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zoom RSS 斎藤環『関係する女 所有する男』(講談社現代新書)B

<<   作成日時 : 2010/05/02 01:37   >>

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本書の紹介は、今回でおしまい。

著者は、「おたく」の話題から、より一般的な水準へと議論を広げていく。

ここでわたしのあまり好きではない歌手を取り上げている。

一青窈があるテレビ番組で、
「(思い出を)男はフォルダ保存、女は上書き保存」と言ったのを聞いて、
著者は強く感心したのだそうだ。

男は恋愛関係の思い出を、別々の「フォルダ」にいつまでもとっておける。だからこそ、同時に複数の異性と交際できるのである。(166頁)


それに対して、女性はどうなのだろうか?

いっぽう女は、現在の関係こそがすべてだ。……新しい恋人が出来るたびに、過去の男は消去(デリート)され、新たな関係が「上書き」される。……
僕が「上書き」という言葉に感心したのは、そこに「反復」の要素が含まれているからだ。女の性愛関係には、百パーセントの更新はない。新しい関係にも、どこかかつての関係がこだましていることは珍しくないのだ。似たタイプの男ばかり好きになる、といった場合など、特にそれが当てはまるだろう。(167頁)


このあたりの女性観はやや単純すぎると思われるが、
とりあえず話を進めていこう。

世のお父さん方が若き日の「泣かせた女性の数(=所有の量)」を懺悔してみせたり、お母さん方がただひとつの「大恋愛(=関係の質)」の経験を語ってみせたりする……。(169頁)


ここにも見られる「男性の所有原理」と「女性の関係原理」。

この特徴は、あちこちで繰り広げられる日常会話のなかにもあわられる。

「異性の体でどこに魅力を感じるか?」

まあ男性の平均的在意見が、ほとんど胸やお尻に集中するだろうことは容易に予想できる。いっぽう女性の場合よく聞かれるのは、男性の「腕」や「指」あるいは「眼」に魅力を感じる、という声だ。……
胸やお尻が好き、というのは、要するに「フェチ」である。……言ってみればこれも「女性のモノ化」であり、「所有の視線」にほかならない。(177頁)


女性の場合はどうか?

しばしば女性たちが言うのは「指」や車の運転をしているときの男性の「腕」だ。

 いっぽう女性のこだわりが向かうのは、ここでも「関係」だ。……腕や指、あるいは眼という器官は、すべて関係するための器官だ。(178頁)


「声」というのも30代以上の女性からはよく聞かれる。

「男は目で恋をし、女は耳で恋に落ちる」(ウッドロー・ワイアット)……。(178頁)


最近、「おとこソファー」なる言葉があるらしい。

それほど流行っているわけでもないと思うが、
「おとこソファー」とはいったい何なのだろうか?

 仕事で疲れ切って帰宅した独り身の女性を優しく包み込み、癒してくれる素敵な家具。(181頁)


ここまで見てきて、
「男性の所有原理/女性の関係原理」のちがいは分かっただろう。

では、どうしてそのような差異が生まれるのだろうか?

これについて著者は、フロイトを引用しながら、解説していく。

 男の子は、はじめ母親に欠如しているペニスそのものに「なりたい」と願う。しかしその欲望は「去勢」されることで、父親と同じようなペニスを「持ちたい」という欲望へと変化する。この過程は一種の「成熟」だ。
「なりたい」から「持ちたい」へ。
 これこそが、男性における「所有原理」のはじまりなのである。(195頁)


他方、女性だけの特徴は、「身体を持っていること」だ、という。

 実際、臨床場面でも、男性よりは女性のほうが、自らの身体のコンディションにずっと敏感だ。低血圧、冷え性、便秘、頭痛、肩こり、疲れやすさ、倦怠感といった、いわゆる不定愁訴の訴えは、圧倒的に女性のほうが多い。(209−210頁)


女性たちは自分の身体を「脱ぎ捨てたい」とさえ感じることがあるらしい。

ここには女性の複雑なナルシシズムの成り立ちが関わっているという。

「女性が鏡に映して自分を見るのは、自分の姿を見るためでなく、自分がどんなふうに他人に見られるかを確かめるためだ」(アンリ・ド・レニエ)(216頁)


母親が娘を叱るとき、しばしばこう言う。

「そんなことをしていると、かわいくないわよ」と。

母親は娘に対して「かわいくあれ」と命じている。

女性は小さいころから、「視られる」存在として意識づけられている。

 外見=身体においては他者の欲望をより惹き付ける存在であれ、という命令。内面においては、自分の欲望は放棄せよ、という命令。……「女らしさ」の教育には、あらかじめ根本的な矛盾と分裂が含まれていることになる。「女らしさ」には「欲望」の肯定と否定が同時に含まれているからだ。(226頁)


それだけに女性が抱える「抑圧」は深い。

 ……母親の身体性は、言葉の回路を通じて娘へと伝達される。……だから、どんなに母親を否定し、反発しようとも、娘たちは与えられた母親の言葉を生きるほかはない。これが「父殺し」とは違って、「母殺し」が不可能な理由である。(227頁)


女性たちはしばしば自分の母親を非難する。

母親からされたひどい仕打ちを忘れることはできない。

だが、いつしかその女性も、自分の娘に母親の姿を反復してしまうのだろうか?

……女は自分の欲望をしばしば言葉で明確に説明できない。女は対象を観念として所有しようとしない。むしろ女は対象をまるごと受け入れる。関係への欲望は、本質的に受動的なものだ。(230頁)


著者はここで男女のちがいを次の観点からも説明を試みている。

女性は「共感脳」を持っているのに対して、男性は「システム脳」を持っている、と。

これについては説明を引用しないでおく。

興味のある方は直接本書をご覧いただきたい。

最後に、著者の身近な体験で本書は締めくくられている。

ちょっと卑近な例で恐縮だが、僕自身の経験を例に出してみよう。
あるとき神戸で講演会があり、その後スタッフの招待で美味しい飲茶レストランに行った。帰りが遅くなりそうだつたので、妻への詫びがてら、名物の胡麻団子を6個買って帰った(別に僕は恐妻家ではない)。案の定遅くなって不機嫌だった妻は、お土産を見せると喜んでたちまち3個を平らげ、すっかり機嫌も直ってしまった。僕はさすがに空腹ではなかったので、つきあいで1個だけ食べた。残りは妻がラップして冷蔵庫にしまった。
次の日の午後、ジョギングの後で小腹が空いたので残っていた2個を何気なく食べた。たいへん美味しかった。ところが昼寝から覚めた妻は、それを聞いて怒り出した。「一緒に1個ずつ食べようと思ったのに!」と大変な剣幕だ。「いや3個ずつのつもりだったから……」と言い訳するも、残した2個を等分するのが当然だ、というのが妻の理論である。(235頁)


これこそ「所有原理」と「関係原理」のちがいである、と著者は言う。










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