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zoom RSS 伊田広行『シングル化する社会』(洋泉社新書)@

<<   作成日時 : 2009/12/29 11:25   >>

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経済構造は変化している。

家族のあり方やひとびとの価値観も変化している。

いま日本社会はどこへ向かおうとしているのか?

どのような制度設計が求められているのか?

こうしたことを考えるのによい本である。

若者にもすすめるが、ことのほか偏見にまみれている中高年たちにおすすめだ。

保守的な価値観の持ち主は、
時代の変化に対応できないひとたちだからである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


日本では、「未婚化」や「晩婚化」が進んでいると言われている。

ただし、「未婚」という言葉は、「まだ結婚していないこと」という意味で、
「結婚して当たり前」「結婚して一人前」という価値観を前提にした言葉なので、
より客観性の高い「非婚」という言葉を使った方が中立的だろう。

そういえば、「未亡人」という言葉を現在も使いつづけているひとがいるが、
これは福沢諭吉が厳しく批判していたという話をどこかで聞いたことがある。

「未亡人」って、よく見ると、怖ろしい言葉である。

というわけで、
ここから先は「未婚」という言葉は使わず、「非婚」で統一していきたい。

なぜ日本で未婚化・晩婚化が進行しているのかを考える前に、
戦後の日本社会の変化を確認しておこう。

 農業中心の経済であった日本が徐々に工業化し、サラリーマン(被雇用者)が労働者の過半数を占めるようになるのは戦後も10年以上たった、昭和30年代半ば(1960年)ごろのことである。(37頁)


日本が工業化社会になって都市型ライフスタイルを身につけたのは、
意外なことに、じつはほんの最近のことだったのである。

それにしたがって女性たちは主婦化していった。

事実、女性の労働力率は1975年まで低下しつづけた。75年は専業主婦率(結婚している女性のなかの無業者率)がいちばん多くなった時期である。(38頁)


1975年にもっとも主婦率が高かった事実は、とても重要である。

ここからわかるのは、
「男は外で仕事、女は家事・育児」という性別役割分業は、
戦後の高度経済成長期に浸透していった比較的新しいスタイルだ、
ということである。

決して「昔から」女は家事・育児に専念していたわけではない。

これは社会科学を学んだものにとっては常識だが、
ちゃんと勉強をしていない愚か者が日本には多いので、
「女は家にいるものだ」などと性差別的な信仰がまだ跋扈している。

困ったものである。

ともあれ、この時代に「性別役割分業」を前提とした、
家族モデルの「標準」ができあがった。

日本の社会保障制度や税制もこの「家族モデル」を単位につくられた。

ところが、1990年代以降の日本経済は超低成長期・ゼロ成長期を迎える。

右肩上がりの経済成長を望める時代は終わった。

リストラの嵐が吹き荒れ、非正規雇用が激増した。

結婚しないシングルのひとびとが増加した。

「標準」から外れるひとびとが増えていった。

少子化が進み、人口構成も変化した。

 ……『平成13年度経済財政白書』によれば、いまの税制や社会保障制度においては、60歳以上世代が生涯に5700万円の受益超となるのに対し、40代以下の世代は負担超となる。厚生労働省の試算でも、厚生年金制度での世代間格差が、1949年生まれの夫婦世帯で3800万円の負担で5700万円給付を受けるのに対し、89年生まれの夫婦の世帯は、7500万円の負担で4900万円の給付となる。(45頁)


これが世代間格差、世代間の不平等・不公正という問題である。

現在60歳以上のひとたちは「おいしい思い」をする一方、
40代以下の世代のひとたちは「納得できない思い」をさせられるのである。

これは、性別役割分業にもとづく核家族を社会の基礎単位とする
社会制度が破綻してしまったことを意味している。

著者はこれを「自民党型統治システムの破綻」と呼んでいる。

また「擬似福祉システム」の破綻とも呼んでいる。

どうしてこれまでの日本の仕組みを「擬似福祉システム」と言えるのか?

 簡単にいえば、日本で社会保障・福祉が小さかったのは、家族の無償労働と会社(企業福祉)と公共事業が社会保障の代わりを担ってきたからなのである。(47頁)


このことについては以前も記事に書いた。

小泉改革のとき、
日本は「小さな政府」を目指すべきだと盛んに言われたが、
それまでの日本も十分に「小さな政府」だったのである。

ではわたしたちの血税は何に使われていたのかというと、
税金はもっぱら「公共事業」にジャブジャブと注ぎ込まれていたのだ。

他方、社会保障の部分は企業と家庭が支えていたのである。

数年も経つと、
「60〜70年代の自民党政権時代は良かった」などと
ワケのわからないことを言い出すひとが出現しかねないので、
このことはきちんと記憶しておこう。

さて、ひとびとは必ずしも家族をつくらなくなった。

それなのに、社会保障制度や税制は「家族単位」で制度設計されている。

だからこの矛盾に現行システムが耐えられなくなってきているのである。

だが、家族単位のシステムはとっくに崩壊しているのに、
従来の家族像を捨てられないために多くの問題が起きている。

 たとえば、史上最低金利だというのに、独身女性にはなかなかお金を貸してくれないという問題がある。
 35歳のある独身女性は、大手企業の投資アナリストで、年収800万円、貯金は1000万円もある。だが、不動産屋でいつも尋ねられるのは「ご結婚の予定は?」であり、「とくにありません」と答えると、「じゃ、無理ですね」となる。「え? 働いているのに」と思ったそうだが、女性は結婚や出産で退職する率が高いからだそうだ。ためしに「近く結婚するんです」と言うと、「では、旦那さんの年収でローンを計算してみましょう」ととたんに相手の愛想がよくなったという。銀行に行っても、「結婚の予定はない」と言うと、父親の職業、年収、勤め先の業務内容などを言わなくてはならない。「働く女性を応援」という住宅ローンでも同じことで、男性より最高2%程度高い金利を払えばなんとか銀行側も融資に応じてくれるという(『朝日新聞be』2002年10月5日付参照)。(47−48頁)


ひどい話である。

 そのほか、子どもが交通事故死しても男女で補償金額が違う……。(49頁)


これもひどい話である。

それにもかかわらず、
小泉・安倍・福田・麻生とつづいた自民党は、
新しいビジョンを示すこともできないまま、選挙に大敗した。

巨額の財政赤字というツケは、未来世代に先送りされた。

このことをふまえたうえで、最初の話に戻ろう。

なぜひとびとは結婚をしなくなったのだろうか?

そのことを考えるにあたっては、
逆に「なぜひとは結婚をしようとするのか?」と考えてみるとよい。

よく考えてみると、結婚しなければいけない理由など存在しない。

結婚願望の強いひとは、自問してみるとよい。

あなたはどうして結婚したいのか?

「好きなひとができて、ずっと一緒にいたいから」?

 ……「好きな人ができてずっと一緒にいたい」と思っても、結婚しなくてもずっと仲よくいることもできるし、結婚しても気持ちが離れたり、別れたりすることもある。


それはそうだ。

ということは、これは結婚しなければいけない理由にはなっていない。

ではほかの理由はどうだろうか?

「人生のパートナーがほしいから」?

結婚という形式によって必ず「絶対・永遠・完璧なパートナー」が保証されるわけではない。


これもそのとおりだ。

では「精神的な安らぎの場をもちたいから」?

……それは必ずしも結婚を通じなくても、同棲でもあるいは友人や恋人のいる1人暮らしでも得ることができる場合がある。結婚しても精神的な安らぎを得られない場合もある。


なるほど。

「家族をもちたいから」?

……結婚しなくても「家族的」な親しい関係はもてる場合もあるし、「家族」という形式を得ても「期待していた仲のよい家族」と違って不満足になることもある。(66頁)


「子どもがほしいから」という理由を挙げるひともいるかもしれない。

しかしこれも結婚しなければならない理由にはならない。

「子どもがほしい」という理由についても、結婚とは無関係に子どもをもとうと思えばもてる(北欧諸国では子どもの約半数が結婚していない親から生まれている。このことは子育てに無責任ということを意味しない)。
「幸せになりたい」のはわかるが、それも結婚しなくても可能だ。「好きな人が離れないようにしたい」というが、結婚にそのような強制力があるとしてもそれで相手を縛ることはいいことなのか。そして、じつは離婚もできるのだから、結婚にそのような強制力はなくなりつつあるのではないのか。(66−67頁)


なるほど。

結婚しないと子どもをつくれないわけではないし、
未婚の親を「みっともない」などと道徳的に非難するひともいるかもしれないが、
それは差別にほかならず、
いまどきそんなことを平気で言うひとの方が「みっともない」と言わざるを得ない。

……結婚のメリットのうち、とくに結婚しなくても得られる項目が多くなった一方で、結婚のコストは高まっているために非婚が進んでいるということである。(69頁)


結局、結婚のメリットがなくなって、
結婚のコストが高まっているのが非婚化が進んでいる原因のようである。

ここで著者は、山田昌弘の「パラサイト・シングル」論を検討している。

「パラサイト・シングル」論というのは、
「未婚化はパラサイト・シングルが原因だ」という考え方のことである。

若者のなかにも、
「パラサイト・シングルが増えたから独身のひとが増えた」と
主張するひとがいる。

そういう声をわたしは何度も聞いてきた。

しかし、どうしてこのような考え方が出てきたのだろうか?

 ……家族単位発想での年功賃金システムが若年層男女の賃金を低く抑えている一方で、親世代に相対的に高賃金を与え、パラサイトさせうる経済力を与えているからだ。意識の面でも、多くの親も子どもも、家族単位システムへの批判意識や「個」の自立意識が醸成されておらず、親は子どもの面倒を見るのが愛情、女性は結婚して主婦になればよいという家族単位意識にとらわれたままだからだ。つまり、家族単位システム(制度と意識)が存続しており、若い世代が自立する基盤が整っていないことが背景にあるのである。(74−75頁)


こうして著者は、「パラサイト・シングル」論を批判している。

もし世の中のひとたちがパラサイト・シングルを非難するのであれば、
「若者でもひとり暮らしができるような住環境を整備してからにしてほしい」
と言いたい気持ちにかられるのはわたしだけであろうか?

東京などでひとり暮らしをするのにいったいいくらかかると思っているのか?

そう言いたくなってしまう。

ところで、時代はこんなにも変わっているというのに、
男たちの結婚観は相変わらず「古くさい」ままのようだ。

 ある新聞記者が、未婚男性に相手の希望を聞くと、「若い(子どもを産める)、きれい、かわいい、気立てがよい、話ができる。短大卒か大卒、年収は自分よりも下がいい」といった古くさいイメージの言葉が多数出てきたということだった。(82頁)


女性のみなさま、男どもはこの程度なのですよ。

まったく。

 また、とくに日本特有の原因としては、婚外子差別が存続していること、子どもは結婚して産むものという社会通念がいまだ根強く残っていることも、少子化の一因である。(95頁)


きょうも日本のあちこちで、
シングル・マザーたちに対する「噂話」で盛り上がる「おばさんたち」が、
差別と偏見を振りまいていることだろう。

民主党政権になって「子ども手当て」のことが議論の的になっている。

財源不足が問題になっている。

しかし、次のデータを見ていただきたい。

国立社会保障・人口問題研究所によると、子どもをもつ家庭や子ども向けの社会保障給付の、対国民所得の割合は、スウェーデンが4.83%、ドイツが3.4%(1996年)であるのに対し、日本は0.53%(1999年)にすぎない。(95頁)


日本は先進国のなかで突出して子ども向けの給付が少ないのである。

教育費だけをとっても、
本来ならば高校だけでなく大学まで無料化されてよいはずだ。

そのために育児費・子どもの教育費などが家庭の大きな負担になっていて、
このことも少子化の要因となっている。

少子化の原因は「女性の高学歴化と女性の社会進出」である、
とよく言われる。

これについて著者は次のように反論している。

 なお、女性の高学歴化と社会進出が少子化の原因と見るのは現時点の政策の方向を考える点で間違っている。女性の高学歴化と社会進出が進んでいながら高い出生率を維持している西欧と北欧の実例がそれを実証している。(97頁)


少子化の原因を「女性の高学歴化と女性の社会進出」に求めようとするひとは、
女性たちを家庭のなかに押し戻そうとするひとたちである。

要警戒である。








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