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zoom RSS 鈴木英生『新左翼とロスジェネ』(集英社新書)

<<   作成日時 : 2010/01/28 12:24   >>

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2008年、『蟹工船』ブームがあった。

その背景には、雇用の不安定化による生活破壊があった。

生活不安は、自分自身の存在に対する精神的不安を増幅させた。

それが「私探し」や「自分探し」である。

 今どきの「自分探し」は、自分のやりたいことがわからない、居場所がない、自分の存在価値がわからない、安定した感じを得られない……といった感覚が前提となる。その感覚をこじらせると、アジアを放浪したり、スピリチュアルに走ったり、ネット右翼になったり、さらにリストカット、オーバードーズ……、となる。そこまでいかずとも、今、何らかの「生きづらさ」を抱える人は少なくないだろう。(14頁)


「豊かな日本」で急速に広まった「私探し」は、
日本の場合、近年その暴力性を強めている右傾化と無関係ではない。

 批評家の東浩紀は、作家、笠井潔との往復書簡集『動物化する世界の中で』で、「若者の右傾化」を戦前の軍国主義的伝統ではなく、70年代の「宇宙戦艦ヤマト」のようなサブカルチャーの文脈で読む。「右傾化」の中で小林よしのりの漫画が支持された背景も、アニメやゲームの世界で紡がれた「疑似〔ママ〕日本」の隆盛に見る。(28頁)


つまり、要言すれば、日本の右傾化は「茶番」ということになるだろうか。

自称愛国主義者は、「愛国主義」を気取るだけで、
そのくせ天皇のために死ぬことさえできないのである。

特攻隊を美化する石原慎太郎にしても、勝谷誠彦にしても、
威張り散らすだけで、テレビに出演してニヤニヤちゃらちゃらするだけで、
根性のひとかけらも持ち合わせていない。

所詮、愛国者気取りの「ままごと」にすぎない。

かつて、日本の変革を熱心に求めた若者の運動があった。

そこでは、日本人の加害者性が批判の的になっていた。

 また、「日本が戦争に巻き込まれる」とか、「共産党の擬制を暴く」といった60年安保までの発想は影を潜めている。代わりに、「学生という存在、抑圧民族という存在、これらは存在それ自体が罪である」「ベトナム人殺害の共犯者たる位置を拒否する事」といった加害責任を問う主張が出始めた。(82頁)


ここで著者は、その事例として、
「東アジア反日武装戦線“狼”」の小冊子『腹腹時計』を紹介する。

ここでは割愛するが、
興味のある方はネット検索すれば全文を読むことができる。

その後、運動は急速に衰退してゆく。

 80年代以降、同時代の新左翼運動を扱った小説はあまり見あたらず、……同じ頃、渡辺美里は「私の革命」を歌い、尾崎豊が「本当の自分」を探していた。「自分探し」が、まさにそれとして語られ始めた時代。バブル景気の入り口で、すでに、新左翼の「革命」は、世間では遠い昔の出来事になっていた。(165頁)


そういえば、渡辺美里が歌うとき、
「レボリューション」という言葉はあまりに軽い響きをともなっていた。

そして「レボリューション」をこれほど軽い言葉にしてしまったのは、
たしかあの小室哲哉であったように記憶している。

本書は、「自分探し」ブームが生み出した「ネット右翼」へと話をつなげる。

批評家、大澤信亮の小説「左翼のどこが間違っているのか?」(『ロスジェネ』創刊号収録)は、「ひきこもり」の「ネット右翼」を主人公に、新左翼を支えたような心性が反転して、他者を攻撃するさまを描く。

 主人公の「ぼく」は、母親がひきこもりの親の学習会に出かけた後、ブログで延々と「左翼のどこが間違っているのか?」を書き連ねる。(175頁)


この小説の「ぼく」は、やがてネット右翼になっていくらしい。

 さらに、「ぼく」は「ヘラルド朝日訴訟」を持ち出す。朝日新聞は、「非正規社員の福利厚生が守られないのは業務委託だから仕方がない」としたという。その朝日が紙面では偽装請負、つまり業務委託を批判する。「言っていることとやっていることは違って当たり前だと。これですよ。これこそが私がけっして許せない左翼的ナルシシズムです」
 この批判の論法が、新左翼の進歩的文化人批判、自己否定的発想とまるで一緒なのは、いうまでもない。(176頁)


「許せない」という感情は、本来、普遍性へと接続されるべきものである。

「朝日新聞の二枚舌が許せない」というなら、
普遍性にもとづく「正義=人権」の再構築に向かわねばおかしい。

なぜなら、
そうしないと「許せない」と感じた自分の根拠を否定することになるからだ。

ところが「ぼく」はそうならない。

 そして「ぼく」は、2ちゃんねるで「敵」=「サヨク」を探し、殲滅する。「ブサヨ(注:不細工と左翼を合わせた造語)必死だなwww」「日本が嫌ならとっとと出てけよ」。(176頁)


これはあまりにみじめな姿である。

この「必死だな」のあとに「www」と「w」を3つも重ねるのは、
ネット右翼によく見られる「嘲笑」「冷笑」のポーズだ。

彼らの姿は秋葉原連続殺傷事件の被告とタブって見える。

右傾化とかつての学生運動を重ねて読むという本書の姿勢は、
小熊英二の問題関心と似た方向にあると言えるだろう。

やたらと活字の大きく、あっという間に読める。














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コメント(2件)

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>「右傾化」の中で小林よしのりの漫画が支持された背景も、アニメやゲームの世界で紡がれた「疑似〔ママ〕日本」の隆盛に見る。

「ヤマト」の乗組員が全員日本人で、敵役の異星人たちの風貌が欧米人的なのは象徴的ですね。「地球=日本」という排他的な図式は、小林の「ゴーマニズム」に通じるものがあるのではないのでしょうか。

>彼らの姿は秋葉原連続殺傷事件の被告とタブって見える。

ネット右翼の擬似的なニヒリズムは、卑小な権威主義志向と表裏一体のものであると言えます。
反小市民
2010/02/04 20:16
◆反小市民さま

ええ、ごもっとも。以前にも当ブログで紹介しましたが、「ヤマト」ではナチスを想起させる「デスラー総統」が登場し、彼と戦う「ヤマト」は正義の味方に位置づけられています。日本はナチスの同盟国だったのに、そんなことはすっかり忘却されているのですよね。

ネット右翼の精神病理については、後日あらためて記事を書こうと思っています。ありがとうございます。
影丸
2010/02/14 12:35

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