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zoom RSS 五十嵐太郎『過防備都市』(中公新書ラクレ)

<<   作成日時 : 2010/02/01 11:02   >>

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監視社会はここまで進行している。

セキュリティへの関心を高める社会。

この監視社会の問題をえぐる本である。

考察は深くないのだが、事例がとても豊富だ。

防犯カメラが注目されたのは、この事件がきっかけだっただろうか?

 2003年7月、長崎の12歳の中学1年生による男児殺害事件では、商店街のアーケードで記録された防犯ビデオの映像が手がかりとなって、犯人が補導されたことが注目された。(32頁)


それ以前にも、大阪釜が崎の警察が、
日雇い労働者に向けて監視カメラを設置したことが大きな問題になった。

素朴なひとたちは、
監視カメラがわたしたちの安全を守ってくれている、
と甚だしい勘違いする。

……「ネットワーク反監視プロジェクト」主宰の小倉利丸は……「私は逆に監視カメラこそが不安を生み出すと考える。カメラが設置されること自体、そこに不安があるというメッセージとなり、不安の原因となる。監視カメラ市場が急速に拡大している。不安が商品化され、外国人や若者を根拠なく危険視する風潮を市場やビジネスが支えてしまっているのではないか」、と。(39−40頁)


現実には犯罪は減っているというのに治安に対する不安が高まっている。

考えてみればきわめて不思議な現象である。

 もしかすると、誰かに見られていることよりも、誰にも見られていないことのほうが不安なのである。それはインターネットやケータイの普及により、つながっていることが平常となり、つながっていないことが不安になるのと似ているかもしれない。われ見られる、ゆえにわれあり。偏在する監視カメラは、主体のあり方を受動的なものに変容させるだろう。(41−42頁)


巷では、防犯グッズがたくさん売られている。

ダミーカメラ、超小型カメラなどなど。

コンピュータによる監視技術の進歩。

こうした技術の進歩は、悪用されることだって考えられる。

超小型カメラは、盗撮の危険性を高めるだろう。

たとえば、通常、マンションのドアには、防犯用に埋め込まれたのぞき穴がついているが、それを逆に利用し、小さな円筒形のレンズをつけると、外から内部の様子がわかる逆ドアスコープという装置がある。(160頁)


じつは部屋のなかは丸見えなのかもしれない。

そして不安だけが増幅していき、
セコム・ホームセキュリティなどの企業は繁栄する。

次に著者は「オブジェ」の話をする。

新宿西口の地下街を歩いたことのあるひとなら、誰でも目にしているだろう。

先端を斜めにカットされた小さな円筒形の群れを。

数種類の色に塗られたわざとらしい「オブジェ」。

これらはいったい何のために設置されているのか?

芸術のため?

まさか。

「ホームレス」がダンボールを敷けないようにするためである。

名づけて「排除系オブジェ」。

最近の公園のベンチは、真ん中に仕切りが取り付けられている。

「ひじ掛け」としても使えるこの仕切りは、何のためか?

ふたりが座れるように?

まさか。

「ホームレス」が寝られないようにするためである。

街中に設置されているオブジェ、ベンチは、
特定のひとびとを「拒絶」するための工夫が施されている。

地下通路の柱と柱の間のスペースには、彫刻や突起物が置かれている。

銀座の地下通路には、干支にちなんだ動物の像が置かれているという。

……この一見無邪気な装置も、ホームレスを排除していることを想像しなければ、ほほえましい街の風景に映るかもしれない。無邪気なかわいらしさの造形と容赦ない排除というも目的のギャップに驚かされる。(70頁)


いずれもよく見れば悪意に満ちた「排除系オブジェ」だ。

渋谷マークシティの「ウェーブ広場」は、商店街がホームレスを追い出すために、床面を波形にしたところ、ホームレスはダンボールを何枚も敷いて対抗したらしい。そこで商店街はイボイボの突起物をつけたものの、今度はそれが引き抜かれたため、最終的には抜けないよう補強したらしい。(71頁)


先端を斜めにカットされたオブジェは、
疲れたひとが腰をおろしてひと休みすることも許さない。

なぜなら、ひとが腰掛けられない角度に斜めにカットされているからだ。

アメリカの公園などでスプリンクラーがまわるのは、
芝生への放水のためばかりではない。

そこにホームレスが野宿するのを防ぐ目的も隠されているのである。

公園はお行儀よく楽しむべき空間なのである。

ひとびとの行動は、すでに管理されている。

 マクドナルドの消費者管理では、椅子を硬くしておくことで、長く座っていられず、客の回転を良くしているという。長居する気分にはならず、いつの間にか食事が早く終わり、店を出ていく。これは限りなくグレイゾーンに属する、ゆるやかな排除の手法といえよう。(72−73頁)


消費者管理の手法も進歩しているわけだ。

他方、行政はどうしているのだろうか?

政治家どもが選挙演説で繰り返し連呼する台詞を思い出そう。

決まって言われるのは、
「政治改革」と「子どもたちの明るい未来」と「安全・安心の暮らし」である。

中田宏・横浜市長〔当時〕は、2003年11月の首都圏サミット……において驚くべき規制を提案した。青少年保護強化策として、深夜外出制限とわいせつ雑誌の販売規制を打ち出したのである。「保護者は深夜(午後11時〜午前4時)に青少年を外出させないよう努めなければならない」とし、第三者が青少年を連れ出した場合、罰金やペナルティーも科す。青少年への戒厳令である。(77頁)


東京都ではすでに条例化されている。

2004年6月、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」が「改正」された。これは保護者に対して深夜に青少年を外出させないように努めること(罰則なし)、またカラオケボックス、まんが喫茶などに立ち入ることを禁止している(経営者に罰則あり)。かつて都市は人を自由にする場所だとうたわれた。しかし、セキュリティと引き換えに、都市の自由は喪失する。(77頁)


逃げ出す場を奪われれば、子どもたちの息苦しさは増すばかりだろうに。

アメリカでもストリートを浄化するために、わずかな犯罪のほころびも許さない容赦なき「ゼロ・トレランス」の態度が奨励されている。そこで徹底した管理の重要性を説く「破れ窓理論」が注目されている。これは1982年にアメリカでジェームス・ウィルソンらによって提唱された犯罪抑止の理論である。すなわち、破れた窓を放置すると、管理者不在だと思われ、建物全体が荒廃していくように、都市の犯罪も小さな芽のうちに摘んでおくという考え方である。これはニューヨークのルドルフ・ジュリアーニ前市長による犯罪対策のスローガンとして有名になった。(78頁)


行政は規制を増やすことでしか対応できないのだろうか?

2002年11月から千代田区が施行した「生活環境条例」は、「マナーからルールへ」をスローガンに掲げ、路上の喫煙を禁止したことで話題になった。(84頁)


この動きは、いまや全国各地に広がっている。

都市計画の研究者である高見沢実は、次のように述べているという。

たとえば、日本を震撼させた宮崎勤の幼女連続殺害事件(1988年)や神戸連続児童殺傷事件(いわゆる酒鬼薔薇事件、1997年)を挙げ、いずれも住宅団地の死角が舞台になったことを指摘している。(93頁)


日本では「郊外問題」への注目がまだ薄いように思われる。

この問題については、いずれ記事を書くかもしれない。

精神科医の香山リカは、最近の犯罪報道に対する反応について、「1億総被害者」の現象を指摘している。なるほど、少年や外国人の凶悪犯罪の報道に怒り、被害者に感情移入し、報復として犯人の市中引き回しや死刑を望む風潮が強くなっている。市民が自らを潜在的な被害者だと意識したとき、他者を加害者の予備軍とみなし、排斥に乗り出す。……地域住民は、障害物を除去し、都市空間を透明にしていく。(94頁)


安全を求めてひとびとが失っていくのは、寛容さだ。

異質な存在は徹底的に排除されるべきであり、
社会の安全をかき乱す恐れのある存在はどこにいるか分からない。

こうした不安が、たとえば在日外国人差別を助長する。

……国家の内部にひそむ敵の姿は、テロリストと同様、不可視である。それゆえ、見知らぬ流れ者を排除すべく、自警団が増えるのだ。国家の内部に無数の分断線が引かれていく。(103頁)


こうした「自警団」を名乗るものたちが歴史上何をしてきたかは、
よくよく思い出しておく必要があるだろう。

「子どもたちの安全」も不安視されている。

 かつて学校は生徒を閉じ込める監獄だと揶揄されてきた。いずれの施設も規律と教育の空間であり、その類似性はしばしば指摘されている。ところが、現在はセキュリティのために、学校の監獄化が積極的に望まれているのだ。(119頁)


学校の入口には警備員が配置されるようになった。

 2002年、名古屋市の瑞穂区では、モデル事業として「地域の世話やき活動」を開始した。通学路でのあいさつやパトロールのほか、いいことはほめ、悪いことは叱るオジサンやオバサンを増やそうというもの。失われた共同体を復活させる運動は、熱田区、中川区、千種区にも拡大した。(135−136頁)


わが家の近所にも、子どもたちの安全を見守るおじさんがいる。

このおじさんと毎日のようにじつはわたしも挨拶を交わしている。

これはとても気持ちのよいものである。

だが、見知らぬおじさん、おばさんが、
お節介に家のなかまで入ってきてあれこれ口出しするとしたら、
決して気持ちのよいものではない。

しかも、地域の声かけが、監視を目的としているのだとしたら、要警戒だ。

オウムが……図書館で借りた本の返却が遅れただけで、連行された事例もあるという。(211頁)


相手がオウムだったら何をしてもよい、という空気が以前あった。

危険人物はどこに潜んでいるか分からない。

こうして一般市民にも監視の目は向けられていく。

 2004年に成立した豊島区のワンルームマンション税(床面積29平方メートル未満の新築1戸に対し、50万円を建築主に課税)は、周囲に迷惑をかける住民が多いとされることから、特定の住居形態を狙い撃ちにしたものだ……。(158頁)


ひとり暮らしのひとたちも、地域からは敵視されているのである。

セキュリティへの関心を高めた結果生まれたのは、
安全で安心できる社会ではない。

そこに実現しているのは、「相互監視社会」である。

市民がお互いを密告し合う社会である。











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