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zoom RSS 『完訳グリム童話集』全7巻(ちくま文庫)A

<<   作成日時 : 2010/05/23 21:26   >>

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第2巻に収録されている話は、つぎのとおり。

(21)灰かぶり/(22)なぞ/(23)ねずみと鳥とソーセージの話/(24)ホレおばさん/(25)7羽のからす/(26)赤ずきん/(27)ブレーメンの音楽隊/(28)歌う骨/(29)金の毛が3本ある悪魔/(30)しらみとのみ/(31)手なし娘/(32)りこうなハンス/(33)三種のことば/(34)かしこいエルゼ/(35)天国の仕立て屋/(36)〈おぜんよ、したく〉と金出しろばと〈こん棒、出ろ〉/(37)親指小僧/(38)奥さん狐の結婚式/(39)小人たち/(40)強盗の婿/(41)コルベスさん/(42)名づけ親さん/(43)トルーデおばさん/(44)死に神の名づけ親/(45)親指太郎の旅歩き/(46)フィッチャーの鳥/(47)びゃくしんの木の話


このなかでは、
やはり「赤ずきん」「ブレーメンの音楽隊」がもっとも有名だろう。

「親指太郎」というのは「一寸法師」にそっくりの話なのだが、
きょうは別のお話を紹介してみようと思う。

わたしにとってとてもおもしろかったのは、「歌う骨」というお話である。

短いので全文を紹介しよう。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「歌う骨」

むかしむかしある国で、猪の害に人々がたいへん困っていました。この猪は、お百姓たちの畑は掘りかえすし、家畜は殺すし、人間はきばにかけて体をひきさきました。王さまは、この難儀からわが国を救ってくれる者がいたら、だれにでもほうびをたくさんあたえる、と約束していました。ところが、このけだものはたいそう大きくて、力が強くて、そのために猪が、住んでいる森へ近づく勇気のある者はひとりもいませんでした。とうとう王さまは、この猪をつかまえるか殺すかした者に、自分のひとり娘を妻としてあたえる、というおふれを出しました。
ところでこの国にふたりの兄弟が住んでいました。貧しい男の息子でしたが、名のりでて、この冒険をひきうけました。兄はぬけ目のない、かしこい男で、高慢な気持ちからそうしたのですが、弟は無邪気な、おろかな男で、やさしい気持ちからそうしたのです。王さまは、
 「おまえたちは反対の方角から森ヘ入っていくがよい。そのほうがけだものをみつけやすいだろう」と言いました。そこで兄は西から、弟は東から森ヘ入っていきました。ところで弟がしばらく歩いていくと、小さな小人がこちらへやってきました。小人は手に黒いやりを持っていて、
 「このやりをおまえにやろう。おまえは心が無邪気でやさしいからだ。これを持って、こわがらずにあのあらっぽい猪にむかっていきなさい。あいつはおまえに、けがひとつさせることもないだろう」と言いました。弟は小人にお礼を言って、そのやりを肩にかつぎ、元気いっぱいさきへ進んでいきました。ほどなく弟は猪をみつけました。猪は弟をめがけて走ってきましたが、弟は猪にむかってやりをつきつけました。すると猪は、いかりくるってものすごい勢いでやりにつっかかってきたものですから、心臓がまっぷたつに切れてしまいました。そこで弟はこの怪物を肩に担ぎ、家路について、これを王さまに届けようと思いました。
 弟が反対側から森の外へ出てみると、入り口に一軒の家があって、人々が飲めや歌えの大さわぎをしていました。兄はそこに立ちよっていました。猪はにげるわけじゃあるまいし、まずワインを飲んで元気をつけよう、と考えたのです。さて兄は、弟が獲物をかついで森から出てくるのを目にとめると、よこしまなねたみが心にむらむらと起こってきました。兄は、
 「寄っていきなよ、ひと休みして、ワインで元気をつけろ」と弟に声をかけました。弟は、裏に悪だくみがあろうとは夢にも思わず、家のなかへ入っていきました。それから兄に、親切な小人がやりをくれて、そのやりで猪を殺したことを話してきかせました。兄は日が暮れるまで弟をひきとめておいて、それからつれだって出かけました。
 ふたりが暗やみのなかを、小川にかかっている橋のところまで来ると、兄は弟をさきに行かせました。そして弟が川の中ほどまで行ったとき、うしろからなぐりつけたので、弟は下へ落ちて死にました。兄は弟を橋のしたに埋めると、猪を横どりして王さまに届け、わたくしが猪を退治しました、といつわりを申したてました。それにもとづいて、兄は王さまの娘を妻にしました。弟がなかなかもどってこないので、ころあいを見て兄が、
 「猪が弟の体をひきさいたのだろう」と言いました。そこで、みんなもそう思いました。
 けれども、なにごとも神さまにかくしとおすことはできませんから、この邪悪なおこないもまた明るみに出ることになりました。それから長い年月がたって、あるときひとりの羊飼いが羊の群れを追ってこの橋を通りかかりました。ふと下を見ると、砂のなかにまっ白い小さな骨があったので、あれは楽器のふき口にいいな、と考えました。そこで下へおりて、その骨を拾いあげ、けずって自分の角笛のふき口にしました。その角笛をためしにふいてみると、骨がひとりでに歌いだしたので、羊飼いはひどくおどろきました。

  「まあ、羊飼いさんたら、
  あんたがふいているのはわたしの骨だよ。
  兄がわたしを殺して、
  橋のしたへ埋めたのさ。
  猪を横どりして、
  王さまの娘を手に入れるために」。

 「なんてへんな角笛だ」と羊飼いは言いました。「ひとりでに歌いだすなんて。これは王さまにさしあげなくてはならん」。羊飼いがこの角笛を持って王さまのまえに出ると、角笛はまたあの歌を歌いだしました。王さまにはそれがよくわかりました。王さまが橋のしたの地面を掘りおこさせると、打ち殺された男の骸骨がそっくり出てきました。悪党の兄はひどいおこないの言いのがれができず、ふくろのなかヘ縫いこまれて、生きたまま水にしずめられました。いっぽう、殺された弟の骨は、墓地ヘ移されて、きれいな墓へ手厚くほうむられました。
(89−93頁)


わたしはこの話を歴史修正主義者に読ませたい。

被害者の声に耳をかたむけることのできないひとたちに読ませたい。

いまも世界中に歌う骨がある。

日本の各地でも、
中国大陸や朝鮮半島から連行されて来たひとびとの骨が歌っている。

『グリム童話』を読んでみると、いくつかの共通点に気づく。

3人兄弟が登場すると、決まって3人目の弟はマヌケでのろまだ。

けれどもこのいちばん末の弟がもっとも純朴で、最後に幸福を手に入れる。

こうした話は、末っ子に話して聞かせるものだったのだろうか?

また、「ハンス」という名前の登場人物は、
どの物語においてもどういうわけかよく描かれることがない。

たとえばこんな感じ。

これも全文を引用してみよう。

「りこうなハンス」

 ハンスの母親が、
「どこへ行くんだい、ハンス」と聞きます。ハンスは、
「グレーテルのところだよ」と返事をします。
「うまくおやりよ、ハンス」。
「うまくやるとも。行ってくるよ、おっかさん」。
「行っておいで、ハンス」。
 ハンスはグレーテルのところへやってきます。
「こんにちは、グレーテル」。
「こんにちは、ハンス。なにかいいもの持ってきたの?」
「なんにも持ってこなかった。あんたがおくれよ」。グレーテルはハンスに針を1本やります。ハンスは、
「さよなら、グレーテル」と言います。
「さよなら、ハンス」。
 ハンスは針を受けとり、干し草を運ぶ車に刺すと、車のあとを追って家へもどります。
「ただいま、おっかさん」。
「お帰り、ハンス。どこへ行っていたんだい」。
「グレーテルのところだよ」。
「何を持っていってやったの」。
「なんにも持っていかなかった。向こうがくれたよ」。
「何をくれたね」。
「針をくれたよ」。
「その針はどうしたい、ハンス」。
「干し草を運ぶ車に刺してあるよ」。
「ばかなことをしたね、ハンス。針は袖に刺さなくちゃいけないよ」。
「かまやしないさ、今度はうまくやるよ」。
「どこへ行くんだい、ハンス」。
「グレーテルのところだよ、おっかさん」。
「うまくおやりよ、ハンス」。
「うまくやるとも。行ってくるよ、おっかさん」。
「行っておいで、ハンス」。
 ハンスはグレーテルのところへやってきます。
「こんにちは、グレーテル」。
「こんにちは、ハンス。なにかいいもの持ってきたの?」
「なんにも持ってこなかった。あんたがおくれよ」。グレーテルはハンスにナイフを1本やります。ハンスは、
「さよなら、グレーテル」と言います。
「さよなら、ハンス」。
 ハンスはナイフを受けとり、袖に刺して、家へもどります。
「ただいま、おっかさん」。
「お帰り、ハンス。どこへ行っていたんだい」。
「グレーテルのところだよ」。
「何を持っていってやったの」。
「なんにも持っていかなかった。向こうがくれたよ」。
「何をくれたね」。
「ナイフをくれたよ」。
「そのナイフはどうしたい、ハンス」。
「袖に刺してあるよ」。
「ばかなことをしたね、ハンス。ナイフはふくろヘ収めなくちゃいけないよ」。
「かまやしないさ、今度はうまくやるよ」。
「どこへ行くんだい、ハンス」。
「グレーテルのところだよ、おっかさん」。
「うまくおやりよ、ハンス」。
「うまくやるとも。行ってくるよ、おっかさん」。
「行っておいで、ハンス」。
 ハンスはグレーテルのところへやってきます。
「こんにちは、グレーテル」。
「こんにちは、ハンス。なにかいいもの持ってきたの?」
「なんにも持ってこなかった。あんたがおくれよ」。グレーテルはハンスにやぎの子を1頭やります。ハンスは、
「さよなら、グレーテル」と言います。
「さよなら、ハンス」。
 ハンスはやぎを受けとり、足を全部しばってふくろへ収めます。ハンスが家にもどったときには、やぎは息がつまって死んでいました。
「ただいま、おっかさん」。
「お帰り、ハンス。どこへ行っていたんだい」。
「グレーテルのところだよ」。
「何を持っていってやったの」。
「なんにも持っていかなかった。向こうがくれたよ」。
「何をくれたね」。
「やぎをくれたよ」。
「そのやぎはどうしたい、ハンス」。
「ふくろに収めてあるよ」。
「ばかなことをしたね、ハンス。やぎは縄につながなくちゃいけないよ」。
「かまやしないさ、今度はうまくやるよ」。
「どこへ行くんだい、ハンス」。
「グレーテルのところだよ、おっかさん」。
「うまくおやりよ、ハンス」。
「うまくやるとも。行ってくるよ、おっかさん」。
「行っておいで、ハンス」。
 ハンスはグレーテルのところへやってきます。
「こんにちは、グレーテル」。
「こんにちは、ハンス。なにかいいもの持ってきたの?」
「なんにも持ってこなかった。あんたがおくれよ」。グレーテルはハンスにベーコンをひとかたまりやります。ハンスは、
「さよなら、グレーテル」と言います。
「さよなら、ハンス」。
 ハンスはベーコンをとり、縄でしばって、自分のうしろをひきずっていきます。犬が何匹もやってきて、ベーコンをすっかり食べてしまいます。ハンスが家にもどったときには、手に縄は持っていますが、縄にはもうなにもついていません。
「ただいま、おっかさん」。
「お帰り、ハンス。どこへ行っていたんだい」。
「グレーテルのところだよ」。
「何を持っていってやったの」。
「なんにも持っていかなかった。向こうがくれたよ」。
「何をくれたね」。
「ベーコンをひとかたまりくれたよ」。
「そのベーコンはどうしたい、ハンス」。
「縄でしばって、うちへひいてきたら、犬にとられたよ」。
「ばかなことをしたね、ハンス。ベーコンは頭のうえへのせてこなくちゃいけないよ」。
「かまやしないさ、今度はうまくやるよ」。
「どこへ行くんだい、ハンス」。
「グレーテルのところだよ、おっかさん」。
「うまくおやりよ、ハンス」。
「うまくやるとも。行ってくるよ、おっかさん」。
「行っておいで、ハンス」。
 ハンスはグレーテルのところへやってきます。
「こんにちは、グレーテル」。
「こんにちは、ハンス。なにかいいもの持ってきたの?」
「なんにも持ってこなかった。あんたがおくれよ」。グレーテルはハンスに子牛を1頭やります。ハンスは、
「さよなら、グレーテル」と言います。
「さよなら、ハンス」。
 ハンスは子牛を受けとり、頭へのせたので、子牛はハンスの顔をめちゃめちゃにけとばします。
「ただいま、おっかさん」。
「お帰り、ハンス。どこへ行っていたんだい」。
「グレーテルのところだよ」。
「何を持っていってやったの」。
「なんにも持っていかなかった。向こうがくれたよ」。
「何をくれたね」。
「子牛をくれたよ」。
「その子牛はどうしたい、ハンス」。
「頭へのせたら、顔をめちゃめちゃにけとばされたよ」。
「ばかなことをしたね、ハンス。子牛は引いてきて、まぐさだなのそばへ置かなくちゃいけないよ」。
「かまやしないさ、今度はうまくやるよ」。
「どこへ行くんだい、ハンス」。
「グレーテルのところだよ、おっかさん」。
「うまくおやりよ、ハンス」。
「うまくやるとも。行ってくるよ、おっかさん」。
「行っておいで、ハンス」。
 ハンスはグレーテルのところへやってきます。
「こんにちは、グレーテル」。
「こんにちは、ハンス。なにかいいもの持ってきたの?」
「なんにも持ってこなかった。あんたがおくれよ」。グレーテルはハンスに言います。
「あたしがあんたといっしょに行くことにするわ」。
 ハンスはグレーテルを受けとり、縄につないで引いてくると、まぐさだなのまえへつれていき、しっかりつなぎます。それからハンスは母親のところへ行きます。
「ただいま、おっかさん」。
「お帰り、ハンス。どこへ行っていたんだい」。
「グレーテルのところだよ」。
「何を持っていってやったの」。
「なんにも持っていかなかった。グレーテルがいっしょにきたよ」。
「グレーテルをどこへ置いてきたの」。
「縄で引いてきて、まぐさだなのまえにつないで、草を投げてやったよ」。
「ばかなことをしたね、ハンス。グレーテルにはやさしい目を投げてやらなくちゃいけないよ」。
「かまやしないさ、今度はうまくやるよ」。
 ハンスは家畜の小屋へ行き、子牛や羊たちの目をどれもこれもえぐりだして、グレーテルの顔ヘ投げつけます。これにはグレーテルも腹を立て、縄をひきちぎると、走っていってしまいます。そしてハンスのお嫁さんになるのをやめました。
(132−143頁)


同じようなセリフが繰り返されることで、ユーモアとリズムを生んでいる。

家でよく親から叱られている子どもたちは、
こんど親にこう言い返してみるといいのではないか?

「かまやしないさ、今度はうまくやるさ、おっかさん」。

童話のなかには、
はっきりとした教訓が読み取れるものもあれば、
何が言いたいのかよく分からないものもある。

次のお話は、
簡単に納得することのできない教訓でまとめられているものである。

「コルベスさん」

 むかしむかしあるところに、めんどりとおんどりがいました。ふたりはいっしょに旅をしたいと思いました。そこでおんどりが、赤い車輪の4つついている、きれいな車をつくりました。そして、ねずみを4匹車のまえにつけました。めんどりはおんどりといっしょに車ヘ乗りこみ、つれだって出かけていきました。ほどなく、ふたりは猫に出会いました。猫が、
「どちらへお出かけ」と言ったので、おんどりが、

  「ずっと向こうの、
  コルベスさん家ヘ行くところ」

と返事をしました。
「わたしもつれてって」と猫が言いました。おんどりは、
「いいとも、うしろへお乗りよ。まえじゃ落ちるといけないから。

  気をつけておくれよ、あんたがた、
  わたしの赤い車輪をよごさないでね。
  車輪たちや、ゆっくり行っておくれ。
  ねずみたちや、ちゅうちゅう鳴いておくれ。
  ずっと向こうの、
  コルベスさんの家をめざして」

と返事をしました。それから石うすが来て、そのあとに卵、そのあとにあひる、そのあとに留め針、いちばんしまいに縫い針が来ました。みんながやはり車に乗って、いっしょに進んでいきました。
 ところが、コルベスさんの家に来てみると、コルベスさんはるすでした。ねずみたちは車を引いて納屋ヘ入れ、めんどりはおんどりといっしょにとまり木へ飛びあがり、猫はだんろのなかに座り、あひるは井戸のつるべおけに入り、卵はタオルにくるまり、留め針はいすのクッションに刺さり、縫い針はベッドへあがってまくらのまん中へとびこみ、石うすは戸のうえで横になりました。
 そこへコルベスさんが帰ってきて、だんろのところヘ行き、火をおこそうとしました。すると猫が、コルベスさんに灰を投げつけて顔を灰だらけにしました。コルベスさんが急いで台所へ行って、灰を洗い落とそうとすると、あひるがコルベスさんの顔へ水をひっかけました。コルベスさんがタオルで顔をふこうとすると、卵がころがりでて割れたので、流れる卵がコルベスさんの目をふたつともふさぎました。コルベスさんが休もうと思って、いすに腰をおろすと、留め針がつき刺しました。コルベスさんはむしゃくしゃして、ベッドヘごろりと横になりましたが、頭をまくらへのせたとたんに、縫い針がつき刺したので、コルベスさんは悲鳴をあげ、かっとなって外へとびだそうとしました。ところが、コルベスさんが玄関の戸のところまで来ると、石うすがとびおり、コルベスさんをおしつぶして殺しました。
 コルベスさんはきっと、とても悪い人だったんですね。
(246−249ページ)


いかがだろうか?

いつの間にか、被害者であるはずのコルベスさんが悪人になっている。

だがこの話はとても興味深い。

なぜなら、
結果だけから意味を強引に導き出すという、
じつはわたしたちの周りでよく見られる倒錯の一例といってよいからである。

さて、最後に「びゃくしんの木の話」から、母親に殺された子どもの歌を。

母親は子どもを殺すと、シチューにして父親といっしょに食べてしまう。

そのあと、鳥がこう歌う。

 「ぼくの母さんはぼくを殺した。
 ぼくの父さんはぼくを食べた。
 ぼくの妹のマルレーネちゃんは、
 ぼくの骨を全部集めて、
 絹の布につつんで、
 びゃくしんの木のしたヘ置いた。
 キィーヴィト、キィーヴィト、ぼくはなんてきれいな鳥だ」。


親は、子どもを殺す。

もう1度言う。

親は子どもを殺す。

この歌には、普遍的な不気味さがある。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


『グリム童話集』の紹介は、まだつづく。







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