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zoom RSS 伊田広行『シングル化する社会』(洋泉社新書)A

<<   作成日時 : 2009/12/30 15:08   >>

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歴史的にみて、結婚にはどのような意味があったのだろうか?

著者によると、次のようにまとめることができる。

 社会にとって結婚のもつ意味を客観的に見てみると、結婚は多くの人を社会秩序のもとにコントロールするための手段であるといえる。性関係を婚姻内に限定し、家族の相互扶扶養、子育て・介護などを家族の責任として、人々をマジメに働かせ、かつ社会保障的機能(人の生産にかかわることなので再生産機能とも呼ばれる)を負担させているのである。(101頁)


前回も確認したように、
結婚を恋愛の目標と見なさなければならない理由はない。

 たとえば、性関係やカップル関係は国家や世間から社会的に承認されなくてはいけないことであろうか。考えてみれば、誰とセックスするか、愛し合っているかを別に国家や会社や近所の人に届ける必要はないことかもしれない。(102頁)


結婚というのは、考えればおかしなものである。

誰とセックスをするのかというきわめて私的なことを、
わざわざ国家や社会に届け出て公言しているようなものだからだ。

もはや結婚するのが当たり前という考え方が古くさい。

 非婚者の増加、少子化の進展という現象は、結婚したくても結婚できない、子どもを産みたくても産めない、結婚や出産を躊躇せざるをえない社会環境があるというだけでなく、積極的な社会変化の一面を表しているともいえる。
 それは、社会が旧来の家族単位システムでは合わなくなってきており、そうでない方向に社会を変えるべきだという信号を出しているという側面である。(107頁)


「婚活」ブームは、古い価値観の最後のあがきと見ることができるだろう。

では、これからの日本社会ではどのような制度が求められるのだろうか?

……北欧のような子育てと仕事の両立を支援する諸制度を導入することによって――本質的には、のちに示す社会民主主義的なシングル単位化改革を進めることによって――少子化傾向に歯止めがかけられ、対応可能である。(108−109頁)


このような意見を取り上げると、
すぐに「大きな政府は財政悪化を招く」との批判が出てきそうである。

しかし著者はそれに対して次のように反論する。

新しい福祉国家=社会民主主義的な路線をとっている各国は経済的に破綻してはおらず、プライマリーバランスを黒字化して借金を減らしており、むしろ日本のほうが財政状況は悪い。理論的に見て、社会保障充実と財政赤字は相関関係になく、「高福祉・高負担は経済をつぶす」というのは俗論でしかないのだ。(122−123頁)


「大きな政府」がただちに財政赤字を招くわけではない。

そもそも社会保障の面から見れば「小さすぎる政府」だった日本でも、
財政は悪化の一途をたどっていたではないか。

ということは、日本人に求めらるのは発想の転換である。

家族単位システムを個人単位のシステムへと転換するのである。

たとえばどうなるか?

@ 世帯主概念を廃止し、個人ごとの戸籍・住民票にするといった家族関連法の記述や設計を個人単位にする。

A 社会保障制度における拠出・受給を個人単位にする。

B 扶養・ケアワークを社会的に担うので、扶養控除などを廃止して税制度もすべて個人単位にする。(132−133頁)


@については、戸籍・住民票のあり方に関して問題があるので、
この著者の提言をそのまま受け入れるわけにはいかないが、
「個人」を単位としていくという方向性は正しいだろう。

上の制度改革に沿って、労働のあり方も変更を迫られることになるという。

@ 年功賃金制度を廃止して、男女共通の個人単位賃金=「同一価値労働同一賃金・時間給」にする。

A 雇用形態差別を禁止し、みんなが短時間正社員になる。

B 家族関連手当を廃止する。

C 残業、出張、転勤を規制し、短時間労働であっても昇進に響かないようにする。

D 男女平等の雇用・教育・配置・昇進とする。

E 育児・介護休業制度を男女ともが同じように利用する。(133・136頁)


著者はこれを「個人単位型福祉国家の路線」と呼ぶ。

日本に与えられた選択肢は北欧型社会民主主義である、と断言する。

もっとも、これに関しても、
みんなが正社員になるべきなのか、
これによってみんなが「男並み」の競争社会に参加させられるのではないか、
といった議論が出てくるかもしれない。

 これからさらに女性の社会進出、非婚化・単身化が進むなかで、公平の観点からは社会福祉の個人単位化を進めることと並行して、税や社会保障の個人単位化を早急に導入すべきであろう。(145頁)


社会保障を充実させるとなると、
当然のことながら「高負担」になっていくことになる。

多くの日本人は「高負担」に拒絶反応を示すかもしれない。

だが、日本の国民負担率は諸外国に比べてじつはとても低い。

 日本の国民負担率は、先進国中最低水準(36.1%:2003年)であり、スウェーデンのそれは最高水準(76.5%:2000年)となっている。……
 にもかかわらず、財政状況が先述したように日本が最悪で、スウェーデンは単年度黒字化まで改善されていること(1991年から3年連続でマイナス成長であったが、いまや成長率も回復した。財政も98年から黒字転換し、債務残高を削減中。10%に届かんとするほど悪かった失業率も、2002年10月には3.7%にまで改善)……。スウェーデンでは高い税負担にもかかわらず、「この国に生まれてよかった」と答える人の割合がもっとも高く、日本は逆に最低である。(151−152頁)


それでも個人単位のシステムに変えることに抵抗感をもつひともいるだろう。

どんなひとたちだろうか?

 とくに家族単位の秩序で上位を占めていた人――たとえば、専業主婦や部下の女子社員に雑用をしてもらっていた高賃金男性、女性役割において能力が高いがゆえに男性に気に入られていた女性など――は、旧秩序が崩れることで、自分の既得権が消滅するから抵抗感をもつであろう。(154−155頁)


なるほど。

そういうひとたちなら、怒らせても何の問題もないかもしれない。

「父性・母性」「男らしさ・女らしさ」などといった無根拠な差別は、
遠慮なく叩き潰せばよいのだから。

家族単位システムを個人単位システムに変革する。

保守派はこれに強く抵抗するだろう。

社会の基本は「家族」だ、
「父性・母性」といった人間にとって本質的なものが失われてしまう、と。

だがこのような保守派の反発には根拠が薄弱である。

 そもそも、父性・母性が本質的なものならば、それに反する行動(父性・母性観と相容れない現象)をとる者が多いことがおかしいともいえる。本質視しておきながらそれが喪失されていると嘆くのは理論的に矛盾している。男・女(父・母)らしさに対して、本質視をやめて社会構築的なもの(ジェンダーの視点)と見ればスッキリするのだが、そう考えない人が多いからこそ、それらは「神話」なのである。そうしたことからも、「父性・母性の復権」を唱えればすむなどというのはもっとも安易な回答でしかないといえよう。(161頁)


保守派は理論と呼べる水準にはない、ということがよくわかる。

最後にひとつだけ加えておきたい。

20代後半から30代・40代の独身女性たちは、
家族や親戚や会社のひとや友だちからよく言われるのではないか?

「まだ結婚しないの?」と。

もしこのように言われたら、
「ああ、ここにも時代錯誤の差別的なお化けがいるのね」と、
冷たい視線を投げ返してさしあげよう。

「まだ結婚しないの?」とひとに聞けるのは、
そのひとが無神経で差別的なひとだからである。

そしてひと言、そのひとにこうつぶやいてみるとよい。

「あなたのようなひとにだけはなりたくないわ」と。







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