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zoom RSS 斎藤貴男『安心のファシズム』(岩波新書)@

<<   作成日時 : 2010/02/08 10:45   >>

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イラクで、日本人の3人の若者が武装勢力の人質になった事件があった。

2人のボランティアと1人のジャーナリストだった。

あのとき、日本中で「自己責任論」が嵐のように吹き荒れた。

あのときほど日本人の気持ちわるさが露わになった事件は少ない。

日本人の前近代性・奴隷根性・全体主義・暴力性がイッキに噴出した。

のちに明らかにされたところによると、首相官邸に集った彼ら〔小泉政権の高官たち〕は救出のための対策を講じるよりも何よりも、警察庁や公安調査庁、内閣情報調査室などの治安・諜報機関を動員して、人質やその家族の思想・信条の洗い出しを始めた。(10頁)


やり口があまりに汚い。

政府に批判的な人間は救出する必要はない、ということらしい。

しかもあのとき、驚くべきことに、「自作自演」説まで広まっていた。

「自作自演」などあろうはずもないことくらい、
小学生程度の知能があれば誰にでも分かったはずだ。

あのとき、人質たちは犯人グループに刃物をつきつけられ脅されていたというが、
そのシーンはメディアによって都合よくカットされて放映されたと言われている。

自作自演説の視野狭窄ぶりは相当なものだった。その主張を聞いていると、世界には日本と、戦争当事国であるイラクとアメリカのせいぜい3カ国しか存在しないような錯覚に陥るが、現実世界は広く多様で、イラクのゲリラ組織が一枚岩の統制下に置かれているはずもない。バグダッド西方のファルージャで米軍が大規模な掃討作戦を展開し、ついにはモスク(イスラム礼拝所)を標的にした空爆まで開始されていた4月前半のこの時期、武装グループによって行方不明や人質になった民間外国人は、少なくとも17カ国、56人にも達していたという(『日本経済新聞』2004年4月14日付)。
やはり人質になっていた4人のイタリア人のうち1人が射殺され、そのシーンを映したビデオがアルジャジーラに送りつけられる一幕もあった。日本人の人質事件だけが特殊な工作だとする発想は、その主たちが何かと言えば国際貢献、グローバリゼーションを語りたがる人々であるだけに、滑稽でさえあった。(11−12頁)


自作自演説を展開して、人質となった犯罪被害者を冷笑した世間。

彼らはそれによって見事に「井の中の蛙」であることを証明してくれた。

けれども、ネット右翼だけでなく、大手メディアまでが自作自演説を展開した。

産経新聞がその代表だが、
右派メディアで金儲けをつづける右派論客たちも自作自演説に乗った。

『週刊新潮』の特集に「自己責任論」の典型が見られるとして、
著者はこれを引用している。

よくよくご覧いただきたい。

これが日本の「知識人」と呼ばれる連中の水準なのである。

「ところが、3人の人質の家族からは、自分の息子や娘の身勝手な行動を恥じるという意識がまるで感じられない。自衛隊撤退を要求することがさも当然のことのように、堂々と主張している。3人によって、日本という国家の在り様が問われようとしているときに、そのことに対する厳粛な思いなど、あの家族には微塵もないのでしょうか」(政治評論家・花岡信昭氏=元産経新聞論説副委員長)
「イラクに関して、日本政府は無期限の渡航延期勧告をずっと出していましたから、3人がイラクに入国したのは、全くの自己責任です。だから、本来、家族がとるべき態度は、一切黙っているとか、ひそかに祈っているとか、テレビ局に対してどうか助けるように報道してくれと頼むぐらいです。家族の要求を呑んで自衛隊を引き揚げたら、日本は世界の物笑いですよ」(政治評論家・屋山太郎氏=元時事通信編集委員。第二臨調、臨時行革審参与などを歴任)(14頁)


これらの自称政治評論家殿は、近代国家の基本原理さえご存知でないらしい。

個人のために国家が存在しているのではなく、
国家のために個人が存在しているというご理解を示されているからだ。

そういうお考えの方々に最適の国家が日本の近くにあるから、
どうかそちらにご家族ともども引越しをなさってはいかがだろうか?

こういう自称・政治評論家たちには「恥を知れ」と言って差し上げたい。

多くのひとたちは、次の事件もご記憶だろう。

イラクでは2003年の11月にも2人の日本人外交官が殺害されている。

あのときは、右派の論客たちは「自己責任論」を展開しなかった。

それどころか「賛美」していたのである。

……小泉首相は……彼らの死を悼む国民の情緒に訴え、葬儀に臨んで、「あなた方の遺志を受け継」いでいくと語りかけていくことで自衛隊の派兵を正当化していった。(16頁)


これでハッキリするだろう。

日本では、国家の命令に忠実に従うものは賛美され、
個人の意志で国家とは別の正義を求めて活動するひとたちは罵倒されるのだ。

これをふつうは全体主義とか権威主義と呼ぶ。

自己責任論は、一般市民の「2ちゃんねる」化とも呼ぶべき現象であった。

それにしてもこの日本人の気持ちわるさとは一体何なのだろうか?

本書では、「2ちゃんねる」について、
おもしろい指摘をしている文章を取り上げている。

女子供文化評論家を自称する荷宮和子氏の文章だ。

ここでも孫引きしてみよう。

〈いささか乱暴にまとめるならば、「2ちゃんねるに漂う殺伐さ」とは、言ってみれば、「無教養な田舎者」たちが、その場にいない人間のことを悪しざまに噂している様を聞いている時に感じる「居心地の悪さ」、ということになる。
ところが、そういった場に立ち会うことに対して、「居心地の悪さしを感じるよりも、むしろ、「お仲間を見つけたことによる安堵感」をこそ感じる人たちが、いまの日本には増えつつあるらしいのだ。〉
〈つまるところ、他者を「論破」することこそを至上の目的としているため、他者の「言い方」のみに着目し、なぜ他者がそのような言動を取るようになったのかといった意味での他者の「心情」になどまるで頓着しない、どうやらそういう世代が社会の多数派となりつつあり、ネットの隆盛とは、そのことの表れではないのか、そう思えるのである。〉(『声に出して読めないネッ卜掲示板』中公新書ラクレ、2003年)(22−23頁)


なるほど。

たしかに思い当たるところがある。

当ブログにもちょっかいを出してきたネット右翼が数名いたが、
彼らは一様に「言い方」にのみ反応していた。

そして下品なコメントを残すことで、ある種の「快楽」を得ているかのようであった。

そうか、ネット右翼というのは「無教養な田舎者」だったのか。

妙に納得してしまうところがある。

さて、以下に掲げるのも「無教養な田舎者」の事例である。

外務事務次官や駐米大使を歴任した村田良平・日本財団特別顧問と、
ノンフィクション作家・上坂冬子氏による対談である。

〈上坂 子どもが人質となった場合、親としては気が動転するのは分かりますが、イラク人質事件のときの親のうろたえ方は意図的で、私は同情できませんでした。(中略)
村田 あの親兄弟の自制心の欠如は、二流国どころか、三流国国民の反応でした。〉


「三流国民」とはまさにあなた方のことだよ、とそっくり言葉を返してあげたいが、
わが子を武装グループに誘拐され、殺害をほのめかされた被害者家族に対して、
彼らにはひとかけらの「思いやり」もないようである。

2人のあけすけな対談はまだつづく。

〈村田 それこそ新聞で上坂さんが書かれたように、「自己責任」(中略)ただ正直、あの文章のなかに「筆をお曲げになっているかな」と思う個所がありました。あのような正論をお書きになるときに、上坂さんほどの方でもある種の遠慮をおもちかと思いました。
上坂 たしかに「人質になった方々の親御さんの心中はいかばかりかとお察しするが」とか「いま、この最中に言うべきことではないかもしれないが」などという文言は、あとから追加補足した部分です。私なりに分別ありげに説得したくて(笑)。(中略)
村田 いまおっしゃった分別というのは、戦後50年間で蓄積されたしこりのようなもので、それが日本人のなかに残っているのかもしれません。正論を書いても、一言一句をとらえてそれに不当な非難や言いがかりをつける風潮があるのです。しかし私の兄などは、私宛ての私信ですが、「この3人は死んでも止むを得ない」と書いていました。
上坂 私だって、村田さん宛てに書くのなら「殺しなさい」と書きますよ(笑)。
村田 そこで初めて、日本人の夢が覚めると。
上坂 ほんとうにそう(笑)。〉(「見苦しかった人質家族」『Voice』2004年6月号)(30−31頁)


彼らはこの程度のことを好き勝手に述べて、
それで結構なお金をいただいているのだから、楽なものである。

「殺しなさい」と書きますよ(笑)……である。

上坂冬子の作品の愛読者は、みんなこのような連中なのだろうか?

背筋に冷たいものが走りぬける思いだ。

もうひとり、冗談のようなひとがいるので、紹介しておこう。

自民党の柏村武昭・参議院議員が4月上旬の参院決算委員会で人質たちを「反日的分子」と呼んで問題化した……。(37頁)


このひとはほとんど戦前の幽霊である。

2004年4月、この国を覆い尽くしていたのは、“非国民”の存在を許さない、60年前と同じ“銃後”の空気ではなかったか。(39頁)


日本は民主主義の国であると信じ込んでいるひとたちがいる。

日本は平和な国であると信じ込んでいるひとたちがいる。

日本は戦後変わったと思い込んでいるひとたちがいる。

そういうひとたちによって、日本は戦前回帰を果たそうとしているのである。












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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
>そうか、ネット右翼というのは「無教養な田舎者」だったのか。
>「殺しなさい」と書きますよ(笑)。

彼・彼女らの心性は、コロシアムでグラディエーターの殺し合いに歓声を上げていたローマ市民と同レベルであると言えるでしょう。「教養人」「常識人」の仮面を被った小サディストに過ぎません。

下記のサイトで、サディズムがファシズムの基本的な心性であることがよく理解できます。

http://digitalword.seesaa.net/article/43282421.html
反小市民
2010/02/09 19:55
◆反小市民さま

まったくですね。サディストの彼らをアフガニスタンやイラクの武装勢力に拘束してもらってみたらどうかとひそかに思ってしまうところですが、そうすると彼らと同じレベルになってしまうでしょうか。

ご紹介してくださったのはエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』ですね。わたしもこれを読んだことがありますが、日本がすでにファシズムの初期段階に突入しているのだという認識をもっているひとがあまりに少ないようですので、この問題についてはこれからも書いていこうと思っています。
影丸
2010/02/14 12:49

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