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zoom RSS 山森亮『ベーシック・インカム入門』(光文社新書)A

<<   作成日時 : 2010/01/14 10:01   >>

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ベーシック・インカムがどういうものかは、昨日の記事でご理解いただけたと思う。

意外に思われるかもしれないが、このアイデアはそれほど新奇なものではない。

あのマーチン・ルーサー・キング牧師もベーシック・インカム論者だった。

 ……1968年4月、キング牧師はベーシック・インカムを要求する運動を組織するなかで凶弾に倒れた。キング牧師はベーシック・インカム要求について、黒人のシングル・マザーたちを中心とした運動から多くを学んだ。(68頁)


しかし、生存権を主張したために彼女らは罵声を浴びることになった。

 1966年6月、「まともな福祉」を求めて、オハイオ州を10日間かけて歩いた数十人の人たちがいた。そのほとんどが女性と子どもたちであった。彼女たちに対して「乞食」と罵り、「働け、働け、働け」というシュプレヒコールを浴びせかける人たちがいた。(69頁)


ベーシック・インカムを要求するひとたち。

彼女たちに口汚い罵声を浴びせかけるひとたち。

いったいどちらが人間性において欠陥を抱えているかは、
言うまでもないだろう。

シングル・マザーたちに「乞食」と罵ったひとたちは、
いまの日本で言うなら「自己責任論者」に当たるだろう。

自己責任論者はそうした自分の姿を想像して、深く恥じていただきたい。

かつてイタリアではこんな運動も起きていた。

1967年2月、ピサで開かれた大学学長たちの会合に抗議する学生たちが集まり、そこで以下のような「ピサ・テーゼ」が出される。すなわち、資本主義は先進技術に基づく生産を必要としており、高等教育を受けた学生は、そうした生産を担う未来の労働者である、学生はもはや特権的なエリートではなく、労働者階級の一員である、したがって要求すべきは「学生賃金」である、と。(83−84頁)


こうした運動は、それまで当たり前だとされてきた考え方に反省を迫った。

 このように、これまでの社会の常識からいえば賃金が支払われない領域での活動にも賃金を支払うべきだという要求が出現してくるなかで、家事も労働だとして賃金を要求する動きが出てくる。(84頁)


著名な政治思想家キャロル・ペイトマンも、ベーシック・インカムを擁護している。

さらにあの大哲学者バートランド・ラッセルも、
じつはベーシック・インカム論者のひとりだったという。

 イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、20世紀イギリス哲学を代表する哲学者の1人だが、ベーシック・インカムを提唱していたことは今日ではほとんど忘れ去られてしまっている。(140頁)


さらにはこんなひとも。

……どうしたわけか残念ながら彼〔ガルブレイス〕がベーシック・インカムを提唱していたことは日本ではほとんど知られていない。(208頁)


ほかにも意外なベーシック・インカム論者が本書では紹介されているから、
各自この本を読みながら確認してみるのも楽しいだろう。

また、本書では貴重な指摘がされている。

それは「積極的自由」と「消極的自由」に関する議論である。

……「消極的自由」と「積極的自由」との区別を、前者が私的領域での自立の平和的享受を意味し、後者が集合的権力への能動的な参加を意味する……。(145頁)


社会科学系の勉強をしているひとなら、
ここでアイザイア・バーリンの名を想起するはずである。

興味のある方は、バーリン『自由論』(みすず書房)をお読みいただきたい。

そこでしばしば知識人たちは、
「積極的自由」よりも「消極的自由」の方を重視する。

とくに冷戦崩壊後、
「積極的自由」を重視しすぎたことが社会主義敗北の原因とされたからだ。

したがっていまでも「消極的自由」の意義を重視する知識人は多い。

だが、そうした自由を「積極的/消極的」と二分する見方そのものが
問題なのではないか、と著者は指摘している。

例えば犯罪「からの」自由は同時に夜街路を歩くこと「への」自由でもある。(145頁)


これはじつに鋭い洞察である。

保守派知識人を批判するときに使えるものである。

覚えておくとよいと思う。

 ベーシック・インカム構想に対してしばしば向けられる批判として、それが働かない者に対して甘く、働く者に対して不当に厳しい制度であるというものがある。(146頁)


働かなくてもお金がもらえ、
働いたひとから税金をたくさん取るなら、
誰も働く気が起きなくなるよ、という意見はたしかに多い。

しかし、著者はこうした疑問に次のようにきっぱりと答えている。

 ベーシック・インカムが保障されているもとでは、生存のために労働を強いられるということはないはずであるから、より多く働く者は、自分の意思でそうしているのであり、単純化のために、金銭に相対的に強い価値を置いていると考えることができよう。他方、より少なく働く者は、単純化すると、時間に相対的に強い価値を置いていると考えることができよう……。
 後者を「怠け者lazy」と呼ぶことがもし許されるのであれば、前者を「クレージーcrazy」と呼ぶことが許されるだろうか、とヴァン=パレイスは論を進める。ベーシック・インカム制度のもとでは、レージーな生き方も、クレージーな生き方も、あるいはそれほど両極端ではない「どっちつかずhazy」の生き方も、自由に選択することができる。(147頁)


こうして著者は、
ひとびとの心を捕らえている「拝金主義」という価値観を相対化する。

だいたい、このあこぎな企業社会で、
自分たちが行なっている仕事内容を自信をもって言えるひとが、
いったいどのくらいいるのだろうか?

上司の命令などで違法行為を重ねているひとは多いはずだし、
消費者を騙してでも利益をあげようという企業ばかりであろう。

家族には堂々と言えないことばかりしてきたのではないのか?

このことに関連して、
イギリスで活動しているエコノミストのジェイムズ・ロバートソンは、
雇用という働き方そのものが大きな問題をはらんでいる、と述べる。

第一に、雇用は家庭と仕事を乖離させ、また仕事をするうえでの当人の独立性を損なってきた(依存としての雇用)。第二に雇用は男性的で非人格的なものとして組織されてきた。第三に、雇用中心のシステムのもとで雇用されない者(失業者、主婦、子ども)は劣等感をもたされてきた(雇用の排他的性質)。第四に、雇用中心のシステムの下での分業と専門化の進展によって、「ローカルな仕事が、ますますどこか他所でなされる決定にコントロールされる」ようになったという。(210頁)


こうして、ベーシック・インカムの必然性を説いているのだという。

それでも、賃金労働を疑うことのできないひとにとっては、
無条件でお金が給付されるベーシック・インカムは賛成しにくいかもしれない。

働いていないのにお金がもらえると、
「フリーライダー」が大量に発生してしまう、と彼らは言うだろう。

「フリーライダー」というのは「ただ乗り」という意味である。

 さきほどのフリーライダーというレトリックの例でいえば、シングルマザーがフリーライダーではないということは事態の半面に過ぎない。例えば家事育児は妻に任せっきりのビジネスマンはフリーライダーではないのかという問いへと接続していく。この点を推し進めていくと、ビジネスマンに給与とベーシック・インカム(ないし参加所得)の二重取りを許さない、ケア給付金のようなものが望ましいということになるかもしれない。(216−217頁)


ここはわたしの引用の仕方が不正確なので、
正確な文脈を理解するためにぜひ本書を読んでいただきたい。

とりあえずわたしが重要だと思うのは、
「家事育児は妻に任せっきりのビジネスマンはフリーライダーではないのか」
という著者の指摘である。

不払い労働への視点を思い出させてくれるだろう。

またベーシック・インカムに対しては、
次のようなお決まりの批判が投げかけられるであろう。

「財源はどうするのか?」

奇妙なのは、お金がかかる話すべてに財源をどうするかという質問がされるわけではないことである。国会の会期が延長されても、あるいは国会を解散して総選挙をやっても、核武装をしようと思っても、銀行に公的資金を投入するのにも、年金記録を照合するのにも、すべてお金がかかる。だからといってこうしたケースでは「財源はどうする!」と詰め寄られるということはまずない。
 こうしたなかで特定の話題(生活保護などの福祉給付やベーシック・インカムなど)にのみ財源問題が持ち出されるあり方を見ていると、財源の議論を持ち出す動機は往々にして、財源をどう調達するかについて議論したいのではなく、単に相手を黙らせたいだけであると思わざるを得ない。(222頁)


おお。

これはわたしが以前このブログで書いたことと同じだ。

著者もわたしと同じように考えていたのか。

 著書『自由からの逃走』で著名な心理学者で、哲学者としても知られるエーリッヒ・フロムがベーシック・インカムを肯定的に評価していたことはあまり知られていない。(250頁)


おお、フロムもか。

 ベーシック・インカムに対する答えられるべき疑問として、無条件の所得給付は労働意欲を減退させるのではないか、という疑問をあげ、フロムは以下のように回答する。現行の世の中の仕組みは、飢餓への恐怖を煽って(一部のお金持ちを除き)「強制労働」に従事させるシステムである。こうした状況下では、人間は仕事から逃れようとしがちである。しかし一度仕事への強制や脅迫がなくなれば、「何もしないことを望むのは少数の病人だけになるだろう」という。働くことよりも怠惰を好む精神は、強制労働社会が生み出した「常態の病理」だとされる。(251−252頁)


フロムについては、後日あらためて記事を書きたいと思う。

いつの日になるかわからないけど。

長くなってきたので、そろそろ終わりにしよう。

21世紀になっても、まだ人類は貧困を克服できていない。

資本主義は貧困を解決できない。

これだけはハッキリしている。

 ……イギリスやイタリアの運動でも、ベーシック・インカムとともに……生活必需品の無料化が掲げられていたこと……。(252頁)


誰もが「飢え」から自由になれるなら、
ベーシック・インカムは真剣に検討するに値するテーマである。

本書巻末には、「ベーシック・インカムに関するQ&A」が載っている。

そのうちのひとつを紹介しておこう。

 ベーシック・インカムが導入されてしまったら、「きつい」「危険」「汚い」――いわゆる3K仕事に従事する人がいなくなってしまう。

 従事したいという人がいれば、それこそそこで市場の需要と供給の原則の出番である。仕事が同じ状態のままならば賃金が上がるだろう。3K仕事の賃金の方が大学教員の給料より高くて当然かもしれない。また「きつい」仕事や「汚い」仕事は労働時間を短縮させたり、またきつくなくするような技術革新に投資したり、「危険」な仕事は危険度を低くする工夫がなされたり、といったことがなされるようになるだろう。(276頁)


「働かざる者、食うべからず」とひとは言う。

けれども、他人を騙し、自然を収奪するのが「働くこと」なら、
「働くこと」へ疑問を向けることも必要なのではないか?

「もともと働くとはどういうことなのか?」という根源的な問いに向き合うことも大事だ。

……1000年以上前の律令国家の建前もベーシック・インカム的なものだった……。(278頁)


律令国家がベーシック・インカム的なものだったのであれば、
日本の保守派もそうそうこれに反対できないのではないか。

ふむ、保守派の歯軋りが聞こえてきそうである。









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