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zoom RSS 小熊英二『1968【下】』(新曜社)D

<<   作成日時 : 2009/12/06 17:39   >>

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本書紹介の最終回を予告したのは1か月前だった。

パソコンの故障のせいで書くことができなかったが、
今回の記事が本書の紹介の本当の最終回である。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「あの時代」のひとびとは、当時の社会を「管理社会」と呼んで批判していた。

……「大学を出てどこかへ入社したとき退職金の額まで計算されるような、非人間的なこの仕組み」を、「管理社会」と呼んでいた……。
 ……70年代には、「就職しないで生きる」というシリーズ本企画が刊行され、輸入レコード店や古本屋など「サラリーマン」以外の人生を歩む可能性が夢として論じられた。(840−841頁)


ここでもふと思う。

そんな管理社会を批判して自由な生き方を求めていたひとたちが、
昨今の若者フリーターを見て「定職に就かないのは甘えだ」と非難している。

何なのだろうか、この自己矛盾は? と思う。

だいたい昨今のフリーターたちは
「自由」を求めてみずから非正規雇用を選択したわけでもないのに。

安易な若者批判をしている中高年諸君には、猛省を促したい。

話を戻そう。

「あの時代」は「管理社会」を批判するのが主流だった。

しかしいまは時代が変化した。

いまの若者から見れば、「管理社会」は批判すべき対象にはなりにくい、
と著者は言う。

現代の不安定雇用者によっては、「管理社会」の人生行路は批判の対象というより、むしろうらやむべき特権的境遇と映るだろう。(841頁)


したがって、当時の典型的な切り口で現在の社会を批判することはできない。

 つまり70年代から80年代の日本では、自動車産業に象徴される「プロセス工業」がまだ中心であり、そうであるからこそそれを画一的な「管理社会」として批判する「1970年パラダイム」も有効だった。企業の公正メンバーが固定化しており、所属企業に忠誠心をもつ「プロセス工業」型の社会と、終身雇用制度は不可分であり、それが成立しているあいだは、「会社人間」「社畜」といった「管理社会」論からの批判も有効だった。
 ……いわば「1970年パラダイム」は、92年の経済停滞と、94年の脱工業社会化にとって、その前提を失ったと考えられる。(841−842頁)


現在は「管理社会」論ではなく「監視社会」論が一般的だから、
このあたりの著者の記述はやや乱雑な印象を受けるが、
いちおうそのまま説明をつづける。

「1970年パラダイム」が現代日本の情況に対処しえていない他の例として、不登校の問題が挙げられる。(843頁)


かつては、学校の「管理主義、競争主義、画一主義」が批判された。

そのとき、学校になじめない子どもたちをかばって、
個性豊かな子どもが「管理社会」の代表例たる学校を自覚的に拒んだ、
という主張がよく見られた。

だからこそ、「管理社会」に対抗するために、
「個の尊重」や「自由」や「そのひとらしさ」が擁護されてきたのだった。

これを著者は「1970年パラダイム」と呼ぶ。

しかし、こうした管理社会批判がすでに現在の社会では使えない、
失効していると著者はいうのである。

その例として「不登校」の問題を取り上げている。

以下に引用するのは、
教育学者の佐藤学とジャーナリスト斎藤貴男の対話である。

佐藤 ……不登校になる子のかなりの部分が、夏休み中に水とお菓子しか食べていない。
斎藤 えっ。
佐藤 つまり、学校のある日は給食を食べてるんだけど、〔不安定雇用の共稼ぎの〕お父さん、お母さんの名かが悪かったり、おばあちゃんが体調が悪いと、お金を渡して、これで夕食を食べなさいという。ところが、定食屋に行っている小学生なんか見たことないでしょ。子供はコンビニに行って、お菓子を買って食事のかわりにしている。……新自由主義のレトリックは、自分以外を信じるなということです。……そして自分で決めたら自分で責任をとれと。(844頁)


子どもたちが「まともな食事をしていない光景」を目にすると、
世間のひとはしばしば「最近の母親のせい」にしたがる。

「ちゃんとまともな食事を作らない母親」を非難する。

そして「昔の母親というのは……」とくる。

ああ、なんと愚鈍な反応なのだろうか。

佐藤はさらにこう述べている。

「子どもの問題で言えば、一番深刻なのが家庭の崩壊です。先進諸国に共通する現象ですが、親が子供の世話をしなくなった」。「……夕食を家で食えるやつがクラスに半分もいなくて、みんなコンビニで食べているというんですね。……〔父母ともに不安定雇用なので〕そうしなくては食えないわけです」。(844頁)


子どもたちに「まともな食事」をさせたいのなら、
ゆとりのある私生活を送れるように労働環境を改善させればよい。

つまり、企業に規制をかければよい。

ところが世間のひとびとは、何でも「母親のせい」「家庭のせい」にする。

ともあれ、こうした悲惨な状況のもとでは、
「不登校」の子どもたちを「自由な生き方」だと素朴に擁護するわけにはいかない、
と著者はいうのである。

 しかも、不登校は子供の「選択」であるという対抗言説は、「自己選択=自己責任」という新自由主義の論理と調和してしまう危険性をはらんでいる。(844−845頁)


もうひとつ著者が取り上げているのが、日本の右傾化である。

ある右翼に魅かれているという者が、こう述べたという。

「サヨクの連中は嫌いだ。連中が弱虫だといっているのは、従軍慰安婦とか外国人労働者とか在日とかで、俺たちのことなんか眼中にないんだ。やつら、いまだに憲法第9条が世界の宝だとかいってやがる、9条があったって、俺には職がないんだ。そんなことも奴らにはわからないんだ」。(847頁)


これは誰が見てもほとんど幼稚で支離滅裂な言い分だが、
こういう若者が増殖しているとなると無視するわけにもいかない。

一部の若者にとって、「自由」や「個の尊重」という主張は、
自分たちの利益になるものではないと感じているらしいのである。

これはどのような状況と見ればよいのか?

……経済成長期の安定した社会への反発と批判を「自由」「個の尊重」という言葉を使って唱えた「1970年パラダイム」が、「自由」が「新自由主義」の言葉となった経済停滞期の若者には、説得力のないものに映るようになった状況……。(848頁)


なるほど。

 「あの時代」の若者たちは、「戦後民主主義」や「進歩的文化人」を非難した。しかし彼らが、「戦後民主主義」や「進歩的文化人」の著作や思想に精通していたとは思えない。
 だが彼らは、内容を把握する以前にそれらを非難した。(848頁)


それと似たことが現在起きているのではないか、著者は述べる。

 すなわち、1970年前後に「進歩的文化人」の「戦後民主主義」が非難され、思想的寿命を終えたように、いまでは「サヨク」の「1970年パラダイム」が非難され、思想的寿命を終えようとしているのではないか。そして、「あの時代」の叛乱する若者たちが「進歩的文化人」を嘲笑し、三島由紀夫や北一輝などの右翼思想家に、年長者たちが眉をひそめるにもかかわらず――眉をひそめるがゆえに反抗の気分を味わえたわけだが――魅かれたように、現代の若者は「サヨク」を嘲笑し、歴史修正主義などに魅かれていくのである。(848−849頁)


社会学的、思想史的に見て、ここからわかることは何か?

……人びとの意識、思想、言説の変化が、社会の実態変化より約10年遅れることを示してもいる。(849頁)


戦後のひとびとの意識の変化をざっとまとめるとこうなる。

 日本が発展途上国だった時代に形成された戦後思想は、「もはや戦後ではない」という言葉とともに高度成長が始まった1950年代後半から、約10年を経た1968年ごろから嘲笑と批判にさらされ、パラダイムの転換がおきた。そして「1970年パラダイム」は、日本が経済成長の余地のある中進的先進国だった時代に栄えた。
 そして92年に経済成長が止まり、94年に脱工業化した先進国に日本が変貌した時点から、約10年を経た2000年前後から、「1970年パラダイム」と「サヨク」は嘲笑と批判の対象とされた。そして、支配的言説としては歴史修正主義と新自由主義が台頭する一方、それに対抗する側は新たなパラダイムを生みだせていないのである。(849頁)


これが著者の現状認識である。

 それでは、現代日本の、また現代先進社会の共通の問題である「現代的不幸」に対処するのに、いかなるパラダイムが必要なのか。筆者にはそれに十全に答えうる能力や準備はない。また筆者の知るかぎり、この問題に十全に答えた論者をいまだ知らない。(864頁)


では、これからどうしていけばよいのだろうか?

まず学ぶべきことは、過去の思想や経験を十分に理解しないまま葬ることの不毛さである。(865頁


著者は、現在の右傾化している若者に対して、共感してわけではもちろんない。

 「あの時代」の若者たちは、「戦後民主主義の欺瞞」の一語のもとに、数多くの遺産を投げすてた。しかし、一度目は悲劇だが、二度目は喜劇である。(865頁)


これはカール・マルクスのよく知られた言葉をもじったものだ。

ある種の反抗的な気分を表現しているつもりになって、
南京大虐殺事件や従軍慰安婦問題を否定するひとたちは、
「過去の思想や経験」をまったく理解していない。

「日教組批判」の一語のもとに、数多くの遺産を投げすてようとしているひともいる。

著者はこれを「喜劇」だと断じているが、
笑って済ませられるようなものでないことは、言うまでもない。







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