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zoom RSS 藤原帰一編『テロ後』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2010/01/24 11:56   >>

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著名な研究者たちによる論文集である。

そのなかから、2つの論文を取り上げてみたい。


◆ヤー、アフガーニスターン、ヤー、カーブル、ヤー、カンダハール…(岡真理)

ここでは「9・11」のことももちろん書かれているのだが、
それよりわたしが注目したいのは、
先日の記事「天皇の政治利用」にも関わる次のエピソードである。

 2001年9月11日の出来事に関し、天皇は駐日米大使に弔意を伝達するという異例の政治的行為を行ない、それを、事件そのものの異例さによって正当化した。だが、繰り返し言おう。これは決して、今に始まった事態ではない。世界はつねにすでに、このような現実を生きてきたのだ。(75頁)


天皇がアメリカに「弔意」を伝えた。

「これ自体はよいことなのではないか?」と思うひともいるだろう。

しかし本当に「よいこと」なのだろうか?

断じて「否」である。

 出来事の「異例さ」ゆえに、天皇によってその死を悼まれる人々がいる。では天皇は、その父の名によって殺された者たち、たとえば日本軍の性奴隷とされ死んでいったアジアの幾多の女たちの死を悼んだだろうか。彼女たちの死を悼むことが政治的行為として禁じられているというのならば、監禁され、強姦されつづけたあげく痛ましく死んでいった彼女たちが被った暴力が「異例」なことではない、とでもいうのだろうか。(76頁)


まさにそのとおりだ。

天皇は、「弔意」を伝えるべきひとと、そうでないひとを、すでに区別している。

政治的に区別しているのである。

そしてそのことに多くの日本人は違和感をもたない。

疑問ももたない。

あのとき、「天皇を政治利用するな」と保守派は批判しただろうか?

いや、まったくしなかった。

「9・11同時多発テロ事件」の犠牲者は追悼に値するひとと見なされ、
日本軍の元性奴隷たちは追悼の対象から排除された。


◆文明の外的かつ内的な衝突(大澤真幸)

著者は、この論文のなかで驚くべきことを指摘する。

アメリカ人はテロリストに憧れているのではないか、というのだ。

もちろん憧れといっても無意識の憧れである。

 アメリカ人のテロリストへの無意識の憧憬は、たとえば、テロの犠牲者に対する彼らの態度の中に探り当てることができる。……その数多の犠牲者の中で、救助活動中に二次災害で死亡した消防士に特権的な地位が与えられている。……が、しかし、彼らの英雄化は、過剰ではないか。消防士たちがかくも称賛されるのは、彼らが「殉死」したから、つまり彼らもまた、テロリストと同様に自身の死と交換しうるほどの崇高な使命をもっていたことになるからである。つまり数千人もの犠牲者の中で、ただ彼らのみが、この点で、テロリストに拮抗することができるのである。消防士たちへの、いくぶん常軌を逸しているかのようにみえる称賛には、アメリカ人が一瞬テロリストたちに抱いてしまった劣等感が裏返しの形で表現されているのではないだろうか?


アメリカ人はテロリストに劣等感を抱き、憧憬を抱いていた。

その証拠に、消防士の「殉死」には誇張が含まれている、という。

 ……消防士たちが「殉死」したという事実認識そのものの中に、すでに、微妙な誇張・歪曲が含まれている……。……彼らは、WTCビルがあれほどすぐに崩落するとは思っていなかっただろうからである。消防士たちは確かに勇敢ではあったが、崩落を予想していなかった以上、彼らが、死を顧みずにその任務を遂行したとはいえまい。それにもかかわらず、この単純な事実が無視されて、事態が少しばかり誇張されるのは、そうしなければ、自らが死ぬことを確信してビルに突入した自爆テロリストとの間に均衡を取ることができないからではないだろうか?


つまり、アメリカ人はテロリストに「負い目」を感じていたのである。

そのことは、次の事実にもあらわれている。

著名な知識人スーザン・ソンタグの書いた記事が、
アメリカで大きな批判を浴びたという出来事があった。

アメリカの「戦争」に対する左翼的な批判の中で、スーザン・ソンタグの批判がずば抜けて大きな怒りをアメリカ人の間に引き起こしたのはなぜなのか、と。……ソンタグが『ニューヨーカー』に寄稿した文章への反発の激しさは際立っていた。この著名な批評家がとりたてて力を込めて書いたとは思えない、1000語に満たない短い文章が、彼女の人生の中で最も大きな反響を呼んだことになる。この文章がとりわけ大きい憤激を呼んだのは、爆撃に反対したからではない。彼女は、自らビルに突入したハイジャッカーは、安全なところから爆撃する米軍よりも勇敢だ、と示唆したからである。この部分が、アメリカ人の逆鱗に触れたのだ。(以上、163−165頁)


大澤真幸らしい筆致である。

もっとも痛いところを突かれると、ひとは感情的になるものである。

ソンタグは、アメリカ人にとってもっとも痛いところを突いてしまったというわけだ。

要するに、アメリカ人は、テロリストが自らの大義のために死をおよそ恐れることがなかったことに驚愕し、圧倒され、そしてそのことを否認すべく、自分たちが彼ら以上に「勇敢」であると言い張ろうとしているのである。(165頁)


ここにも見られる「否認」。

だから、無意識のレベルを考慮するなら、アメリカ人の本音はこうなる。

アメリカは、テロリストが自らの生命を賭すほどの超越的な大義をもっていたということに関して、テロリストにいわば嫉妬しているのである。(167頁)


テロリストへのジェラシー。

たしかにアメリカには誰もが憧れる「大義」はもう存在しない。

 ……アメリカは、現代の発達した資本主義の中には見出しえない、テロリストの崇高な使命に憧れたのである。(168−169頁)


大義を失い自信を喪失した社会は、脅威に怯えるしかない。

現在起きていることが何であるかということは、ナチスを準拠点にしたときに、鮮明に浮かび上がってくるのではないか? 「イスラーム圏」も、そしてアメリカを含む「資本主義の陣営」も、ともに、内的であると同時に外的であるような敵に怯えている。その敵は、ナチスにとっての「ユダヤ人」のようなものではないか?(185頁)


ひとびとの不安は、「敵」への恐怖心を煽る。

そして監視社会化が進んでいく。

われわれが直面しているのは、民主主義と自由を守るためのセキュリティの強化が、民主主義と自由を食いつぶしてしまう、という困難であった。この場合、セキュリティが民主主義や自由の前に置かれている。なすべきことは、この優先順位を逆転させることである。平等な自由を許容する、徹底した民主主義こそが、セキュリティをもたらすということ、十分な民主主義がすでにセキュリティの確保を含意しているということ、このことを知るべきなのだ。(188頁)


そんなアメリカにどこまでもついて行こうとするのが、日本の外交だ。

先見性のない愚鈍な政治家が日本を道連れにしようとしている。

危機管理論に振り回されるひとびと。

セキュリティのために自由と人権を売り渡す社会なんて、ごめんである。









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