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zoom RSS 福岡伸一『できそこないの男たち』(光文社新書)

<<   作成日時 : 2010/02/19 01:16   >>

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やや間延びした印象もある。

それでもこの本は、なかなか楽しい内容だった。

科学の世界では、「見えないものを見た」というエピソードがよくある。

本来なら「見えない」はずのものが、「見えた」というのである。

1694年、オランダの科学者ニコラス・ハルトソーケルは、精子の粒だちの中に宿っている輝きの正体をとらえた。彼はそこに体育座りをした小人が、硬くちぢこまっているのを見た。小人、当時の科学者はこれにホムンクルスと名づけた。光は、不釣り合いに大きなホムンクルスの頭部から発せられていた。これこそが人間の“もと”だ。ハルトソーケルはそう主張した。彼は見たいものを精子の内部に見たのである。(39頁)


理系のひとたちにとっては、とても有名な話だと思う。

研究者は、精子のなかに何があるのかを見ようとした。

そこで彼は、「体育座りをした小人」を見てしまったのである。

いるはずもないものが見えてしまった。

たしかに「小人」がいると考えた方がその後の生命の成長を説明しやすい。

けれども、実際は精子を覗いてみても「小人」は存在しない。

こういうことはちゃんと書いておかないと、
右派たちが信じてしまうから気をつけないといけない。

ここで右派に言及したのには理由があるのだが、
それについては後に明らかにしよう。

では、精子と卵子の結合からどのようにして生命は成長していくのか?

生命のメカニズムは、研究者にとっても大きな謎だった。

男と女はどのようにしてでき上がるのか?

どこで性別が分かれるのか?

性器がその秘密を解く鍵だった。

ミューラー博士とウォルフ博士は、性器がどのように形成されるのかを研究した。

基本仕様として備わっていたミュラー管とウォルフ管。男性はミュラー管を敢えて殺し、ウォルフ管を促成して生殖器官とした。それに付随して様々な小細工を行った。かくして尿の通り道が、精液の通り道を借用することになった。ついでに精子を子宮に送り込むための発射台が、放尿のための棹にも使われるようになった。(166頁)


こうして性別分化の仕組みが明らかになった。

男性は、生命の基本仕様である女性を作りかえて出来上がったものである。(166頁)


生命の基本仕様は「女性」なのである。

それを作り変えてできたのが「男性」だ。

アダムがイブを作ったのではない。イブがアダムを作り出したのである。(166頁)


世の中では、男たちが威張っている。

男のおかげで女は生きている、とでも言いたいかのようである。

だが、生物学から見えてくるのは、まったく逆の姿だ。

生物学的に見てどの程度の意味が「オス」にあるのか?

このことを考える好例がある。

ここで著者は「アリマキ」という小さな虫に注目する。

アリマキはすさまじい繁殖力によって爆発的に増えていく。

そして、アリマキの繁殖力はひとえに、アリマキの世界が基本的にメスだけでなりたっていることによる。
メスのアリマキは誰の助けも借りずに子どもを産む。子どもはすべてメスであり、やがて成長し、また誰の助けも借りずに娘を産む。こうしてアリマキはメスだけで世代を紡ぐ。しかも彼女たちは卵ではなく、子どもを子どもとして産む。哺乳類と同じように子どもは母の胎内で大きくなる。……母が持つ卵母細胞から子どもは自発的・自動的に作られる。母の胎内から出た娘は、その時点でもうすでにティアドロップ形の身体に細い手足を持つ、小さいながら立派なアリマキである。しかも彼女たちの胎内にはすでに子どもがいる。アリマキたちは、ロシアのマトリョーシカのような「入れ子」になっているのだ。(173−174頁)


メスだけで生命をつないでいく。

アリマキにとってオスはまったく不要だ。

地球が誕生したのが46億年前。そこから最初の生命が発生するまでにおよそ10億年が経過した。そして生命が現れてからさらに10億年、この間、生物の性は単一で、すべてがメスだった。
メスたちは、オスの手を全く借りることなく、子どもを作ることができた。母は自分にそっくりの美しい娘を産み、やがてその娘は成長すると女の子を産む。生命は上から下へまっすぐに伸びる縦糸のごとく、女性だけによって紡がれていた。(182−183頁)


遺伝子を受け継いできたのはメスで、オスは不要だった。

母が自分と同じ遺伝子を持った娘を産むこの仕組み、すなわち単為生殖は、効率がよい。今でも単為生殖で増殖している生物はアリマキを始めとしてたくさん存在する。好きなときに誰の助けも必要とせず子どもを作ることができる。(183頁)


そうすると、新たな疑問が浮かんできてしまう。

それならば、どうしてオスが生まれたのだろうか?

生命が出現してから10億年、大気には酸素が徐々に増え、反応性に富む酸素は様々な元素を酸化するようになり、地球環境に大きな転機がおとずれた。気候と気温の変化もよりダイナミックなものとなる。多様性と変化が求められた。
メスたちはこのとき初めてオスを必要とすることになったのだ。(184頁)


なるほど。

ということは、男根主義者のイメージは覆されることになる。

本来、すべての生物はまずメスとして発生する。なにごともなければメスは生物としての基本仕様をまっすぐに進み立派なメスとなる。このプロセスの中にあって、貧乏くじを引いてカスタマイズを受けた不幸なものが、基本仕様を逸れて困難な隘路へと導かれる。それがオスなのだ。
ママの遺伝子を、誰か他の娘のところへ運ぶ「使い走り」。現在、すべての男が行っていることはこういうことなのである。アリマキのオスであっても、ヒトのオスであっても。(184頁)


多くの男たちは、まったく逆のイメージを持っている。

オスの遺伝子をメスに受け継がせていると思い込んでいる。

しかし、本当は逆だったのである。

そういえば、オスの生命はメスに比べて弱い。

現在、日本人男性の平均寿命(つまり生まれたばかりの男の子の平均余命)は、79.19歳であり、対して女性の平均寿命は、85.99歳。(191頁)


がん罹患率を見ても、圧倒的に男性の方ががんになりやすいことがわかる。

一卵性双生児には、男・男の組み合わせよりも、女・女の組み合わせの方が多い。……多くの病気も男性の方が罹患しやすい。痛風は4倍、ヘルニアは9倍、男の方がかかりやすい。(198−199頁)


遺伝子のことを調べると、じつにおもしろいことがわかる。

たとえば、右派は「日本人」を「日本民族」「大和民族」と同等視する。

「日本は単一民族国家だ」という妄想を抱く。

だが、言うまでもないことだが、日本人は単一民族ではない。

Y染色体から見ても、日本人は全くといっていいほど“単一民族”ではない。出アフリカを果たした3つの系統が流れ流れて様々に分岐したあと、もう一度落ち合った特別な場所として日本列島が現れる。大まかにいってC3型が旧石器人、D2型が縄文人、O2b型が弥生人、O3型が大陸人といえる。そして各地域で頻度の差がある。アイヌにはD2型が、八重山諸島にはO2b型が多い。東京はすべての型の混成だ。意外なことにアイヌの中にも多型性が混在している。日本列島こそが“人種”のるつぼなのだ。(221頁)


中国や朝鮮半島のひとびとを嫌悪している右派の身体のなかには、
まぎれもなく大陸や半島の血が流れているのである。

ゆえに「民族」は妄想にほかならない。

もうひとつこの本では、
日本で一部の右派が展開している「珍説」を取り上げている。

それは、いわゆる「お世継ぎ問題」で言われる、
「Y染色体」という用語をご都合主義的に使った女性天皇批判であり、
「男子のみ皇位継承できる」という「珍説」である。

八木秀次(高崎経済大学)がその「論客」だそうで、
新右翼の一水会もその「珍説」にまんまと引っかかっているといわれるものだ。

伝説によれば約2700年前、大王の始祖が諸部族を平定し、この国を開いた。以降、大王の皇統は厳密に世襲され、一貫して男子によって引き継がれ、百代をはるかに超えて現在に至る。大王の亡きあと皇女が女帝として王位を継ぐことも稀にあった。が、それは後継争いの混乱を避けるなどあくまで一時的な緊急措置であり、まもなく王の血を引く男子が適切な年齢に達すると皇統は男系に戻った。(222頁)


彼らによれば、「万世一系の皇族」は日本の守るべき伝統らしい。

 ところがここへ来て、ある深刻な危惧が浮かび上がってきた。お世継ぎ問題である。現在の大王には2人の皇子がおり、長男が王位継承順位第1位である。長男には子どもが1人いるがそれは女児であり、次男の子も女児のみだった。大王の一家にはここ40年にわたって男児が生まれていない。2700年にわたって一度も途切れたことのない伝統、男子のみによって皇統を維持するという伝統が危機に瀕しているのだった。(222頁)


神話と事実の区別もつかないひとびとにまじめに付き合う必要はないが、
われらの血税が「妄想」の維持に湯水のごとく浪費されているとなると、
無視もできぬ。

そこで、論争が起きた。

女性天皇を認めるべきなのかどうか?

あるものたちは、絶対に認めるべきではないと断定する。

女性天皇を認め、外部から男を迎え入れるとどうなるか?

 連綿と護持してきた大王の刻印をもつY染色体はそこで途絶え、代わりにその男がもたらした文字通りどこの馬の骨とも分からぬY染色体に皇統が乗っ取られてしまうことになる。それは断じて避けなければならないことである。(223頁)


「Y染色体」などという科学的な用語を使うところが、なんともみじめである。

いくら彼らがそのような「妄想」にとりつかれていても、
生物学から見えてくるのはそれとはまったく別の真実である。

ここで著者はチンギス・ハーンの遺伝子の話をして、
天皇制信者たちの「妄想」をいとも簡単に打ち砕いていく。

詳しくは本書を直接読んでいただきたいが、まとめるとこうなる。

かつてアフリカを出発し、アジアを横断し、あるときはチンギス・ハーンとその夥しい数の末裔となって各所へ散り、またある時は日本列島に集まり、さらにははるか遠くベーリング海峡を越えていった男たちがなした最大の偉業。それはモンゴル帝国の完成でもなければ、万世一系の皇統維持でもない。母の遺伝子を別の娘のもとに運び、混ぜ合わせることだったのである。(229頁)


付け加えるならば、
われわれの先祖がサルであるのと同じように、
畏れ多き皇族の先祖もまた所詮サルなのである。

そろそろまとめに入ろう。

……ママの遺伝子を別の娘のところへ運ぶ役割を果たす「運び屋」として、オスが作り出された。それまで基本仕様だったメスの身体を作りかえることによってオスが産み出された。オスの身体の仕組みには急造ゆえの不整合や不具合が残り、メスの身体に比べその安定性がやや低いものとなったことはやむをえないことだった。寿命が短く、様々な病気にかかりやすく、精神的・身体的ストレスにも脆弱なものとなった。(262頁)


ここを読んで地団駄をふむ男根主義者の姿が目に浮かぶ。

多くの生物種において、オスは遺伝子の運び屋としての役割以上の役割を担ってはいない。(262頁)


あらためて繰り返しておこう。

……生物の基本仕様としての女性を無理やり作りかえたものが男であり、そこにはカスタマイズにつきものの不整合や不具合がある。つまり生物学的には、男は女のできそこないだといってよい。だから男は、寿命が短く、病気にかかりやすく、精神的にも弱い。(276頁)


弱い男が威張りだすと、ロクなことはない。

この本は、「性差別主義者」でマッチョ思考の石原慎太郎にとくに読ませたい。

生物学的に言えば、彼はもうとっくに「用済み」である。









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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
偏ってる考え方にしかおもえない。
弱いと強いの定義は?
44
2010/06/25 15:55
◆44さま

すっかりお返事が遅くなってしまって、失礼いたしました。

どこを読んで「偏っている」と思ったのでしょうか? 科学が偏っていると? あなたは幸福の科学の信者か、創価学会の信者か、天皇教の信者か、ブッシュ前大統領のようなキリスト教原理主義者なのでしょうか? そういう方から見ればなるほど「偏っている」と見えるかもしれませんね。これが偏っているというのであれば、どうぞ偏っていない見方をお示しいただきたい。

強いと弱いの定義は、さし当たって「環境適応性」です。詳細は本書を直接お読みください。
影丸
2010/08/23 22:33
酸性精子とアルカリ精子によって 子供が 男と女に分かれると聞いたことがあります。酸性卵子とアルカリ卵子も関係するのだろうか?
食生活において 肉類と野菜類 によって 血液だけでなく 精子と卵子もアルカリ 酸性になるらしい。アルカリ性が男を 作ると聞いたけれど
野菜を食べて 今夜 がんばろうになると 男なのかなぁ?
今の時代 焼肉 すき焼き食べて 性をだそうみたいな?
人は 生まれ変わりなのだろうか 過去世 現世 来世 現世で良いことをしておくと来世で お金持ちの家に生まれたりするのだろうか?霊魂とかタマシイというのは どうなんだろうか?精子と卵子の結合で できた生命体は 脳細胞が発達して いろいろ記憶していくと思うのだが 過去に 人をして 死んで 生まれ変わって 現世で 過去の生き方によって 今の人生があるのだろうか?宿命と宿業 因果 コンドームがない時代と医学と保険体育の授業
高峰竜児&剣崎順&村石太マン
2010/11/11 19:56
◆高峰竜児&剣崎順&村石太マンさま

意味がよく分かりませんでしたが、コメントありがとうございます。
影丸
2011/01/04 12:58
正直、生物学的なことと社会的なことを結びつけるのは危険だと思う

2011/05/19 09:25
キリスト教もイスラム教も生物学的には妄想でしょう。
お盆にお墓のご先祖様に手をあわせるのも生物学的には妄想でしょう。
中途半端に科学の言葉を使うのは微妙ですが同程度に生物学的にとかいう言葉を使って極端に何かを貶して何かを持ち上げることはあまり趣味のいいことではないんじゃないかと。
女だって弱いし強い。
男だって弱いし強い。
時と場合、それぞれの個人によるものです。
岡村長之助
2011/10/22 17:21
◆√さま

1年以上もお返事できず失礼いたしました。ご指摘のとおりだとわたしも思うところがあります。というか、著者もまさにそれを言っているのです。中途半端な生物学的知識をジェンダー差別に利用するひとへのあてこすりとして本書は書かれたのです。だから、あなたは著者やわたしにではなく、保守派や右派や新自由主義者に言うべきだと思います。でもどういうわけか、おちょくられた方ではなく、おちょくった方に批判のコメントが行くことが多いのですよね。どうしてなのでしょうね?
影丸
2012/06/08 15:11
◆岡村長之助さま

コメントありがとうございます。「個人による」と簡単に片づけられないこともあるので、以前別の記事を書きましたが、個人が個人として尊重されるような社会の到来はまだまだ前途多難ですね。
影丸
2012/07/19 10:54

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