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zoom RSS 星川淳『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』(幻冬舎新書)@

<<   作成日時 : 2010/03/02 11:45   >>

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出張で数日間、東京から離れていました。

いただいたコメントには、時間を見て、お答えしていこうと思っています。

というわけで、記事を本日から再開したいと思います。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


著者は、環境保護NGO「グリーン・ピース・ジャパン」の事務局長。

なかなかの良書だったのだが、
Amazon.co.jpのレビューを覗くとそこではすこぶる評判がわるい。

なぜなのだろうか?

捕鯨賛成派にはおもしろくないことがたくさん書かれているからだろう。

彼らは自分たちの見たいものしか見ようとしない。

見たくないものを見てしまったら、感情的に拒絶する。

これを「否認」と呼ぶ。

ネット右翼たちに顕著なメンタリティである。

そういう意味からも、
わたしはこの本を多くのひとびとに強くおすすめしたい。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


なぜ捕鯨をめぐって日本と国際社会は対立してしまうのだろうか?

このことを考えるにあたり、著者は「視点のちがい」を指摘している。

日本で捕鯨問題を管轄するのは、農林水産省の外局である水産庁だ。

彼らは捕鯨問題を「漁業資源の問題」としてしか扱おうとしない。

ところが世界では、20世紀後半からクジラを貴重な野生動物として、自然環境保護の視点でとらえる見方が優勢になった。(16頁)


なるほど。

クジラが「捕獲の対象」→「保護の対象」に大きく変わってきたのである。

ところが日本人はいまだにクジラを漁業資源と見なしている。

 クジラを水産資源としてのみ扱い続けるか、地球に残された野生動物のシンボルとしてとらえるかが、捕鯨論争の分かれ目になり、決定的な議論のすれちがいを生んでいる。どちらが正しいともいえない。けれども、まったく視点がちがうことを認めないかぎり、歩み寄りや解決の道筋は見つからないだろう。(17頁)


しかし、世界のひとたちの見方は大きく変化してきた。

水産資源を無限に捕り尽くすそれまでの漁業のあり方を反省してきた。

人類が大型鯨類を次々と絶滅寸前に追い込んだすえ、国連人間環境会議が商業捕鯨の10年間中止を求めたのが1972年、それを受けてIWCが商業捕鯨のモラトリアム(一時中止)を決議したのが1982年、南極海をクジラのサンクチュアリ(永久保護区)と定めたのが1994年――。(20頁)


これで分かるだろう。

日本の捕鯨船が南極海まで出かけて行ってクジラを捕る行為は、
サンクチュアリ(永久保護区)への重大な侵害行為なのである。

国際社会が怒るのも当たり前なのである。

それでもまだ国際社会からの顰蹙が理解できないひとは、
正確な比喩ではないが、つぎの光景を想像してみたらよかろう。

もし日本の近海で、アジアのどこかの国が「調査」と称して、
貴重なジュゴンなどをごっそりと捕獲しつづけたらどう思うだろうか?

どんなに愚鈍な日本人でも、
ジュゴンが絶滅危惧種であることは知っているだろう。

そのジュゴンを「調査」という、いかにもわざとらしい口実で、
ごっそりと捕獲しつづけていたら、日本人はどう思うだろうか?

人間が一定の条件つきで森を伐らずに守ることや、ある種のクジラを捕獲せずに保護することを学んだ以上、国際社会が永久的な保護区と定めた場所では伐採や捕鯨を控えるマナーが必要だろう。そのマナーを守らなければ、いくら自前の正論をふりかざしても、ブッシュ政権の単独行動主義と同様、白い目で見られる。(21頁)


日本の行為は前のブッシュ政権と同じように見えるわけだ。

なるほど。

ブッシュ政権の単独行動主義(ユニラテラリズム)を、
多くの日本人は厳しく批判していたのではなかったか?

公海上だから何をしてもいいのだといった傲慢な日本の態度が、
ほかの国々にこれから深刻な影響を及ぼす可能性がある。

日本のマネをする国が続々と出てきてしまうかもしれないからだ。

このことを日本人はまるで考えていないのではないか?

日本が傲慢な行為を繰り返せば、
中国やロシアや北朝鮮が公海上で傲慢なふるまいを行なったとしても、
もう非難することができなくなってしまうのである。

どうせ日本のネット右翼どもは、
自分たちの主張をすっかり忘れて、他国のことは平然と非難するのだろうが。

自国の領海でもないところへ行ってごっそりとクジラを捕ってくる。

これでは、諸外国のひとびとが怒るのもムリはない。

捕鯨問題で国際社会を挑発しつづける日本の姿は、
内向きで、自己中心的で、どうしようもないほどに幼稚である。

本書でも、「捕鯨は日本の伝統文化だ」という主張を批判している。

 捕鯨砲を使って銛をクジラに撃ち込む捕鯨方法を「ノルウェー式」と呼ぶ。現在行なわれている大型のクジラを対象にした近代的な捕鯨は、すべてノルウェー式だ。(46頁)


ノルウェー式というのだから、日本の伝統文化ではない。

また、日本のなかにも捕鯨に反対していた漁民がいたことも、
世のなかではあまり取り上げられないのではないだろうか?

地域漁民のあいだからあいついで激しい捕鯨反対運動が起こった、という。

とりわけ鮫村〔青森県三戸郡〕では、一説に1000人もの漁民が捕鯨会社の事業所に焼き打ちをかけて、漁民の死者2人、会社側と警察も合わせて重軽傷者多数という犠牲者を出した(1911年)。(48−49頁)


焼き打ちをかけたという漁民は、捕鯨そのものに反対していたのではない。

近代捕鯨がクジラを大量に捕獲してしまうことに強く抗議していたのである。

 いわゆる「南氷洋捕鯨」は1905年、ノルウェーによって開始された。日本の参入は、それから30年近くたった1934年になる。(49頁)


ここで著者はおもしろいことを指摘している。

日本人にとって捕鯨がどのようなものだったかを知るのに、よい資料である。

当時、大型捕鯨に乗り出した日本の新聞記事にどのようなことが書かれていたか?

「南海に轟く“捕鯨日本”の凱歌」

「南氷洋の捕鯨戦、日本の独壇場」(1939年)

「捕鯨の勝どき」(1940年)


こうした威勢のいい見出しが当時の新聞に躍ったというのだ。

後発の帝国主義国(日本)は、世界に追いつけ、追い越せ、とばかりに、
南極海にまで行って捕鯨を行なうようになったのだった。

IWC加盟までの5年間で捕獲頭数が世界第3位に浮上した日本では、新聞の見出しに「張り切る南氷洋捕鯨、目指すは第1位」や「捕鯨オリンピック」の言葉が登場する……。(54頁)


日本にとって捕鯨は、たんなる食糧確保ではなく、
欧米諸国に国力を示すための行為だったのである。

やがて敗戦を迎えた日本は、どういうキッカケで捕鯨を再開するのだろうか?

日本の戦後捕鯨が、米国のダグラス・マッカーサー元帥率いる連合軍総司令部(GHQ)のおかげで再開したことは、案外知られていない。憲法さえ「アメリカの押しつけ」を嫌う人たちは、どんな気持ちでこの事実を受けとめるものか。(51頁)


おお、これは何ということだろうか。

捕鯨はアメリカのおかげで再開されたのだった。

いわば「押しつけ捕鯨」!

こうして戦後の食糧難の時代、クジラは貴重なタンパク源となった。

この年(1947年)に日本人が口にした肉類の40パーセントが南極海産の鯨肉だったというから、ありがたみはひとしおだ(店頭価格を見ても、1948年に鯨肉は豚肉の約6分の1)。(53頁)


しかしそれも数十年前の話。

いまでは鯨肉を好んで日常的に食べるひとはほとんどいない。

しかも世界各国が乱獲したせいで、クジラの生息数が激減してしまった。

1972年にストックホルムの国連人間環境会議では、
「10年間の捕鯨中止」(モラトリアム)勧告が採択された。

1994年には南極海サンクチュアリ指定。

多くの国は捕鯨から撤退した。

……IWCに加盟せず、前近代的な沿岸捕鯨を細々と続ける国や、IWCの「原住民生存捕鯨」枠で認められた沿岸捕鯨を行なう民族を除けば、近代捕鯨を続行するのは、自国の沿岸で家族単位の小型船による基地式商業捕鯨を行なうノルウェーと、同じく小規模な沿岸商業捕鯨を断行するアイスランド、そして毎年のIWC会議で派手な立ち回りを演じつつ、南極海と北西太平洋と日本沿岸で合計千数百頭の大規模な“調査捕鯨”を行なう日本だけというのが現状だ。(55頁)


南極海にまで行って捕鯨を強行しているのは、日本だけだ。

せっかく世界一の捕鯨国になったのに、
気づけば世界は捕鯨禁止にまわってしまった。

日本人のつまらぬ自尊心が傷つけられたというわけだ。

ちょうど、本当のオリンピックで日本人選手が金メダルをとったと思ったら、
翌年から国際連盟がルールを変更してしまったために、
多くの日本人が「欧米諸国はずるい」と感じるのに似ている。

だが、スポーツと捕鯨は違う。

クジラをたくさん捕れば世界の一等国になれるという時代は、終わった。

有害廃棄物を垂れ流すのが世界の一等国だとは、もう誰も言わない。

それと同じように、自然界の生物を大量に捕獲するのが先進国だとも、
もうほとんど誰も言わないはずである。

時代に取り残された日本人の捕鯨賛成派。

世界からも取り残された日本人の捕鯨賛成派。

国際社会が取り決めたサンクチュアリ(鯨類の永久保護区)へ一国だけ乗り込んで、絶滅危惧種を含む年間1000頭近くのクジラを殺し、商業捕鯨とまったく同じやり方で冷凍箱詰めにして国内市場へ流すのが“科学調査”だとは、だれも信じていない(おそらく水産庁の役人自身も)。(5頁)


純粋な「調査捕鯨」だとは、日本人でさえ信じていないはずである。

信じてもいないくせに、その行為を擁護してしまう。

この矛盾にまみれたメンタリティは一体何なのだろうか?

そう思わずにはいられない。










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星川淳『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』(幻冬舎新書)@ フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
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