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zoom RSS 鬼頭秀一/福永真弓[編]『環境倫理学』(東京大学出版会)A

<<   作成日時 : 2010/02/05 14:14   >>

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人間はこれまでさまざまな目的のために動物の生命を奪ってきた。

数々の種を絶滅に追いやってきた。

そこで、二項対立が生じる。

動物の生命を守るべきだという主張と、
人間が生きるためなら動物の生命を奪ってもかまわないという主張。

食料生産のあり方から見てみよう。


◆生命・殺生(白水士郎)

広大な牧草地で草を食む牛たち。

そんなのどかな光景は、ごく一部でしか見られないものである。

実際は、牛に与えられるのは穀物飼料である。

……牧草(粗放飼料)はむしろ脇役で、効率よく太らせるためにトウモロコシや大豆、小麦、大麦などの穀物を主成分とした「配合飼料」(濃厚飼料)が、出荷される前の数カ月間はとりわけ大量に与えられている。ウシが本来欲するのとは異なるこの高栄養な餌の大量摂取によって消化器疾患などを発病するウシも多いというが、人類にとってなにより問題なのは、世界の飢餓人口が10億人を突破したとも報じられる一方で、人間が直接食べることができるこれらの貴重な穀物が、ウシを介することで膨大に浪費されてしまっているということだ。計算によれば牛肉1kgを生産する過程で、7‐10kgの穀物が飼料として与えられているという……。私たちは500円もしない牛丼やハンバーガーをぜいたく品とは思わないかもしれないが、そこで口にする肉の7倍から10倍の穀物を実質的に同時に消費していることを知れば少し考えが変わるかもしれない。(51頁)


なんと世界の全穀物生産のうち、
そうした家畜飼料の占める割合は約4割にも達するという。

面積でいうとどうなるだろうか?

今日おそらく十数億頭存在する飼育牛のために主として開かれた牧草地は、地球の全地表の約3割を占め、飼料栽培のための耕地も含めると農地全体の約7割を食肉全般の生産が占めているという……。(51頁)


そのために広大な土地が開発され森林が伐採されていることは言うまでもない。

せめて先進国の人々だけでも肥満と成人病の原因にもなっている牛肉の大量消費を断念すれば、数億人の食料を確保することが可能になるだけでなく(シンガー、1988)、各家庭の医療負担と税金による厚生予算も大きく節約することができるだろう。(51頁)


ここでおそらく大半のひとたちが思考停止に追い込まれる。

自分たちの現在の生活を劇的に変えるつもりはないからだ。

もしそうであるなら、
そのひとたちは自己の「悪」を認め、「罪人」として生きる覚悟があるのだろうか?

途上国からの厳しい批判にどう向き合うのか?

家畜の大量生産は、大量の穀物生産を必要とするだけではない。

 ウシのゲップに含まれるメタンガスが温暖化を促進する……。……結果として温室効果ガス排出量全体で家畜の占める割合は18%(二酸化炭素換算)にもなり、これは自動車を上回るという……。(52頁)


こうなってくると、人間自身も大いに困ってしまうだろう。

温暖化などによる被害が人間自身に返ってくるからだ。

ところが、問題は温暖化だけではない。

……ウシ1kgのタンパク質生産に必要な水は約16000トンにおよび、……牛丼1杯のヴァーチャルウォーターは1600リットル、平均的なバスタブの水9杯に相当するとも指摘されている。(52頁)


ということは、日本人は世界の貴重な水を大量消費していることになる。

近年よく用いられる「エコロジカル・フットプリント」(1人あたりの食料生産や活動一般、その廃棄物の処理や浄化などに必要な土地面積)の指標では、日本人1人で4.3haの土地に依存しており、これは世界中の人間が同じ水準の生活を送ると地球2.4個が必要になる数字という(……ちなみにアメリカ人で計算すると地球5.3個が必要になる)。(53頁)


大変である。

日本人はしばしば、
消極的な環境対策しか行なわないアメリカや中国を批判するが、
日本人は相当に独善的な暮らしをしているということになる。

日本では「ひとに迷惑をかけてはいけない」というモラルがとても強力だが、
日本人の生活が「世界中に迷惑をかけている」事実をどう受け止めるのか?

環境倫理について考えていくと、
わたしたちの周りにいるごくふつうの「親切なひと」「善人」「良識ある市民」は、
じつは「無責任な悪人」であることに気づいてしまう。

さて、牛のつぎは、鶏を見てみよう。

肉用鶏(ブロイラー)の場合は、ときには1万羽を超える数がひとつの鶏舎に押し込められ、成鳥1羽あたりでB5判より小さいスペースしか与えられない。(55頁)


そこでは、くちばしの切除(デビーキング)が行なわれているという。

何のために?

これは生後1、2週のヒヨコのくちばしの先を、つぎつぎと熱した金属でギロチンのように切断していく作業である。(55頁)


くちばしとはいえ、ヒヨコは激しい痛みを感じているとも推測されているらしい。

密集した空間で飼育されれば、感染症リスクも増大する。

……しばしば餌のなかに抗生物質が投与されるが、それは間接的に私たちの口に入り、あるいは河川や地下水に流れ込む 。(55頁)


養豚業においても、同じようなことが行なわれている。

尻尾の切除(けんかでおたがいに噛みつく部位をあらかじめ取る)やオス子ブタの性器切除(肉質をよくすると考えられている)など……。(55頁)


こうしたなかで、人間以外の生命も尊重していこうという考え方が多様化している。

卵や牛乳も含めた一切の動物由来の食物をとらない完全菜食主義者[ビーガン]。

魚食だけは許容するというベジタリアンの立場[ペスコ・ベジタリアン]。

……植物の生にも本源的な価値を認める生命中心主義派(樹齢2000年の古木は配慮の対象ではないのか)、……個々の生物ではなく生態系全体こそ優先する価値を持つと主張する生態系中心主義派(シカ個体の生命よりも彼らによって食い荒らされる森林を中心とした生態系全体のほうに優先する価値があるのではないか)……。(58頁)


これまでのような乱暴な自然開発・自然破壊を反省するとしたら、
(当然のことながら反省しなければならないわけだが)
みなさんはどのような思想を持つのだろうか?


◆「外来対在来」を問う(立澤史郎)

外来生物による固有種や希少種の駆逐が問題になっている。

本来日本にいないはずの生物が日本に棲みつき、
日本の生態系を破壊しているというニュースがときどき報じられる。

そこで外来種の駆除が行なわれることになるわけだが、
しかし素朴な疑問がわいてくる。

なぜ自然移入はよくて人為移入はだめなのか。なぜ外来種が加わっても生物多様性が増すことにはならないのだろうか。(112頁)


ここで、「英国のヌートリア根絶事業」を紹介しよう。

 ヌートリアは、本来南米の沼沢地に生息する半水生の齧歯類で、高質な毛皮がとれ、しかも植食性で飼育が容易であるため世界各地に導入され、湿地の生態系を大きく改変してきた。英国には1929年に持ち込まれ、……野生化と分布拡大が進み、1950年代に被害が激増した……。低湿地帯である同地方では、自然植生や農作物への直接的な採食以上に、巣穴を掘ることによる農地の壊滅や洪水が問題となった。(114頁)


困ったことになった。

古館伊知郎なら「もとはといえば人間の欲というものが」とか何とか言うのだろうが、
それでは済まないので何とかしなければいけなくなる。

けれども、そこでただちに「徹底駆除」が決定されたわけではない。

継続的制御と根絶のどちらが適切であるかを検討したという。

その結果、根絶が経済的であるとの判断が下され、根絶が決まった。

 こうして、11年と250万ポンド(約5億円)をかけ……、34800頭を捕獲して、英国のヌートリアは根絶された。(114頁)


自然保護対策は、じつはコストの視点から検討されていたのである。

実際、根絶した方がかえってコストがかかるとなれば、別の方法が採用される。

そういうケースがある。

肉食性のミンクは……すでに各地に分散し、捕獲コストが経済効果に勝ると判断されたため、ミンク根絶計画は採用されなかったのである。(116頁)


ニュージーランドの次の話も興味深い。

「キーウイは?」「Gooood!」「ではポッサム?」「Baaaaad!!」……。……ニュージーランドの小学校の授業風景だ。同国の特異な生物相の象徴であり、自国人の愛称でもある飛べない烏キーウイは、最優先で保護される固有種である。一方、ポッサム(フクロギツネ)は、隣国オーストラリアでは固有種で保護されているが、経済動物として持ち込まれ野生化したニュージーランドでは外来種である。しかも、競争相手のいない環境で爆発的に増えて森林を枯らし、希少鳥類、とりわけキーウイの卵や雛を食べ、さらに牛結核を広めるため、侵略的外来種の代名詞として国中の子どもたちを敵に回す悪玉(ブラックハット)ぶりである。(116頁)


在来種を駆逐してしまう外来種は、悪役である。

外敵の駆除。

思わぬところにナショナリズムが出現している。

では、ニュージーランドではどうやって在来種を守ろうとするのか?

 その在来生物相保全政策の特徴は、徹底的なキャンペーンと市民参加、そして毒の多用である。(117頁)


「固有種を守れ」、これが自然保護の思想だ。

だが、自然を守るために別の動物を殺害することも行なわれているわけだ。

こうした矛盾は日本でも起きていた。

その筋では有名な「和歌山県のタイワンザル問題」である。

2000年……和歌山県北部に人為的に移入され野生化していたタイワンザル(台湾島固有種)が、日本(列島)の固有種であるニホンザルと“交雑”していることが公になった……。(119頁)


専門家は、「遺伝子汚染が進行している」と警告した。

そこで行政が動き出した。

 2001年……県は無作為抽出した県民1000人を対象に、終生飼育と安楽死の二者択一を問うアンケート調査を行った(回答率65%)。結果は安楽死支持優勢(64%)で、この意見分布を背景に審議会は安楽死案を承認……。(120頁)


固有種を守るために外来種を安楽死させる。

固有種の遺伝子を守るためならば、これは仕方のないことなのだろうか?

……在来種保全のための外来種対策とは基本的に野生環境から外来種個体を除去することであり、必ずしも命まで奪う必要はない。(120頁)


それはそうだ。

在来種の遺伝子を守るだけなら、隔離すればいい。

ところが、和歌山県は、はじめから安楽死を望んでいたフシがあったという。

というのも、県が実施した先のアンケートで、
誘導とも受け取れる設問の設定が行なわれていたからである。

わざわざアンケートの際に、
「安楽死費用約1200万円、終生飼育費用約11億円」といった情報が与えられ、
そのうえでアンケートに答える仕掛けになっていたという。

なるほど。

それならアンケートに答えたひとたちは、
県にとって望ましい答えに容易に誘導されただろう、と思う。

しかも、マスコミはこの問題を報じるにあたって、
「遺伝子汚染」「混血」といった扇情的なフレーズを使用した。

レイシズムにつながりやすいこうした用語の使用には、やはり慎重であるべきだ。

 獣害対策には、被害を直接除去・軽減する「被害防除」(柵など)、被害を起こす個体を捕獲したり個体群密度を減らす「個体数調整」(捕獲)、そして個体群密度や被害の減少を誘導する「生息地管理」がある。日本で外来種対策として行われている手法は、ほとんどが「被害防除」か「捕獲」である……。(122頁)


扱いに困れば殺せばよい、という安易な発想は反省されてよいはずだ。

ところで、先のヌートリア問題は、じつは日本でも起きていたという。

……日本には、第二次世界大戦前後に軍用毛皮目的で輸入され各地で養殖されたが、需要がなくなり逸出や放逐が起こった。(122頁)


在来種=善、外来種=悪。

この図式はほんとうに正しいものなのか?

このことを再検討するのも、環境倫理学の課題である。

なお、これまで「人間」と記してきたところは、
正確には「先進国のひとびと」や「日本人」と表記すべきである。

実際に言葉を置き換えて読み直してみると、響きが変わってくる。












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