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zoom RSS 山森亮『ベーシック・インカム入門』(光文社新書)@

<<   作成日時 : 2010/01/13 10:29   >>

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世界的に雇用が不安定化している。

生活がますます苦しくなっているというひともたくさんいる。

誰のせいでこんな世界になってしまったのか?

経済は自然現象ではないのだから、
世界がおかしくなっていたら、そこには人為的な要因が存在する。

・ 仕事がないひと、仕事があっても生活に余裕がないひと。

・ 家賃の支払いが大きな負担になっているひと。

・ 病気になっても治療費が支払えないひと。

そういう不安定なひとたちがいる。

そこで注目されているのが、
「ベーシック・インカム(基本所得)」というアイデアである。

働いているひとにも、働いていないひとにも、
お年寄りにも赤ん坊にも、
すべてのひとに一定のお金が政府から給付されるという制度である。

しかも無条件に。

 例えば医療、教育、介護、保育、住居などにかかるお金がほぼ無料に近い社会を想定してみよう(完全無料とまではいかなくても、日本に比べれば格段に安い先進国は沢山ある)。そうした社会で、仮に毎月1日にすべての成人の銀行口座に国から10万円が振り込まれ、子どもには7万円が振り込まれるとする。2人の子どもを育てているシングルマザーであれば、3人で合計24万円の給付を受ける。子どもを保育園に預けて「働き」(家で子どもを育てることも「労働」だと思うが、世間的な用語法にとりあえず従っておく)に出ることによって得られる収入が手取りで10万円だとすれば、それと3人分のベーシック・インカム24万円をあわせた34万円が、その家庭で使える1ヵ月分の金額ということになる。
 現行制度がもつ、収入が途絶えたときの生活保障の基礎部分にあたる、基礎年金や雇用保険、生活保護の大部分は廃止されてベーシック・インカムに置き換わる。(10頁)


この本は、ベーシック・インカムについて知るのに最適の本である。

とってもおすすめ。

「え? 働いていないひとにも給付されるの?」

「働いていないのにお金がもらえるなんて、おかしいよ!」

「いまでも社会保障制度がある、それで十分だろう」


と、反発を感じてしまうひともいるであろう。

実際、このベーシック・インカムに対しては、
判で押したように上記のような反応がヤリのように返ってくる。

本書には、そうした反発に対するていねいな反論も書かれている。

たとえば、「労働して賃金を得る、これが社会人の基本だ」とひとは言うかもしれない。

しかし、本当にそうなのだろうか?

私たちの社会は、賃金労働だけではなく、家事などの不払い労働によっても支えられているのではないか。(15頁)


まさにそのとおり。

不払い労働はわたしたちの生活を維持していく大事な要素だが、
社会的に正当な評価を与えられていない。

だから世のなかに傲慢な「おっさん」たちを増殖させる。

「おい、誰のおかげで飯が食えてると思ってるのか!」

こう家族に威張りちらす「おっさん」は、日本中に溢れていることだろう。

こういう言い方でしか威厳を守れない日本の「おっさん」たちは、哀れである。

ではまず、ベーシック・インカムとは具体的にどのような制度なのか?

そこから説明していこう。

(1) 現物(サービスやクーポン)ではなく金銭で給付される。それゆえ、いつどのように使うかに制約は無い。

(2) 人生のある時点で一括で給付されるのではなく、毎月ないし毎週といった定期的な支払いの形をとる。

(3) 公的に管理される資源のなかから、国家または他の政治的共同体(地方自治体など)によって支払われる。

(4) 世帯や世帯主にではなく、個々人に支払われる。

(5) 資力調査なしに支払われる。それゆえ一連の行政管理やそれに掛かる費用、現存する労働へのインセンティブを阻害する要因がなくなる。

(6) 稼働能力調査なしに支払われる。それゆえ雇用の柔軟性や個人の選択を最大化し、また社会的に有益でありながら低賃金の仕事に人々がつくインセンティブを高める(例えば現行の日本の生活保護では、個々人ではなく世帯単位で給付される。その給付を受けるためには、所得や資産などを調べる資力調査を受けなくてはならないし、稼働能力の有無も問題となる)。(21−22頁)


では、現行の社会保障制度をベーシック・インカムに変える積極的な理由は何か?

現行の社会保障制度に不十分な点があれば、
それを十分なものに変えていく、それでいいのではないか?

そういう疑問に著者は次のように答えている。

(A) 現行制度ほど複雑ではなく単純性が高い。行政にとっても利用者にとっても分かりやすい。資力調査や社会保険記録の管理といった、現存の行政手続きの多くは要らなくなる。

(B) 現存の税制や社会保障システムから生じる「貧困の罠」や「失業の罠」……が除去される。

(C) 自動的に支払われるので、給付から漏れるという問題や受給に当たって恥辱感(スティグマ)を感じるという問題がなくなる。ベーシック・インカム給付のために必要な増税は、ベーシック・インカムという形で市民に直接戻される。

(D) 家庭内で働いてはいるが個人としての所得がない人々のような、支払い労働に従事していない人を含む全ての人に、独立した所得を与える。

(E) (生活保護のような)選別主義的なアプローチは相対的貧困を除去するのに失敗してきた。児童手当やベーシック・インカムのような普遍主義的なアプローチの方が効果的かもしれない。

(F) 以下の諸点でより公正な結束力のある社会を作り出すだろう。

▼仕事と雇用と親和的である
▼衡平性を促進し、少なくとも貧困を避けるために必要な水準の所得を確保する
▼税負担をより衡平にする
▼社会保障と税の体系を個人単位に変えるための一つの公正な方法を提供する
▼男女を平等に扱う
▼透明性がある
▼労働市場において効率的である
▼家事や子育てなどの、市場経済がしばしば無視する社会経済における仕事に報いる
▼さらなる教育や職業訓練を促進する
▼技術発展や非典型的な働き方などを含む、グローバル経済における変化に対応する
▼ベーシック・インカム導入に付随する様々な経済的社会的改良から良い動態的効果が生まれる(23−25頁)


現行の社会保障制度のもとでは、
救われていないひとたちがたくさん存在している。

ある報告によれば、日本有数の大都市の1つでは、1年に1000人あまりの人が行き斃れているという。(31頁)


これは世界第2位の経済大国と言うわりに恥ずかしい実態だ。

生活保護制度があるものの、日本では機能していない。

100世帯中、10世帯が生活保護基準以下の生活をしているが、実際に保護を受けることができているのはたったの2世帯。(33頁)


よく生活保護の話になると、不正受給の話をするひとがいる。

「本当は働けるのに生活保護費を受けとっているひとがいる」と。

「暴力団の資金源にさえなっている」と。

しかし、不正受給の話をするひとは、
「生活保護基準以下の10世帯中、実際に保護を受けていない8世帯」
のことにまったく触れようともしない。

不正受給はそれなりに問題ではあるだろうが、
一体どの程度の件数なのか?

率直に言ってしまえば、大した件数ではない。

本来生活保護を受けるべきなのに受けていない世帯が8割もあるというのに、
不正受給の話ばかりするのは犯罪的とさえ言ってよいのではないか?

だから、不正受給の話を持ち出すひとは非道なひとだ、と言える。

市場原理主義の嵐が吹き荒れるなか、
とんでもないことが進行していた。

生活保護基準以下で生活をしているひとたちがたくさんいることは、
先ほど述べたとおりである。

ということは、まず直ちに彼らに対する支援を行なうのが急務であろう。

また「ワーキングプア」が問題になっている。

生活保護基準というのは、
その水準以下で生活しているひとが存在してはいけない、
という目印だったはずだ。

ところが、厚労省は驚くべき行動に出た。

 2007年に厚生労働省の「生活扶助基準に関する検討会」は、所得の下位10%の人たちの生活水準に比べて、生活保護受給者たちの生活水準が高いことを根拠に生活保護費の切り下げを提言した。(34頁)


厚労省はあろうことか、
生活保護基準以下で生活している貧困層を救おうとするのではなく、
生活保護水準以下で生活できているひとがいるのだから
生活保護基準自体を引き下げてしまえ、というのである。

「血も涙もない」というのはこのことを言う。

そしてこれが国民が圧倒的に支持してきた構造改革路線なのである。

喩えでいえば、最低賃金を守らず働かせている会社の従業員の賃金と最低賃金を比べたら、後者の方が高いので最低賃金を切り下げます、というようなものではないだろうか。(34頁)


これに対して、
「なるほど、それはひどすぎるが、社会保障を充実させると財政悪化を招く」
と反論するひともいるだろう。

だが、この反論に対して、著者はこう再反論する。

……スティグリッツはアメリカを例にとり、財政赤字の責を福祉などの社会扶助支出に帰するのは誤解に基づく議論だと指摘しているが、日本の社会扶助支出はGDP比でそのアメリカよりも低いのである。(40頁)


スティグリッツは、言わずと知れた著名なアメリカの経済学者である。

あの格差大国アメリカよりも低い、というのは衝撃的であろう。

通常、税と社会保障を通じた再分配によって貧困率は減少する。子どもの貧困率を見た場合でもほとんどの国でそうなるが、日本の場合は逆に、再分配後の方が貧困率が高くなっているという衝撃的なデータもある。(55頁)


これは自民党・公明党に政策担当能力が欠如していたことを示している。

とはいえ、まともな福祉国家になればいいのかというと、
それほど単純な問題ではない。

なぜなら、福祉需給にかかわるスティグマ(恥辱感)の問題があるからだ。

「救済に値する」として無拠出の所得保障を受けてきた人たち、例えば典型的には障害者たちは、賃金労働を中心とする福祉国家の仕組みのなかで、こうしたスティグマを常に引き受けてきた。(56頁)


ただでさえ恥辱感を受けながら支援を受けてきたひとたちが、
構造改革の名のもとでいかにひどい扱いを受けてきたか。

そのことを思うと、
日本人というのは何と冷酷な国民なのかと思わずにはいられない。

賃金労働に従事し生活できる者たちを標準として、高齢者、障害者など労働できないとされる人々や、賃金労働はしているが、それだけでは生活できない人たちを、それより一段劣るものとして、そして労働可能と看做されながら賃金労働に従事していない人々を最も劣るものとして序列化していく、そうした仕掛けを福祉国家は内在化しているのである。(56−57頁)


人間の序列化は、差別の暴力につながる。

福祉国家にもそうした危険性がある。










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