謳われた理念と自衛隊や米軍の存在という現実には大きなズレがある。

護憲派はしばしばこう主張する。

「9条があったからこそ、日本のさらなる軍事大国化を防ぐことができたではないか」


井上はこれを厳しく批判する。

自衛隊や安保条約という現状を追認しつつ、
そのもとで安全保障の便益を享受していながら、
「9条がなければもっとひどいことになっていた」と言うのは無責任な立場であり、
「倫理的タダ乗り」だと難ずる。

これはたしかに多くの日本国民に対しては一定の意味のある批判である。

多くの日本人は「戦争はいけないことだ」と言う。

そのくせ自衛隊や日米安保条約が存続していても何の矛盾も感じていない。

普天間基地移設問題でも、
ひとびとは首相の資質や抑止力云々という話でごまかして、
誰も日本国憲法の視点からは論じようともしない。

これほどの欺瞞があるだろうか?

護憲派は、9条にタダ乗りしておきながら、
政府与党による解釈改憲の実践を跋扈させてきた。

こうして日本における立憲主義の確立と発展を阻んできた、と主張する。

よって、「9条は固守するのでも改正するのでもなく、端的に削除すべきである」と井上は論ずる。これは、安全保障の問題を全面的に民主過程に委ねるべきとの主張である……。(149頁)


「9条削除論」が発表された当時、わりと話題になった。

井上はもちろんこれまでの改憲派に対しても厳しく批判している。

だが、同じような厳しい批判を護憲派にも向けている。

これが井上の特徴である。

 ところで、井上〔達夫〕は自説の「9条削除論」を改憲・護憲を唱える「第三の道」であるかのように論じるが、これはまったくの勘違いである。改憲派の「思惑」からすれば、9条前面削除こそが最も望ましい。(149頁)


なるほど。

改憲派からすれば、9条などそもそもなくなってくれた方がいい。

井上自身の意図はともあれ、改憲派が現実政治のしがらみの中で言い出せない9条削除論を、彼は自由な立場から提唱しているにすぎない。(150頁)


しかも、9条を削除すれば、
民主主義によって軍事大国化や対米追従路線を止めることができる、
などとどうして言えるのだろうか?

自衛隊の海外派兵を違憲であると司法に訴えることすらできなくなる。

とすると、井上達夫の「9条削除論」は、
結果的に従来の改憲派の勢いを後押しするものになっているのではないか?

……9条改定論議が高まる現在の日本は同時に、イラク派兵に反対するビラを自衛官官舎に配っただけで逮捕され、75日間も勾留される社会であり、卒業式で「日の丸・君が代」の強制を批判する記事を配ったら、「威力業務妨害罪」で起訴されかねない社会である。(151頁)


9条を変えれば、あるいは9条を削除すれば、
そうした日本社会のあり方がよい方向へと変わるのだろうか?

著者は「どこにそんな保証があるのか」と厳しく疑問を呈している。

本書は非常におもしろい。












テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
愛敬浩二『改憲問題』(ちくま新書)B フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる