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zoom RSS 斎藤貴男『ルポ改憲潮流』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2010/03/11 03:14   >>

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ジャーナリスト斎藤貴男の本を読むと、いつも悪寒に襲われる。

日本のファッショ化が着実に進んでいることを実感させられるからだ。

著者ははじめに「横浜事件」に言及する。

過去の非道、罪責に向き合おうとすることさえ、この国の権力は拒否してしまっている。「横浜事件」がいい例だ。戦時中の治安維持法下で多数の言論・出版人が投獄され、大勢の獄死者も出た一大思想弾圧事件のことである。終戦直後の混乱の中で有罪が確定した5人の元被告(すべて故人)の再審公判が2006年2月9日に横浜地裁で開かれて、あろうことか松尾昭一裁判長は「免訴」だけを言い渡した。有罪か無罪かの判断そのものを避けたのだ。
 元被告たちは特高警察官の拷問で“自白”させられた。戦後になって起訴され、実刑判決を言い渡された警察官らは、サンフランシスコ講和の特赦で1日も下獄しなかった。そして1986年から20年間、3次にわたる請求の末に実現した再審で、死者に対してさえここまでの仕打ちを返してくる権力のおぞましさは、どれほど強調してもしすぎることがない。(v頁)


この国では、政治家の堕落もひどいが、司法の腐敗もひどい。

このような国は、過去の過ちを必ず繰り返す。

日本では、体感治安の悪化を口実にした防犯パトロールの強化が進められている。

しかもここでは「官民一体」となった防犯・監視体制が構築されている。

驚くべき資料がある。

この種の自警団あるいは防犯ボランティア組織が、警察庁のまとめによると、2005年12月末現在で全国に1万9515団体を把握されている。(6頁)


なんだ、この数は!?

いずれも地域共同体と、警察や自治体との強力な連携の下で成立している。全体の半数以上が町内会や自治会を母体とする。「警察との合同活動を実施している」団体は8924で全体の45.7%、「警察による研修を受けている」のが6400団体で32.8%。2004年12月には、防犯パトロール団体の車両に回転灯(青色)を装備することまで法的に認められた。(7頁)


この国のひとたちは、そんなに密告社会を作りたいのか?

監獄国家を作りたいのか?

不安を高めた社会は、必ず不安の矛先を弱者へと向けようとする。

 社会的な差別や貧困を取り除く努力を伴わない抑圧的な対処療法が、新たな差別や貧困を呼び、さらなる犯罪を招きかねない。実際、現代の日本人が治安対策の手本としてやまないアメリカでは、その結果、「ヘイト・クライム」が蔓延してしまっている。(12頁)


外国人や有色人種に対する暴力が差別的な憎悪から行使される犯罪。

それがヘイト・クライムだ。

日本の近代史上にも、恥ずべきヘイト・クライムの過去がある。

1923(大正12)年9月1日午前11時58分に関東地方南部を襲ったマグニチュード7.9の巨大地震。すなわち関東大震災による混乱の中、各地の自警団によって、移しい数の在日朝鮮人が虐殺された。(16頁)


ふつうの一般市民が在日朝鮮人を虐殺したのだ。

自警団は疑わしい通行人に「パピプペポ」「15円55銭」などと発音させ、訛った者を殺したので、日本人や中国人の犠牲者も少なくなかった。いずれにせよ正確な人数はわからない。(16頁)


歴史的事実は、「日本人が朝鮮人を殺した」である。

ところが、差別は歴史を闇に葬り、逆転した心理を生み出す。

石原慎太郎の「三国人」発言だ。

この本来刑務所にいるべき男は、いまも東京都知事である。

大虐殺の背景には、国民生活の困窮と、民衆の不満があった。国挙げて近代資本主義国家への脱皮が急がれ、産業の振興、資本の蓄積を阻害し得る要因はことごとく切り捨てられていく。米騒動が相次いでも、政府は問題の根本的な解決を図ろうとはせず、弾圧や言論統制ばかりが徹底されていた。(17頁)


現在の日本はどうか?

ヘイト・クライムはアメリカで起きていることであって、日本にはないって?

ご冗談を。

格差の拡大、生活や雇用の不安。

民衆の不満は高まっている。

そして、その不満は在日コリアンに再び向けられている。

 朝鮮民族に対するヘイト・クライムも繰り返されている。殊に拉致事件が明るみに出てからは、チマチョゴリで民族学校に通う女生徒たちが殴られたり、石を投げつけられたりする事件が後を絶たない。(18頁)


閣僚のひとりが、高校無償化の対象から朝鮮学校を外せと求めたが、
これもヘイト・クライム以外の何ものでもない。

日本人はまた同じ過ちを繰り返そうとしている。

武力攻撃事態法や米軍行動円滑化法、改正自衛隊法などの有事法制が次々に国会を通過し、施行されていったのは、2003年から2004年にかけてのことである。このうち「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(国民保護法)は、政府機関や自治体、指定協力機関とされた民間企業は国の方針に基づく具体的な計画を策定して、そのための訓練への参加を住民に要請できると定めている。この際、自警団をはじめとする自主的な防犯・防災組織の活用を求める条文も盛り込まれていた(第4条第3項)。(19頁)


かつて戦争へと突き進んだ日本は、おそらくこのような道のりを辿っていったのだろう。

そう、われわれはいま戦前の日本をいわば追体験しているのである。

「非国民」のあぶり出しのための監視体制を強化したら、
あとは言論弾圧である。

まさか日本に言論の自由があると思い込んでいるおめでたいひとはいないと思うが、
実際に数々の言論弾圧が現在の日本で行なわれている。

 2003年4月、東京・西荻窪の公園の公衆便所に、ラッカースプレーで「戦争反対」「反戦」「スペクタクル社会」と落書きをした24歳(当時)の男性が現行犯逮捕されている。イラクに侵攻した米軍が首都バグダッドを陥落し、日本でも現地に自衛隊を派遣しようとの機運が高まり始めた時期だった。彼はそのまま44日間にわたって勾留され、建造物損壊容疑で起訴されて、2006年1月、最高裁で懲役1年2カ月、執行猶予3年の一審判決が確定した。
 差別目的でない落書きには軽犯罪法違反(30日未満の拘留または1万円未満の科料)が適用されるのが通例だ。異例づくめの処分は戦時中の特高警察を連想させるが、当時は皇室や軍部に批判的な落書きであっても、「厳重訓戒」で済まされた事例が少なくなかったとする文献もある。(24頁)


わたしたちにはおなじみの事例だが、次も見ておこう。

 自衛隊のイラク派遣が実行に移された2004年2月には、東京・立川の防衛庁官舎で反戦ビラを配布していた市民グループの3人が住居侵入容疑で逮捕・起訴された。同年末に東京地裁八王子支部で無罪判決が言い渡されると、1週間後には東京・葛飾区のマンションで共産党のチラシを配布していた男性がやはり住居侵入容疑で捕まった。前後して、金沢市で反戦平和を訴える市民運動「九条の会・石川ネット」を立ち上げようとしていた男性(当時34)も逮捕されたが、その容疑は免状不実記載および同行使。実家に置いたままの住民票で取得、更新した運転免許証でレンタカーを借りたというものだった。(24頁)


まだまだある。

 2005年には都立高校の卒業式での君が代斉唱の強制に反対するビラを配布していた東京の市民グループや、神奈川県大和市のマンションの外階段から眼前の米軍厚木基地を“ウォッチング”していた反基地団体のメンバー、沖縄の米軍嘉手納基地のゲート前でビラを撒いた僧侶らが次々に逮捕されていった。早稲田大学や法政大学、大阪経済大学などでも、反戦運動に関わる学生たちが相次いで投獄され、あるいは退学処分を受けている。立川の事件も同年12月、東京高裁によって一審の無罪は破棄され、有罪判決が言い渡されてしまった。(24−25頁)


これを言論弾圧だと思えないひとがもしいたとしたら、
そのひとは「言論の自由」「表現の自由」が何であるかをまったく知らないのだ。

そういうひとにとっては、
戦前や戦時中でさえ「言論の自由」はあった、ということになろう。

公安刑事による取り調べでは、こんな言葉が投げつけられたという。

「反戦なんて古いんや」

「俺の顔をよう覚えとけよ。何度でも挙げたるからな」

「早く真っ当な道に戻れやコラ」(25頁)


この刑事によれば、「真っ当な道」とは、
戦争に反対せず、政府の言いなりになる生き方のことであるようだ。

東京都は2005年4月に有識者を集めた「公共空間において多数の者を不快にさせる行為の防止に関する検討会」(座長=前田雅英・首都大学東京教授)を設置。これまでの討議では、「電車内で携帯電話を利用する行為」をはじめ、「駅のホームで傘をゴルフのクラブに見立ててパターの練習をする行為」「女子高生が人前で化粧をする行為」などが、近い将来の取り締まり対象になり得る事例として取り上げられている。(32頁)


このようなことを真剣に議論しているのかと思うと笑ってしまうが、
権力がずるずると介入してくる空間が増えてくるとなると笑ってもいられない。

行政が規制するようなことだろうか?

次に取り上げるのは、著名な「改憲論者」の小林節へのインタビューだ。

小林は慶応大学の憲法学者で、ゴリゴリの改憲論者として知られている。

慶応大生には「こばせつ」の名で知られているだろう。

その彼が、いまや改憲反対を主張するようになっている。

そこで斎藤貴男は彼にインタビューを行なった。

なぜ小林節は変わったのだろうか?

 「小泉政治の倣慢さと軽さに耐えられなくなりました。人間は言葉で縛られるからこそ崇高な存在たり得るのに、彼ときたら犬や猫や猿や豚と同じような世界で政治をやっているように見える。言葉を、法律というものを、徹底的に軽視している。批判されても、「オレが権力なんだ、お前らは四の五の言わずに拍手してついてくればいいんだ」という、そういう反応でしょう。
 今の憲法の下でさえこうなのですから、改正された憲法を彼らがどう乗り回すのかが怖い。われわれは自民+公明王朝や小泉純一郎国王に国を委ねたわけじゃないんです」(42頁)


ちなみに、「こばせつ」が耐えられなくなったという小泉純一郎も、
同じ慶応大学の出身である。

「……私は森派の夏の軽井沢研修会に招かれて、憲法のフルコースをお教えしたこともあります。小泉さんもいましたよ。でも、いったいあれは何だったのか。いや、小泉さんだけじゃない。私にはこの流れで、第一自民党と第二自民党(民主党)とによって憲法改正案ができあがり、そこに公明党がついてくるという構図が見えたのです。今、この曲がり角を見過ごして、彼らに国を委ねてしまい、後になって文句を言ってもね。言えているうちはまだよいけれども」(43−44頁)


小林節が変わったのは興味深いが、まだまだ彼の認識は甘すぎる。

もうひとり別の憲法学者も取り上げておこう。

浦部法穂・名古屋大学教授だ。

彼は、衆参両院の憲法調査会にも参考人として招かれている。

 「憲法というのは権力を縛るものなのだという発想をまったく持ち合わせていない議員が少なくない現実に、唖然としました。考え方の以前に、知識そのものがない。憲法の本質を何もわかっていないのです。国会議員は国民に託されて権力を行使しているのだという意識がまるで感じられない。自分たちが国民を支配するのだという発想しかないように思われてなりません。まじめな話、国会議員の立候補者たちには憲法の試験を受けさせないといかん、と思います。
 彼らは変な自信を持ってしまっている。実際、特にここ数年、法律を作る時でも、憲法違反かどうかなど、まるで顧みられていない。要するに憲法も法律も何もわかっていない連中が、やりたい放題にやっている。そんな時代に入ってしまったということです」(52頁)


権力を握る連中に「憲法」の理解が欠如しているのは、驚愕すべきことである。

それが国民のレベルを反映していると言ってしまえばそれまでだが。

わたしがとくに嫌悪しているのは、
自民党の世襲議員たちや松下政経塾出身の政治家たちだ。

だが、著者はさらに怖ろしい「血脈」を指摘する。

戦前戦中に国民の言論や思想を徹底的に弾圧し、「はじめに」で触れた横浜事件を引き起こしたり、プロレタリア小説『蟹工船』を書いた小林多喜二を拷問で殺した特高警察(特別高等警察)官たちの血脈が、21世紀に至ってまでも、そのまま権力中枢に温存されている現実が、広く一般に周知されておかれるべきだろう。
 町村信孝・前外相、保岡興治・元法相、奥野信亮・自民党組織本部組織局次長、古屋圭司・元自民党改革実行本部本部長代理、高村正彦・元外相……。政治家たちだけではない。中央省庁の高級官僚、地方議員、各地の教育委員会など、ありとあらゆる権力機構に、今なお、特高警察は根を下ろし続けているのだ(柳河瀬精『告発戦後の特高官僚』機関紙出版、2005年)。(64頁)


上に出てきた保岡興治は、自民党憲法調査会会長だった人物である。

彼は次のように述べている。

 「われわれの国は米英のように、最後は武力で解決しようという国柄ではない。話し合いの文化です。和を以て貴しと為す。日本の価値体系を示すような、そんな憲法を作りたい」(147頁)


わたしにはこれはつまらぬギャグにしか聞こえないが、
どうやら政治家の世界ではそうではないらしい。

日本は武力で解決しようという国柄ではないって?

どの口がそう言わせるのか?

もう彼らにとっては日本の近代史さえ忘れ去られてしまっているようだ。

「和を以て貴しと為す」?

人権思想も立憲思想も近代の諸価値も捨てて、千数百年前に戻ろうと?

「話し合いの文化」だと言いながら「国防軍」を設置し集団的自衛権も認めると?

こんな連中を当選させているのはいったいどこの有権者のだろうか?

さて、ここで再び小林節のインタビューに戻る。

 「自民党の二世、三世たちというのは、1億3000万人の国民が残るなら、3000人の部隊の消耗は必要コストのうちだという、こういう感覚があるんだよ。間違って侵略戦争をする方が、侵略されて滅びるよりはいい、とかね。どこまでも自分は死なない、ゲーム感覚なんですね。私自身は金持ちの子でも何でもないのに、一緒になって言っていたわけだから、よくわかる。
 私も、しかし、年を取ってわかってきたんです。人間の命の重みをね。20歳になった娘のことなどを考えると、自分や自分の肉親が、あの砂漠で戦車に殲滅されて、生き埋めになったり火炎放射器で焼かれたりしたら、と。一つの命は一つの歴史なんだって。大学は教授にならないと人閉じゃないところ。娘が生まれた頃、幼い頃の私は、そのための条件作りに明け暮れていて、わからなかったんですよ」(65頁)


ここでわたしはある人物を思い出した。

以前、新自由主義の立場から構造改革の旗振り役として活躍した人物。

そうだ、中谷巌である。

彼は昨年、「懺悔」を表明して話題になった。

新自由主義・構造改革は間違っていた、と。

多くのひとたちは「ふざけるな」と怒っただろう。

「何をいまさら」と呆れただろう。

小林節の変化は、中谷巌とダブる。

斎藤貴男も思わず次のように問うている。

――失礼なことを伺います。気づかれるのが遅くなかったですか?(65頁)


その軽い軽い小泉純一郎は、首相在任中、靖国神社を参拝しつづけた。

 中国では唐家璇国務委員(前外相)が「小泉首相にはもう期待しない」と述べ、さらには現職の李肇星外相が「第二次大戦後、ヒトラーやナチス崇拝を表明したドイツの指導者はいない。ドイツ当局も、「どうしてこのような愚かで不道徳なことができるのかわからない」と言っていた」と発言した。(70頁)


どうしてこのような「不道徳」なことができるのか、
たしかにわたしにも理解することはできない。

そして、なぜ日本国民が靖国参拝に怒らないのかも、もっと分からない。

もはや日本人に「道徳」を語る資格は微塵もない。

 ……「重慶大爆撃」の被害者遺族ら40人が2006年3月30日、日本政府に艦砲への謝罪文掲載と合計4億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。ところが大きく報じたマスコミは『東京新聞』のみ。(221頁)


日本のメディアはすでに総右傾化している、と言ってよいだろう。

斎藤貴男のこの本も、日本の暗い現状を直視するのに必読だ。

ここに引用したこと以外にも、おぞましい話がたくさん出てくる。










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