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zoom RSS 斎藤環『関係する女 所有する男』(講談社現代新書)A

<<   作成日時 : 2010/04/30 16:29   >>

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前回のつづき。

ジェンダーの差異は、どのような症状のちがいとしてあらわれるのだろうか?

今回はそれを見ていこう。

たとえば服装倒錯と呼ばれる嗜好がある。これは男性が女装するというパターンがもっとも多い。注目すべきなのは、一般にこのタイプの服装倒錯者は、同性愛者ではなく異性愛者であるということ。だから彼らの最大の楽しみは、女装した自らを鏡に映して自慰をすることであるという。もちろん女性が男装したっていいわけだが、こちらは一般に、その行為自体からは性的満足は得られないらしい。男装はむしろ、性同一性障害や同性愛などを実践するための手段として二次的に選ばれることが多いという。(111頁)


この場合の倒錯は、フェティシズムとつながっている。

……フェティシズムと呼ばれる嗜好には、ものすごく多様なバリエーションがあるのだが、その愛好家はほとんどが男性だ。……ペドフィリア(小児性愛)……も、ほぼ男性限定だ。(111頁)


知らないひとのために付け加えておくと、
フェティシズムの考察は資本主義の研究へと直結している。

そのほかの症候についてはどうだろうか?

……精神遅滞やADHD(Attention Deficit/Hyperactivity Disorder:注意欠陥・多動性障害)、あるいは自閉性障害などの発達障害は、一般に男子が女子の1.5〜4倍ほど多い。統合失調症にははっきりした性差は認められないが、発症時期でみると、早い事例は男性が、遅い事例では女性が多い傾向がみられる。うつ病や不安障害では、一般に女性が男性の2倍近く多い。いわゆる対人恐怖は男性が女性の2倍ほど存在するいっぽう、摂食障害は女性が男性の約20倍も存在する。また人格障害については、いずれのタイプについても男性のほうがやや多いとされていた。(112頁)


そして何より、最近の問題では、
「ひきこもり」は圧倒的に男性が多く、その8割が男性だという。

 とりわけ女子の場合は、仮にひきこもっていたとしても、しばらくは「家事手伝い」や「花嫁修業」という口実が使える。女子のひきこもり生活に、世間は優しい。(117頁)


それに対して男子の場合はそうはいかない。

 いっぽう男子のひきこもり状態に向けられる視線は、学生でなくなった瞬間から一気にきつくなる。「単なる甘え」「怠けもの」「ごくつぶし」「親の顔が見たい」といった偏見は、当事者にとってすら、まだ完全に過去のものではない。(117頁)


自殺に関してはどうだろうか?

 ……男性に比べて女性のほうが2倍もうつ病になりやすい。しかし自殺率で比較するとき、男性のほうが女性の3倍近くも自殺率が高いのだ。(118頁)


以上が男性の側にもっぱら多いという症候である。

このように性差が明確にあらわれるものもある。

では、女性に多いものにはどのようなものがあるのだろうか?

女性特有のものといえば、真っ先に想起されるのが「摂食障害」だろう。

女性がやせているかどうかを気にするのは、実は男性よりも女性からの視線ゆえである。
たとえば女子病棟で起こる若い患者同士のいろんなトラブルをみていると、同性からの視線がかなり大きな意味を持っていることがわかる。ほかの患者から外見のことを指摘されて険悪になる、というパターンが多いからだ。このタイプのトラブルは、男性患者同士ではほとんど起こらない。(122頁)


ということは、
男性が「あなたはちっとも太っていないよ」と言ってあげても、
ほとんど何の効果もないということになる。

かといって女性が「あなたは太ってないわよ」と言ってあげても、
これまた素直に聞き入れられるわけでもなかろうと思う。

親切な言葉の裏のいじわるな視線を読み取ってしまうからだ。

心身症とは、心の葛藤が身体の症状として表現される病気のことだ。こちらも一部を除いては女性のほうに多い。過換気症候群や過敏性大腸症候群など、いずれも女性に多く、男性に多いのはせいぜい神経性胃炎くらいだ。(113頁)


女性同士は、服装から髪型、化粧、身につけているアクセサリーなどなど、
お互いに隅々までチェックしている。

こういう女性同士の「値踏みする視線」は、
おそらく小学校高学年くらいから女子グループのなかでもうはじまっているはずだ、
と著者は述べている。

もうひとつ女性に圧倒的に多いのが、リストカットだろう。

その8〜9割は女性が占めるという。

ただし、リストカットを自殺願望と見なすのは早計だ。

死にたくてリストカットするとは限らない……。むしろそれは、ストレスの発散や緊張の解放のためになされていることも多いらしい。痛みと出血が、一種独特の解放感をもたらしてくれるのだ。また、主に痛みを通じて、「生」を実感的に確認できるということもある。あるいはまた、自らの周囲の「関係性」に対する、直接間接のアピールをはらんでいることも重要だ。
広く考えるなら、摂食障害も一種の自傷行為と言えなくもない。(126頁)


リストカットのひとを見たとき、
ひとはしばしば「どうせ死ぬ勇気もないくせに」とつぶやいてしまう。

しかしリストカットが解放と結びついた行為であるなら、
こうしたつぶやきはいかにも的はずれということになるだろう。

……「女性特有」の疾患には、次の二つの共通点がある。

・ なんらかの方法で身体にダメージを与えようとすること
・ その行為が多かれ少なかれ他者へのアピールをはらむという意味で、関係性を志向していること

これらは男性特有の問題である「ひきこもり」や「対人恐怖」にはみられない特徴だ。まず第一に、これらには身体性がほとんど関係しない。(126頁)


以上のような男女差は、どうして起きるのだろうか?

著者はそれを「関係する女/所有する男」の原理で説明する。

男性は自分の立ち位置、つまり「立場」を所有していないと、けっして安心できない。これもまた所有原理のひとつの帰結だ。しかし女性は、男性ほど「立場」にこだわらない。女性は「関係」によって自分を支えようとする傾向が強いからだ。(118頁)


つぎに著者の得意分野である「おたく」のジェンダー格差へと話題を進める。

本当は男と女は、かなり異なった性欲のスタイルを持っているのだが、ひとたびその欲望を実現しようとすれば、行動としてはデートやセックス、あるいは制度的には結婚や家庭という形式を利用するしかない。つまり、僕らが性欲を実現するのに際しては、常識や制度といった「不純物」の多大な影響を受けるのだ。(138頁)


ここで著者は、おもしろい問いを立てている。

日本の漫画やアニメ作品において、
「武器を持って戦う美少女」のキャラクターが高い人気を集めるのはなぜか?
という問いだ。

もっとも『エイリアン』や『トゥームレイダー』などのような、
戦う女性が登場するハリウッド作品は多い。

ただしこれらはほとんどがアマゾネス系の成人女性ばかりだ。

日本のアニメ作品にはアマゾネス系はほぼ皆無だろう。

なぜなのだろうか?

僕の結論をごくかいつまんで紹介するならば、このような戦闘美少女たちをもたらしたのは、あきらかにおたくの欲望だ。(141頁)


「おたく」はアマゾネス系ヒロインを欲望してはいない。

そんな彼らの態度は、しばしば現実逃避的とみなされる。だからおたくに対しては「人間として未成熟」「現実と虚構を混同している」「現実に帰れ」などといった、おきまりの批判が浴びせられることになる。(141頁)


だが、こうした非難も的外れであることは言うまでもない。

そもそも、そうした非難を浴びせるひとたちこそ、
「お金」や「国家」や「民族」や「高級ブランド品」といった虚構に没入している。

「男らしさ/女らしさ」といった虚構を何の疑いもなく信じている。

とはいえ、そうしたひとびとと「おたく」にちがいがあることも事実であろう。

著者は「おたく」の特徴をつぎのようにまとめている。

○ 虚構コンテクストに親和性が高い人
○ 二重見当識ならぬ多重見当識を生きる人
○ 愛の対象を「所有」するために、虚構化という手段に訴える人
○ 虚構それ自体に性的対象を見出すことができる人(142頁)


つまり、「虚構の虚構性」それ自体がおたくの好物なのだ、という。

そして「おたく」は「虚構」を性欲の対象とする。

おたくが虚構そのものを性欲の対象にできるという点は、政治的にも重要な意味を持つ。彼らはしばしば、現実の異性関係に恵まれないから虚構のキャラに萌えるほかはないのだと考えられている。しかし実際には、恋人や配偶者がいても、萌えを熱く語るおたくは珍しくない。つまり萌えとは、単なる代償行為ではない。
おたくのセクシュアリティには一種の解離がある。彼らは「現実(日常)のセクシュアリティ」と「虚構のセクシュアリティ」において、別の顔を持っているのだ。(146頁)


「おたく」といえば、あの事件を思い出す。

1989年に起きた幼女連続殺人事件の犯人・宮崎勤の記憶は、いまだ風化していない。宮崎以降、おたくによる深刻な性犯罪はほとんど起きていないにもかかわらず、おたくを性犯罪者予備軍とする偏見もいまだ根強い。(146頁)


世間は、「おたく」は危ない、といまも思っている。

僕が個人的に知り得た範囲でも、真性ペドファイルのおたくはみたことがない。(146頁)


他方、女性にも「おたく」はいる。

彼女たちを「腐女子」と呼ぶ。

「腐女子」の大好物は「女が女のために書く、男同士の恋物語」であり、
「やおい」と呼ばれる有名作品のパロディ、すなわち二次創作に欲情するらしい。

ちなみに「やおい」とは「ヤマなし、オチなし、イミなし」の略である。要するに物語性は一切排除し、どのようなカップリングでホモセクシュアルな関係性を展開するか、それのみが問題とされるのだ。
もっとも近年「やおい」という言葉はかつてほど使われなくなり、「ホモ」や「ボーイズラブ(BL)」などと呼ばれる傾向にあるようだ。(148−149頁)


もっとも、こうした傾向を「日本独特の文化」と見なすのは、安易なことであるという。

ちなみに「やおい」というジャンルは日本独自のものではない。これはもともと、欧米におけるファンフィクション(原作のファンによる二次創作)の一ジャンルである「スラッシュ・フィクション」にあたる。スター・トレック人気から発生したこのジャンルは、カーク船長とミスター・スポックの恋愛関係を描くなど、やはりホモセクシュアルな関係性にこだわる。(149頁)


では、女性たちは何に欲望をかきたてられているのだろうか?

ここで著者は、腐女子の「位相萌え」という特徴を指摘している。

「位相」とはすなわち、関係性の位相を指している。ある少年もの漫画作品において、男同士の友情や確執といった関係が描かれるとしよう。彼女たちが熱く注目するのは、まさにこの関係性なのである。そこに描かれた微妙なしぐさ、視線、せりふ等々の断片から、こうした関係性をいかに恋愛、すなわちホモセクシュアルな関係性の位相に変換するか。これこそが「やおい」における普遍的テーマにほかならない。(151−152頁)


映画『タイタニック』で描かれた身分差を超えた恋愛に魅了されたのは、
もっぱら女性たちであった。

ちなみに、『タイタニック』についてはさらにおぞましい欲望が隠されており、
その問題は本書のテーマを超えて追究しなければいけないものである。

男性おたくの欲望はわかりやすい。

……要するに美少女キャラクター、すなわち「萌えキャラ」単体のビジュアルが、すべての基本にあると言っても過言ではない。(152頁)


その基本構造はフェティシズムである。

戦闘美少女という欲望の対象は、ほぼ完壁な虚構内存在にほかならない。つまりそんなキャラは現実には存在しない。しかしここでは、まさに「現実には存在しない」という点こそが重要なのだ。……
精神分析によれば、これぞまさしく理想的な欲望の対象ということになる。(153頁)


ここからあらためて男性の欲望のありかたが見えてくる。

 そう、男性のセクシュアリティは、徹底して視覚に依存している。ポルノグラフィーが必要とされるのはこのためだ。いっぽう女性のセクシュアリティは、男性ほど視覚に依存していない。ある女性誌がフェミニズム的な意図を持って男性ヌードを掲載したところ、購入したのは女性ではなくゲイの人々だったというエピソードがあるほどだ。
男性にとって「視ること」は、性行為の一部ですらある。この点も女性とは対照的だ。行為に際して、どちらが照明を消したがるかを考えればわかるだろう。(154頁)


男性は「視る」存在である。

アニメ美少女のいわゆる「萌え要素」の多くが、身体の各部位に加えて、触角、猫耳、眼鏡、鈴、メイド服、しっぽなどといった、端的な視覚的要素であるのはこのためだ。(154頁)


そうすると、どうして「腐女子」は、
「男性同士の同性愛」にもっぱら欲情するのか、という疑問が生じる。

「位相差」は女性同士でもかまわないのではないか、と。

だが著者はここで簡潔な答えを用意する。

それは、男性にのみ「ペニス」があるからだ、という。

「腐女子」にとって決定的に重要なのは、
たんなる「位相差」だけでなく「攻×受」のカップリング形式なのだという。

「攻×受」という関係性の享楽なら、なにも「腐女子」に固有の欲望ではあるまい。

ゆえに「腐女子」の妄想は決して異常なものではない。

彼女たちがひたすら追い求めているのは「ジェンダーの本質」にほかならない、
と著者は言う。











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