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zoom RSS 『完訳グリム童話集』全7巻(ちくま文庫)D

<<   作成日時 : 2010/05/26 22:46   >>

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第5巻に収録されているのは、次の話である。

(102)みそさざいと熊/(103)おいしいおかゆ/(104)かしこい人たち/(105)蛇の話/(106)かわいそうな粉ひきの若い衆と猫/(107)ふたりの旅人/(108)ハンスはりねずみ/(109)きょうかたびら/(110)いばらのなかのユダヤ人/(111)腕ききの漁師/(112)天のからざお/(113)王さまの子ふたり/(114)かしこいちびの仕立て屋の話/(115)おてんとうさまが明るみに出す/(116)青い明かり/(117)わがままな子ども/(118)3人の外科医/(119)シュヴァーベン人の7人組/(120)3人の職人/(121)こわいもの知らずの王子/(122)レタスろば/(123)森のなかのばあさん/(124)3人兄弟/(125)悪魔とそのおばあさん/(126)真心のあるフェレナントと真心のないフェレナント/(127)鉄のストーブ/(128)なまけ者の糸紡ぎ女/(129)わざのすぐれた4人兄弟/(130)ひとつ目、ふたつ目、3つ目


昔話といっても、語り出しはどれも同じわけではない。

 むかしむかしあるところに王さまがいました。
(「王さまの子ふたり」122頁より)


このような典型的な語り出しのものもあれば、次のようなものもある。

 むかしまだ人の願いごとがかなったころ、ある王さまの息子が年とった魔女に魔法をかけられて、森の大きなストーブのなかにとじこめられてしまいました。
(「鉄のストーブ」264頁より)


むかしのさらにむかしは、人の願いごとがかなった、という。

やがて人の願いごとはかなわなくなってしまった。

ひとびとのささやかな希望さえ実現されない社会。

この語り出しは、現在の日本でも使ってみたくなる。

不幸が真っ先に押し寄せてくるのは、いつの時代でも底辺のひとびとだ。

『グリム童話集』には子どもがよく登場する。

きょうは、子どもが不幸になるお話を紹介したい。

2つ取り上げるが、いずれも短いお話である。

「きょうかたびら」

 どこかのお母さんに、7歳になる男の子がいました。男の子はとてもきれいで、愛らしくて、この子を見た人はだれでも、かわいがらずにはいられませんでした。もちろんお母さんも、世界じゅうのなによりもいとしく思っていたのです。
 ところがどうしたことか、男の子が急に病気にかかり、神さまのもとにひきとられることになりました。お母さんはどうしてもあきらめがつかず、夜も昼も泣いて暮らしました。ところが、墓にほうむられてからまもなくのことです。夜な夜なこの子が、生きているときよく座って遊んでいたところに姿を見せるようになりました。お母さんが泣くと、この子も泣き、朝になるといなくなりました。でもお母さんは、どうにも泣くのをやめられませんでした。
 すると、ある夜この子が、ひつぎにおさめられたとき着せられた白いきょうかたびらを身につけ、頭に花輪をのせてやってきました。そして、寝ているお母さんの足もとに腰をおろすと、こう言いました。
 「ねえ、お母さん、もう泣くのはやめて。そうしないと、ぼくはひつぎのなかでねむれないんだ。だって、お母さんの涙がみんなぼくのきょうかたびらに降りかかってきて、服のかわくひまがないんだもの」。これを聞いてお母さんはびっくりし、それからはもう泣かなくなりました。すると、次の夜また男の子が来ましたが、手にろうそくを1本持っていて、
 「ほら、お母さん、ぼくのきょうかたびらはあらましかわいているでしょ。これでぼくはお墓のなかでゆっくり休める」と言いました。そこでお母さんは自分の悲しみは神さまにおまかせして、つらいのをだまってじっとこらえました。子どもはそれきり出てこなくなり、土のしたの自分のベッドでねむりにつきました。
(86−87頁)


これは、読者に教訓を与えるものでもあるが、
フロイトの夢解釈と結びつけて考えてみたくなるものでもあるだろう。

フロイトのあの有名な話にも似ている。

さて、もうひとつ。

「わがままな子ども」

 むかしむかしあるところに、わがままな子どもがいました。お母さんがしなさいと言うことを、この子はなにひとつしませんでした。そこで、神さまはあいそをつかして、この子を病気にしました。そうなるとどんな医者も、もう治すことはできません。まもなく、この子は息をひきとりました。
 さて、この子がお墓に埋められて土がかけられると、突然小さい腕が1本また外へ出てきて、まっすぐ上にのびました。人々はその腕をなかへおしこみ、新しく土をかけましたが、なんの役にも立ちませんでした。腕は何度でも外へ出てきました。
 それでお母さんはやむなく自分でお墓ヘ行って、その腕をむちでたたきました。お母さんがぶつと、腕はひっこみました。これでようやくその子は、土のしたで安らぎをえました。
(166−167頁)


「病気の自己責任論」がこんなところにも登場している。

子どもがわがままだったから病気になってしまった、と。

因果応報。

死んでもわがままは治らない。

だったら叩いてしまえ。

えい。

『グリム童話集』には、このような話もたくさんあるのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


わたしたちにとって童話は、子どもに読んで聞かせるもので、
夢があって、ほのぼのとしたものというイメージがある。

だが、実際に読んでみると、ほのぼのとしたものばかりではないことも知る。

残酷な場面も多い。

そこで『グリム童話』にはこれまで非難も向けられてきた。

非難のなかでももっとも論争を呼んだのが、
「ナチスの強制収容所はグリム童話が育てた」というものだったという。

極端な意見にも思えるかもしれないが、実際そのような非難があったそうだ。

「ヘンゼルとグレーテル」では、
グレーテルが魔女をパン焼き釜のなかへ突き落として焼き殺している。

そのほか、まっ赤に焼いた鉄の靴をはかせて死ぬまでおどらせたり(「白雪姫」)、目をえぐりとったり(「ふたりの旅人」)、若い娘を殺して体を切りきざんだり(「フィッチャーの鳥」)、女をはだかにして内側に釘を打った樽に入れて馬に引きずらせる(「がちょう番の娘」)など、グリム童話には残酷な場面がいろいろとあります。(320頁)


そのため、第二次大戦直後には、
イギリス軍によって出版中止が命じられたらしい。

グリム童話の残酷さだけが注目されたわけではなかったかもしれない。

読んでみるとユダヤ人差別を感じさせるものもある。

日本でも、「桃太郎」などの昔話は国威発揚・戦争動員に活用されていた。

ゼロ戦に乗った「桃太郎」が「鬼畜米英」の鬼退治に出かける、
という絵本をわたしは以前見たことがある。

童話に限らず、小説も新聞報道も戦争に協力してきただろう。

こうしてグリム童話が「ホロコースト」を生んだという非難が沸き起こったのも、
まったく理由のないものではない。

もっともこうした見方に対しては、反論もあった。

それについては、巻末の解説に簡単な紹介が載っている。










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